Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引 2018年11月

2018-11-30 | Weblog-Index


NAS回転音の審査 2018-11-30 | 生活
イガイガをすっきりさせる 2018-11-29 | 生活
生誕250周年への準備 2018-11-28 | 暦
玄人の話題になる評論 2018-11-27 | マスメディア批評
指揮者アバドの思い出 2018-11-26 | 文化一般
ドライさとかカンタービレが 2018-11-25 | 音
WLAN構築準備開始 2018-11-24 | 生活
初日に間にあったSSD 2018-11-23 | 生活
ステップバイステップ 2018-11-22 | テクニック
またもやガチャ切り 2018-11-21 | 生活
何度も繰り返した挙句 2018-11-20 | 雑感
敵はクローム・グーグル 2018-11-19 | アウトドーア・環境
無用の長物TV受信機 2018-11-18 | 生活
利益背反のドレスナー 2018-11-17 | 文化一般
久しぶりのオテロ感 2018-11-16 | 生活
客家入りの喉飴 2018-11-15 | 雑感
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
オペラとはこうしたもの 2018-11-12 | 文化一般
論理逸脱にドラマあり 2018-11-11 | 音
無色透明な音の世界 2018-11-10 | 音
次をリストアップする 2018-11-09 | 雑感
アップデートの数々 2018-11-08 | テクニック
邪魔になるZDFクルー 2018-11-07 | 文化一般
イアーゴに騙されるな 2018-11-06 | 文化一般
もぞもぞとした地所の味 2018-11-05 | 試飲百景
狩りの日だった土曜日 2018-11-04 | 生活
赤みが薄い今年の紅葉 2018-11-03 | 生活
再び240GのSSDを発注 2018-11-02 | 雑感
緊急避難で迎える万聖節 2018-11-01 | 暦
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NAS回転音の審査

2018-11-30 | 生活
森に行くと週初めにトランクの位置に落ちていた鍵が無くなっていた。その時見つけて場所を考えて置き換えておいたものだ。家の入口用のようだったから直に戻ってくるかと思っていたが24時間後にもそのままだった。合鍵なのだろう。そしてその鍵を置いたところに紙が貼り付けてあって、Dankeと書いてあった。その場所に車を停める人は皆顔見知りで挨拶をしている。勿論鍵とホルダーだけでは誰か分からなかった。落とし主も誰が拾ってくれたのかなと思っていたのだろう。

先日日本yahooの記事で読んだ通りだ。amazonの将来はないだろうというのを実感する。昨年ぐらいにドイツェポストが配送に対応出来なくなってきたという問題が表面化した。ブラック労働になるアマゾンの倉庫だけでなく、配達が追い付かなくなっていた。そこで自身のネットを構築すべく各地方の業者を集めたようだが、これが全くうまくいかない。そしてポストの子会社DHLを動かしても昨年までとは比較にならないサーヴィス低下となっている。それならば他の業者に発注しようかという気になっている。それでもアマゾンに発注する利点は、気に食わなくて送り返すなどの方法が容易だからだ。

今回発注したNASストレージも最終的にはルーターに有線で繋いでそのファンの回転音を聞いてみないことには判断がつかない。勿論使ってしまうと返品は難しくなるが、その価格だけの性能が伴わなければ話にならない。そして発注したのだが、その後にもう一パーセント値下がりしたのでキャンセルしようとしたら遅かった。更にプライム会員にしか売らなくなった。私が発注した後はいつもそうなる。それだけいいものを購入していることには違いがないが、二つ目を買わした方が得ではないだろうか。それだけ他との競争力に自信があるのだろう。

そして配送ならなかった。DHLが配達せずに最寄りの局に預けてしまったからだ。勿論文句を言いながら引き取ってきたが、更に安いものがあれば取りに行かなかった。返送されればよいとも考えたが、先ず一つ目は返品も考えて、受け取った。

大体の重量やら大きさは知っていたが、その想定よりも軽く小さかった。これならばノートブックの方が重くて大きな箱に入っていると思った。早速ブートしてみた。その音は可成り大きく、それが収まらないようなら送り返そうと思った。しかし直にそれが収まって、HDDが動く音がした。大きさが違うので全く異なる太い音だ。その音が静まらなければ送り返そうと思った。暫くして落ち着くと、可成り収まった。机の上だと振動があるが床の上ならば殆ど問題にならないだろう。まだどこに設置するか決めていないが、喧しいようならば屋根裏部屋までケーブルを伸ばして隠しておけばよい。この最初のエミッション程度ならば使えるだろう。今までのUSB接続NASに比較して特別喧しいことはない。但し低音振動なので共振しないよに設置しないといけないだろう。



参照:
イガイガをすっきりさせる 2018-11-29 | 生活
再び240GのSSDを発注 2018-11-02 | 雑感
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イガイガをすっきりさせる

2018-11-29 | 生活
スーパーで先日紹介したのど飴の違うのを発見した。日本薄荷入りのど飴だ。前からパン屋で見たことがあるような気がするが、いつものルッコラのど飴よりも安いので試してみた。正直日本の薄荷ってどのように違うのか思い出せなかったからだ。包装には長く引く味とあったが、実際試してみると、先ず鬢づけの油の感じがした。そのようなものは使ったことがないのだが、なんとなくそのように感じた。口を変えてから改めて舐めてみるとタイガーバームガーデンのナンキン油を思い出した。中に入っているどろっとしたのはあれだ。どこまで日本風かは何とも言い難いが、なんとなく懐かしい味というのだろうか。

NAS用のストレージを発注した。8Tx2の16Tで、550ユーロ以上する。ノートブックの価格である。ノートブックにはもう一年ストレス無しに働いてもらいたい。何とか逃げ切れると期待している。流石にその容量には躊躇したが、同じ機械で同じようなエミッションならば特に空冷のファンの動き方があまり変わらないようならば大きい方が価格的に得になる。

私の計算方法は、外付けが3Tで90ユーロだったので、二倍で180ユーロ三倍で270ユーロとなる。実際には半分の容量しか使わずに残り半分はミラーになるので使える領域は8Tのみである。先日計算したように50Gのブルーレイ映像は160本しか入らない計算となる。要するに加速度的に大型化が進めばこれも数年ももたない。それ以前に何年動き続けるかである。上手くいけば十年ぐらいはHDDも稼働するかもしれないが空冷などが喧しくなるのではなかろうか。その時までのことを考えると4Tx2ぐらいでは二年限定で大変高価なことになりそうだと思った。そして容量当たり割高になる。

