<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

過ぎ来し方に感謝

2014年12月31日 19時55分49秒 | Weblog

12月31日。大晦日。さぶろうは生きている。ということは無事が365日続いたということである。有り難いことであった。守ってもらった。支えてもらった。後押しをしてもらった。導いてもらった。ひたむきなひたむきな、多くの多くの愛情がこの一年さぶろうに降り注いで来たのである、兎にも角にも。誰にどう言っていいのか分からないが、感謝を捧げたい。このブログに付き合って下さったみなさまにもお礼を申し述べたい。

大晦日のさぶろうは、長時間をかけて落葉を拾い集め、外の大掃除をした。最後の仕上げに家の四周の小径に箒の目をつけた。見るからに、地が清浄になった。日暮れまでにはまだ時間があったので、キャベツ畑の中の草取りをした。小雨が降っていたがそれには怖じずに続けた。緑色の滴る若い小松菜を籠一杯に収穫した。土を落として洗って揃えて、台所に運び入れ、すぐにも食べていいようにした。

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歳末の大掃除

2014年12月30日 17時18分55秒 | Weblog

家の周囲のベランダの部分の大掃除をしました。鼻水を垂らしながら。片付けをして掃いて水洗いをしました。見違えるように綺麗になりました。根を詰めましたので、ちょっと疲れてしまいました。しばらく休憩して、それから花壇の草取りをしました。さらに今度は畑へ行って、霜が降って腐ってしまわぬうちにと考えて、里芋(白)を掘り上げました。どっさりどっさり子芋を付けていました。傷がつかないように周囲から掘り崩していきました。大きな竹笊に山盛りになりました。これを水場に運んでいって一個一個丁寧に洗いました。手の平や指が痒くなりました。これを台所に運びました。すっかり夕暮れになっていました。

 

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苦しみで終わりではない

2014年12月29日 20時37分52秒 | Weblog

「あなたが背負いきれない荷物を神さまがあなたにお与えになることはありません」「あなたがそれを背負っていける力があるからです」「もともとその力が備わっているか、背負った後で力が付帯させられるか、そのどちらかです」

そういうことをY先生がわたしたち学生にお話になられた。まださぶろうが大学時代のことである。さぶろうは若い頃にキリスト教学を学ぶ機会に恵まれた。その頃、深刻なノイローゼ状態だったさぶろうには雨が大地に滲みるように滲みたのである。

さぶろうは、自分の背負っている今の苦しみが、苦しみで終わりではないことを覚え始めた。苦しみの先に光が見えてくるように思えた。

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ほかの何処にも行かない

2014年12月28日 19時14分37秒 | Weblog

「阿字の子が阿字のふるさと立ちいでてまた立ち返る阿字のふるさと」

今日は親戚の3年忌法事に出掛けて行った。読経が終わった後でお坊さんの説法が続いた。お坊さんは真言宗のお坊さんである。上の句が耳に残った。

阿字とは何を意味しているか。辞書をひもどく。

阿字:梵語の第一字母。密教で、「阿」字万物の根源であり、不承不滅の原理を象徴的に表現するとされる。

「阿字のふるさと」とは大日如来の仏国土のことである。大日如来は梵語でバイローチャナ、摩訶毘盧遮那仏。光明遍く照らす仏界のことだ。阿字の子とはわれわれだ。われわれは「故郷を立ち出て」何処へ行ったか。こちらの世界へ来たのである。すなわち此処へ生まれて来たということだ。「また立ち返る阿字のふるさと」とは、こちらの世界を死んで仏界にふたたび帰って行くことだ。

われわれの命の根源は仏界である。そういうことだ。他に何処へも行けない。そこを出て物質世界の娑婆世界で修行をする。ここが一番障碍が多い。障碍が多いので摩擦熱を出す。ここで魂が錬磨される。錬磨されて光輝く。光輝く命だと言うことを実証してふたたび仏界へ戻ってくる。そういう図式だ。他には行けない、大日如来の仏界を行ったり来たりするだけの話なのだ。不安はない。安心していることだ。

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大掃除

2014年12月28日 18時38分00秒 | Weblog

今日は12月28日。明日は29日。明後日は30日、そしてその次は大晦日31日。今年は残すところあと4日となった。家内は家の中の大掃除を担当し、我が輩は家の外の大掃除を担当する。といっても、家の周囲の小径中道の草取り(これは春夏秋冬いつでもしているのだが)をより念入りにしてそれから箒の目を付けて清浄正月の雰囲気をしつらえるだけである。これをするとなんだかもういつお正月が来てもいいという気持ちになる。というか、それ以上は手が回らないからである。

では見えないところの大掃除はどうか。つまりこころの大掃除だ。これはおざなりだというしかない。懺悔すべきは山ほども海ほどもあるが、それをすると深い闇を作ってしまうので、大仕事になる。闇に沈むときにもエネルギーを消費するが、ここを抜け出すときにもそれ以上のエネルギーを消耗する。それでついつい省略をしてしまう。こころの大掃除をするために、若い頃は山奥へ分け入っていって滝に打たれた。今はもう水の寒さを撥ね除けるだけのファイトは見付からない。

