多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

わが家の救急・時間外外来受診結果

2018-10-29 19:33:30 | 医療費
しばらく前の事だが、長男が 「ちょっと具合悪い」というので


夫と 病院に行った。ネットで調べた情報では、受付時間まで まだ間があったのだが、


実際の時間とは 違っていて、「うちはもう受付終了で、受付時間内に来られた患者さんの


処置で手一杯です」と言われた。仕方なくカルテのある救急外来に向かったのだが、


最終受診から かなり経過していて、近年情報がない。


初診同様の患者で、しかも緊急度は高くない。しかも病院を回るうちに


少し症状が治まってきた。


「この状態で 強い薬は出せないし、明日かかりつけ医を受診して下さい」で終わり。


結局 「緊急性なし・当院でのケア数年なし、初診状態。処置・投薬不要」、


「緊急性がないのに救急に紹介状なしの時間外受診」という事で、


請求された医療費、6000円超え。


病院回るうちに 症状が落ち着いたのは良かったけど、


また 具合が悪くなる可能性もある。長男は「理由はわかるけど、


薬だけでも 欲しかったなあ、具合悪くなるな、って時に薬があると


それ以上進まないから」と 不安と不満顔で帰宅。


そして それから 数日後、今度は 夫が 「腰が痛いから 病院行く」と


出掛けていった。夫は 長男とは違う病院の 救急外来を受診。


当直医が「OOですね。多分数日前から 症状はあったと思いますが、


痛みが出るまで 気付かなかったんでしょう。もう治りかけていますから、


心配要りませんが、ご心配なら(かかりつけ医を)受診して下さい」と言われ帰宅。


医療費は 3000円でお釣りが来たという。


夫は 翌日またその病院で 救急ではなく ある科で診察をした。


担当の先生も同じ見立てで、「治りかけてますから 症状進まないと思います。


今日の動きを見ても 異常ないですね。完全に治るまで少し違和感があると思います。」


と 言われ、短期間の薬を処方してくれた。


会計を待っていた夫は、呼び出され、受け取った伝票を見て


目を回した。請求額は 6000円近く。夫はそれほどの金額になるとは思っておらず、


手持ちの現金が足らない。「金融機関に行ってきますから」と 会計に説明し、


支払いを待ってもらった。金融機関で現金を準備し、病院に戻って無事会計。


帰宅してから、「なんで あんなに高いんだ!?間違いじゃないのか?」と


何度も言うので、明細を見せてもらった。


昨日の場合は 救急で、症状も出ていたので 大きな加算もないし、


薬もないので 点数も高くない。すべて保険診療で、3割負担なので


計算は合っている。


今日の 診察。


今日は 時間内だが紹介状もなしでの受診。


初診料ですでに73点。診察・処置にも もちろん点数が付き、


投薬指導料にも。お薬手帳を持っている夫だが、表紙に「医療機関受診や薬局などでは


医師及び薬剤師に提示してください」とあるが 自分は関係ないと思ったそうで、


医師にも見せずに受診し、薬局でも見せなかったそう。お薬手帳を出さないと、


自己負担額が増える。明細にはやはり加算されていた。


薬も値段が高い。お薬手帳出してないし、当然ジェネリックか先発品か、も


指定しなかっただろうし、仮に聞かれてたとしても 訳がわからなかったに違いない。


ジェネリック指定をしてたら もう少し費用は抑えられただろう。


それと、紹介状なしで、大きな病院にかかると、「大病院受診時の特別料金」が 徴収される。


夫は これを知らなかったようだ。


夫に それぞれの項目を説明し、「病院の会計が間違っていない事」を納得してもらった。


大きな病院の 救急で診察を受けても、次回の診察を医師から勧められない限り、


かかりつけ医があればそちらを、かかりつけ医がない場合は


一般の病院や医院を受診した方が医療費負担が少ない事を理解してもらった。


明細書の 保険点数を 合計し、1点が10円になるので それに0.3を掛ける。


自己負担料の 額が出てくる。明細書を見ながら 話すうち、夫も納得した。


「近いから」「夜でも早朝でも開いてるから」と 病状が軽い人の受診が増えると、


緊急度の高い患者さんの治療に支障が出る事もある。


長男は 幸い 自分であれこれ気をつけるうちに 症状が治まったし、


夫も 医師の見立てどおり、数日で 傷みも消え、違和感も無くなった。


病院に 支払った医療費を「高い」と感じたようだが、二人とも


自己負担は 3割なので、金額の7割を 社会保険や国保に負担してもらっている。


自分が窓口で支払った額の倍以上の お金が動いている事を


忘れないようにしようと思う。


私は 介護保険の「要介護2」なので、支援具や ヘルパーの家事援助を受けている。


自己負担額は、1割である。朝 頑丈な手すりにつかまって 寝返りを打って


起き上がる時には、この器具を 少ない負担でレンタルできる事の有り難さを感じる。


また 週に一回、ヘルパーさんに 手伝ってもらい、私では見えない場所にあるものの


確認をしてもらい、整理や移動の手伝いもしてもらう。


今冬物の衣類を 少しずつ 出しているが、引出しの奥や


押入れの中なども 確認してもらい、手を借りながら、自分の物の管理が


できるのが ありがたい。体の手入れ、養生を続け、


夫や家族の世話を 少しでも続けていきたいし、


自分の体と時間を、大切にしていこうと思う。


明日は 通院の予定。いい状態を保ちながら、冬への準備をしたいと思う。








嫁姑問題

2018-10-27 10:13:51 | 人間関係
世間では、「嫁姑関係」というのは


大変なものらしい。間に挟まった夫の難しい立場とか、


夫が 親の味方になり、妻が苦しい立場になるとか、


私が経験したことのない苦労をしている人が たくさんいるそうだ。


私が 結婚した時には、夫の両親と 祖父母がいた。


高齢の両親と祖父母との別居は 考えられない、と夫は言ったし、


私は 高齢者のいない家庭で育ったが、それはそうだ、と納得がいったので


結婚=高齢者4人との同居であった。


祖父母には 近隣に 息子娘がいて、そちらで一緒に暮らそうという話も


あったそうだが、祖父母は 慣れた土地で、家族や友人と暮らしたいという。


高齢になってから 環境が変わるのは 大変だろうし、若い私が


身一つで移動するのが一番いい方法だと 納得しての同居であった。


が。私は 生来の不器用で 発達障害で コミュニケーションが下手で、


家事も 推してしるべしである。夫の住む地域の方言も


ちんぷんかんぷんで、意思疎通ができない中での 同居で、


私よりも 夫の家族の方が 大変だったと思う。


生活上の 不便さや 諸々もだが、


大事に育ててきた孫や 息子が、いきなり(誰かの夫)になってしまった事の


寂しさや 理不尽さは 筆舌に尽くしがたいものがあったのでは、と思う。


もちろん 適齢期になった孫や息子に「配偶者を」と望んではいただろうが、


それが 実現したらしたで、喪失感があったのだろうと思う。


私個人の 出来の悪さや 失敗は 謝れば許してもらえたが、


この「喪失感」を 埋めてあげる事は 私ではどうしようもない事だった。


嫁いびり、のような出来事もあったが、


「長いこと可愛がって 手塩にかけた孫や息子を 同居とはいえ


手放した感情は 寂しいだろうなあ」と そんな気持ちになった。


まあ たとえていったら 昔から ファンで 影日向になって支え、


応援してきた人たちが、人気が出てからファンになって きゃあきゃあ騒いでいるのを見たら


面白くないだろうなあ、という気持ちかなと。


何十年来のファンで、物心両面において 夫を支えてきたファンクラブの重鎮の


お姉様方が、「こないだ 見かけてファンになりました~」という小娘を


歓迎する事は少ないだろうなあ、と。


私としては 長年「夫ファンクラブ」で 苦労され


現在も 絶大なるファンの お姉様方に せめてお茶を出したり


言われたお使いをするくらいしかできないが、


ご機嫌の良い時には 「夫」さんの 昔のエピソードやら


「私の作るこういうものが好きなのよ」と いろいろ 良い事を


教えて下さる。ははー、感服いたしました、と お礼を申し上げ、


私の中の 「夫」情報が 増えた事に感謝である。


なにしろ お見合いでの結婚で、春に出会い、秋に結婚した。


どういう人なのか、ほぼ不明である。私が知っているのは「良い人」というだけである。


こうして 夫ファンクラブの 重鎮のお姉様方のおかげで


夫の 個人情報や 衣食住の好み、などを 把握できたのは幸いだった。


もし 二人だけで 暮らしていたら、生活パターンも


何も 分らず、多分神経の細い夫が 音を上げていたのではないかと思う。


一緒に暮らすうちに、夫ファンクラブのお姉様方の お好みもわかり、


手落ちは 限り無くあるものの、少しは お世話ができるようになった事に


感謝である。もう姑も、大姑も 舅も 大舅も いない。


4世代で にぎやかに 食卓を囲んだ事を 懐かしく思い出す。


呼びつけられて、あれこれお世話をした事も、遠い昔になった。


夫の母や祖母のような 家事の手際の良さや、日常の様々な事の切り盛り、


何も 私は かなわない。夫は 良い家族に 囲まれて育ち、


生活に困る事も無かったが、今 私も無職で 夫を経済的に支えられず、


家事全般に 行き届かない事だらけで 申し訳ないと思う。


しかし 私の不出来を 息子達が 補ってくれ、


夫と息子達が 仲良く語らう姿を見て、安心してくれているのではないかと


思う。











 