ストレージに投資したのもクラウドには不安があり、それ以外のコムピュター機能は安く使えることを聞いたからである。つまり、面倒な計算をさせようと思っても、具体的にはプログラムを走らせるだけになるが、月々の僅かな費用で可能だと分かったからである。今後は高速の端末とストレージさえあれば何でも出来るということになる。何時まで経っても構築が進まないデーターベースもその方法でよい。

またストレージが重要性を帯びるようになった背景にはディスク離れがあるように思う。最後にDVDを購入したのも二三年前で、殆ど使わなくなった。むしろCDROMの方が便利なぐらいだ。つまり大きな映像などはもはやDVDの4GB程度では用がなさなくなくなってきた。要するに1Kに満たない映像も価値を失った一方、音楽に関してはまだまだCDに市場価値が残るというような状況がある。実際に24Bitで録音したもので通常は十分だからだ。それ以上はHiFi趣味となってしまうからである。そこで大きなストレージでこうしたメディア類を一挙に扱うというプライヴェートクラウドのNASの価値が高まったという状況がある。

そこで早速、録音や録画の質を上げる準備をしている。そもそもネットストリーミングの質などとバカにしていたが最近はどんどんとそれへの信頼性が増して、何も遠慮して録音録画の質を落とす必要がないことに気が付いたからでもある。ストレージ容量が用意されているならば、Audacity録音も32Bit96kHzに上げてもよいのではないかと思った。問題はPCが音飛び無しに稼働してくれるかどうかである。この辺りは実験を繰り返さないと数字だけでは分からない。

そこで何をどのようにストレージしていくかの基本構造を考えている。自動的なバックアップ機能を使うと同時に、出来る限りテムポラールな形でデータを処理して、逸早くストレージに移し替える方法を探っている。例えばWINのバックアッププログラムは本体を消去するとバックアップも消えてしまうので、専用のソフトを使うべきだろう。更に従来使っていたNASも目的を限定して併用する心算だ。3Tまでの容量があれば10G以上のファイルを除けば十分ではないか。そもそもこのルーターにUSBで接続したNASでは1Kの再生能力が限られている。



参照:
WLAN構築準備開始 2018-05-01 | 生活
2015年アルテレーベンの出来 2016-09-17 | ワイン
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生誕250周年への準備

2018-11-28 | 
徐々に来年のお出かけの日程が決まりつつある。一月初旬のエルブフィルハーモニーに続いて、チューリッヒ、そしてミュンヘン、もう一度チューリッヒ、またミュンヘンとなる。かなりの走行距離になりそうだ。一番期待しているのはミュンヘンのミサソレムニスである。座付楽団のアカデミーコンサートは日本からの凱旋公演で初めて出かけたが、あまり満足できなかった。ツアーなどに比べて弾きこまれていないのはブラームスの交響曲4番で明らかだった。そもそも期待の一曲目のマーラーの歌曲のゲルネの歌唱が不満だった。来月冒頭のヴィーナーフィルハーモニカーはもう少しは上手く演奏するかもしれない。しかし今回は主役が合唱団であり、歌手陣がそのままローマでの第九と新シーズンオープニングツアーとも重なる。先ずはマルリス・ペーターセンの歌も注目したい。

しかしあくまでも主役は合唱団である。キリル・ペトレンコ本人の言葉を待つまでもなく、この合唱団がペトレンコ時代の可成り大きな意味を持つのは当然で、今回の「オテロ」、「タンホイザー」、「マイスタージンガー」と音楽的に重要な役目を果たしている。日本公演でも批判されていたように現代の室内合唱団のような性格である筈はないのだが、バイロイトやヴィーンのそれと比較して独自の個性が拓かれてきたのは管弦楽団の場合とよく似ている。合唱指揮者の仕事が大きいのだが、やはり舞台の上での芝居を含めた歌劇合唱団としての評価をしたい。今回は芝居は無い訳だが、とても良い歌を披露してくれるのではないかと大変期待している。第九は誰が歌ってもよいが「ミサソレムニス」は合唱団を選ぶと思う。将来ペトレンコがこの曲を指揮するときにどれだけ他に理想的な合唱団が存在するだろうかと考えると、意外に見つからない。

ベートーヴェン続きで、オールスターキャストの「フィデリオ」だ。既に二枚は確保したが、まだ日程がはっきりしない。もともとは最終日に焦点を合わせていたのだが、籤運悪く、ネット買いとなった。初日の待ち番号はなんと30番台を貰ったが、結局その座席は時間切れで買えなかった。あまりいい席ではなく、タブレット操作でログインに失敗したからだ。結局もう一つの待ち番号400番台で視界制限のある立ち見席を18ユーロで購入した。108ユーロよりも遥かにCPが優れていた。

ここから証明したのは、二時間前にネットに入ろうが、二十分前でも待ち番号とは関係ないという、ランダム選択がグループ別け無しに機能しているということであり、まことにフェアーなシステムになっている。このことを証明したのがこの日の大成果だった。二日目の席は、待ち番号220番台と500番台で、前者で適当なところで押さえておいたが、これもあまり良い席ではなかった。最終日によほど良いものが入れば購入するが、その場合待ち番号で50番以内は欲しい。

恐らく皆同じような行動をしているらしく、カウフマンファンなどのファン層は初日で勝負を掛けてきていている。そして我々のような音楽ファンは何よりもクラスSという価格付けがとても気になっている。要するに特定のファン層は高価な席から購入するが、音楽ファンは安い席から漁っていくことになる。

しかし私にとっての覚醒はそこではない。第九、ミサソレムニス、「フィデリオ」と来れば、250周年にミュンヘンでは「フィデリオ」新演出がないことが分かる。それならば2020年バーデン・バーデンは「フィデリオ」で決まりだと思う。今までなぜ気が付かなかったのだろう?やはりどうみても冴えない演出で、ガッティが態々ナガノに代わって振っていたようで、それとほぼ同じキャストで再演される。舞台練習はそれほど必要ないが、四回の公演で、翌シーズンにもう一度やるのだろうか。やるとすればオパーフェストでオールスターキャストか。そこである、バーデンバーデン復活祭ならば、カムペではなくて、恐らくヤコブス指揮「レオノーレ」で歌ったペーターセンの再演だろうか。するとキャストは全く重ならないので、上演占有権を犯す可能性もないだろう。

来年からのキリル・ペトレンコのスケデュールを考えると、いかに合理的に練習時間や勉強時間を嵌め込んでいくかにかかっているようで、コンサートレパートリーの拡大と同時にミュンヘンでの二つの新制作を基本に、再演を振るとしても次ぎのレパートリーとの関連でしかないということが分かって来たからだ。古い演出を四日そしてもう二日ぐらいのためだけに準備するとは到底思えない。更にバーデンバーデンではロシアものとか大掛かりなものよりも中編成のベルリナーフィルハーモニカーをスーパーオペラ向きに仕込むには使える曲である。出来れば演奏会形式を予めベルリンでやってきて欲しい。

