私の家族で、歩き出すのが一番遅かったのは、自閉っ子である。
歩き出した後も、ひょろひょろ よたよたの状態で、
まっすぐ歩けなかった。
知能指数が 一番低いのも 自閉っ子である。
他にも 障害があり、発達・発育も遅かった自閉っ子であるが、
私は 自閉っ子が そのままの状態でいるとは思わなかった。
子どもは 育つものだから、将来どうなるかなんて誰にもわからない。
大勢の子どもを見てきたプロとはいえ、うちの子どもを見るのは
初めてという人が、「この子の将来はこうですよ」と 何とかのデータを元に
断言しても、私は意に介さなかった。
今できない事や苦手な事が、将来もすべて無理だと断言できる神経が
わからなかった。
私は 家庭の中で、よそのお家より少ない時間ではあったが、
遊びや 家事や、その他の家族との交わりの中で、
自閉っ子や 兄ちゃんの 発達のヌケを 補うような
関わり方をしていった。子ども達は 自分の好きな事を
思う存分やりながら、苦手な事にも挑戦した。
歩くのもおぼつかなかった自閉っ子は、学校で一番足が速くなった。
立ち仕事をフルタイムでこなした後に、駅から家まで歩いて帰る事も
しばしばである。弱い子だ、と思い込んで 歩かせる事を避けていたら、
こんな力がある事に 気付かなかっただろうと思う。
計算は苦手で、テストの点数も悪かったが、生活の中で
重さや 距離や 時間といった概念を教えていくうちに、
買い物や 乗り物の運賃の計算、人の年齢差など
実際の生活で 必要な計算は できるようになった。
テストの点だけで、「計算ができない」と決めつけなくて
良かったと思う。難しい計算問題はできないが、
手持ちの現金で、運賃や 食事代などの予算を立て、
友人と出かけて帰ってくる事はできる。
高等特別支援学校の 説明会の時に、
「当校では、受験生の知能は合否の判定には関係ありません」と言われた。
もちろん筆記テストはあったが、体力や 言語力、集団での適応能力、
作業の能力、様々な点から 判断して合否を決めると言われ、
自閉っ子は 知的にはおそらく 受験生の中では 最下位に近いだろうが、
合格の可能性はゼロではないと思った。
無理だと思う、と周囲からは言われたが、受験して合格し、
3年間の学校生活をし、何度も実習や面接に行きながらも
簡単には 内定がもらえなかった自閉っ子。
内定をもらう時期は 遅かったけれど、今は 職場で
頑張って働き、余暇を楽しんで過ごしている姿を見ると、
「この子の限界はここまで」というラインを勝手に引かないでよかったと思う。
自閉っ子や兄ちゃんが 「やりたい」という事を尊重し、手助けはしたが、
努力をしたのは 本人たちで、私ではない。
私がしたのは 本人の望みをかなえるのに不都合な所、
体の 発育や発達のヌケを 生活の中で 埋める関わり方を
私のやり方でしてきただけである。
子育ての中で、様々な人との出会いがあり、私にも気づきがあり、
子ども達も 人との関わりの中で成長していった。
花風社の 浅見さんとの出会いを発端に、
神田橋先生や 愛甲修子さん、栗本啓司さんたちとの関わりができ、
私自身も 心身の状態が 大きく変わったし、私が変わった事で
息子達はもちろん、夫にもいい変化が起きた。
夫も 私も、息子達も、毎日楽しく過ごしながら、
自分と家族の成長を 互いに喜びながら 生活していこうと思う。
歩き出した後も、ひょろひょろ よたよたの状態で、
まっすぐ歩けなかった。
知能指数が 一番低いのも 自閉っ子である。
他にも 障害があり、発達・発育も遅かった自閉っ子であるが、
私は 自閉っ子が そのままの状態でいるとは思わなかった。
子どもは 育つものだから、将来どうなるかなんて誰にもわからない。
大勢の子どもを見てきたプロとはいえ、うちの子どもを見るのは
初めてという人が、「この子の将来はこうですよ」と 何とかのデータを元に
断言しても、私は意に介さなかった。
今できない事や苦手な事が、将来もすべて無理だと断言できる神経が
わからなかった。
私は 家庭の中で、よそのお家より少ない時間ではあったが、
遊びや 家事や、その他の家族との交わりの中で、
自閉っ子や 兄ちゃんの 発達のヌケを 補うような
関わり方をしていった。子ども達は 自分の好きな事を
思う存分やりながら、苦手な事にも挑戦した。
歩くのもおぼつかなかった自閉っ子は、学校で一番足が速くなった。
立ち仕事をフルタイムでこなした後に、駅から家まで歩いて帰る事も
しばしばである。弱い子だ、と思い込んで 歩かせる事を避けていたら、
こんな力がある事に 気付かなかっただろうと思う。
計算は苦手で、テストの点数も悪かったが、生活の中で
重さや 距離や 時間といった概念を教えていくうちに、
買い物や 乗り物の運賃の計算、人の年齢差など
実際の生活で 必要な計算は できるようになった。
テストの点だけで、「計算ができない」と決めつけなくて
良かったと思う。難しい計算問題はできないが、
手持ちの現金で、運賃や 食事代などの予算を立て、
友人と出かけて帰ってくる事はできる。
高等特別支援学校の 説明会の時に、
「当校では、受験生の知能は合否の判定には関係ありません」と言われた。
もちろん筆記テストはあったが、体力や 言語力、集団での適応能力、
作業の能力、様々な点から 判断して合否を決めると言われ、
自閉っ子は 知的にはおそらく 受験生の中では 最下位に近いだろうが、
合格の可能性はゼロではないと思った。
無理だと思う、と周囲からは言われたが、受験して合格し、
3年間の学校生活をし、何度も実習や面接に行きながらも
簡単には 内定がもらえなかった自閉っ子。
内定をもらう時期は 遅かったけれど、今は 職場で
頑張って働き、余暇を楽しんで過ごしている姿を見ると、
「この子の限界はここまで」というラインを勝手に引かないでよかったと思う。
自閉っ子や兄ちゃんが 「やりたい」という事を尊重し、手助けはしたが、
努力をしたのは 本人たちで、私ではない。
私がしたのは 本人の望みをかなえるのに不都合な所、
体の 発育や発達のヌケを 生活の中で 埋める関わり方を
私のやり方でしてきただけである。
子育ての中で、様々な人との出会いがあり、私にも気づきがあり、
子ども達も 人との関わりの中で成長していった。
花風社の 浅見さんとの出会いを発端に、
神田橋先生や 愛甲修子さん、栗本啓司さんたちとの関わりができ、
私自身も 心身の状態が 大きく変わったし、私が変わった事で
息子達はもちろん、夫にもいい変化が起きた。
夫も 私も、息子達も、毎日楽しく過ごしながら、
自分と家族の成長を 互いに喜びながら 生活していこうと思う。
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