多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

優れた人の感覚

2018-04-12 16:01:15 | 秀でた人
昔、子ども達に 睡眠障害があった頃。家の中に居ても


気分も変わらないだろうし、と 外を歩いた。


夜空を眺めたり、カエルの声を聴いたり。


私たちが歩くと、物音に気付いた生き物が


さーっと逃げていく。あるいは身をひそめて動かなくなる。


子ども達の 体のバランスの悪さや


バグが 治っていった経過は、


「支援者なくとも、自閉っ子は育つ」にあるが、


その本の挿絵や 巻末のマンガで、私は半纏や


ちゃんちゃんこを着ている。


他の挿絵でも、わが家の部屋の様子などが、


まるで 見てきたように 描かれていて、


画家の 小暮満寿雄氏の 「観察力」に 驚かされた。


私は 小暮氏とは 面識はあるが、家の間取りや


普段 半纏だの ちゃんちゃんこだのを 愛用しているなどとは


話していないし、聞かれてもいない。


私の話と、雰囲気、そうしたものから


「ここは こうだな」という風に 描かれたのだろうが、


プロというのは 「うまいだけのアマチュア」とは 違うなあ、と


感服した。


わが家の息子達も、秀でた部分はあるが、それで食べていけるほどの


才能ではないと思ったし、長男も「俺は好きな事は 職業にするより


趣味にしておいて 楽しむ。」と言っていた。


「できる事」と「好きな事」と「自分が望む収入を得られる事」とは


一致しない事の方が多いだろうと思う。


私の周囲には 秀でた人が 何人もいらっしゃるが、そうした人も


「食べていけるだけの利益を上げ、収入を得る」には


才能だけでは できない事がたくさんあったと思う。


人から認めてもらう商品に仕上げて、利益のあがる価格で販売し、


事務的作業その他もこなさなければならない。


成功した人は 華々しく取り上げられるが、その人が


そこまで行きつくのは 楽ではなかっただろうなと思う。
























女性用 久留米織奴型(半袖)はんてん 袢纏 どてら ちゃんちゃんこ (フリーサイズ, No.6)
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意欲と努力

2017-10-09 13:02:00 | 秀でた人
友人・知人の中には、外国から来た人もいる。


仕事で来ていたり、結婚してきたり、事情は様々である。


外国籍の人と結婚した人もいる。


言葉や 文化が違う中での生活をしていくことには


苦労もあると思うが、


皆さん日本の中での 暮らしの中で、


言葉をマスターし、様々な日本での ルールを覚えている人ばかりである。


日本人で、外国籍の方を 伴侶に選ばれた方も、


相手の方の 言葉や 文化を 学びながら、


家庭を築き、お子さんを 育てている方も多い。


両親の 持つ文化の どちらも大切にしながら、


生き生き育っているお子さんを見るのは


楽しいし うれしい時間である。


先日 友人に誘われて、そういう「国際家庭」の方々の


催しに 自閉っ子と二人参加した。


周囲の方は皆 日本語を 理解できる方が ほとんどであるが、


なにしろ 参加者のほとんどが 国際結婚のカップルなので、


外国語が飛び交う。パンフレットをいただいたので、


大体の流れは わかるけれど、


やはり 外国語が 飛び交うので、


自閉っ子が「今 なんていったの?」と 聞いてきても


私の 語学力では おおまかなことしか答えられない。


知り合いの ご家族は 他の ご家族との おしゃべりに


花を咲かせているし、


通訳を お願いできる状態ではなかった。


この人たちも 日本に来たころは


言葉や 慣れない環境に 苦労されただろうけれど、


今は 家庭を持ち、お仕事をされ、


国際結婚のカップル同士、こうやって 集まって


楽しい時間を持っている。


国際家庭の お子さんたちが 歌や踊りを披露してくれ、


大人が 母国の楽器や 歌などを 続けて披露。


皆さん芸達者で、見ごたえがあった。


最後に 抽選会があり、一緒に行った知人が賞品を当てた。


他の 国際家庭の方は 一等賞を 当てたが、


「私は 今日はスタッフとして来ているので、


この商品を 寄付して、他の人にもう一度 チャンスを与えたい」という事を


おっしゃって、開場は拍手喝采である。


再度の抽選で、譲った方の 知り合いのご家庭の方が


当たり、譲られた方も 喜んでいた。


皆さん 故郷を離れて苦労され、


今 日本で 毎日がんばっておられる。


私も 自分を高め、また 家族のために


努力をしていこうと 感じされられた出来事だった。













人間脳の根っこを育てる 進化の過程をたどる発達の近道
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佐々木正美先生との10年間

2017-06-29 03:15:07 | 秀でた人
私と亡き佐々木正美先生との出会いは、



2007年5月13日の日曜日のことでした。名古屋に講演に来られた


先生に、私が 質疑応答で お尋ねしたところ、



先生は 私の 姿や 言葉から


私が 自閉症という事を 見抜かれ(当時は未診断でしたが)


