<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

個ではなくて<全体のわたし>として

2012年11月18日 08時05分24秒 | Weblog
わたしがいるところには
きまって
誰かがいます

その誰かは
邪魔な存在ではありません

怪我をしないように
災難に遭わないようにと
しっかりわたしを守ってくれています
こっちだよこっちだよと
わたしをみちびいてくれています

そう信じないわけにはいきません

朝が来ています
窓の向こうに朝日が差しています
朝日は畑にまで広がっています
空の遠くまで広がっています

朝が来るまで
ずっと見守っていてもらっていたかと思うと
手を合わせたくなります

見守ってくれているのが
誰だかはわかりません
目に見えてはいません

自分がこうして守られているのだから
他者を罵ったり脅したり害を加えたりは
できるだけしないようにしていたいと思います

それでも
いのちに限りはあるのですから
わたしも近いうちに死を迎えます

死を迎えたら
もうわたしは姿を失います
姿を失ったら
こんどはわたしが見えない誰かになれます

わたしが一生涯ずっとずっと
大事に守られてきたように
わたしも誰かを守れる存在になれるといいなあと思います

わたしが姿を失うということは
わたしが個体の個ではなくなるということです
わたしは個ではなくて全体になります
全体に統合されたわたしなら
雄大でしかも勇躍として活動ができるように思います
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輝かせてくれる朝日の明るさで

2012年11月18日 07時55分36秒 | Weblog
おはよ。

朝が来ているよ。

朝の朝日の中に輝いて、僕がいる。

うれしい。

これだけでじゅうぶんにうれしい。

僕が輝いていることがどうしてわかる?

輝かせてくれる朝日の明るさでそれがわかる。
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土いじり

2012年11月01日 10時02分25秒 | Weblog
こんなに寒くては外に出て土いじりができません。

土いじりの「いじり」というのは、「弄る」と書いて「手で弄(もてあそ)ぶ」「手慰みをする」のほかに、「いじめる」「なぶる」や「確かな目的もなくてあれこれ手を加える」の意味があります。

わたしの場合は、「確かな目的もなしに・・・」に当てはまりそうです。

小さい子どもが遊園地の砂場で遊んでいるのを見ると、いまの自分の土いじりを見るようで可笑しくなってしまいます。小さい子どもはそれで十分さまになっているのですが、老人のわたしが鼻水垂らしながらむっつりもっこり土を弄っているのは様には成りません。

でもまあよしとしましょう。土を弄くってて土が痛い痛いを言うわけではないのだし、それで迷惑を蒙っているのでもなさそうだし。

土を弄くってそこに種を蒔きます。花の種だったり野菜の種だったりを。そして毎夕水撒きをしてあげます。で、しばらくするとここから青い芽が芽吹いてきます。雑草も芽吹きます。すると草取りの仕事が待っていてくれます。消毒やら施肥やらをします。けっこう愛情をかけます。いたぶってなんかいません。やがて成長した花苗は花を着けます。野菜苗は収穫のよろこびを分け与えてくれます。

土いじりはひとり遊びです。季節が温暖であれば一日中でもそこでじっとして遊びます。庭の土、畑の土は年がら年中遊ばせてくれます。ありがたいものです。人様はこうはいきません。人様とはついつい喧嘩になってしまいます。悪口を言う間柄になってしまいます。憎しみに変わったりします。相手の機嫌の悪いときにいじくれば怒られます。その点、土を相手の遊びは、淡泊だけど長続きがします。その代わり評かというのももらえません。あ、そうか、評価はありました。収穫をいただけます。

世の中では世の中をあっと言わせるような華やかな出来事が毎日毎日たくさんたくさん起こっています。その中心になって活躍をしている人がいます。それを尻目に見て、「おれにゃかかわりのねえことで」と土いじりをするのはまあなんと狭い了見なんでしょうね。
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