多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

求める愛と受けられる愛

2017-10-12 08:50:27 | 愛着障害
私は 母親との関係が 良くなかったので、


結婚して 親元を 離れた時は、何とも言えない解放感があった。


夫は 無口で 愛情表現も下手で、そもそも


お見合いして 会って3回目くらいで 


「結納の日取りは」というような 話になって


結婚式場を 決めて その後は


会うたびに 結婚式その他の 打ち合わせばかりだったので、


2人で 何かしたとか そういう思い出もあまりない。


私も 夫も 結婚は決めたものの、「結婚式」には


興味が なかったので、双方の両親と 仲人さんの話をふんふんと


聞くだけであった。


新婚旅行も お互い そんなに慣れてない間柄なので、


わいわい楽しむような旅行ではなく、


ただ一緒にいる、というような 感じだった。


タクシーの 運転手さんにまかせて 名所をまわり、


夫は 行く先々で あちこちにくばるお土産を


リストを見ながら 買っていた。


私は ここの名産は何だとか、


そういうことも知らない。実家に居る時は


親の 故郷に行くくらいで 旅行など経験がないので、


夫に くっついて いるだけである。


夫が あれこれ 買い物をし、支払いをしたところで、


お店の人が 「奥様の お好きなものを何か お選びになったら」と


夫に 声を掛けた。


夫も 何を選んだらいいかわからず、私も わからない。


お店の人が「これは いかがですか」と


ネックレスと イヤリングのセットを見せてくれ、


夫が「これにします」といい 私に 渡してくれた。


私は 宝飾品の類は あまり好きではなかったが、


夫が くれたものだし、と受け取った。2・3度使ったが


その後は 箪笥の中である。


ブランド品でもなく、それほど高価なものでもないが、


新婚旅行の 思い出の品である。


私が 母に 求めたものと、母が私に与えてくれたものも


同じように 差異があり、子ども時代の私は


満足できなかったけれど、


親と離れて 夫という 配偶者と暮らし、


夫との生活の中で 知らず知らず


今まで 得られなかったものを 与えられて、


変わっていけたように思う。


夫は 具体的に 何かをしてくれたわけではないし、


外的にみたら、私が 夫や その家族に


してきた事が 多かった。でも それ以上に


私は 夫から 有形無形に関わらず 大きなものを受け取ったと


感じているし、今 一緒に 暮らしていけることが ただうれしい。


夫には 理想の結婚ではなくて、愚妻との暮らしで


気の毒だと 思うけれど、いつか


夫から 「お前と暮らして 大変だったけど まあ それでも


これは よかったな」と 何か 一つでもいいから


ほめてもらえる日が来たらいいなあと 思う。


自分が 求めたものが すべて手に入る人生は どこにもないと


思うけれど、私は 夫という 伴侶に巡り合えたことが


一番 大きな幸せだし、人生の転機になったと


振り返って思う。



















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私のイヤイヤ期その後

2017-09-22 20:10:26 | 愛着障害
幼児期に、「イヤ」と 言えなかった事を 知らず知らず


引きずっていました。そして その「ヌケ」を 取り戻すべく、


私は 心身共に 「イヤイヤ期」に 入っています。


最初は 夫に 様々な人、特に親や 幼い時に関わった大人の姿を


投影して、やたら 八つ当たりしたりしていました。


夫も辟易して 「お前は何が気にいらないんだ?」と


聞かれ、自分が イヤイヤ期にいるんだなあ、と


感じた次第です。


その後 大きな 爆発は 起きていません。


先日 通院先の病院が 移転しました。


場所もすぐそばで わかりやすく、迷うこともないのですが、


「移転のお知らせ」を もらってからも、診察に行こうとしても


足が止まります。薬が切れかけて 限界、と言う日に


ようやく 病院へ行きました。そばを何度も 他の用事で通っていても、


その病院には 行く気が 起きませんでした。


出掛けた日。病院のある ビルの入り口の階段で足が止まります。


移転前には 無かった 入口の階段。


抵抗を感じるのは 自閉症のこだわりや 変化への弱さではない気がします。


感じるのは 「何でここに階段があるの?」という 疑問です。


幼い子が 「何で?何で?」と 質問を 繰り返す、そんな感じに似た感情です。


大人の 私が 通りかかる大人をつかまえて質問するのは 


おかしなことです。ですが 私の中の 「小さな子」は


答えを求めて 立ち止まっています。


私は ビルに入る他の人の じゃまにならない場所によけて、


「自分が 知らないうちに なぜ 入口に階段ができたのか 知りたいよね」と


小さな自分に 声をかけ、少し時間をかけて ビルに入りました。


病院の内装も 変わっています。


ソファの色も、壁の色も。


私は 探し物をするふりをして、すみっこの席へ行き、


しばらく 時間をかけてから、受付へいって 手続きをしました。


ポーチに入れた筈の 診察券がありません。


「診察券が見当たりません」と 言って 番号札をもらいました。


久しぶりなので、検査の後 診察です。


検査室も 器具の位置が違うし、新しい機械も入っています。


指示に従いつつも、何となく違和感。


検査が済んで 結果が出てから 診察室へ。


先生に 来なかった間の経過等を 報告して、


無事 診察終了。


待合室に戻ったら、看護師さんが


「忘れ物ですよ」と 持ち物を届けてくれました。


しばらく待って 会計をすませ、処方箋をもらって


バッグを開けて ポーチに 保険証を入れようと開けたら、


さっきは なかった「診察券」が ちゃんと ありました。


見当たらなかったのではなく、私が 多分「出したくなかった」のだという気がしました。


「思うようには 動いてやらないぞ」という 反抗でしょうか。


診察室での 忘れ物も、「だだこね」の代わりのように感じました。


こうやって 少しずつ「ヌケ」を 埋めているのだなあ、と思いました。








愛着障害は治りますか? 自分らしさの発達を促す
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愛着障害

