<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

紅白歌合戦は見ない

2019年12月31日 19時59分19秒 | Weblog

気温は、4℃。冷えている。

 

僕は紅白歌合戦を見ない。何十年間も見ていない。今年も見ない。

家族は見ているから、僕は退く。

 

それを、みなければ年が越せないというのではないから、見ないでいい。

 

静かな方がいい。

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一年が過ぎましておめでとうございます

2019年12月31日 16時31分42秒 | Weblog
お正月には「明けましておめでとうございます」の祝詞言葉をお互いに言い交わす。

だったら?

うん、大晦日にもあっていいんじゃない? あっていいんじゃないかなあ。おめでたいことだものね、一年が過ごせたって事は。まちがいなくお祝いに値すること。だよね。

大晦日には、「一年が過ごせましておめでとうございます」って、言い交わしてもいいよね。

明るい未来展望ばかりじゃなく、過ぎ来し方の無事確認をする。これって大事なことなんじゃないかなあ。

たくさんのたくさんの加護があって、それでこうして嬉しく生かされて来たってことなんだものね。

それを嬉しがっていれば、嬉しいことがまた見えて来るんじゃないのかなあ。

>>>>などと思った。


扉が閉まったから、また開けられるんだものね。そうなんだよ。滞りなく無事に、一年の扉が閉まってくれたからだよね。
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年越しケーキ🍰作り

2019年12月31日 05時21分59秒 | Weblog

年越し蕎麦ならぬ年越しケーキ🍰作り。

娘と娘の客人とで。

お陰様で、昨夜、おいしく頂いた。12等分の1。

苺🍓が高価だった。苺は草冠に母と書く。母なる草の実か。たしかに小蔓を伸ばし伸ばして行く。

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今日大晦日は感涙の日。泣きの涙の日。

2019年12月31日 05時06分06秒 | Weblog

午前5時を回った。暖かい。気温は12℃。湯タンポは外に蹴飛ばした。

 

風があるようだ。風が舞う音がする。少しは寒くなるのかな?

雨の音はしない。

 

今日は12月31日。一年の終わりの日。一年365日を生かしてもらった。あれこれあれこれあったが、神仏の加護をかたじけなくすることができて、どうにかこうにか、命を健やかに保って来た。有難いことであった。

 

これは感涙に値することである。泣こうか。エンエンエンエンと泣こうか。

 

今日大晦日は感涙の日。泣きの涙の日。

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やさしくされると、やさしくなれる。

2019年12月30日 17時43分04秒 | Weblog
猫のAちゃんは、撫でて貰うと、にゃあにゃあの声を立てる。声が高くなる。いい気持ちだということを声が表現している。撫でる手を止めると、頭で僕の膝辺りを軽くタップして、「もう少し続けたらどうだ」といって来る。やさしくされると、彼女もやさしくなれるみたいで、そうやってとろんとして、目が閉じる。

僕は誰に撫でてもらえるか? 誰にも撫でてもらえない。にゃあにゃあ鳴いたら、一人くらい駆け付けてきて、そうしてくれるかもしれない。実験してみてみようか、一度。いやもうこの高齢で、そうしてもらえることを期待する方がおかしい。そうされている図は想定し難(にく)い。

相手が人でなかったら? だったらいいのか?

春風に撫でられているとか。赤い夕日に撫でられているとか。


撫でるの漢字を読み解くと、「手が無い」になる。手が無くてどうして撫でられるのだ? 足で撫でるわけにもいかないだろう。背中と背中を合わせたら、撫で合うことはできるが。手がしないのなら、こころがするのかもしれない。

愛撫は熟語だ。二つの漢字は同じ意味なのかもしれない。愛することが撫でることで、撫でることが愛することなのかもしれない。(これは曲論か?)