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ネット依存ならぬTV依存

2018-10-27 07:38:48 | 
私は 活字が大好きである。夫は映像派で、帰宅するとTVをまずつける。


食事や 入浴以外の時間は、ほぼTVの前である。


私は TVは好きではないが、夫はTVが好きなので、


TVの音を(うるさいなあ)と感じつつも


「亭主の好きな赤烏帽子」で 付き合ってきた。


先日、たまたま 動物のドキュメンタリーの場面になった。


「あ、面白そう」と 私が画面に目を向けた瞬間に、


画面は別の番組に。


夫は 番組表を確認せずに ブライングリモコン操作をする。


「えー?元のに替えてよお」と頼んだが、


「元?元ってどこだ?」と また ちかちか画面を替えるので、


元の番組は当然見られない。


他の番組を見ていても、長くて数分、短い時は


ラジオの周波数を合わせるかの如く、瞬時の操作で


様々な音声と画像が飛び交う。


リモコンの数字や 電源を示す 各種ボタンの文字は、


すべて すり減り、何も読めなくなっている。


ずーっと 付き合ってきたのだが、普段見ないTVの


たまたま気にいった番組を見逃した事で 怒り爆発。むーっ。


夫が トイレに立った隙に、リモコンを隠しました。悪い私。


戻ってきた夫、まさか 隠したとは思わず、あちこち探し、


「お前、リモコン知らんか?」


だんまりの私。


「おい、知ってるなら出せよ」という夫を後に


別の部屋に。


その日と翌日、夫は「電源は入るし チャンネルも手動で変わるが、


瞬時のチャンネル変更ができないTV]と 悲しい時間を過ごしたようです。


その様子があまりにも気の毒なので、リモコンを返しました。


「お前は・・・」とてっきりお小言が来るかと思いきや、


「リモコン返してくれてよかったあ!TVがまたみられる!」と


狂喜乱舞で、「今日はお前の好きな物3つ買ってやるから紙に書け!」という


盗人に追い銭という、予想外の展開に。


あああ。私は本当に 悪い妻です。反省します。


でも・・・せっかくだから、と欲しいもの3つ書きました。


プリンと、お寿司と、ジュース。遠慮もできない超悪妻。


昨日、夫は 私の好物を4つと(増えてる!)息子達の好物もたくさん抱えて


帰宅しました。


本当に やさしい夫であり、父親です。


こんなにいい人が 私のような悪妻と暮らす羽目になって、


気の毒ですが、来月で結婚32周年。


結婚が人生の墓場だとしたら、今年は33回忌。(爆)


