更なる ときめきを求めて!

「七色唐辛子+一味唐辛子の会」は、卒業しました。

ヤッチャンのチツチャイ時 可愛かった!

2022年10月05日 | 日記
 7年間の横須賀・鷹取の時空が、飛び込んできました。

須藤康花” 彼女の存在は、肉親とは違った大きいものがあります。

 父親・正親氏が娘に向かいあった著作「康花 命尽きるとも」が 先ほど 送られてきました。



 彼女が生まれたのは1978年。両親共働きで、明治生まれの祖母のはなさんが育児に関わるも、高齢の為 私も折に触れて 手を貸す。
 須藤家は我が家の真向かい。私は、はなさん、母親の礼子さんと昵懇の間柄。

ハナさんからのプレゼント


 礼子さんの夫・正親氏は私と同年。遅い結婚での遅い孫の存在に、はなさんには、孫のヤッちゃんは、命。2年後 弟が生まれるも、早くに死去。康花ちゃん ネフロ-ゼ症候群発症、以後入退院を繰り返す。小学校は、殆ど休校。

 礼子さん、教師の仕事を辞め、康花ちゃんの看病、健康維持に専念。無農薬、無添加、 自然食品等の食生活を中心に、康花ちゃんの健康を支える。

 礼子さん 曰く「森家さんのご苦労を思うと、私はまだ まし・・・」
 
 当時の私の置かれた情況は、零細・同族会社を経営する夫、5人の小姑、舅姑のいじめに、心労で痩せこけていた。別の友人からも「自殺しているか 離婚しているか 精神病院に入っているかの 三つに一つのような生活をしている・・・」と云われたものです。

 今も昔も変わりなく、健康でさへあればと、思っている私。
この言葉は、当時の礼子さんの 辛い心中が察せられて、今なお記憶に残っています。

 15才で、母礼子さんを亡くし、自死を試みたりと、苦しみながら数々の絵画・詩作品を残し、30歳で永眠と云う短い壮絶な命でした。

11才の時の作品



 
 長野県・松本に小さな「康花美術館」が、設立されて10年以上経ちます。


 
 康花美術館 は、死ぬまでにもう一度、訪れよう‼ 😿無しにはいられなかった最初の訪問。 次は冷静に作品を見られることを願って。
 皆さんも 一度行ってみてください。

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