<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

お嬢さんに喜んでもらった

2015年11月30日 20時15分52秒 | Weblog

喜んでもらったというだけで嬉しくなった。お嬢さんは新入社員。マッサージチェアの会社の。地方回りをさせられて、こんな山里までおいでになったというわけ。老人対象のアンケートをとりに我が家にやって来られた。さふろうは丁度外に出て小葱を摘んでいた。恐る恐る来訪の趣旨を告げるが、極度の緊張が見て取れた。こちらは冷ややかに応じている。仕事の手も休めずに。アンケートは終った。生返事しかしてないので、居辛くなって戻って行こうして、やっと余裕ができたのか、我が家の畑の野菜を眺めて、「おいしそうな野菜ですね。よくまあ育っています」と彼女が言った。それから場が打ち解けてしまった。一人住まいでお野菜なんか滅多に食べてないと言う。京都にいる我が娘のことが思われてしまった。「今夜食べる分のお野菜を持って行きなさい」そう言って畑にある野菜を次々に抜いて来て差し上げた。白菜、大根、蕪、ブロッコリー、チンゲンサイ、かぼちゃ・・・・幾種類にもなった。空きの肥料袋が二袋必要になった。緊張が解けてそれがそのまま喜びに変わったようだった。彼女は何度も何度も頭を下げてお礼を述べ、しばらく去ろうとしなかった。

 

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打つ手なし

2015年11月30日 10時17分42秒 | Weblog

こればっかりはしようがない。打つ手がない。打つ手がなければどうするべきか。しばし考え込んでいるが、行き止まりだ。さぶろうよ、引き返して来い。そしてひとりでできることをしよう。

今日は畑に出てターサイの種蒔きをしよう。袋に余った種があったようだ。日も明るく射して来た。

しようがないと諦めたこととはなんだったか。一人ではできないことである。愛しい人の白いたおやかな手を取って秋の野山を行くことである。和気藹々とゆくりなく。いまし全山紅葉す。

愛しい人は全世界の人の愛しい人にしたままでいればいいのである。そうしようそうしよう。これは名案。万葉集の数限りない相聞歌を読みながら、さぶろうひとりが終始この相聞の埒外にいることを憐れむ。

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口を開いて笑うという歓楽

2015年11月30日 09時52分50秒 | Weblog

「酒に対す」   白居易

蝸牛角上争何事 石火光中寄此身 随富随貧且歓楽 不開口笑是痴人

蝸牛角上にて争う 何事ぞや 石火光中に此(=万事)を寄せる身なり (富めば)富に随い(貧すれば)貧に随って且(しばらく)は歓楽せよ 口を開いて(なお)笑わざるは是ぞ痴人なり   (さぶろうのいい加減な読み)

白居易先生、覚っていらっしゃる。大悟していらっしゃる。笑い飛ばせとほざいていらっしゃる。石を打って火を起こすに等しいたまゆらの身を生きながら、蝸牛(かたつむり)の角のような小さいところで争い事をしている我が身をあっさり笑い飛ばしていらっしゃる。富んでいるなら富んでいるでいいし、貧しければ貧しいでいい。其の中に歓楽が込めてあるものだと見抜いていらっしゃる。それをしかつめらしい顔をしてかたくなに口を瞑っているのは真面目の度が過ぎているというもの。日も射してきた。空も澄んできた。我が輩殿よ、大口を開けてかんらかんらと笑って過ごそうじゃないかと放言に及んでいらっしゃる。

ヨガには笑いヨガがあるらしい。笑いは万病を癒す薬でもある。上の唇を上に引き上げ、唇の両端を横に引っ張る。それだけで破顔一笑となる。白居易先生は、笑い酒を勧めていらっしゃる。笑って一杯、もう一度笑って一杯。笑いを重ねて酒を重ねるべし。

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羊歯(しだ)

2015年11月30日 09時43分24秒 | Weblog

いろっぽさのないのはがさつだ/いろっぽさのない岩はがさつだ/いろっぽさのある岩は/そこに羊歯を生やしてぬめっている/するとそこに雲の影が動いてきて/ここにつかまっておのれの執着をやすめている/いろっぽさがあると癒されるのだ/がさつでなくてよくなるのだ/じゃ、どうすればいいのだ/羊歯を生やせばいいだけのことさ/これで岩は大きく太ってきて/ゆっくり雨を受けて潤っている