***

此処まで書いたら、「夕食ですよ」の声が掛かった。此処まではイントロダクション。結論は持ち越しだ。
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日が落ちてしまった。家の中に入る。

2019年12月30日 17時25分41秒 | Weblog
日が落ちてしまった。もう足元手元が見えずらい。家の中に入ることにした。

籾殻を玉葱畑に振り撒いた。高菜畑にも振り撒いた。霜の害を防ぐことが出来るだろう。次の年には、籾殻は土作りに貢献する。耕して漉き込めば、土が軟らかくなる。ミミズが棲みやすくなる。

その後で、九条葱を掘り上げた。外に据えてある水洗い場所で、丁寧に洗った。立派に育っている。これは今晩のすき焼き料理に食べる。

外に出ているだけで、それが僅かな時間であっても、癒される。癒やしの薬を使ったように、効果がある。外に出れば、何かするべきことを見つけ出して、こそこそこそこそしている。

午前中は雨だったが、午後からはそれも止んだ。隣人に声を掛けて、畑の大根をもらいに来てもらった。おいしいうちに食べてもらうのがいい。

今夜は客人だ。いっしょに酒が飲める。刺身も買って来てある。といって、娘の客人だから、老爺はさっと自分の部屋に退くことになるが。もうすぐ6時。そろそろ夕食になるだろう。
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寝ちゃうよ

2019年12月30日 15時08分51秒 | Weblog
寝ちゃうよ。

寝ていいよ。


とろりとする。

固さが溶けて行く。形が崩れて行く。

水のように不定型になってしまう。

眠くなる眠くなる眠くなる。


目を瞑ると、眠れる。

って、いいよね。

いいよね。

そんなふうに作られているっていいよね。


眠ったら、エネルギー補給が成される。

自然になされる。

目が覚めたら、元気が充満している。
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人間倉庫が、不満足を覚えてしまうことになる。

2019年12月30日 14時58分34秒 | Weblog
貯め込むようになると、倉庫はどんどん広がってしまう。ビッグサイズになる。

ビッグサイズになると、どんどんそこに貯蔵しなくてはいけなくなる。

倉庫が、がらがら空きだと不満足を覚えてしまう。

人間倉庫が不満足を覚えてしまう。

倉庫は、わたしのものをしまい込む場所になる。自己所有を拡大していく羽目になる。

忙しくなる。

そうしないと空虚感を覚えてしまうからだ。

欲しがるようになる。どんどん欲しがるようになる。どんどんどんどん欲しがるようになる。化け物になる。


目白さんが庭に来て、小蜜柑を突いて食べている。

目白さんは、自己所有をしない生き方を選んだので、今日を生きる分だけを食べているようだ。


自己所有の多い少ないが、貯蔵倉庫の狭い広いが、人間の幸福量を決定しているだろうか。

分からなくなってしまう。
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人間倉庫が、不満足を覚えてしまうことになる。

2019年12月30日 14時58分34秒 | Weblog
貯め込むようになると、倉庫はどんどん広がってしまう。ビッグサイズになる。

ビッグサイズになると、どんどんそこに貯蔵しなくてはいけなくなる。

倉庫が、がらがら空きだと不満足を覚えてしまう。

人間倉庫が不満足を覚えてしまう。

倉庫は、わたしのものをしまい込む場所になる。自己所有を拡大していく羽目になる。

忙しくなる。

そうしないと空虚感を覚えてしまうからだ。

欲しがるようになる。どんどん欲しがるようになる。どんどんどんどん欲しがるようになる。化け物になる。


目白さんが庭に来て、小蜜柑を突いて食べている。

目白さんは、自己所有をしない生き方を選んだので、今日を生きる分だけを食べているようだ。


自己所有の多い少ないが、貯蔵倉庫の狭い広いが、人間の幸福量を決定しているだろうか。

分からなくなってしまう。
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人間の体の全体は、幸福倉庫にも不満足倉庫にも、なる。

2019年12月30日 14時45分35秒 | Weblog
満足を貯め込むだけの広さを、人間の体は、保持している。

だが、まかり間違うと、そこが不満足を貯め込む広大な場所になってしまう。

不満足が、人間倉庫の、何処にも此処にも貯蔵されていることになる。

と、恐ろしい。


そしてそれが容易に捨てられない。捨てられないで腐臭を発していると、なおさら悲惨な状況になってしまう。

逆に、体全体が幸福倉庫になっている人だっているだろう。いるだろうと思う。

するとそれがいい匂いを発している。果樹園のように、そこに、桃の香りや蜜柑や林檎の香りが、甘くやさしく放たれている。

だったら誰だって、そこの果樹園に入っていきたくなるだろう。


人間の体は容れ物だ。しかも大きな容れ物だ。

何を容れておくか。

何を容れておくかは、その人の好きに任されている。
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