バーデンバーデンの劇場にとっては予算も少なく、フロレスタンにフォークトなどの人気者を呼べば間違いなく経済効果大の話題の上演になる。そもそも最初から面倒な出し物をやる必要などはなく、精々コンサートでの第九も合唱団もそのままでみっちりと合宿して貰えば、上質な上演を安くあげられる ー いやいや「ミサソレムニス」をジルフェスタ―に続きバーデンバーデンに入れる方が正解だ、それなら合唱団はフィルハモニアヴィーンでいい。

シカゴ交響楽団をサロネンが指揮したマーラーの第九の一部を聞いたが、予想以上に悪かった。嘗てはもう少しメリハリの効いた指揮が出来ていたと思うがどうしたことなのだろう。プロムスからの中継も酷かったがまさかシカゴでもあまり変わらないとは驚きだ。この人ほど老化の早い指揮者を知らない。その売りがなくなると殆ど聞くべきものの無い指揮者でしかないと思うのだが、なぜかシカゴはこの人を頻繁に呼んでいて、まるでムーティの後を任せるかのようにさえ映る。前番組で流れた演奏などは昔の素晴らしさが聞かれたが、一体いつ頃からこんなに悪くなったのだろうか?前々回の二十年ほど前にバレンボイムが振っていた時はまだまだアバド指揮のフィルハーモニカーより上だった。



参照:
音楽監督と至福の生物 2018-03-19 | 音
ファウスト博士の錬金術 2006-12-11 | 音
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玄人の話題になる評論

2018-11-27 | マスメディア批評
最も権威のある独語新聞ノイエズルヒャー新聞がオテロ初日の批評を書いている。オペラ批評としては秀逸で、音楽的にここまで演者と聴衆双方にとって参考になる記事は少ない。比較的長めなので全訳はしないが、音楽ジャーナリズムに興味のある人は読んで欲しい。理由は書いたように参考になるからだ、これを読めばお客さんも含めて全て係わりのある人が何かを考える切っ掛けになるからだ。高級紙はどちらかというと高踏的になり過ぎて哲学的な社会学的な考察へと進んでしまうのがオペラ批評の常であるが、この昨年日本へも同行したマルコ・フライ記者のザッハリッヒでとても具体的な記事は音楽的で更に専門的な考察を促す。

実はアバド指揮のオテロ上演を二幕まで聞いて、色々とつまりその重要なイアーゴのクレドのシーンが上手くいかずにチグハグニなっていたのに驚いていた。考えられるのはアバドの指揮があやふやになってきていたとしか考えられなかった。当時はまだそれほど体調を崩していなかったと思うのだが、どうなのだろう。折角のライモンディーのイタリア語の輝く声も役に立たず、勿論若いクーラが支えられる筈もない。森を走りながらもオペラ指揮者の職人技とも関係がないなと考えていた。そして先週の初日のそこを聞き返すとあれ程声の威力が足りないと思っていたフィンレーのイアーゴとの音楽運びがばっちり決まっていることを発見した。

なにも贔屓の引き倒しのために一度下げてから上げようなんて思っていないが、まさしくフライ氏がそこから書き始める。「二幕のそこまで聞けばこのカナダ人フィンレーの歌唱がこの制作の抜き出た存在でまさに新発見だった」とまで賞賛している。そこまでの確信は私は持てなかったので更に読み進むと、ペトレンコの指揮とも深く係っていることが分かってくる。その点に関しては上のクレドにおける難しさをアバド指揮で知り、同時に恐らくフォンカラヤンならば強引にべとべとにペイントを塗り込むような演奏をしているのが想像されるからだ。

しかしペトレンコの指揮は、殆ど印象派風の音色で - つまり筆者はヴァークナーと異なりヴェルディーはライトモティーフではなく、それによって楽曲を構成しているとしている、敢えて私のように調性と言わずにに色のコムポジションでってところだろうか - イタリアの楽曲をミュンヘンの座付楽団に深いところで引き寄せたとしている。私などはこれを読むとぞくぞくとして、生ではどのように響くのだろうと興奮してしまうのだ。似通った例はプッチーニの「三部作」にもあったが、あれの方がむしろ放送でもよく分かった。

そしてフィンレーが有効に使った指揮者の与えた表現空間を、二人の現在最高のペアーが使い切れていなかったと鋭く迫る。つまりデズデモーナのハルテロスとオテロのカウフマンについてである。前者に関しては「声がでか過ぎる」というような馬鹿な評論も見かけたので、それは流石に「何も分からないおばさんがジャーナリスト顔して書いているわい」と玄人筋には思われるだけだが、少なくとも本人も目を通すと気分もよくないが気になる筈だ。それでも全く参考にはならない。

しかし高品質なジャーナリズムはポイントをつく。今までの期待からすると明らかに色褪せていて、特にハルテロスは頂点を超えたとする。「バイロイトのエルザでも中音域が危なく、暖かく色気のあるヴィブラートも色あせていた」としっかりと聞いているからこそ批判できることを書く。そしてミュンヘンの「オテロ」では、前半で可成りのイントネーションの問題が表出したと批判する - まさしくアーティキュレーションの問題で、声を作るために問題化していたと私が指摘したその通りだ。

そしてカウフマンの問題を分析する。「こちらはロンドンでも既に問題化していた通りだが」と前置きしながらも、バリトンに近いつまりドミンゴに近い暗めの声ながら、ドミンゴがバランスの取れた技術と中音域の稀なる色彩に依存したのに対して、カウフマンは柔らかな高音に苦労して殆どニュアンス豊かな透明な表現が出来ないとバッサリ切る。そしてカウフマンのオテロには求められないとしている。それは暗い声質のカウフマンのディレンマであり、この二人の劇での夫婦の亀裂が音として聞こえるようだとどこまでも辛辣だ。しかし、この記事をお二人とも読んで嫌だなとは思いながらも恐らく本人たちが実感していることであり、今後の仕事への方向性にも関することなので破り捨てはしないだろう。そのような二人ならば歌手としてあそこまでの域に達していないのは当然だからである。そしてここまで書ける記者の取材ぶりには敬意しかない。問題点を明らかにすることこそが次への可能性を開く唯一の方法であるからだ。

そして、ペトレンコのイタリアものレパートリーについて2015年の「ルチア」との比較で、あの時はまだまだブレーキを掛ける手綱捌きがあったのだがとその問題点を指摘しつつ、今回はあらゆる面への自由を与えつつ、決して統率を失うことなく、イタリアものの時には本当に気持ちよく指揮していると完全に克服したとしている ― ヴェルト紙の阿保おやじに限らず「鞭を入れ」とかの表現が目立った中でとても明白な反論をしていて溜飲が下がる。これに関しては私は本番まで時間があるのでコメントは避けたいが、氏が書くようにイタリアものへのこのようなプロフィールを強化すべきかどうかも先ずは保留したい。正直、放送だけではまだ聞き取れていないことがまだまだありそうだ。

