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どうしてわたしはこれほどに物質に拘っていたのだろうかと思います。物質でなければならないと寝言のように日々言い続けて来ていたのです。そして、わたしは物質であることに安心を覚え、物質でなくなることを恐れてきました。でもそれは視野閉塞でした。開眼すれば視野は広がって行きます。そうすると、それだけではなかったと言うことが認知されてきます。わたしは非物質になることを選択肢の一つに組み入れます。こっちの方がずっと楽なのです。
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どうしてわたしはこれほどに物質に拘っていたのだろうかと思います。物質でなければならないと寝言のように日々言い続けて来ていたのです。そして、わたしは物質であることに安心を覚え、物質でなくなることを恐れてきました。でもそれは視野閉塞でした。開眼すれば視野は広がって行きます。そうすると、それだけではなかったと言うことが認知されてきます。わたしは非物質になることを選択肢の一つに組み入れます。こっちの方がずっと楽なのです。
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どうやったら、では、そうなれるのでしょうか? 簡単です。物質のわたしを死ねばいいのです。これで卒業証書が渡されます。「あなたはこの度、物質としての生命遍歴を無事終了されました。よって、卒業証書を授与して、この栄誉を長く讃えます」証書にはそう書いてあります。わたしは次へ進むことになります。次へ進んで行けるのです、誰もが。物質は解除されます。と同時に、わたしは非物質化します。重かった物質は解除、解脱されて、軽くなっています。
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2019年にいるわたしは、生きています。死んでいるとブログは書けません。ということは? そう、ブログを書くということは、わたしが生きているということの証になっています。ブログの中身がどうなっていても、証になります。20190年が来ても、わたしはそこにはいません。物質的には存在不可能です。でも、非物質になっていれば話は別です。非物質に栄枯盛衰はありません。枯れることも衰えることもありません。
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おはようございます。2019年、2月28日。明日から三月になります。2019年の後ろに0をつけた<20190年>という年が来るでしょうか。来るでしょう。これから18171年後に来ます。ふふふ、その日の地球の空はどんな色をしているのでしょう。案外、今日とちっとも変わらないのかもしれません。
おやすみなさい。そろそろ0時です。明日が来ます。
小雨が降っているようです。軒端に落ちる雨音が間を開けながら聞こえます。気温はあたたかめです。
無事に一日を過ごすことが出来ました。感謝を覚えます。
雲仙のホテルを11時に出発して、我が家に15時半に着きました。平道で4時間掛かりました。やや疲れています。
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そしていまわたしの番が来ている。わたしがこの陀羅尼経を高唱する時が来ている。高唱するとすぐに、その場に変わるのである。説法の場に変わるのである。
釈迦牟尼仏が現れ、説法を始め、観世音菩薩が進み出て来て、説法を受け継ぎ、最後に手短く力強く陀羅尼を授けた。これをいつもこころに保て、声に出して勇気を得よ、と説諭をしてくれるのである。
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そのように諭された人たちは、歓喜に震えた。そしてその説法を為した観世音菩薩を誉め讃えた。説法は終わった。誰もが釈迦如来と観世音菩薩の回りを幾度も回って、丁寧に幾度も幾度も頭を下げてから、去って行った。
十一面神増音菩薩の陀羅尼とは、こうだ。「おんまかきゃろにきゃそわか」陀羅尼が聞こえて来ているときはわたしは傲慢を離れていられるときである。
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今夜は此処を味わうことにする。このわたしが、仏の説法を味わうことが出来るということは、理屈では説明が出来ないが、素晴らしいことであることを確認できる。
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「所生の処は常に仏前に在って蓮華に化生す」 仏説十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経より
何度生まれてもそこに仏さまがいてくださるのだよ。そこには蓮華が咲いていて、あなたを包んで清らかに爽やかに安らかにしてくれるんだよ。観世音菩薩はそのように人々を諭した。悲しみの人生にある人々をそのように諭した。そして陀羅尼を授けた。
今日は嬉しいことが3つ。
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花壇に出て草取りが出来た。チューリップが発芽していた。しのびやかな含み笑いが聞こえて来そうだった。で、挙手の発芽の手を大事に大事にしながら、慎重に草取りをした。ま、没頭したってわけね。没頭は嬉しさの加圧装置だ。
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旅から戻って来たら玄関にパラフィンに包んだきれいな花束が置いてあったよ。中にメモが入っていた。懐かしい人からだった。訪ねて来てくれたのに、留守をして悪かったなあ。でも、瞬間、わたしの頬は薔薇色に染まったよ。
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草取りをしていたとき、背後から声が掛かった。自転車に乗ったNさんの声だった。Nさんは独自の生き方に徹しておられる。で、で、その独自性故に、人との交流が途絶えがち。そういうふうに見える。(そうじゃないかもしれないけど)めったに声が聞こえない。今日のNさんは機嫌が良かった。声を掛けてもらった。しかも明瞭な高い声で。わたしは選ばれた人だったのだ! 彼はさみしかったのか?
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ふふ、なんでも嬉しがっていいのだけど。この3つで、今日のわたしのこころの庭は、満ちた。嬉しい嬉しいで、軽くなって羽が延びて来て、飛び上がりそうだった。
今朝の即興詩 「お母さんの指」
お母さんに指がある/ああ、不思議だなあ/指が/結んで開いてをしている/お握りを握っている/お握りが出来上がった/わたしにも指がある/指に掴んで/頬張る/指は四カ所で折れ曲がる/折れ曲がらなかったら?/お母さんはわたしに/お握りを握ってくれなかったかもしれない/愛情が親から子へ伝わらなかったかもしれない/お母さんに指がある/わたしにも指がある