<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

視力がすっかり落ちてしまったようだ

2008年04月25日 10時59分19秒 | Weblog
若い頃は2.0もあったのに。視力ががたんと落ちてしまった。年のせいだろう。
60年も使ったものなあ。当たり前だよなあ。そうだよなあ。たっぷり貢献してくれたよなあ。
有り難うは言っても不平不満を言っちゃ罰が当たりそう。

     *

テレビの人の顔がだぶる。だぶだぶにだぶる。白内障とか緑内障とかになっているのかなあ。
なっていても不思議はない。ちっとも。

     *

視力が落ちてきてはじめて目の有り難さが分かってくる。見えなくなったらこの先
どうしようと思い始めてやっと、目に感謝を覚える。ものが見える幸福を何十年も
味わわせてくれた。

     *

見えなくなったら、でも、どうしよう? 耳が残っているから、耳の楽しみを享受するといいのだ。
鼻の楽しみ、触覚の楽しみを活用すればいいのだ。こころもまだある。
目を閉じて瞑想をするとこころが動き出す。まだまだ棄てたもんじゃないな。

     *

瞑想してもみじの新緑を思い浮かべたらそれもまた新しい楽しみになりそうだ。
ぼくはここへきてやっと元気を復活させる。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春は眠い眠い眠い

2008年04月23日 22時03分23秒 | Weblog
「春眠暁を覚えず」は若い頃の話。いまは「春眠春宵を覚えず」である。

     *

暗くなる宵にはすぐに眠たくなる。布団の中へ潜りたくなる。早々と眠るので
夜中が暁までは保たない。早々と目覚めてしまう。

     *

障子戸に白々と曙光が忍び寄ってきている。山里は東西南北でウグイスが鳴いている。

麦畑ではヒバリ。揚げ雲雀。上ったり下ったり。ムカデが這い出す。
アシナガバチ、スズメバチが我が物顔をし出す。蚊が耳元で唸り出す。

     *

朝5時起床して外へ出た。日の隈山の山裾を祇園川がぴったり巡っている。
今朝は朝露の土手道をサイクリングした。

     *

そsてもう夜更けだ。眠い眠い眠い。面白いテレビ番組もこの眠気には勝てない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100円ショップは安い?

2008年04月21日 23時41分21秒 | Weblog
100円ショップがお気に入りだ。買わなくていいものまで買ってしまう。

      *

今日は手提げ鞄を大小3つも買ってしまった。300円プラス消費税。
得した気持ちになるが、ほんとうに得したかどうか。

      *

わが住む集落の会計役を引き受けてしまったので、通帳類がたくさんある。印鑑も幾つかある。領収書の綴りもある。
これが紙袋に保管されているのだが、袋は閉じていないので、こぼれてしまう。

      *

銀行へ行く回数がやたらと増えた。預け入れと引き出し、これを克明に金銭出納帳に
記録しておかねばならない。念のためにメモ帳も作っておいた。

      *

すべて紛失してはいけない。集落全体では、予想以上の大金が動く。慣れない仕事だ。現金はすぐに預け入れることにする。

金にはとんと縁が薄かっただけに、細いぼくの神経がすり減ってしまいそうである。

      *

すり減らないように、まあ、ままごとみたいだが、ぼくは100円ショップに
出かけていったというわけである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は夢?

2008年04月20日 09時13分01秒 | Weblog
夢って、夢? 
夢の中のあの場所は、現実にある場所であったり、まったく見知らぬ場所であったりします。
登場人物もそう。知っている人、見知らぬ人がいます。知っている人の顔は
意識がこしらえてもおかしくはありませんが、知らない人の顔を夢のわたしは
どうやって描いているのでしょう?
案外、会ったことがある人かもしれません。この現世ではなく、前の世とか前の前の世とかで。

体験したことのある事件であったり、まったく未経験な風景、人物、ドラマだったりします。

     *

夜中わたしのからだが寝ているすきに、たましいがからだを抜け出してどこかへ飛んでいって、
そこで経験をしていること。それが夢かもしれません。つまり、夢は、フィクション
なんかではなくて、リアルなんだ、あったことなんだと、そうは言えないでしょうか。

     *

だったら、可愛いあの娘とキスをした夢も、えっへっへ、ほんとうにあったことということに
なります。夢の方が、寝ているからだのわたしよりもエッチなのかな?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