この記事を読んで、シリーズ残りの上演のなかで何か対処可能なことは殆どないかもしれない。しかし、少なくとも次の公演からはやはり心理的にとても影響される。こういう玄人筋の話題に上るようなものであると同時に、一般の聴衆にとっても色々と音楽のことを考えさせてくれるジャーナリズムでなければいけないというとても好例だと思う。




参照:
Wenn Kirill Petrenko am Werk ist, lauscht man ganz genau:, Marco Frei, NZZ vom 25.11.2018
ドライさとかカンタービレが 2018-11-25 | 音
初日に間にあったSSD 2018-11-23 | 生活
なにかちぐはぐな印象 2017-09-24 | 雑感
ARD真夜中の音楽会 2018-02-09 | 音
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指揮者アバドの思い出

2018-11-26 | 文化一般
今更ながら「オテロ」の音資料を調べている。ネットから適当に三種類の全曲盤を落とした。その内一つはゼッフィレッリの演出の映画で昔から有名なものだったが、マゼールの指揮なので先ずは要らない。同じドミンゴのオテロで私が聞いたころのクライバー指揮のものである。これは存在を知らなかったが、なぜか映像も悪く、演奏も生のごたごた感が強い。後年のこの指揮者のいい加減さもあるのだが、やはり棒がしっかりしていて、当時の印象がそれほど間違っていなかったことを確認したい。その前に一番聞きたかったのがアバド指揮の復活祭上演のもので、これは出張公演をピエモントでやっていてオープンエアーでベルリナーフィルハーモニカーが演奏している。

先ず一幕を流す。演出は何とも言えないが、若いホセ・クーラがまともに歌っていて、その後のようなおかしなことにはなっていない - まさしくザルツブルクでティーレマン不要になったのは急遽これを歌ったこの歌手の出来の悪さも影響しているかもしれない。ライモンディのイアーゴもとても良い感じだ。しかし何といっても最初の一拍からアバドの譜読みがとても冴え渡っている。当時の印象からしてアバド時代のフィルハーモニカーは低迷期だったことは間違いないのだが、これだけしっかりとフレージングをさせて、歌手の細かなアーティキュレーションを定められると崩れようがない。オープンエアーの悪い録音画質で期待していなかったが、どんどんと吸い込まれるように一幕を見終えてしまった。

言葉の端々のアクセントの付け方などはイタリア人ならばムーティでも出来そうだが、やはりその音楽性が大分異なる。想定していたように立派なもので、どうしてこのような録音しか残っていないのか不可思議である。最後まで聞いてみないと分からないが、よほど指揮者自身が満足いくような演奏にはなっていないのだろうか。最初はドミンゴが歌っていたようだから、指揮者との間に齟齬があったのだろうか。とにかく拍打ちも明確で、とても自然な音楽になっていて、ベルリナーフィルハーモニカーが重々しくない - 恐らくカラヤン指揮のそれとは正反対にいるものなのだろう。

アバドといえばネットに上がったインタヴューでツェッチマン支配人が、故人をよく知っている立場から思い出を語っていて、「記憶の中では理想化されているが世間的には中々難しいところがあった」としている。特に「若い管弦楽団に対しても厳しくて、その印象を引き摺っている」と語るが、私が聞いている話では「そこらのおっさんのように慕われていた」となる。どうも彼女が創立したマーラー楽団の時とそれ以前のユース管弦楽団の時とでは雰囲気が違っていたのかもしれない。

そのインタヴューに、栄誉指揮者を称号をという話で、ヤンソンスが「あんたがたがクラシック界の牽引車だから、みんな注目しているよ」と語ったとされる。その文字通りの意味だけでなくて、真意を考えると「中々、分かっているじゃないか」と思った。

個人的にはこの指揮者の演奏会もオペラもそれほど強い印象は残っていない。それどころか先日まで完全に忘れていたルツェルンでの演奏会もあったぐらいだ。「理髪師」、「ヴォツェック」も「グレリーダー」も聞いているのだが、細部まで思い出すものは限られて、結局当時失望にも近かった「シモンボッカネグラ」とやはり怒り心頭の「エグモント全曲」ぐらいが一番印象に残っている。



参照:
ドライさとかカンタービレが 2018-11-25 | 音
ルツェルンの想い出?? 2018-05-24 | 雑感
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ドライさとかカンタービレが

2018-11-25 | 
「オテロ」初日の中継の正直な感想を、ざっと流しただけだが、書き留めておこう。自身の参考としたいからだ。来月二日にはストリーミング中継もあり、自身が出かけるのはそのあとなので、かなり印象が錯綜して時系軸が狂いそうだからだ。先ず、カウフマンのオテロはロンドンのそれはまともに聞いていないが、今回の公演の方が様々な角度から上手くいくのではなかろうか。どうも舞台も室内劇になっていて、音楽も前回経験したミラノスカラ座のゼッフィレッリ演出のそれとは正反対のようだ。つまりカウフマンがドミンゴに勝負を挑む必要がなくなった。同時にライポールト氏が言うように明るく軽い声のインテリのフィンレーのイアーゴも無理する必要がない。これだけで成功へのお膳立てが整っていると思うが、更にデズデモーナを主役にしたことで上手くバランスがとれていたのかもしれない。個人的にはハルテロスの歌はその声質の聞かせ方で音楽的な犠牲も少なくないので好ましくはないが、ヴァークナーの時のようには批判するつもりなどさらさらない。エミーリア役の若いウイルソンの声が清涼感になっていた。ロビーインタヴューを見たかった。

音楽的には更に詳しく見直したいが、少なくともフレージングの素晴らしさは統一されていた。ただしデスデモーナを代表的にアーティキュレーションとなるとそこまでは十二分に整備されていなかったのではなかろうか。おそらくこれは指揮者がそこまで徹底できるだけの経験に欠けたということかもしれない - キリル・ペトレンコはヴェルディのオペラを今回初めて指揮した。先ずアバド指揮の全曲盤を比較してみたい。管弦楽の精度も高いのは明らかなのだが、もう少しオペラ的にしっくりこないかと思った。アバドがどのような指揮をしているのかは初期の作品から演繹的に想像するしかないのだが、かなりドライに演奏してもカンタービレするところが、おそらく故人の最も優れた音楽性だと思うが、それに匹敵するだけのドライさか、カンタービレがあったかどうかの疑問である。