2017-07-27 08:44:03 | 愛着障害
子どもが 愛情豊かな親に育てられて、すくすく育つのが


理想かも しれないけれど、


何を 愛情と するのかは 人によって 判断が分かれるだろうし、


親が「愛」と思っていても 子どもは そう思わないかもしれないし、


難しいだろうなあと 思う。


私自身は 母親との 関係が 決していいとは いえない環境に育ったけれど、


育つうちに 両親もまた その親から 十分な 愛情を


与えられなかったこと、物質的経済的に 恵まれなかったことを知り、


そういう二人が 家庭を持って 生活していくだけでも


精一杯だっただろうなあと思うようになった。


きょうだいの中で、私は 親に限らず 大人から見て


「問題児」であったし、可愛げの無い子だったから


あちこちで 疎まれたし いじめにもあった。


その中で 社会には 「自分たちと違う」人を


攻撃してくる人が たくさんいるという事を学んだ。


障害に限らす、出自や 国籍、病気、経済状態、 その他もろもろ。


そういうことを 自分の生活の中から 幼い時に知ることが


できたのは 良かったと思う。


障害のある子を 授かってショックを受けた、という方の


話は 何度聞いても 私には理解ができない。


人生は 自分の予想外の出来事の連続なので、


結婚してみたら 思っていたような人じゃなかったとか


子どもを 育てるのが 大変で 嫌になったとか


そういう話を聞いても 


私には どうも ピンとこない。


私は 障害や 病気を多数抱えているけれど、


障害も治ったし、病気も 完治したものもある。


まだ 不便なことは たくさんあるけれど、


悩んでいても 楽しくないし、


今日一日 心置きなくすごすことが


毎日の 目標である。


今日は お天気が悪く、夜中から 関節の激痛に


悩まされ、トイレにも行けず困っていたのだけど、


なんとか 起きることができ、トイレにも行き、


食事もできたので うれしい限りである。


痛みはあるものの、動くことはできるので、


これから何をしようか 考え中である。


お盆が 近いので、実家への お供えを 見つくろってこようかなあ、と


思う。


父が好きだったものと、母も使えそうなもの。


小さな箱で 二つ贈ってもいいし、いいものがみつかるといいなあ。


父も母も 私には さぞ手を焼いただろうから、苦労させたことを


おわびしつつ、死なせずに 育ててくれたことに感謝である。


両親に 命をもらい、早産で 死にかけた所を


たくさんの医師に助けられて その後の何度かの危機を


乗り越え、今 元気(気持ちだけは)に生きている。


過去に内臓だけで 4回手術をしたので、もう 内臓系の手術をしようにも


癒着や その他の部分の弱さを 考えると


切ることができないそうなので、


「お願いだから もう 内臓の病気はしないでね」と


言われている。しないでね、と言われてそれがかなうかは


私も確約できないが、言霊というものがあるので、


私も 「眼や脳や関節の手術は大丈夫ですが、内臓だけは


手術しないで済みますように。先生が困る事がありませんように」と


願っている。


前回の 手術の時は


医師の 苦渋の選択で、「女性は なるべく傷口狭くして


目立たないようにするんだけど、そんな事言ってたら死んじゃうから


前の傷3つを避けて、縦に 大きく切らせてね」という事で


私は 一も二もなく同意したのだけど、ご本人が嫌がったり


パートナーが 体に大きな傷をつけないでほしいと 言い出したりして、


同意書が 取れなくて 困ることが しばしばあるそうだ。


夫は 病院が嫌いだし、先生との話を早く切り上げたかったので、


速攻で 同意書にサインして 捺印してくれた。


私は 同意書以前に 「今後の 内臓の手術不可能」だそうなので、今後


切ってもらえるとしたら 死んで献体するときになるんだろうなあ。


生まれてすぐから 大病して


あっちこっち 病変があるから、


献体のし甲斐もあると いうものである。


多分 私の 脳は 良い研究材料になるんじゃないかなあ。


脳の 障害と 病気が けっこうあるし。


夫や 子どもたちに そのことも 伝えておかないとなあ。


一番 残念なのは、その病変を どうがんばっても


本人である私は見られないのと、解剖結果の解説を


