4
苦しみは、よろこびのためである。苦しみはよろこぶための準備である。
苦悩を苦しむことによって、よろこびに近づける。苦悩を苦悩することによって、よろこびを耕すことになる。
病を苦しむことによって、よろこびに近づける。病を病むことによってよろこびを耕している。
これも、みな観世音の仏力である。そういう大きなパラダイムなのである。
4
苦しみは、よろこびのためである。苦しみはよろこぶための準備である。
苦悩を苦しむことによって、よろこびに近づける。苦悩を苦悩することによって、よろこびを耕すことになる。
病を苦しむことによって、よろこびに近づける。病を病むことによってよろこびを耕している。
これも、みな観世音の仏力である。そういう大きなパラダイムなのである。
3
疑いを持ちさえしなければ、それでそうなるのである。煩悩の己の疑団を上位上等としなければ、他者が上等になれるのである。これでいいのである。
己の浅智慧を観音様の智慧よりも勝っていると錯誤をしなければ、観音様の説法が聞こえて来るのである。これでいいのである。
2
今朝読経の経典を手にしてさっと広げてみましたらこの句が目に飛び込んできました。<ああ、そうだな>と即刻合点をしました。
ああ、観音様のお力だったんだな、と。神通力を放って下さったのだな、と。で、今朝のわたしが福聚の無量海になっている、と。
今朝はここを読んでみます。ここからを糸口にして仏陀の教えを類推してみます。邪推に近いのかも知れません。
1
皆是観世音之仏力也奉唱 福聚海無量 「観音経秘鍵」より
*
みなこれ かんぜおんの ぶつりきなりと となえ たてまつる ふくじゅかい むりょうなり
みなこれ、観世音の仏力であった。わたしがここにこうしているのは仏力であった。これを否むやいなや。
今朝はここを読んでみます。ここからを糸口にして仏陀の教えを類推してみます。邪推に近いのかも知れません。
1
皆是観世音之仏力也奉唱 福聚海無量 「観音経秘鍵」より
*
みなこれ かんぜおんの ぶつりきなりと となえ たてまつる ふくじゅかい むりょうなり
みなこれ、観世音の仏力であった。わたしがここにこうしているのは仏力であった。これを否むやいなや。
3
下って下って落ちて行ったからこそですね、上って来られたのは。アップの影にはダウンあり、ダウンの次にはアップあり。何でも一対。背景が物を言います。対者を絶した<絶対的安楽境地>というのは、余程の達人でなければ味わえないもののようです。大きく深く息をついて大空快感を味わっています。
ほんとうはいつでもこうしていいはずなのに。大空があれば快感に達していていいはずなのに。
2
当所はお天気がいいです。これは一律平等ではないでしょう。大空の色がいいです。人を爽やかにしてくれる類いの色です。これは特別かも知れません。
わたしは昨夜急激な鬱に見舞われました。3時間ほどは底へ底へと落ちて行きました。苦しくてたまりませんでした。それがあることからふっと断ち切れました。下って上りました。そして今朝を迎えています。それで格別お天気が目に染みるのです。
1
おはようございます。2019年2月17日、日曜になっています。わたしのところも2月17日です。おかしいことをいうようですが、ああ、ここのところは頗る平等一律だなと、感心をしてみました。すべてがこうではありませんよね。
6
淤泥華の蓮は、サンスクリット語ではプンダーリーカ、白蓮華。
法華経は、妙法蓮華経が正式名。サッダルマ・プンダーリーカ・スートラというのが原語だ。
サッダルマは「妙法」に当たる。スートラは経典。妙法蓮華経が、わたしの淤泥のこころの中に根を張って咲き出してくれる白蓮華であった。仏法に遇うということは淤泥華に出遭うということでもあったのだ。
苦しい。失望に拘束されている。観ずるに、わたしは苦悩の人生を歩んでいる。そしてそこで、遇い難き仏法にも出遭っている。
そういうことに、この夜、ふっと思い当たった。
5
淤泥はわたしのこころにあって、苦悩、煩悩、無明、妄念、迷妄、邪悪、恐怖、不安などなどで濁っている。
そこに仏の教えがするするすると下りて来て根を張る。これがわたしの中で白蓮華となって清らかな花を咲かせる。
これは仏のお慈悲である。わたしのこころの中に咲き出した白蓮華は涙となって流れ出して来る。淤泥華は衆生救済の華であり、涙の華でもあるのだ。