<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

作品の一部修正

2006年10月27日 10時38分13秒 | Weblog
 きみといてきみと見る秋 ゆったりとしている空の秘密にとける   釈 応帰

    *

 昨日ブログに書いた作品を一部修正します。今朝読んでみたら、気にくわなかった。盗人になって<盗む>よりも、全体に同化して<とける>がいいな。

    *

 10月27日。いい朝だ。いい天気だ。いい空だ。いい気分になった。

    *

 <きみといてきみと見る秋>の中には<きみ>が二度も出てくる。誰だい、その<きみ>とは? ううん、誰にしようか。なんだかこの世にいる誰か特定の<人>であってほしいな。この作品にふさわしい<きみ>を、宇宙中に募集中。

    *

 こんなにいい天気だ。こんなにいい空が広がっているんだ。これからその人と秋を見に行きたいな。







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空の秘密

2006年10月26日 11時27分42秒 | Weblog
 きみといてきみと見る秋 ゆったりとしている空の秘密盗まむ   釈 応帰

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 空には秘密がある。隠そうとしているわけではないのかもしれないけど、秘密めいている。秘密は隠れた真理。見えない法則。こうしたらいいという模範。

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 きみといてきみと見ているからかもしれない。慌てなくともいいんだよ、生き急ぐ事なんて何もないんだから、と言って聞かせていてくれるようにも思える。ゆったりと雲が流れている。広々と空が広がっている。僕はきみとふたりで秋にいる。これだけでいいのだ。




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我が足をえいとのばしてわがまます秋の日差しのあたたかければ  釈 応帰

2006年10月23日 10時31分56秒 | Weblog
 わたしはわがままである。きわめてきわめて。人のままにはならない、なれない。人のために生きていない。人に奉仕ができない。人を先ず立てるということをしない。ガリガリモウジャである。我利我利亡者。我が利ばかりで動く。禁欲ができない。したいときにする。したくないときがきたらやめる。則天去私なんかとてもじゃない。

     *

 日差しが恋しくなった。日差しの中にいる。足をのばしている。この我が儘を愛す。我が足を伸ばすだけの自由気儘の、わがまま。山里のわが家にはヒヨが鳴いてくる。

 わが足をえいとのばしてわがまます秋の日差しのあたたかければ   釈 応帰


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大孤独居士ここに居る

2006年10月21日 10時14分47秒 | Weblog
  枯れ草の大孤独居士ここに居る     永田耕衣

      *

 今朝のNHK俳句の時間にこの句に触れた。感じた。

      *

 神戸の大震災のあとに作られたらしい。瓦礫の中にぬっと顔を出した枯れ草の中に立たれたのだろうか。孤独居士は作者のはずだが、それでは面白くない。枯れ草が代わって苦しみを引き受けているのだ。だから、孤独居士は枯れ草であった方がいい。枯れ草こそは、超然とした孤独居士である。「おれがここに居(を)るではないか」と拳を空に突き出しているのだ。作者は自分の孤独をどれほどに慰められたことだろう。

      *

 生涯、欲に生きて虚栄心と名誉心にかけずりまわっているわれわれだが、どうだ、枯れ草が胸を張って、「ワレハワレ、ワレトシテ ココヲ イキル」と呼ばわって秋の日に立って居るではないか。







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秋の日が終わる

2006年10月17日 10時20分13秒 | Weblog
 秋の日が終わる抽斗をしめるやうに    有馬朗人

      *

 これは自由律俳句だろうか。作者有馬朗人氏は学者で文部大臣経験者。

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 箪笥の抽斗を閉めるようにして、秋の日が西に傾いて行く。<釣瓶落としの秋の日>とはまた別の把握である。釣瓶はからんからんからんと自分の重みで落ちてゆくけれど、抽斗はこちらの力を加えないと閉まることはない。蝋燭の蝋でもひいておくとするすると抽斗は開け閉めできるが、古いのなら、勢いをつけてやらないと締まりが悪い。

      *

 こちらの力をも加わったかのように、見ている間に、短い秋の夕暮れが来るのである。こちらの力だから、もう少し待ってくれと思って、落ちてゆかぬようにすることができないものだろうか。

      *

 ものごとにもかならず終わりがある。終わりをあらしめようと力まなくとも終わりは来る。無常の世の中だから。いつも変化をして止まない。作者は自動詞ではなくて他動詞で、秋の落日を見ている、そこが面白い。面白い俳句になった。無常を早めるように、こちらで終わりを早めることもできるのかもしれない。

      *

 抽斗を閉めたら抽斗の中に秋の日     釈 応帰
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月光ももとは日光

2006年10月14日 08時22分30秒 | Weblog
 月光ももとは日光海光る

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 これは今朝のNHK俳句の時間に紹介された入選句。作者の名前を記録しそこねてしまった。

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 そうだった。月光ももとは日光だったんだ。そうだった。そうだったなあ。月光が海を照らしている。昼間は海を日光が照らしていた。

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 昼も夜も照らされているんだ、わたしたちは。海もわたしたちもいつも照らされていたんだ。光はいろいろに変化しながらではあるが。

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 すまないなあ、それを知らずに、感じることもなくて一生を過ごしてきた。でもいまそれを知って、嬉しい。