前回聞いたのがカルロス・クライバー指揮のドミンゴのオテロなので、既に言及したようにそれとの比較をする必要がないことが喜ばしいが、最終的に確認しなければいけないのは、まさしく、そうしたごつい演奏実践に比較して、どれほどその創作に新たな光を注ぐことが出来たかということである。恐らく来年のバーデンバーデンの上演はMeToo指揮者ガッティが振らなくなってもごつい管弦楽の響きが聞かれそうな一方、勿論今回の公演のようなオペラ上演としての高品質さは求められないわけだが、一方にはカラヤン指揮とまでは言わずとも大向こうを唸らすだけの上演が歴史的に存在したことでもあり、そこが最終的な評価のしどころだ。正直現時点ではそこまでは確信を持てなかった。少なくとも、「マイスタージンガー」や「タンホイザー」公演のような歴史的な意味を持つ上演とは言い切れない ー ミュンヘンでは私の知る頃のクライバーがこれを指揮している。

録音は二つとも成功したが、LINUXの方は四幕のフィナーレの手前で一秒ほど放送が飛んだ。WINの方もフィナーレでパルス音が二度入るが、飛んだところは確認しなければいけない。音質は、第一印象はWINの方が倍音が伸びて気持ち良く響くが、なにか位相がもう一つ合わない感じがする、要するに喧しい感じがする。それに比較するとLINUXの方は未だかつて聞いたことがないほどの定位感で、奈落の楽器の位置が手に取るように分かる。あそこでの録音のCDでもこれほどのものを聞いたことがない。高音云々以前にこれで決まりである。LINUXの方がはるかに良い。こうなるとFUJITSUのノートブックにLINUXをインストールしてみる価値を見出す。NASストレージが完了して、全てのデーターの移行し終えたら、HDDにLINUXをインストールしてみてもよいかもしれない。更にもう一つSSDを購入するのも方法だが、USB経由で外付けHDDからブートしてもよいかもしれない。



参照:
血となるワインの不思議 2018-07-06 | 文化一般
ペトレンコが渡す引導 2018-01-14 | 文化一般
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WIN録音システムの進化

2018-11-24 | テクニック
「オテロ」初日の録音準備をしていた。そして気が付いた。前回のバイエルン放送生中継は会場にいたので留守録音だった。そしてノイズに気が付いた。デジタルの同調ノイズのようなもので、大抵は気が付かないが生放送のダイナミックスレンジが広いとプチプチと邪魔になるものだった。その後調査するとこの放送局に特有のもので他所では一度もなかった。どうもあまりにも音質重視で解決出来ていないものがあるらしい。そのノイズに再び気が付いたのだ。前回は外出中だったから後の祭りだったが、今回は何とかならないか試してみた。

色々なストリーミングのURLを試してみたが、結局はストリーミング自体の鮮度を落としているURLでは目立たないもののそれでは意味がない。それならばオンデマンドに近づくだけだ。最初から音質を落とすよりも可能な限りよさそうなところでもう一度試してみる。会場の音が大きく録れていればそれほど目立たない。それに期待するしかなさそうだ。

準備をしていて確認したことがある。技術的な問題でしかないが、SSDのノートブックのAudacityで録音しようと思うと音が入力しない。設定を見れば、入力段がややこしいことになっている。なぜならばウィンドーズでHdmi出力をスタンダードにしていたので、その回路がマスターになっていたからだ。Hdmiの画像はデジタルだが、音声はモニターに送るので、アナログ扱いとなっている。しかしもう一方の出力もノートブックのスピーカ行きならばアナログだ。この辺りが最もLINUXと異なる面で、機械を直接制御できない。一番顕著なのは、Audacityで入力を絞れるかどうかで、Hdmi入力では明らかにアナログ制御だった。

それが今度インターフェースをWASAPIにして、入力を再生時の出力と同様にスピーカーへのRealtekHDに送るものをループバックしたものにすると、音量制御が出来なくなった。WASAPIにしていても複数の音源からの音が出ていることからミキサーを通っているには違いないが、Realtekのデジタル出力を録っている可能性がある。今回はそのドライヴァーをFUJITSUからの古いものではなくて最新のものを入れたので変わったのかもしれない - そもそもLINUXではRealtekを使っていない。

確かに聞いた感じでは問題のプツプツ音は出ているのだが目立たなく感じる。更に調べるとインターフェースのPortAudioV19は、Audacity2.04からWASAPIで24Bit録音が可能になったとある。つまり、そのままのデジタルを録音したようだ。これはHDDの時に為せていなかったもので、現在使っているものが2.3.0なので、これだけでも間違いなく録音システムが進化したようだ。



参照:
初日に間にあったSSD 2018-11-23 | 生活
次をリストアップする 2018-11-09 | 雑感
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初日に間にあったSSD

2018-11-23 | 生活
いよいよ「オテロ」の初日だ。今回は遅めの第二クールに出かけるので若干のんびりしている。だから先ず三幕四幕の楽譜に目を通す。キリル・ペトレンコのイタリアものとしてはミュンヘンで三作目である。ヴェルディはこの先の「トリスタンとイゾルテ」を鑑賞する前にとても参考になるかもしれない。「トリスタン」で成功している指揮者はこの作品でも成功しているかもしれない。そのあたりも初日の楽しみだ。

一幕二幕でLPで気になった点は強弱記号が悉く無視されて演奏されていることだった。一体どのような顔をしてディレクターが座っっていたのだろうかと思ったが、三幕ではそうした通常の書き込み以上のとても整理された楽譜が適格な指示を出している。これをどのように無視出来るものだろうか。更にそこにカルロス・クライバーが書き加えさせたように、そのフレージングの扱いさえ守っていれば全く心配がいらないはずだ。プログラム紹介の時にキリル・ペトレンコは作曲家自身が正確に書き込んだ文献を漁るとしていたが、なるほどこの楽譜の決まり方を見ているとそういう気持ちにさせる。またそこで指摘されたように大器晩成のまさしく経験豊かな筆は、なにも三幕の三重唱のあまりにも素晴らしい筆さばきや「ファルスタッフ」を思い起こさせる拍、拍節だけにあるのではない。

和声の適格さもこれほど素晴らしいオペラはそれほどないと思われる。反面このLPで聞かれるものは、まるで旋律のサビに向けてまるでブルックナーのように生成しているような演奏である。おそらくそのように聞こえるのにはそれなりの原因があるのだろう。しかしはっきりと今日の演奏に期待されるものは、楽譜を徹底的に正確に音化することであり、読み方としてはおそらくパパーノでも出来ていることでも、実際に音にするのはとても難しいと思う、そこである。少なくとも楽譜を見ていればそれほどおかしな演出などはできないと思う。それほど正確に書き込まれている音楽作品だ。

ぎりぎり初日前にSSDのノートブックが使えるようになった。想定よりも一日余分にかかったが、後の問題はヴィジュアルC++関連と見通しがついていたので加速して問題解決した。先ずはキャストで音出ししてみると以前のHDDよりも音がいい。低音がしっかりして有線のLINUXと似た感じになってきた。勿論ディスクが音を変えるのではなくて、出来る限りデジタル放送信号を弄らずにアウトプット出来ているのだと思う。結局レアルテックもインストールして使っているが、無駄な調整などなくマイクロソフトのプログラムの中に織り込まれる形になっている。取り立てて短絡出来たような様子はないのだが、音質が変わっているのは確かだ。今回はメディア再生・録音にも最初から留意するようにインストールしていったので、よかったのかもしれない。やはりミニノートブックとはまた違った透明性もあることに気が付いた。

これで初日の放送は単一回線から二種類のコムピューターで録音を試せそうだ。LINUXの方は動作が安定しているので放っておいても完録出来るだろう。SSDの方は様子を見ながらだが、以前あったような音飛びがあるかどうかが判断点だろうか。クリーンインストールとはいっても既に46GBと消費している。HDDの方が六年目ほどで50GB以下であるから、基本的なオペレーションシステムやアプリケーションでこれだけの大きさになるのが分かる。こうなれば逸早くNASを新調して、データ類は直ぐに机上から片づけるシステムに改めなければいけない。



参照:
無用の長物TV受信機 2018-11-18 | 生活
久しぶりのオテロ感 2018-11-16 | 生活
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ステップバイステップ

2018-11-22 | テクニック
一つの問題は解決した。つまり双方向からのリモートコントロールを可能とするVNC機能を無事整備した。想定通り二日掛かりになった。初日は眠くて対処不可能だった。古い動いていたHDDの方の設定を確かめてみなければいけなかったからだ。

結局小さな設定の誤りなどが重なって、最初から躓いたことになる。一番明白な誤りは、どこかのサイトを見て慎重を期そうと思ったばかりに、ウィンドーズ向けのネットでの設定を優先させてしまったことのようだ。HDDの方の設定を見るとそこがしっかりと外されていて、すっきりしていた。勿論、消去、再インストールで問題個所を除去しなければいけなかった。SSDの良さは再稼働が速いので、ストレスが少ないことだろうか。これでベットの中のタブレットからも操作が可能となり、使い勝手が大分向上した。

完了して祝杯と行きたかったが、まだ先に進めると思って、再び落とし穴に落ちた。今度はマウスとキーボードの調整をするロジテックのSetPointというソフトのインストールが上手くいかなかった。初めて見たStepByStepコンフィギュレーションがダメで開かないというの警告だ。調べると所謂マイクロソフトのヴュジュアルC++のインストールが出来ていないということらしい。そもそもSSDで限られた容量の中で縮小化を目指したので切り詰めたインストールをしていることから、また無理をしてWIN8.0から8.1へとアップグレードしていることからインストールされていないものは間違いなくある。

そしていざ消去インストールを繰り返して、いくつもの種類のC++を試しているうちに夜が更けた。これは想定していなかった落とし穴だったので、途中でこんなことならウィンドーズを最初から諦めてLINUXにすべきだったと後悔しながらの作業をした。

その問題はウィンドーズにあるメニューから曲がりなりにも開いて設定可能だと分かったので、ソフトが開く必要はなくなった。それ自体は構わないのだが、同様に今後小さなソフトでも問題が起こるようだとウィインドースを使っている意味が殆どなくなってしまう不安に陥った。

Audacityは問題なくインストール出来て動きそうだが、キャストではffmpegが開かないなどの問題が生じた。まだまだ完全移行には時間が掛かりそうでめげそうになる。それどころかメディア再生時などの挙動も悪く、マルティタスクも動きが悪い。ドライヴァー等はそれほど不足していないはずだが、それ以外のハードの問題は考えにくい。

「オテロ」初日に向けて準備完了か。懸案になっていた冬タイヤの交換日も仮押さえしておいたので、これで積雪があっても何とか出かけられる目安がついた。初日開演前に三幕四幕の楽譜に目を通したい。手袋をしてバンダナで耳を隠して、沢沿いを往復した。降雪があれば直ぐに積もる。気温はまだ三度以上あるが、いよいよだ。体調も相変わらずだが、何とか近々に全快に持っていきたい。



参照:
敵はクローム・グーグル 2018-11-19 | アウトドーア・環境
何度も繰り返した挙句 2018-11-20 | 雑感
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またもやガチャ切り

2018-11-21 | 生活
My name is…. Microsoft technical department. Do you understand?XXXXXXX

何じゃこれは、大抵は電話に出ないが、待っているものもあったので出るとスローイングリッシュでインド風の訛りで語りだした。ガチャ切りした。いつものことだが、バカらしい。だから数種類の電話番号に鳴る呼び出しに出ない。私ほど繋がりにくい人もいないが、それを電話番号の数で割れば可成り上位に入ると思う。そもそもマイクロソフトに電話番号を出した覚えがない。電話帳からかもしれないが、あの手のものに出れば何かを売りつけられるだけだ。流石ガチャ切りでは何もしないだろう。

しかしそれにしても英語で電話してくるのがそもそも不思議だ。欧州内の他の言語圏ならああいった話し方はしない。そもそもどこから電話掛けているかも言わない。understandなんて尋ねられたのも初めてだ。そもそもドイツ語が出来ないから英語で話している訳で、その物言いだけで通常ではない。こちらの名前も呼びかけない。番号も調べるとおかしな番号だ。マイクロソフトは金輪際使わないぞと言っているような人間に何を言う。

地元独日協会に長年の企業会員BASFから脱退届があったらしい。仕方がないかもしれない。もはや主力は中共であり、人的交流も益々少なくなってくるということでしかないだろう。活気といえば独華協会なのかもしれないがあまり聞いたこともない。私でさえそちらの方が面白そうだと思うようになってきた。私の中華教養などは到底科挙に合格するほどではないのでこれまた役に立たないだろう。

電子メーラーのサンダーバードを整理した。二つのメールアドレスを管理している。それ自体は問題がなかったが、以前数種類のPC等でのメールのシンクロニゼーションが上手くいっていなかった。これが面倒なことになっていて、同じ時期でも二種類の私書箱とアーカイヴが存在していて、その移行の失敗などがあってか殆ど一年間の送ったメールがそこに保存されていない。受けたものよりも重要ではないが、面倒なことになった時の送った送らなかったのことが問題になると面倒だ。そのメールが保存されている可能性のある場所はあるのだが正直面倒だ。