聞けない事である。あー、残念だあ!見たい!聞きたい!


多分 面白い結果がでるだろうになあ。


葬儀で よく 故人の人柄やら 思い出の写真なんかが


出るのを見るけど、


私は できれば 主治医全部呼んで、


過去の病気の記録と 解剖結果ってのを


見てもらいたいなあ。


内科医と てんかん専門医、


眼科医と 整形外科医その他、多くの主治医が集まって


「へー、話では聞いてましたが こことここの


病変は 私の 治療と関係ありそうですねえ」とか


話に花が咲きそうである。


でも 私より先に 主治医が亡くなったり


外出もできないようになってたら 来てもらえないしなあ。


どうでもいい事が次々頭に浮かぶ私である。





























愛着障害は治りますか? 自分らしさの発達を促す
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愛着障害の負の連鎖を止める

2017-06-20 08:43:44 | 愛着障害
私は 胎内・出生後とも 状態がかなり悪く、


母とは 何か月も離れて過ごしたうえ、


ようやく母を 認識しだした時に 母が次の子を妊娠し、


大事を取って 入院したため、親元を離れて過ごすことになった。


親戚の家を転々とし、


母が 無事 出産し 落ち着いたころに


父が 迎えに来てくれた。


父の事は 認識していて、素直に


「お父さん」について帰ったのだが、


家に帰ると


「知らないおばさん」と「知らない 赤ちゃん」がいる。


「お母さん」とは 認識できず、(私は相貌失認である)


「おばさんも ここの家の人?」と尋ねて


母を 茫然とさせた。


そんな子どもを 可愛がることのできる人は 少ないだろうし、


しかも 発達凸凹で 変なことばかりしでかすのだから、


母が きょうだいを 可愛がってばかりいいたのも


納得がいく。


私が 自分が「高機能自閉症」かもしれない、と


思ったのは 12歳の時に 「自閉症」その他の 精神医学の本を


読んでからで、それまでは 自分が何かおかしい、と


思ってはいたけれど、原因がさっぱり わからなかった。



「ああ、私は 自閉症なんだ!」とわかって


腑に落ちたし、その後も精神分析やら 心理学の本を読み


自分と母親との 関係を 見直すことが


じぶんなりにできた。


学校でも いじめにあったり あれこれあったけれど、


「大人になれば 自由になる」と思い、


働くようになってからは 本当に 楽しい時間を過ごせた。


結婚してからは 夫やその家族の世話に追われ、


慣れない事もたくさんあったけれど、


自分で選んだ 環境なので、その場その場で 


できる努力を していくのが 楽しかった。


特に 発達凸凹の 息子達を授かってからは、


うれしいし 育てるのが楽しいしで、充実していた。


「苦労したでしょう」「大変だったでしょう」と 言われるが、


結婚して 得られたもののほうが 大きかったし、


自分の家族や子どもの世話なので、どの人も


してることなので 自分だけ大変だとは 思いもしなかった。


その生活の中で、役に立ったのは、読書の習慣と、


経験を積むこと、いわば「修行」であった。


「苦」と思えば苦しいばかりだが、「修行」と思えば


自分の訓練の場なので 自分の力の見せどころ、であるから


やる気もでる。そのうちにそんなことも感じないくらい、


「修行=生活」になっていったので、


何も 考えずに 体が動くようになっていた。


家族の愛着障害を それときづかず ほぐすうちに、


自分の 愛着障害も 無くなっていったし、


負の連鎖を 私が 止める事ができたことで


母親との関係も 改善したし、今は気楽に行き来し


話ができるようになっている。



親を含め「OOのせいで こうなった」と人を責めるより、


「自分はOOの影響から 抜けて 本来の自分に戻ろう」と


思う方が 結局は 自分も相手も 楽になると思う。


私の 子どもたちに 愛着障害が あるかどうかは


私は 興味がない。私という未熟な親に育てられて


満たされなかった分は 自分たちで 


他の環境や 人間関係の中で 満たしていってほしいと思う。















 







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