院展を見に行ってこようかな

2008年04月18日 23時32分14秒 | Weblog
北九州美術館分館でいま「院展」が開催されています。

     *

絵なんてわからないくせに、見るのが好きです。

     *

でも、北九州までは遠いなあ。5月5日まで。
その中に平山郁夫画伯の「古代ローマ遺跡」が展示されています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏さまからいただいたいのちが

2008年04月17日 17時14分34秒 | Weblog
仏さまからいただいたいのちが
地獄へなど行くはずがないではないか! 行かない。

     *

どんな心配もいらないのである。

     *

肉体の死が訪れても、そのいのちのわたしは
また以前のように仏さま預かりである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空から見ている

2008年04月14日 09時35分59秒 | Weblog
空から誰かに見られている気がする。見守ってもらっている気がする。

     *

空の真澄のそこで、ずっとわたしを見ていてくれるあなたは、
誰? 誰ですか?

     *

小さい頃、わたしを可愛がってくれたおばあちゃんは、
(わたしはおばあちゃんっ子だった)
いつも毎朝起きるとすぐに東の空に登ってくる太陽に向かって深々とお辞儀をした。
「お天道さんありがとうございます、ありがとうございます」と呟いていた。
お天道さんを拝んでいたのだ。
拝まれているお天道さまは、ひどく人格的に思えた。
ほんとうにそこでおばあちゃんを見守っているように親しく近く思えた。

     *

空からわたしを見ていてくれる存在があるのではないか?

     *

空自身かもしれない。風が見ているかもしれない。雲の形をした守護神かもしれない。

     *

守られていなければ、やすけく生きていけるはずはないのだ。

     *

いろいろな存在がたくさんで見ていてくれるのだ。
あたかかい慈愛の眼を注いでいてくれるのだ。それを感じる。

     *

空に上って、やがてわたしもまた、そういうように慈愛の眼で地上の人たちを、
見守ると言うことがあるような気がする。

     *

わたしは、唐突に言ってしまうが、もうこの地上での人間は10000回目である。
9999回のそれぞれのわたしが、それへ上って、そこで10000回目のわたしを
見ているのかもしれない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい天気だ

2008年04月12日 10時22分46秒 | Weblog
いい天気だ、いい天気だ。
いい気持ちだ、いい気持ちだ。
ミニサイクルにまたがって、ちょいと遠出をしてみよう。

いいお空だ、いいお空だ
いい気分だ、いい気分だ。
雀がちゅんちゅん鳴いたから 遠出をせずによさそうだ。

いい空気だ、いい空気だ。
いいものだ、いいものだ。
死んでしまってよさそうだ、あの世はしかし遠かろう。 
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハーモニカ

2008年04月11日 09時43分22秒 | Weblog
ハーモニカを吹きます。暮風は、下手なのに、吹きます。聞きづらいはず。人前では滅多なことでは、だから、吹きません。レパートリーは童謡です。歌謡曲も、聞き慣れた曲なら、吹けます。リュックサックの中にいつも一本は入っています。旅先で、一人の時、さみしくなって来ると、取り出して吹き出します。あ、暮風は、音符が読めません。だから、耳で聞いて馴染んでおかないと吹けません。若い頃に診た映画の音楽なんかも思い出したら吹いています。危ないですが、どっか遠くへドライブするとき、寂しいとハーモニカを加えながらの運転になります。でも、ちっとも、上達はしません。自分ひとりを慰めるだけです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿の子ユリ

2008年04月09日 20時21分44秒 | Weblog
たかだかユリである。野に咲く鹿の子ユリである。それを見つめている。たっぷりたっぷり見つめている。こんなにたっぷりひたすら見つめていたら、ユリは意識を回復するかもしれない。そして、恥じらうかもしれない。恥じらいは嬉しさの表現である。ユリは裸ではいられなくて、ワンピースをまとうだろう。帽子をかぶりたくなるだろう。土を割って生まれてきたユリの草丈は10cmほど。おませは30cmに達したのもある。わたしは遅れているものに応援をする。目で応援をする。たっぷりじっくり見ている。椅子を出してきてそこに腰をかけて賛嘆をしている。「美しいなあ」「きれいだなあ」「しなやかだなあ」「生き生きしているなあ」などと声をかけながら。
ユリでなくとも野原には多くの草が生えているのに、ユリにうつつを抜かしている。ユリはユリでいろいろな種類があるが、もっぱら鹿の子ユリだけにわたしの愛情はこまやかになる。理由はわたしにもわからない。売って金を稼ごうという意図もない。ユリの花園にして人を集めようという魂胆もない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする