<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

そんなに巧く行くわけがないよなあ

2019年02月24日 20時54分22秒 | Weblog

そうだよなあ。そんなに巧く行くわけないよなあ。でも、巧く行ってほしい。人のことだからどうでもいいのだけど。

おいらはもう寝る。もう寝るから、後のことは後のこと。知ったことじゃない。それでもあの二人、巧く行って欲しいなあ。幸せっていいものなあ。

映画の話。モテナイ男がモテル女に恋をした。しなきゃいいのに。だいだいそういう男は世間知らずと来ている。一途に追い掛ける。殺し文句も吐けないくせに追い掛ける。そして、ふられてしまう。

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ふうてんの寅さんの映画を見ている

2019年02月24日 20時24分10秒 | Weblog

ふうてんの寅さんの映画を見ている。テレビで。泣かされている。「お殿様とマドンナ」の映画。特別出演は、市川歌右衛門? そんなはずないか。お殿様役のお爺ちゃんで出ている。マドンナは? 名前が出て来ない。美人さんだ。背が高い。寅さんは相変わらずだ。ひとりの自由を楽しんでいる。それで女にもてる。そうできたらいいなあ。

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不完全が完全な答を出せるわけがないじゃないか

2019年02月24日 20時09分12秒 | Weblog

不完全が不完全に向き合って、「おれが正しい」「いや、おれの方が正しい」と言い合うのである。どっちに決着がついたって、サイコロを振ったくらいのことだろう。いや、それでも、「おれが正しい」は止まないのである。二人が出遭う。そのうちどうせ諍いになる。田を責める。必ず他を責める。そうしないと、自分が立っていかないから、こうするしかない。不完全が完全な答が出せるわけがないじゃないか。

 

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もっといい時間の過ごし方があるだろう あるだろうけど

2019年02月24日 19時38分39秒 | Weblog

もっといい時間の過ごし方があるだろう。あるだろうけど、おれはこれでいいんだ。裏の畑に出て、空豆の畑の草毟りをした。3時から6時半まで。とことことことこ、日暮れまで。終始、無言を通して。これでいいんだ。

 

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身心の病を治そうとされる仏さま お薬師さま

2019年02月24日 15時00分25秒 | Weblog

お薬師さまは名の通り、薬を手にしておられます。いわばお医者様なのですね。身心の病を治そうとする仏さまです。そういう役割を濃厚にしておられます。病気になるのは辛いのです。ここから逃れたいのです。われわれ身心を病む者の切実な願いに応えようとされています。ご利益にあずかりたいですよね。

ご利益を希求するのは間違っているという考え方があります。間違っているかどうかは、でも、われわれの浅智慧の測る秤。仏さまには仏さまの仏智があって、その仏智に照らされていていいようにも思えます。

奈良時代より現代に至るまでこの薬師瑠璃光如来が、苦悩に沈む多くの人々を救って来たことでしょう。

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薬師如来は日の昇る東の方角に仏国土を建設された

2019年02月24日 14時43分35秒 | Weblog

阿弥陀如来様は、日が沈む西の方角に、仏国土を建設されました。死後の世界、後世がそこにあるように考えられているのでしょうか。反対に、薬師瑠璃光如来は、日の昇る東の方角に仏国土を建設されています。この世に生まれて来る前の、前世を彷彿とします。そこを通って此処に辿り着いているかのような、錯覚になります。

どちらにも仏さまがいてくださっています。見守っていてくださっています。と考えると安心がもらえますね。

阿弥陀さまが主人公の経典が、お薬師さまが主人公の経典より先に出来上がっています。ですから、阿弥陀さまの経典を踏まえてこの経典、薬師瑠璃光如来本願功徳経が出来上がったのかも知れません。

 

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地獄道に堕とさないという大願か

2019年02月24日 14時40分15秒 | Weblog

邪道に堕ちた者が、正道の仏道に戻って来て初めて、願成就がなされます。そういう願を立てられているのです。驚きです。

地獄道に落とさないという大願です、よね、これは。

で、あれば、邪道に堕ちているわたしも迎え入れられる可能性があるのです。わたしがアウトにならないのです。わたしが薬師瑠璃光如来の前に出て行っても門前払いにはならないのです。むしろ正客なのです。

こんなふうに解釈をして、わたしはぬか喜びを喜んでいます。いやお前は重罪を犯しているからやはりアウトだということになるかもしれません。

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<悪人こそが仏さまの正客>であっていいのか

2019年02月24日 14時35分39秒 | Weblog

有情(うじょう)というのは、生きとし生ける者、この世を生きる衆生です。邪道を行じる者とは、道を踏み外している者のことです。

阿弥陀如来の救済に共通しています。親鸞聖人の悪人正機が彷彿とします。悪人こそが仏の正客であっていいのか。悪人のわたしは躊躇いを覚えます。

「菩提の中に安住させる」とは、薬師如来の悟りの智慧の、その同じ「菩提の中心に招き入れて、成仏させてあげたい」ということです。

 

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薬師如来は、如来となる前は菩薩であった

2019年02月24日 14時31分52秒 | Weblog

薬師如来は、如来になる前の菩薩であったときに、十二の大願を興されています。それが成って、満願をして、如来に成っておられます。

「菩提を得る時」というのは如来の智慧の菩提薩埵(ボデイーサットヴァ)を得た時ですから、菩薩から如来・仏に成った時ということです。

(これはわたしの自己流解釈ですから、眉唾ですよ)

 

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除外されてもいいところを

2019年02月24日 14時29分44秒 | Weblog

道を踏み外した者を、この第四大願で、薬師如来はご自分の正面に据えておられます。除外していいところを除外されていません。アウトなんですよね、邪道に堕ちているのだから。そうであるのに、正客として迎えられています。

 

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