<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

閻魔大王様の前を通り抜けて行けるだろうか

2019年02月16日 23時43分34秒 | Weblog

ああ、恥多き人生であった。己を誇れるということがなかった。無力だった。これでよくここまで生きて来られたものだと思う。逃げて逃げて来た。己の力を発揮して、自慢をして生きていられる人が羨ましい。まことに弱い男だった。喧嘩もできなかった。ごそごそと穴に隠れる干潟の蟹のようだった。それでも、助けられていた。庇ってもらっていた。引き籠もりにはならずにすんだ。

堂々と生きて来なかったことを、恥じる。折角この世に生を受けながら、それを輝かせるということがなかった。仏神に詫びる。閻魔大王様の前を通り抜けて行けるだろうか。

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光が窓の外に溢れて来た さ 立ち上がるか

2019年02月16日 10時37分15秒 | Weblog

おや、晴れて来たぞ。光が窓の外に溢れて来た。畑の小松菜の萌葱色の葉っぱが、ゆさゆさ揺れている。嬉しいんだろう。

窓の内にいる老爺はのところにも、もちろん、光が届いている。

さ、立ち上がるか。余所行きの衣服に着替えるとするか。今日は10時から3時まで、集落の公民館で、此処に住んでいる人の趣味の作品展が開催されている。

この老爺も提出をしている。クレヨン水彩の仏画を数点。水彩画の仏画も数点。みんな下手くそだ。ま、いいじゃないか。老人の趣味事なんだから。これを売ろうと言うんじゃないんだから。

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よくよく観音様の手を取るなあ

2019年02月16日 10時34分08秒 | Weblog

わたしがあんまり駄々を捏ねるので、このお経をわたしに預けて、これを百回千回唱えろと仄(ほの)めかされる。しぶしぶこれに従う。これまでに百回くらいはもう唱えたかなあ。

わたしはなおも駄々を捏ねる。悲しがる。寂しがる。苦しがる。不平不満をねこそぎ喚き散らす。

しかし、このさぶろうという老爺は、よくよく観音様のお手を取るなあ。お手を患わせるなあ。すまんことだなあ。ご縁を深くして下さっているなあ。

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なにしろ観音様といっしょに暮らしているようなものだからなあ

2019年02月16日 10時27分33秒 | Weblog

わたしのいる家の中は、法性の春である。そういう押さえだ。領下だ。そういう感じがしないけど、そうだ、とこのお経は説得している。

なにしろ観音様といっしょに暮らしているようなのだからなあ。仏さまといっしょに寝起きをしているようなものだからなあ。心配することがないよなあ。

そういう閻浮檀というところに生まれ着いて暮らしを立てているという人間がすなわち<わたし>だということを、この経典はくどくどと説いていてくれる。

 

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とことん此処はいいところだ と

2019年02月16日 10時25分09秒 | Weblog

福聚海(ふくじゅかい)とは、さまざまな福や功徳が聚(あつま)って出来ている海ということである。その海が無量に広がっているところが閻浮提で、われらが地球のことである。

観世音菩薩のお徳のことを<福聚海無量>とも言う。

法性之春(ほっしょうのはる)とは、仏の性質をそのまま具現した春のことか。法性は真如、実相、法界と同義。

とことん、とことん、此処はいいところだということを説いている。パラダイスじゃないか、と。観音様に守られ、仏さまに導かれているところは、やはりパラダイスに間違いはないだろう。

 

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みんなまるごとよろこべ みんな安心しろ 

2019年02月16日 10時20分34秒 | Weblog

いま仏法を聞いているのなら、ここがその閻浮檀の島(閻浮提洲 えんぶだいしゅう)だとも言えよう。

閻浮檀金の金とは、だから、仏さまの教え、仏法のことであろう。

この経典は観音さまのお徳を述べているお経である。観音様はいろいろな例え話で法を説かれている。みんなまるごよろこべよろこべ、みんなみんな安心しろ安心しろと。

 

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この島でのみ諸仏に会い、教えを聞くことが出来る

2019年02月16日 10時12分25秒 | Weblog

閻浮檀(えんぶだん)というのは、仏教用語。須弥山(しゅみせん)の南方に閻浮提(えんぶだい)という島がある。仏教の世界観では、此処が人間の住む世界である。閻浮樹が茂っている。

諸仏に会い、仏法を聞くことができるのはこの島でのみとされている。後に、この名は、人間世界全体、あるいはこの現世を指すようになった。

 

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あなたの家に光輝いている金があるじゃないか

2019年02月16日 10時06分51秒 | Weblog

閻浮檀金(えんぶだんごん)というのは、閻浮檀という島の金のことである。最上最良最高の値打ちの金(ゴールド)のことである。あなたの家にその光輝いている金が、あるじゃないかと言うのである。

閻浮樹(えんぶじゅ)の大森林の中を流れている河にのみ産する砂金のことである。比類がないほどの価値を象徴している。

正直なところ、そう言われてもなかなかそういう実感は湧かないなあ。

貧乏な我が家に途方もないほどの値打ちがする金などがあるはずがあるまいて。

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あなたの家にはいま春が来ている

2019年02月16日 10時02分20秒 | Weblog

<あなたの家には今春が来ている>ということが述べられている。しかも仏の法のしからしめた春である。嬉しいじゃないか。

だったら、嬉しくしていればいいじゃないか。そうしていよう。嬉しくしていよう。今日くらいは嬉しくしていよう。我が家の春を楽しんでいよう。

 

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えんぶだんごん

2019年02月16日 09時21分53秒 | Weblog

福聚海無量/閻浮檀金之家之内は/皆是法性之春     「観音経秘鍵」より

ふくじゅかいむりょう えんぶだんごんの いえのうちは みなこれ ほっしょうのはる 

これから、ここを取り上げて味わってみたい。外は春だし。天気も回復して来そうだし。

 

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