ヒーターを付けるようになって、就寝中も薄ら入れている。昨年も殆ど就寝中は落としていたのだが、今は寒く感じる。しかし外気温は摂氏四度ほどで大したことはない。寒く感じるのは病み上がりだからか、筋力が衰えているからなのかは定かではない。本格的にリハビリをしていかないと駄目である。



参照:
カメラに譲った座席 2018-09-26 | 生活
華為製品を買い物籠に 2018-04-18 | テクニック
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何度も繰り返した挙句

2018-11-20 | 雑感
思っていたようにハマった。SSDへの乗り換えでセットアップUSBまで作り、順調に進んでいたが、VCNの設定でしくじった。実際に一度中断しなければいけないので二日掛かってしまうだろう。動いていたHDDに戻して問題点を研究しなければいけない。ヴュワーの方は順調に動くので、ミニノートブックブックを制御できてもドッキングステーション本体の方をタブレットなどから制御できない。リモート機構が付いていない8.1ホームに付き纏う煩雑な点である。

最初からipconfigで調べておけばよかったのだが、間違ったIP番号を何回も繰り返して躓いた。二種類のディスクを両方うまく使えるようにするのは難しい。再びHDDに戻って、面倒だが電子メーラーなど徹底的に移行する準備を整えよう。

風邪が治らずにお休みしていたが久しぶりに峠を攻めた。とても寒かった。手袋が欲しかった。ゆっくりと上がって下りてきたが、下りも体が重かった。病上がりは体力が落ちているのだろう、洟もずるずると垂れ、まだまだという感じだ。いつものショック療法でと思うが、なるほどランニングハイは感じるもののやはり寒い。

先日のティーレマンの記事に反応して、フライブルクの女性が書き込みしてくれたが、その罪状として四千万円のドルニーに支払う損害額を明記した。因果関係としてははっきりしているのだが、ティーレマンに乗せられた政治家にも責任があるのでその額を全てあの男の責任だとは言わないが、まあ額を出せばその罪状が明らかになるということだろう。もう一つネルソンズ事件の責任にも言及しているが、それを言い出すと私はもう止まらない。むしろこの局面での鷹揚な態度が新たな経済被害を与えるのではないかとみている。年来のティーレマンウォチャーとしては、底についてきていながらも中々根深い人気もあるので、安心ならない。

アムステルダムでの2020年マーラーフェストの発券状況が興味深い。恐らく多くは年来の定期会員向きに担保されているようだが、既に大分出ているようなのも不思議だ。兎に角、一年半ほど先のことであり、幾つかの管弦楽団を揃えるとしてもオペラなどから比べると比較的小さな企画だ。それでも首席指揮者の名がなくても売り込むだけの強気の商売をしている。そもそもマーラーの交響曲を並べても普段の名曲コンサートを並べるようにしか映らないのでその芸術的意義が希薄である。マーラーのアムステルダムとの関係やその他は百も承知のこととしても正直この企画は解せない。如何にもMeToo指揮者の同意もあったような企画にしか思えない。

個人的には、ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの二種類のプログラムしか興味がなく、その他も未決定ながらこれはという指揮者がコンセルトヘボーを振る訳でもないので、態々アムステルダムまで出かけ宿泊する気にもならない。両プログラムとも恐らく身近で聞ける筈だからだ。自分自身のマーラーの作品への視座も変わってきていて、最初にヴァルターとかクレムペラー指揮のそしてバーンスタイン指揮のルネッサンスとかを経過してくると、最早どの方向に演奏されるべきかというのは美学的に明らかで、若干食い尽くされすぎた感があるのは否めない。そのような前提で、ネルソンズ指揮のものなどもあるのだろうが、ああした演奏形態は観客の熱狂とは反対方向にあるので、必ずしもシェーンベルクの作品などと比べてポピュラーであり続けるとはいい難いと感じる。要するにヒンデミットの作風ほどではなくても結構神経症的な面は否めないからだ ― フランツ・シュミット交響曲四番のあの作風と比較すれば一目瞭然だ。



参照:
客家入りの喉飴 2018-11-15 | 雑感
再び240GのSSDを発注 2018-11-02 | 雑感
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敵はクローム・グーグル

2018-11-19 | アウトドーア・環境
再び寒波である。しばらく日差しを楽しんだが、それも無くなった。赤が少ないと言っていた紅葉も最終局面では赤く色づいていた。長い夏を象徴するかのようなとても長い秋で、乾燥した穏やかな時を過ごした。それも終わりだろう。

通常ならば11月の始まりのような天候で、当然ながら籠り部屋へと逃れる。暖房が欠かせない、すると同時にノートブックのSSDへのインストールを完了させて、静かな環境を勝ち得たい。一度SSDの静けさを体験してしまうと元通りには戻れない。つまりストレージのためのNASも発注しないと本格的に移行できない。

早速、クロームをインストールしていて、嘗てのマイクロソフト以上にネットを使った囲い込み体制にたじろぐ。時間を割いていちいちデフォルトのチェックを外していかないとフェースブック以上に個人情報を盗まれることが知れた。もはや敵はマイクロソフトではなくクローム・グーグル財閥だと認識を新たにした。これでクラウドまで総合化させると個人の全てがそこに集約されることになる。恐ろしい犯罪だ。

クリーヴランドからのアーカイヴ中継はとても価値があった。なぜピエール・ブーレーズが監督のジョージ・セルの下で首席客演指揮者を務めていたかの理由を音でも実証する録音だ。基本的には、音符ごとに数えるような演奏をしていたとしても、セルの指揮はリズム的に杓子定規でそれ以上のことが出来なかったどころか、いい加減な録音が残っていると思っていたが、やはりその弱点を補うためにも精緻なブーレーズの指揮が欲しかったというのは仮定として十分に通る。特に1970年の録音などを聞くと、楽団が指揮棒に食いついて行ってるようでぎこちない。

作曲家ブーレーズの指揮は、得意にしている分野においてさえも音楽的に十二分に満足しかねる表現が多いのにも拘わらず、その指揮の精緻さと楽譜を音化することに掛けてはこの人の右に出る人はいなかったと思う。だからこそ今でもキリル・ペトレンコの演奏の比較対象になるのはこのブーレーズ指揮の録音のみであり、そのレントゲン写真に肉付けして3D化するのはペトレンコでしかない。以前はそこまでの意味を見出していなかったが、何度も楽譜を見て録音等を吟味する結果そういう見解に至った。

今回の2005年の「火の鳥」全曲の実況録音においても、今後この曲をお勉強するときの貴重な音資料になるとして間違いない。嘗て日本でBBC響を指揮して演奏したのを聞きのがして、未だに後悔しているもので、こうしてクリーヴランドでの実況録音を確認できて胸のつかえがとれる。