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日脚

2015年11月30日 09時30分55秒 | Weblog

日は脚を持つ。すんなりした脚を。光の明るい脚を。おんなのひとを持たないさぶろうは、光の脚に触れてこれをいとしんでいるしかない。朝の日がガラス窓を超えてさぶろうの部屋にまで届いている。おんなのひとにはまるで無縁のさぶろうは、光の脚を見ながら、これを美しい人に見立てて遠い昔のことを語り出す。弱冠二十歳の頃のこと。ローカル線の電車に乗って海沿いの町をひとり旅した日のことを。電車の窓からは夏の海が見えた。海は白い砂浜で泡になって寝そべっていた。そこにも日は日脚を作って妖艶な感情をさらけたり解かしたりしていた。今朝の日脚はずいぶんと長くなっている。さぶろうの畳の、奥の奥にまで侵入してきてゆっくりを決め込んでいる。

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しんしんと時が深まる音ばかり

2015年11月30日 09時05分36秒 | Weblog

鬼なることのひとり 鬼待つことのひとり しんしんと菜の花畑 なのはなのはな     河野裕子

鬼ごっこをしているところなのか。缶蹴りをしているところなのか。鬼の役になってひとりでいるのか。鬼が現れ出てくるのを待っているのか。回りには菜の花畑。遊びの仲間たちは花の中に身を隠しているところなのか。なのはなのはなの匂いに饐えた黄蝶が飛び出してくる。どくどきはらはらしているくせに、わたしの春の午後はしばらくしんと静まりかえっている。

こどもの遊びがそのまま大人の遊びと重なって見えてしまう。

わたしはおんなでいるが、同時に鬼でもいる。こころの中に鬼を出没させている。おんなの鬼はおんなの恋をしている。ひとりで角を出して恋をしている。あの人に逢いたい。あの人が鬼であるとは思いたくないが鬼であってもほしい。わたしだけが鬼であの人が人間であったならこの恋は成就しない。菜の花畑がわたしの中にも広がっていて、なのはなのはなの熟した匂いが黄色に饐えている。そうであるのにわたしの春は静かだ。静かなままだ。しんしんと時の深まる音ばかり。あなたはどこかに隠れたまま現れては来ない。

河野裕子さんのこの歌は10・10・5・7・7になっていて、どうやら本来の短歌の制約を離れているようだが、それで新鮮でもある。しきりに物語を引きだしてくる。それで読む者は釘付けにされてしまう。

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我が海底の火山噴火口から湧き上がる文学

2015年11月29日 21時26分54秒 | Weblog

そういうものは我にはないか。あれかし。あらまほし。絶え間なく噴き上ぐる文学あれかし。あらまほし。海底の水圧を割って絶え間なく噴き上ぐる我が文学あれかし。あらまほし。地下深くにマグマ有り。熱きマグマ有り。我が命は星なり。文学のジュピターなり。

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夢が帰るところ

2015年11月29日 13時16分01秒 | Weblog

うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今も巡りて 忘れがたきふるさと

おなじみの「ふるさと」の曲の歌詞である。兎を追ったことがなくてもしみじみとなる。小鮒を釣ったことがなくとも。忘れたくない場所がなくてはならないのだ、人は多く。いつも夢が帰って行く場所がなくてはならないのだ。というわけで、なにかとこの歌を共有する。

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一目見ん

2015年11月29日 11時10分52秒 | Weblog

みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる   斎藤茂吉 「死にたまふ母」より

切ないですね。急いで急いで急いでいる。それでも遠い。待っていてくださいよ、待っていて下さいよ。わたしを見るまでは死なないでいて下さいよ。わたしをよおく見てからにして下さい。祈って祈っている。老いた母のいのちがどうしてそれほどに人を動かしているか。一目見たいのは恋しい女の人のはず。

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何があったのだろう

2015年11月29日 10時42分17秒 | Weblog

このごろ夢見る夢がいい。ことごとくとってもいい。夢の脚本家が新しくなったかのも知れない。昨夜の夢も、おおよそ支離滅裂だったけど、全篇が仄かにあたたかかった。童話の世界だった。鼠レースに鼠として登場していた。最後で勝利した。鼠を追っているのもさぶろうのようだった。ヒヨコのレースが後に続いた。ヒヨコがレース中に人の家に上がり込んでしまって、それをレースに戻すのに苦労した。それからはじめて弟が兄のさぶろうの夢に顔を出した。悪役ではなかった。教室のようなところで後ろから兄に寄り添っていた。そこで目が覚めた。この頃の夢はどれもこれもふっくらして風船のようにふくらんでいる。どうしたことだろう。何があったのだろう。

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