<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

お返事が書けないでいます。

2022年01月31日 16時26分26秒 | Weblog

お便りを頂きましたが、お返事が書けないでいます。申し訳ありません。どう書いてお返事したらおよろこびになるのか、分からないでいます。

 

お辛くしておいでだろうとも推測しますが、案外そうではなく、むしろきりりと引き締まって、苦難をものともせずに、まったく平常心そのものでお過ごしかも知れないのです。

 

あなたは信仰者。わたしの、迷える羊の、同情や慰めを当てにしてはおられないはず。などとも考えて、ためらいを覚えてしまいます。

 

お手紙を頂いてからもう1週間がたってしまいました。Mさん、わたしの冷淡をお許し下さい。

 

 

わたしはこのところ己の弱さに泣いています。己の悪の深さを思い知らされて、やるせなく、やるかたなく、日に何度も何度も溜息をつくばかりです。迷路の出口が見つかりません。わたしはほとんど老人性鬱症状にあります。

 

このブログに手を出すのさへ億劫です。力が腹の底に湧き上がりません。しばらく休止しようかな。

 

やがて、紅梅白梅が咲き出して来るでしょう。桜も開くでしょう。わたしの鬱症状が幾分か改善したら、梅のスケッチをしてみようと考えています。開花した梅、あるいは桜の、絵はがきがあなたを元気づけられたら嬉しいです。

 

 

 

 

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曇り空をしている。外も内も。

2022年01月29日 08時20分01秒 | Weblog

曇り空をしている。この分では、まもなく雨になるかも知れない。もしかしたらこの僕の内面を、そのまま映し出して見せているのかもしれない。

 

雨になったってかまわない。外に出ていって何かしようと思ってなんかいないのだから。

 

時間をやり過ごすために、炬燵に入って数冊の文庫本を読んでいるばかり。面白いとも思っていない小説類を。

 

時間が祝意を携えて、人々の軒先に訪ねて来ているというのに、僕はそれをないがしろにして、冷たい目でやり過ごしてしまおうとしている。

 

強い悪意はないとしても、それに準じていないか。

 

巻き返して前進をしようというような意欲が湧き起こらない。じりじりじりと引き下がる。退嬰に打ち負かせつつ。

 

むしろ、時が経つのを見守っている。桜の花が咲き出すころになれば、幾分か、状況にも変化があるかもしれない。

 

ただそれも漠然とした淡い期待に過ぎないのだけれども。

 

庭の片隅に、日本水仙が、花の咲かない冬場だというのに、ひとり白くひそかに咲いている。スケッチをしたら、気分が紛れるかも知れない。

 

 

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終日、炬燵を出ずにいる。出て行く気分にならない。

2022年01月29日 06時32分31秒 | Weblog

終日、炬燵を出ずにいる。外には日射しがある。でも、出て行かない。出て行く気分にならない。面白くもない文庫本を読んでいる。ずっと読んでいる。気分転換を図って、YouTubeでクラシックの音楽を聴く。高齢のお爺さんだから、まあ、こんなものか。

我が家の畑の収穫物の、薩摩芋がおいしい。焼き芋にしてもらった。蜜が皮の外に染み出している。寒さで腐りかけているのもある。

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どうにもならん、なんでもかんでも。

2022年01月27日 08時19分24秒 | Weblog

くそ、面白くない。うまく行かぬ。なんでも、かんでも、だ。

 

どうしたらよかろう。といって、どうにもできぬ。腕組みして唸るだけ。

 

そうやそうや、唸ってればいいんや。長々と長々と、唸る。

 

それでもどうもならん。ま、そういうこともあるさ。それが生きているということやろう。

 

人生は苦である。お釈迦様に言われなくとも、苦である。

 

蛙さんだったら、穴を掘って土を被って、ひたすら冬籠もりして過ごすだろう。

 

春が来るまで、あたたかくなるまで、桜が咲き出す頃まで、蛙さんになってたらいいかも。両の目を瞑って。

 

 

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人は辛いことにたびたび直面する。

2022年01月25日 17時31分58秒 | Weblog

憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の力試さん

 山中鹿之助

 

小さい頃に、お婆ちゃんがこの歌を教えてくれた。そういうことがあった。ふっとそれを思い出した。小学校の図書館で、山中鹿之助の漫画を読んだこともあった。

 

人は辛いことにたびたび直面する。何度も何度も直面する。幾つになっても直面する。苦しがる。悲しがる。

 

 

鹿之助は戦国時代の武将。江戸時代前期の儒学者熊沢蕃山の歌ともされる。熊沢蕃山は中江藤樹に師事した。

 

困難は我が身の試練。試練は己を高める役割をする。己の高さに見合った困難である。それによって高められれば次の困難が待ち受けることになる。

 

 

困難を恐れて逃げ回る自分がいるが、恐れて逃げて行こうとすると追い掛けて来る。逃げずに、堂々と向き合うしかない。向き合って解決を計って、そこを乗り越えて行くと、困難はそこで氷解する。蜃気楼のように。

 

力をつけると、重い荷物をも引き受けることができるようになる。重い荷物をも引き受けられる人間でありたいものだが。

 

 

己は人物が小さいので、いつも戦々恐々としている。逃げ惑う。しかし、恐がって逃げてばかりじゃいけないなあ、と思う。

 

今日の夜明け前の夢は恐い夢だった。唸った。臑に疵持つ身であるから、恐い夢に脅されることがしばしばだ。

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わたしを高めようとするあなたを、今日は近くに感じています。

2022年01月25日 17時05分02秒 | Weblog

あなたはわたしを高めよう高めようとされています。それを感じます。

 

わたしは、それを感じています。わたしを高めようとしているあなたを、わたしの全身で感じています。

 

そういうわたしでいられることを、嬉しく思います。

 

 

しかし、わたしはそれに違背します。わたしはあなたに逆らった暮らしをしています。高くなろうとしないでいる現実のわたしがいます。抗って低い位置に留まろうとするわたしがいます。

思い通りに行かないことがあると、わたしはいつもきまって暗い顔になり、悲しみ苦しみ、溜息をつきます。恐がって、不安のどん底に落ちて行きます。それを悲しく思います。

 

わたしはいつまでたっても傲慢です。

 

 

しかしなお、あなたはそういうわたしを、高めよう高めようとされています。わたしの手を引かれます。わたしの肩を押されます。そのあなたのパワーを感じて、ひそかに涙を覚えることがあります。二律背反のわたしがいます。

 

わたしはいつか、それでもいつか、わたしを高めようとするあなたに従って行けるような気持ちがしています。抵抗の手を下ろして、あなたに従って行ける日が来るように思っています。

 

 

今日は珍しくわたしはお昼寝ができました。気持ちがやすらいでいました。それまで苛立って苛立っていました。神経が高ぶって、気持ちを休めることができませんでした。

 

お日様が差し込むお縁側に来て、リクライニングする椅子を後ろに傾けて、しばらくうとうととした時間を過ごしました。何かが一つ前に進んで行ったように思えて、小さな安堵を覚えています。

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すべてがなされたことを、感謝します。

2022年01月25日 16時47分53秒 | Weblog

すべてがなされました。わたしが今日を生きて行くために必要だったすべてが、欠かされることなく、なされました。

なされたので、わたしが今日を生きています。誰に、何に、感謝していいかわかりませんが、なされたすべての事実に、感謝します。

わたしを生かすというはっきりしたもくろみを抱いて、わたしに向かわれたすべての意志に、小さく感謝を述べます。

わたしを生かしたすべてのハタラキ、すべてのファクターを、わたしは親しみを込めて、あなたと呼んでみます。

わたしはあなたの事実とあなたの意志とまごころを、こうしてこの静かな夕暮れに受け取って、優しい気持ちにいざなわれています。

夕日が西の空にあなたの光をちりばめて傾いて行きます。わたしはそれを嬉しくうっとりとして眺めています。

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泌尿器科に薬をもらいに

2022年01月25日 11時17分28秒 | Weblog

泌尿器科に薬をもらいに来ています。

 

待合室は込んでいます。お年寄りがほとんど。みんな病気にはかなわないのだなあ。

 

お昼過ぎまでかかりそうだなあ。文庫本を読んで待ちます。

 

外は上天気です。お日さまがポカポカ。日向にいれば、気持ちがよさそう。

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鳥や魚や獣や虫たちの神さま仏さま

2022年01月25日 09時27分57秒 | Weblog

人は死ぬ。死ななかったら?

 

神さまや仏さまのことは、ついぞ一度も思い浮かべずに、過ごすだろうな。過ごせるだろうな。にやにやふふん、にやにやふふんですむだろうな。

 

ところが、死ぬんだよな。にやにやが消え、ふふんが消えるんだよな。

 

それでやっと神さまのところへ躙(にじ)り寄って来る。仏さまの安心顔を覗きに来て、安心をもらう。

 

傲岸不遜が退くことになる。傲慢高慢が控え目になる。優しい目をするようになる。

 

 

ところで、人以外も死ぬよね。鳥も魚も獣も虫も。

 

彼らにも、だから神さまがついておられるはず。仏さまがついておられるはず。だと、僕は思う。死ぬんだから。謙虚になれるんだから。謙虚になれたら、神さまや仏さまが慕わしく思われて来るだろう。

 

死後の世界には、だから、鳥や魚や獣や虫たちも、神さまの世界仏さまの世界に来て遊ぶんだよね。

 

鳥や魚や獣や虫たちの神さま仏さまも同じようにやさしいんだろうなあ。

 

 

三日ぶりにブログを書けるようになりました。小さなトンネルを一つだけ出ました。

 

 

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仏教詩 「礼拝行」

2022年01月21日 17時30分37秒 | Weblog

仏教詩 「礼拝行」

 

「あなたはやがて仏様になられるお方です

わたしはあなたを敬います

わたしはあなたを礼拝します」

法華経に登場される常不軽菩薩は

ただただ会う人会う人に両手を合わせられた

終生 この一行を貫くのが彼の仏道修行だった

そんなことくらいいとも簡単にできそうなのだが

目の前の一人の人を礼拝することもできないのだ

寺院に祀られた仏像を礼拝しながら

その同じ手で人を礼拝することができないのだ 

 

 

 

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