参照:
細い筆先のエアーポケット 2017-11-03 | 音
十七時間後に帰宅 2018-06-30 | 生活
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無用の長物TV受信機

2018-11-18 | 生活
まだまだ完全復活とならない。週明けに寒さの中で走れるものかどうか。微熱があったようで、膝が痛んだりするので不安だ。日差しがあるので気持ち良いと思ったが、差し込む光の中の椅子の上にあるミニノートブックが気になると同時にその後ろに隠してあるTV受信機が許せなくなった。年に一度しか使わないのに大きな場所を占領している。そして年明けのヴィーナーフィルハーモニカーのノイヤーズコンツェルトでも点ける気もしない。撤収する決心をした。完動品で調べると2004年に購入している。価格は300ユーロ少しだったようだ。従来通りのアナログのブラウン管である。ここまでの15年ほどで総計50時間ほどしか使っていないと思う。オリジナル箱を探して倉庫に片づけてしまうつもりだ。事実上電気荒ゴミだ。

もはやいい格好でTV廃止、完全卒業を宣言する時代でもなくなった。数年前まではまだまだ臨時ニュースなどでCNNを見るつもりでいた。しかしその時代も過ぎた。一体もう何の目的でTV受信機を点ける必要があろう。必要があればネットで観て、必要ならば録画する。それが全てで、そもそも特別なプログラムすら殆どなくなってきている。よほどコムピューター操作が厄介な人以外にはTV受信機の価値は全くなくなってきている。なぜならば画質や音質、その他全ての意味においてネット配信の方が有利になってきているからである。なにも急いで4Kにしようとも思わない。1Kでも十分であり、ブルーレイ映像にも困らない。

「オテロ」を一幕から二幕までざっと楽譜を通した。印象としては幾つかの主題が読み込めて、最初から最後への繋がりも何となく掴めた。参考にしたLPはやはり可成り演奏の質が悪く、正直驚いている。整理して行くほど、どのようにこうした指揮と演奏が可能なのかが分からなくなってくる。指揮者の仕事とは、その際の正しいテムピとリズムを刻めることでしかなくそれ以上は楽譜を様々な資料を辿りながら読み解くことでしかない。だからこのオペラ界の大指揮者だったレヴァインは、少なくとも棒を振ることが可能で、それ以上でも無かったことがよく分かる。限られた時間の中で寄せ集めの楽団でやれることはこれぐらいのことでしかないのが今は分かるようになった。

要するに、先日のマンハイムでの「マイスタージンガー」の摘み聞きではないが、LPを鳴らしながら楽譜を見てここがこう鳴らなければいけないところだという気持ちでしか聞けない。なるほど制作録音としての外れた音とかの傷はチェックして録り直してあるわけだが、その以上でもそれ以下でも無い演奏がそこで繰り広げられていて、我々が期待するようなヴェルディの創作の本質的なところも如何に歌手が幾ら頑張っても限界があると思った。それ以前に管弦楽団が綺麗に鳴らないことだけでもお話しにならない。こうした大掛かりなオペラはこの程度のもので、綺麗に録音しているのはカラヤン指揮のベルリナーやヴィーナーフィルハーモニカーだということになってしまったのだろう。LP時代にも如何にも無駄な録音のようなものが市場を占有していたかというとても良い傍証でもある。

これからクリーヴランドからの放送が楽しみだ。ピエール・ブレーズが振った「ダフニスとクロエ」全曲が1970年の実況録音、「ファイアーバード」全曲が2005年である。先日デジタル録音の箱モノを安く購入したが、そこには「春の祭典」と「ペトロ―シュカ」しか入っていない。これは聞き逃せない放送だ。



参照:
希望も未来も無いTV放送 2006-12-03 | マスメディア批評
排出零の節約ライフスタイル 2012-02-04 | アウトドーア・環境
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利益背反のドレスナー

2018-11-17 | 文化一般
風邪ひきは、前日よりも楽になったが、買い物に行けなかった。微熱があったがそれはなくなっても、走りには行けなかった。また週明けに取り戻せばよい。しかし週明けからは雪模様になるようだ。まだ夏タイヤを履いているので、色々と週明けに準備もしておかないといけない。

ドレスデンのローカル紙が「復活祭人事」の記事を出した。声を潜めるとされるオーストリアに反して、シュターツカペレのドレスデンで話題を提供し議論の端緒となるものだ。毎度のことながら「指揮者ティーレマンが紙上を賑わすが、問題はドレスデンの人事でもバイロイトのそれでもない」と最初から断っている。新聞としては適切な書き出しかもしれないが、敢えてそうした導入にして匂わせる。勿論地元紙であり、実際に指揮者ティーレマンとよい関係を保っているのだろうから、決して否定的な論調はとらない。

それでも肝心なティーレマンのコメントをとれていないことから、あからさまに圧力を掛けている。つまり脅しまで使って「それなら辞める」と語っていたのに、なぜ辞めないのだと誰でもが思う。そして、そもそも2013年のベルリナーフィルハーモニカーのバーデンバーデンへの移転で、一朝一夜にして復活祭を救ったドレスナーであって、ベルリナーと違って同地でも愛されていると書く。

ベルリナーの北ドイツ的でクールでハングリーなのとは違って、オープンで心からのザクセナーであるからと態々語るのだ。そして、ティーレマンの下、復活祭でその名声を輝かなものとしたと、ザルツブルクでの仕事を総合評価している。その反面、オーストリアの「陰謀に長けた人たちの国だから何でもありだ」と結んでいる。

なるほど地方紙でもこれがマンハイマーモルゲンならばこの纏めは浮く。しかしドレスデンではここが結構効くのではなかろうか。その陰謀とは、バッハラーやザルツブルクに近しいミュンヘンの連中がザルツブルクの政治家と攣るんでいて、「ベルリナーフィルハーモニカーの再誘致の裏取引は信頼性ある噂だ」としている。これも結構火を付けやすい行かもしれない。

勿論東独の人たちは我々よりも新聞の行間を読み解く能力は長けていると思う。はっきりしているのは、この月曜日にティーレマン本人がその前言を踏襲して退陣の記者会見をして、「どこへでもドレスデンと一緒にいる」と言えれば世論は変わったと思う。その反対にここで地元新聞が客観的に「復活祭出演はシュターツカペレにとって栄光の時だ」と宣言している。これだけで、「2021年までの契約とそれの延長がされるべきシュターツカペレの芸術監督」がお飾り物になるのが復活祭であるとしていることと関心事の利益背反となっている。ここが恐らくこの記事の核心だろう。



参照:
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般
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