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 照らされて海もわたしもあふれけり     釈 応帰
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賛美

2006年10月12日 14時21分32秒 | Weblog
賛美して賛美に泣けるうつくしい椿よ 来世はあなたがわたし   釈 応帰

      *

 この歌は、まったくのオリジナル、ではない。人が書いた歌を部分的につまみ食いをしているところがある。

      *

 椿が咲いている。薮の中の薮椿である。素朴でいい。深紅でもないがその紅が趣があっていい。うつくしい。

      *

 うつくしいとわたしが椿を賛美すると、椿はわたしの賛美がよほど嬉しかったのであろう、しきしくと泣いてくれた。泣いた姿がまた美しかった。

      *

 そもそも人も花も褒められるためにこの世に存在しているのではないか。雲に褒められる。山に褒められる。風に褒められる。お日さまに褒められる。鳥に、虫に、獣に、人に褒められる。そしてうっとりする。自分がこの世に存在していることにうっとりとする。それでこの世の用は終わる。

      *

 今日は椿をわたしが褒めたから、この次の世では、椿よあなたがわたしになって、わたしを褒めてくれないか。結句をこういう頼み事にしてみた。変わりばんこに花も撮りも人も、褒められて有頂天になってとろりととろけて次のステップへ進化を遂げてゆく。

      *

 讃仏偈というのがある。仏を讃歎する偈(=詩)である。仏を讃歎するとは仏の世界(これを法・ダンマと表現する)を讃歎することである。ダンマを生きているすべての衆生(生きているものすべて)を賛美讃歎することである。

      *

 仏の法に従ってダンマを生きているものが美しくないはずはない。すべて美しいのだ。美しいとわかることがダンマを理解したということなのだ。体解したということなのだ。

      *

 椿よ、あなたは美しいと声にして賛美することは、仏を讃歎することでもあるのだ。わたしたちがすべて仏法を活きているということにうっとりして美しくなることなのだ。  
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偉かろうが偉くなかろうがいいではないか

2006年10月10日 21時25分32秒 | Weblog
 浮きを見ている。それだけで半日が暮れた。クリークにときおり魚が水面に出てきて、「おまえの釣り針になんかかかってやるもんか、ばあかめ」と茶目っ気たっぷりのへら鮒が跳ねた。

     *

 でも6匹も釣り上げたぞ。30cmの大きさのは手応えがあった。ビギナーズラックだった。釣り針につかまって指先に何度も怪我をした。浮きを見ている。それだけでいい。生きているなんていっても、ただそれだけでいいのではないか。そんな風にも思ってしまった。

     *

 わずらわしいわずらわしい人生だ。そこをはずれる。空は秋だ。鱗雲だ。稲が実っている頃というのに、雲雀さえ鳴いている。おれはちっとも偉くない、偉くない。それでいい。いいではないか。太公望の釣り哲学が偲ばれる。
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あなたはきっとうなずくだろう

2006年10月09日 10時58分22秒 | Weblog
 幸福は草のようだね 秋の日のあなたはきっとうなずくだろう   薬王華蔵

      *

 幸福がどんなものだか。どんなものであるべきか。どんなものだったら、幸福と言えるものなのか。それを知らない。知らない自分が、今日はあなたといっしょにいて、それを草のようだと思った。あなたにそれを打ち明けるたら、あなたはきっとその場で深くうなずいてくれそうな気持ちになった。

      *

 現代口語短歌を作ってみた。歌の中の「あなた」が誰であってもいい。草は、秋のエノコログサが似合っている。野を一面にして風にエノコログサが揺れている夕焼け。
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ぼくに10月がやってきた

2006年10月02日 16時12分48秒 | Weblog
 僕に10月がやってきた。10月の方は僕にやってきたんじゃないよ、って言うかもしれないけど、まあ、いいじゃない、堅いこと言わなくとも、さ。僕に、そう、僕一人に10月がやってきてくれたんだ。と、思うことにする。僕でない人もそう思っていいんだから、邪念じゃないよね、こう思うのは。

十月がやってきた
十月が僕にやってきた
僕に
十月がやってきたから
僕は
その気になって
ホストをつとめなくちゃならない

十月の子分がぞろぞろついてきた
これもまた
鄭重にお迎えをするつもりだ

空の鰯雲
風の爽太郎
野原のコスモス
湿地の娘ツリフネソウ

僕は両手を挙げて
お迎えをする
十月がタラップを下りてくる
子分たちがそのあとを
ぞろぞろついてくる

みんなの手を取って
握手をして
そして僕らは抱き合う
これで親しさは一気に増す

「よく来てくれたね」
「待ってたさ」
「ほんとにやさしい目をしているね」
「長くいてくれるんだろう?」
「ゆっくりしていってね」

僕は声をかける
十月が笑っている
目尻を提げている
「きみに歓迎をしてもらって嬉しいよ」
十月がジャンプをする
これで僕は
彼がほんとうに嬉しいのだということがわかる


十三夜(いざよい)の月がかかった

祇園山の山裾を上ってきて
しばらく山頂にとどまって
「九月とお別れしてきたことが哀しいんだ」
と言って彼女が同意をもとめてきた
「きみの気持ちはよおくわかるよ」
僕は大きく大きくうなずいた
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