多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

10年前のわが家の息子達

2018-12-20 09:11:33 | 特別支援教育
10年前、兄ちゃんは 通信制高校の学生だった。バイトを始めていたかどうか、


定かな記憶がないが、せっせと勉強し、着々と単位を取っていたのは確かである。


義務教育中に、不登校を何度も経験し、中学校は 半分も登校できなかった。



「不登校でいるよりも、支援級に入りませんか」


学校からの 再度の介入を、私は拒否した。学校からの家庭訪問も、お断りし、


時間を割いて 学校に出向いた。


自閉っ子が支援級に在籍していたから、支援級の意義や目的はわかっている。


知的な障害がなく、「不登校」というだけで 支援級を利用するのは


おかしいと思ったし、授業の見学もしたが、兄ちゃんが満足できるものではない。


人手も足りていない。本当に支援が必要なお子さんが利用すべきだと


思ったので、丁重にお断りしたが、


「支援級の先生方も、受け入れてもいいとの考えです」と


かなり しつこかった。兄ちゃんにも在籍している生徒さんにも先生にも


メリットがないと思ったので 結局不登校のまま、卒業式だけ参加して


卒業証書を受け取って 終わり。その後 一年ほど家に居て、


自主的に通信制高校への進学を決めた。


自閉っ子は まずハンディが 複数あり、普通級へ入っても


お客さんになって 何もメリットがないように思った。


何かあっても 先生や クラスメイトの手を借りる事が多いだろうし、


そこで 自閉っ子に甘え癖がつくのを渡しは恐れた。


「みんなと一緒に(普通級へ)」と 周囲から言われたが


まず 睡眠障害や偏食、体力の改善が先である。


支援級に通おうが、普通の暮らしをしているし、遊び友達に


事書くわけでもない。支援級で 身辺自立と体力作りをし、


学習については 基本先生にお任せしつつ、送迎の時間や生活の中で


プリント学習ではできない我が家流の修行を続けた。


普通級の中で 最下位の状態の兄ちゃん、


支援級の中で 最下位の状態だった自閉っ子。


その後自分で 自分の進路を考えるようになり、


どちらの子も周囲が予想もしなかった 進路を選び、


それぞれ 満足して生活している。兄ちゃんには支援教育は必要なかったと思うし、


就学時の自閉っ子の状態で、普通級に入れていたら 多分療育を勧められただろうと思う。


知的障害、自閉症、弱視、虚弱。これだけ揃っていて 支援級でも最下位で、


よく頑張ってくれたなあと思う。でも 特別支援教育にOKは出せない。


自閉っ子は 支援教育を受けながらも、自主性は失わなかったし、


自分らしさも持ったまま、いきいき過ごす事ができたけれど、


同じ環境にいた 子ども達の予後が、あまりに違いすぎるからだ。


自閉っ子より 体力も 身体能力も 知能も 上のレベルに居た子ども達が、


その能力を活かせずに 生活していると聞いて 本当に残念に思う。


わが家の子どもたちの事を、「変な成功例」と呼ぶ 支援者の人たちに、


「子どもの人生を めちゃめちゃにするのが 特別支援教育の目的ですか?」と聞きたい。


本来の 教育とは、子どもを伸ばす事、その子の資質を開花させることではないのだろうか。


どう考えても、解せない話である。









10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!―「幸せになる力」発見の日々
クリエーター情報なし
花風社

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (シフォン)
2018-12-20 11:09:01
いつも拝見させていただいています。
我が家に向けてエールをいただいているような気持ちでコメントさせていただきました。
親も色々迷い、通えないよりは・・・
何がこのこにあうかはわからない。利用できるものは使わせていただこうと支援級選択しましたが、停滞していること=それがこどものこたえだと思います。
登校不安定のまま一般級にもどりたいというのは、先生方に「もっと悪くなるかも。」「心配。」「ひきこもりになるかも。」「おかあさんも心配。」と言われながらも、保護者の責任として全うしようと思います。
こどものことをしっかり見ながら、こよりさんのお宅のように意思(自主性)をもったこどもに成長することを願います。
自主性があればなんとかなります (こより)
2018-12-21 07:59:48
親子といえども、別の人格ですし、親が良いと思った事でも子どもがどう受け取るかはわからないですね。

私は自分が選択した事には責任を持つ、というのが基本姿勢です。子ども達が育つ過程で私がした選択が最良だったかは、子ども達が判断する事ですし、多分不満もあったと思います。

でも一定の年齢になってからは、自分たちで納得のいく決断をそれぞれしてきましたし、今は「お袋はしかたないなあ」と私ができない事をカバーしてくれるようになりました。

子どもに万全な環境を準備する事はどのご家庭でも不可能でしょうし、「我が家はパーフェクト」だと思う事もまた危険だと感じます。

わが家は「親も子も人だからヌケがあって当然」と思いつつ来ましたが、大きなヌケも補い合いつつ、いつしか子ども達は親を越えて新しい世界を作っていきました。

シフォンさんのご家庭のご事情は我が家とは違うと思いますが、お子さんへの思いが伝わってきました。

シフォンさんもお子さんも、良い道がひらかれますように。

コメントを投稿