いい節目という事で、結婚記念日には 法事並みの


ご馳走を 夫に振る舞う事にします。せめてもの罪滅ぼし。


私のような 根性悪に、なんでこんなにいい人が。


夫・・・これも因果とあきらめてください。









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コンプレックスからの解放のきっかけ

2018-10-26 08:45:25 | 人とのあれこれ
私は 生きるか死ぬか、という状態で生まれ、


育つ過程でも 様々な困難があった。家庭の事情で、生活自体が危うい時期もあった。


生活に支障がない時も、家で、学校で、たくさんのいじめにあった。


私の 容姿も、振る舞いも、誰からもからかいや 非難の的になった。


幼い時に「お姫様だったらいいな」と夢を持ち、


絵を描いたりする子どもたちを 見ながら、


私は 「お姫様でなくていいから、せめて人にそしられない顔や姿になれないだろうか」と


思った。私の顔の事を からかったり 罵倒しないのは、父だけだった。


私が 容姿コンプレックスから 解放されたのは、仕事を始めてからである。


周囲には 申し分のない容姿の人もいたが、仕事をする時には


容姿での加点はつかない。仕事の出来がすべてである。


周囲には 大卒の先輩も 同僚もいた。


しかし 仕事での 能率で、仕事の割り振りが決まり、


ある日 出勤すると 先輩や同僚の仕事が 私の仕事になっている。


学歴も、容姿も、関係のない場所。だれも私の 弱点に触れてこない。


上司はただ 仕事のできばえや、企画書の内容、そういうもので


評価してくれた。学校のようないじめや からかいは なかった。


出社したら 制服に着替えるが、その前後は 私服である。


私の 持ち物が 地味で 粗末な事に 気付いた上司は、


他の 得意先に出向く時に、私を指名して 車に乗せてくれた。


仕入れ先で 売り場にあった商品を 見つくろい、上司の意見も聞いて


仕入れの数を決める。上司が 得意先と 話をしている間、


私は 膨大な 商品の山を 見てあるいた。


自分の 会社には 無い商品も、「ああ、こういうものを主にする会社もあるんだな」と


色々なものを見るのは面白かった。


それに 職場でお客から 問い合わせが来ても、「あ、あれだ」とわかるので、



「当店には在庫がありませんが、お急ぎでしたらOO屋さんには在庫があるかと。


お電話で確認しましょうか?」と応対ができた。


お客をよそに流すような行為だが、商品の情報が得られるとなれば、


また そのお客は 来てくれるはずだと私は思った。


私が 倉庫の中で 遊んでいるうちに、上司は 「今から帰るか」と


駐車場に行き、必ず途中で いきつけの飲食店に立ち寄ってくれた。


そこでは 上司は 上得意らしく、営業時間内は勿論、


「準備中」でも ドアを開けてくれた。


2人で 囲んだ 食事の数々。忙しい時間をわざわざ割いて、


立ち寄ってくれたお店。


もう 何十年も前の事だけれど、食べた物の味や、厨房のご主人の声、


食事をする私を見つめていた上司の顔を、今でもはっきり思い出す。









自閉っ子のための道徳入門
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言葉の遅れや発達

2018-10-22 19:33:48 | 言語・言葉
お子さんの発達で、皆さんが 特に気になさるのは「言葉」ではないかと思う。


健診や その他の場所でも 必ず調べられるし、


遊びの場ですら、「言葉の発達が早い子」が 注目を浴び、


時には他の子のリーダーになったりもする。


場に会った、年齢相応の言葉の理解、そして会話ができるかどうか、が


子どもの品定めになっている場面を見ると、心が痛む。


私自身は、話し言葉の遅れはないが、人との会話、特に


家族以外の人との会話や、子どもとの会話は苦手で


何も 話せない事が多かった。


文字を読むことは 早くからでき、「この子は教えもしないのに字が読める」と


父親が喜んで 本を買ってくれた。読み書きの能力は 同じ年頃の子どもより


早かったけれど、話し言葉は からきしだめだった。


母親や 他の大人に 何かの説明を求められた時。


集団の中での一斉指示が、自分にも向けられている事が長い事わからなかったし、


わかるようになっても、自分が何をすればいいのかは、聞いた言葉からは


読み取れなかった。


会話が 成り立たない子でも、言葉を理解できていないとは言えないし、


会話ができていても、「Aと言われたらB]というように


パターン化して 覚えた言葉で 乗り切っているだけの子もいる。


私の長男は、文字には 慣れても、家族以外の人との会話が苦手だった。


次男は、文字も読めないし、会話も 成り立たず、私が 次男の動きや


表情、意味のある言葉だとは 他の人が気づかない「意味不明な発音」から、


意思を 汲み取って 他の人に「通訳」をした。


次男が 「自分の名前」や 「物の名前」の発音ができるようになっても、


私は 手放しでは 喜ばなかった。次男には、それは「単なる音」でしかなくて、


まだ「言葉の芽」にすらなっていない事がわかっていたからだ。


単語や 二語文、あいさつの言葉も 自動ドアの前に立てば開くのと同じで、


次男にとっては 反射的に「この時はこの音を出す」という行動に過ぎなかった。


それを 見抜いていたのは 私だけで、健診の場でも、小児科医に相談しても、


「これだけ話せて、何が心配なんですか?」と言われた。


話しているように見えるだけ、という事は 誰も気づかなかった。


逆に「言葉がない」「言葉が遅い」と 言われるお子さんと一緒になった時、


その子たちの いきいきした表情や 身体表現や目線に注目する事なく、


「言葉(音声言語)」にだけ こだわる親御さんを見て不思議に思った。


部屋に入ってきた 私達親子に さっと視線を向け、


緊張した様子になり、目をそらし、別な方向へ行き、「嫌だ」「知らない人だ」という


音声以外の言葉を 私に投げかけてくれた。


興味を持って 関わろうというお子さんは、私の上着の裾に触ってみたり、


そーっとこちらに近づいてきて、私が 動くと 一歩下がりながら、


(おばさんこわくないね)という顔をして、目を合わせてくれた。


その子たちが「言葉が無い子」と呼ばれ、言葉を話す事ができるように見える次男が


「言葉のある子」といわれる事に、違和感を感じた。


音声言語でのつながりだけを、コミュニケーションだと思う人が


大多数である事は、あの頃から 変わっていないように思い、


悲しくなる。






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