 

 

 

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24回繰り返して 厭きず

2014年12月28日 17時01分59秒 | Weblog

1才5ヶ月の孫(男の子)を公民館広場に設置してある滑り台に連れて行って遊ばせた。男の子はこれに夢中になった。階段をよじ登っていって見晴台に辿り着いてそこから両足を前に出して滑走する。初めは滑走台の両脇を両手で掴んで恐る恐る下りていたが、大丈夫だと言うことが分かると両手を放した。するとスピードが付いた。これが彼の愉快を引きだした。満面を笑みにして着地した。もちろんよちよち歩きだから、見守り隊がついていなくては危険だ。一度は両足より先に上半身が滑り始めてひっくり返ってしまった。手を差しだして食い止めたからよかったものの危ないところだった。冒険心に火が付いて面白くなった孫は連続24回これを繰り返した。もう止めにしよう、帰ろうよと幾度言っても聞かなかった。滑って小走りに階段口に走って行き、ステップを片足ずつを上がって見晴台に立つ。このサイクルを続けた。嬉しくて楽しくてならないらしかった。最後は小学4年生の長男が彼を抱き留めて来て車に乗せてくれた。好奇心の勝利だ。

ご老体のさぶろうはもはやこれだけの好奇心も冒険心もない。さぶろうを走らせるものがない。彼にはこれがある。彼は滑って走って駆け上って万歳をして、24回も繰り返しても厭きず、得意満面だった。

 

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「からだ」の一人働き

2014年12月28日 07時12分20秒 | Weblog

「からだ」に「さん」をつけるのは不自然だろうけど、「さん」をつけて敬い、丁重に感謝をしたくなる時がたびたびある。で、「からださん、ありがとうね」を言う。「言う」の主語は「こころ」だ。でも、「からだ」と「こころ」は別個には存在していない。同一行動をしている。二人三脚の総合体だ。分ける方がおかしいが、敢えてそうしてでも、お礼言上をしたい気持ちにかられる。「気持ち」は両者の仲を取り持つ役をする。「こころ」も「気持ち」も「からだ」のすることができない。「からだ」が一人働きをしていると感じるときがある。呼吸することも食事することもそれを消化して排出することも、「こころ」にはできない。歩いて行くことも曲がって物を掴むことも同様「からだ」にしかできない。全部、「からだ」におんぶされていることだ。

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老いの児戯

2014年12月27日 17時38分30秒 | Weblog

働いた。日が暮れる寸前まで働いた。といってもそれでお金になるというのでもない。孫二人といっしょに畑の里芋を掘り上げた。その後、泥を払って、外の洗い場で一個一個丁寧に水洗いした。たくさんだったのでこれでお昼間でかかってしまった。お昼からは春咲きの花の球根をあちらこちらの花壇に植え付けた。夕食はシャブシャブ料理だというのでいろいろな畑の野菜を抜いてこれを食べられるように丁寧に水洗いした。ここで終わってもよかったのだが、捨ててしまうのにはいささか忍びないので、里芋の親芋を地中に埋める作業に取り掛かった。これが終わる頃にはもうすっかり日暮れになってしまった。しかし、まあ、よくも引き続いて外に出てこそこそかさこそ働いたもんだと我ながら感心した。働いたと言えるようなものではないかもしれない。老いの児戯をしていただけなのだから。

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ずっと待ってたぞ

2014年12月27日 09時19分40秒 | Weblog

空港ロビーの出迎え口からお正月をこちらで過ごす親子連れが次々に溢れ出てくる。これを老いた爺さまと婆さまが出迎えている。そこへまだ足取りが危うい幼児が走り出て来る。抱き取ってもらった幼児からきゃっきゃっきゃの笑い声が洩れている。

昨日午後3時に空港に出迎えた。帰省客のラッシュだ。飛行機は満席だったらしい。遠くに3人の孫の姿を見つけた。見違えるように大きくなっている。栄養状態が満点のよう。その上に着ぶくれをしている。1才5ヶ月の末っ子はおいでをしてもあっちを向いて応じてくれない。

ごめんごめん。さぶろうはふっと、この世をおさらばした自分がこうやってあの世の父や母から出迎えてもらっている映像を想起した。この世の空港を離陸してあの世の空港へ降り立ち、出迎えロビーへ出てみると、案の定「やあ、遅いぞ。ずっと待ってたぞ」父と母がにこにこ走り寄って来て、やさしい声をかけた。

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雀たちの足跡

2014年12月27日 09時01分06秒 | Weblog

おはようさん。寒い。霜が屋根瓦にびっしり張り付いているよ、寒いはずだよ。雀たちはどうやら平気らしい。霜の上を歩いて跳んで、お喋りを交わしながらちょんちょん足跡をつけて行く。朝の日の光が射して来た。さぶろうの手の指先はかじかんでいる。早くあったかくな~れ。

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