<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

即興詩 「幾つになってもお母さん」

2019年02月09日 13時00分04秒 | Weblog

今日の即興詩 「幾つになってもお母さん」

 

あのね/母さん/あのねと呼ぶと/母さんは/振り向いて/なあにと返す/にっこりをする

あのね/母さん/あのねと呼んで/呼び掛ける/するとまあ/いつもいつでも/にっこりをする

あのね/母さん/あのねと呼んで/遠くまで/旅に出て/いる母さんが/にっこりをする

あのね/母さん/幾つになっても/お母さん/やさしくて/細い目元が/にっこりをする

あのね/お母さん/あのねと呼ぶと/生きている/ままのよう/なあにと返す/にっこりをする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弟と彼と三人でよくいっしょに出掛けた

2019年02月09日 12時32分36秒 | Weblog

弟と彼と三人でよくあちこちを旅した。言い出しっぺの弟が死んでから、ずっと3年半、旅をしなかった。途絶えていた。僕が今回は言い出しっぺをした。もちろん、仏檀の弟の写真にも声を掛ける。弟の法名は釈信慧(しゃくしんね)信士。いい名だ。正式に得度して浄土真宗の僧侶になっていた。よく仏法について談義した。弟は温泉好きというよりか旅に出るその雰囲気を愛した。明日には帰って来る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2時から友人と植木温泉に行く

2019年02月09日 12時23分35秒 | Weblog

お昼から、友人と連れだって植木温泉に行くことになった。泊まって来る。2時には彼の家に行く。用意はこれからする。といっても、リュックに下着を詰めるだけだが。植木温泉は熊本市に近い。川沿いに温泉街がある。微かに湯が硫黄を匂わせる。ぬる湯ではない。一人ではよく行く。ぶらりと行く。平道で、3時間あれば到着する。途中で雨になるかも知れない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午前中は猿真似の真似事をしていた

2019年02月09日 12時21分05秒 | Weblog

僕は、孟宗竹の生える深い竹林の奥を描写してクレヨン水彩に挑んだ。画用紙は少し広めにした。小休止。なかなかそのようにならない。雰囲気が湧きだして来てくれない。溜息の嘆きになる。下手くそだなあを何度も呟く。そりゃそうだよね、猿真似をしている嘘ものなのだから。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市庁舎の鐘が鳴ってお昼になった

2019年02月09日 12時01分08秒 | Weblog

市庁舎の鐘が鳴ってお昼になった。空は、鐘が明るく鳴り響いても、憂鬱を抱えたままどんより重くしている。気分が変わらないと見える。その一隅をも青く澄まない。朝ご飯は8時だった。高菜入りの雑炊をしてもらった。正月のお餅がおいしかった。お昼になったが、まだ腹が空かない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

急に泣きたくなる

2019年02月09日 10時42分35秒 | Weblog

(これは1,2,3,4,5のラストです)

何かふんわりしてあたたかいものがわたしを包み込んでくる。

ふいに泣きたくなる。

何かやさしい意思のようなものがわたしに寄り添っている。

急に泣きたくなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それが息をしている

2019年02月09日 10時34分35秒 | Weblog

(これは1,2,3,4から続いています)

何故なのか、わたしには開明できていないのに、そうせしめられている。

せしめられている自分というものが存在して、それが息をしている。

顔の真ん中にある小さな鼻の穴から、安らいだ息が出たり入ったりしている。

何か気高い偉大なものがわたしに来てわたしの手を取って導いている。何か輝かしいものが、わたしの全方位にいて、生きているわたしを輝かして来る。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何故の一つも分からない

2019年02月09日 10時32分07秒 | Weblog

(これは1,2,3から続いています)

なぜそうしていてくれるのか。

何故何か気高い偉大なものがわたしを導いているのか。なぜ何かやさしい意思のようなものが、わたしに寄り添っているのか。なぜ深々として尊いものがわたしを包み込んでいるのか。なぜ何か厳かなものがわたしを押し上げようとしているのか。なぜこころを燃え上がらせてくるのか。なぜ輝かせて来るのか。

なぜの一つもわからない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたしが新しい変化を遂げても

2019年02月09日 10時26分29秒 | Weblog

(これは1,2から続いています)

それがこの後も、わたしが悲しもうと苦しもうと、病もうと、わたしが物体のわたしを終わりにして、新しい変化を遂げて、もっと次のステージに進んで行こうと、ずっとずっとそうしていてくれそうに思える。手を取って進んでいてくれそうに思える。

ひどく心強い。安んじていていいように思われる。そう思わせて来る。それをわたしに伝えよう伝えようとしている息遣いのようなものを感じる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はっきりそれを名指しが出来ない

2019年02月09日 10時17分44秒 | Weblog

それはずっとずっとそうしているのだが、それが何かは分からない。はっきり名指しが出来ない。

わたしの触覚器がそれとなくそれに触れているのかも知れない。が、余りにもふんわりとしていて、余りにも無為自然態なので、そのものを把握している実感がない。

まるで無関係の関係のようにも見える。間を置かれているようにも思える。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする