多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

わが家のSST、対外編

2019-01-31 08:33:15 | 特別支援教育
わが家のSST記事、たくさんの方が興味を持ってくださったようで、驚いています。

きまぐれに書いたものが、お役に立って嬉しいです。


子ども達が 家で過ごした頃は、あくまで「わが家」のSSTでしたが、


入園を機に、「わが家ではなく 対外編」の必要性も出てきました。


保育士さんから見て「???」である 子ども達の行動にも、理由があるのだという事、


そして 子ども達にわかる方法で 伝えてくれれば 保育士さんの意思も


子ども達にわかる、という事を こつこつ伝えていきました。


兄ちゃんのほうは、言葉が流暢な分、園であった事を私に話す事もできましたが、


自閉っ子の場合は 状況の把握が本人もあやふやで、言語化も難しいので


保育士さんとは 送迎の時に 密に連絡を取りました。


時には 園で 時間を取っていただき、園長先生や 主任の先生とも


話し合いをしました。


園で 先生方が困っていた事は、


「何度言っても わからない、覚えてくれない」という事でした。


それは 支援者の世界では、「発達障害ゆえのこだわり」でくくられて終わってしまう事でした。


私は 子ども達がなぜ同じことを何回言われてもわからないのか、が


一瞬で 理解でき、その場面で起きた事が 頭に浮かびました。


「他の お子さんなら、一回、あるいは数回言われたら、状況判断ができると思います。


でも、うちの子は(今 言われた事)が明日もこれからも続くルールだと理解できてないと思います。


(OO先生から言われた事)は、OO先生がいる時にはできても、他の先生の前ではできません。



(ブランコ遊びの時に教えてもらったルール)は、ブランコ遊びの時にしかわかりません。


先生のいう事を無視しているのでもなく、わがままでしているのでもありません。


理解する力はあっても、場所限定、人限定です。


お手数をおかけしますが、子どもが間違った事をしたら、何回でも教えてやっていただけませんか?」


ああ、と言う顔をした先生がいた。


「OOちゃんが 絵本を持って、いつも同じ椅子に座るんです。


その椅子がなかったり、他の子が使っていると、泣き出して大変です。」


「一番最初に どなたか(椅子に座って 本を読もうね)と説明してくださったと思います。


その時に(椅子)が 子どもの中で固定されてしまったと思います。


子どもに、他の椅子を見せて、(これも椅子です。本を読むときは この椅子に座ってもいいです)と


説明してください。多分座れると思います。」


「いくら止めても、他の部屋に入っていきます。」


「何の部屋ですか?」


「職員室です。」


「うちの子が 一番最初に 職員室に入ったのは 何の時からか、


わかる方いますか?」


「わかりません。」


「先生が 子どもに声を掛けて、一緒に職員室に入った事、過去にありませんでしたか?」


「???」


「一度でも 入らせてもらったら、(しても良い事)だと思い込んでしまうので。


お手伝いとか ケガの手当てとか、そういう事なかったですか?」



「ああ、あります。お手つだい、ありますあります。」


「傷の消毒するときに、場所が無くて 職員室でした事あります。」


「行こうとしたら、止めてください。(職員室は、先生と一緒に行きます)


(OOくんは ことり組のお部屋に行きます)と声かけてください。


(だめです)(いけません)だと、本人は何を叱られたか、どういう行動をしたらいいか


理解できないので。」


先生や 他のお子さんが 困るような状況は、報告してもらい、その都度


こうやって 伝えたり、子どもに直接教えたりした。


「どうしてこんなことをするんだろう?」と 途方にくれていた先生方が、


「こういうことだったのか!」と 対処してくださってから、


園での生活は、とても楽になった。




























10年前のわが家の息子達

2018-12-20 09:11:33 | 特別支援教育
10年前、兄ちゃんは 通信制高校の学生だった。バイトを始めていたかどうか、


定かな記憶がないが、せっせと勉強し、着々と単位を取っていたのは確かである。


義務教育中に、不登校を何度も経験し、中学校は 半分も登校できなかった。



「不登校でいるよりも、支援級に入りませんか」


学校からの 再度の介入を、私は拒否した。学校からの家庭訪問も、お断りし、


時間を割いて 学校に出向いた。


自閉っ子が支援級に在籍していたから、支援級の意義や目的はわかっている。


知的な障害がなく、「不登校」というだけで 支援級を利用するのは


おかしいと思ったし、授業の見学もしたが、兄ちゃんが満足できるものではない。


人手も足りていない。本当に支援が必要なお子さんが利用すべきだと


思ったので、丁重にお断りしたが、


「支援級の先生方も、受け入れてもいいとの考えです」と


かなり しつこかった。兄ちゃんにも在籍している生徒さんにも先生にも


メリットがないと思ったので 結局不登校のまま、卒業式だけ参加して


卒業証書を受け取って 終わり。その後 一年ほど家に居て、


自主的に通信制高校への進学を決めた。


自閉っ子は まずハンディが 複数あり、普通級へ入っても


お客さんになって 何もメリットがないように思った。


何かあっても 先生や クラスメイトの手を借りる事が多いだろうし、


そこで 自閉っ子に甘え癖がつくのを渡しは恐れた。


「みんなと一緒に(普通級へ)」と 周囲から言われたが


まず 睡眠障害や偏食、体力の改善が先である。


支援級に通おうが、普通の暮らしをしているし、遊び友達に


事書くわけでもない。支援級で 身辺自立と体力作りをし、


学習については 基本先生にお任せしつつ、送迎の時間や生活の中で


プリント学習ではできない我が家流の修行を続けた。


普通級の中で 最下位の状態の兄ちゃん、


支援級の中で 最下位の状態だった自閉っ子。


その後自分で 自分の進路を考えるようになり、


どちらの子も周囲が予想もしなかった 進路を選び、


それぞれ 満足して生活している。兄ちゃんには支援教育は必要なかったと思うし、


就学時の自閉っ子の状態で、普通級に入れていたら 多分療育を勧められただろうと思う。


知的障害、自閉症、弱視、虚弱。これだけ揃っていて 支援級でも最下位で、


よく頑張ってくれたなあと思う。でも 特別支援教育にOKは出せない。


自閉っ子は 支援教育を受けながらも、自主性は失わなかったし、


自分らしさも持ったまま、いきいき過ごす事ができたけれど、


同じ環境にいた 子ども達の予後が、あまりに違いすぎるからだ。


自閉っ子より 体力も 身体能力も 知能も 上のレベルに居た子ども達が、


その能力を活かせずに 生活していると聞いて 本当に残念に思う。


わが家の子どもたちの事を、「変な成功例」と呼ぶ 支援者の人たちに、


「子どもの人生を めちゃめちゃにするのが 特別支援教育の目的ですか?」と聞きたい。


本来の 教育とは、子どもを伸ばす事、その子の資質を開花させることではないのだろうか。


どう考えても、解せない話である。









10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!―「幸せになる力」発見の日々
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