私の 質問に 答えて下さったあと、ロビーで


「あなたは 自閉症、たぶんアスペルガーだと思うので、


クリニックで 診断を受けたほうがいい」という事や


「あなたの 行動や 考えは非常に 興味深いので、


今後もできれば 関わりをもちたいがいいか」という事を


話してくださいました。


その後 すこし 戸惑われつつ、


「あなたの質問は 非常に いいものなので、参考になりました。


あなたからとは わからないように、他の場所で 事例としてあげたり


著書に引用してもいいでしょうか?」と おっしゃいました。


私が 「ご自由にどうぞ」と 申し上げると ほっとしたお顔で


それから 笑顔に なられました。


その後 お付き合いが始まり、


講演に ご一緒させていただき、私の話をさせていただいたり、


子育てについて 話す機会もでき、


先生との 対談や 先生の講演後に 「こよりさん、何か話すことは


ありますか?」と 言われた時などは


言いたい事をそのまま話し、



「先ほど先生は発達障害の子どもや人には具体的に言葉や


構造化を、とおっしゃいましたが、私には 時間の視覚化や


具体的な指示なく(何か 話すこと ありますか)という


視覚化できない あいまいな言葉で指示をされたので・・・(疑いの視線で先生を見つめる)」と


会場を 爆笑させ 先生を困らせ、


その後 佐々木先生の ここは 自閉症の自分としては


納得しかねる、だの あれこれ言いたい放題していましたが


先生は 「長年 学んできた 私でも、当事者の方からの本音を


伺うと まだまだだ、とこの年になっても思います」と


おっしゃり、先生の大学にお招きいただいて


お話したり、あちこちの講演に 同伴させていただきました。


ご病気になられてからも、先生は 講演活動を続けられ、


最後に お会いしたのが 2016年の3月20日でした。以前より


おやせになり、立っているのが お辛いのか、椅子でお話されていた姿と、


会場の隅でその姿を 見守っていらした奥様のお姿が 思い出されます。


私は 単独での 講演や 本の出版などで、先生とは


違う活動を するうち、先生と講演する機会は なくなりましたが、



たまにお会いする機会があると 笑顔で お話して下さった姿が 思い出されます。


佐々木先生とは 子育てに関する 考えが 大きく違うことで


別な道を 歩むようになりましたが、私を 一目で自閉症と見抜かれ、


「当事者の ご意見をうかがえるのは うれしいし 学びです」と


おっしゃってくださったことや 何よりも


私の 今の活動の 最初のきっかけは 佐々木正美先生だったと思います。


私は 先生を 「偉い方」とは 思わず 違うなあ、と思ったら


失礼も顧みず「先生それ違うと思いますが」と 申し上げていたのですが


先生は 「今日も 良い学びをしました」とにこにこしていらして、


御不快な御顔というのは 一度も 拝見したことがありませんでした。


先生は 敬虔なクリスチャンであられ、


御子息の運営するサイトにも 「ぶどうの木」と名前を付けておられました。


「ご冥福」というのは 仏教徒が「冥土で安寧に過ごせますように」という言葉なので、


先生には 「天国で 安らかに お過ごしください」と


お伝えしたいと思います。





 









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秀でた人たちのカン・判断力

2017-06-23 11:36:27 | 秀でた人
仕事でも 習い事でも 家事でもなんでもいいけれど、


「一つ極めた」段階に 至った人の カンや 判断力は


共通するものが あると思う。


私は あちこちの病院に行くので、医師や患者さんや


スタッフの人にもよく会うし、


知り合いが多いので そのまた知り合いとの お付き合いが


始まったりする。


私は 人の顔や名前は 覚えられないが、


たとえば 主婦であったり、学ぶ機会がなかったり、


世間一般から見たら 「賢くない人」と 判断されそうな人のなかに、


素晴らしい資質を発見して 感動することがある。、



何か 一つ 自分の与えられた環境で努力し、


それを 越えてきた人の カンや 判断力は


素晴らしいものが あると思う。


家事なら家事、仕事なら仕事で、「一つの型」を極めた人は


他の部分でも 応用が利くし、


瞬時に判断して 体が動く。



医師でも 「いいお医者さんリスト」なんてのに載ってない


町のお医者さんでも、いい処方をし、


患者が何も言わなくても「OOはどうですか?」と


悪い部分を ぴたっと 言い当てる人がいる。



検査の結果より、患者の顔や 様子の方で 調子の良さを


判断してくれ、数値に振り回されないお医者さんは


とてもありがたい。


専業主婦で、今80代、という方の中にも、


「学歴も 知識もないが 知恵とカンが素晴らしい人」が


たくさんいる。亡くなった夫の祖母は 


かなの読み書き程度の 学力だったが、


聞いた事は 即座に暗記し、


忘れないように カタカナとひらがなまじりで


日記を欠かさず書いていた。


「学ぶ」という事を あきらめなかった稀有な人だと思う。


読めないし書けないが 英語は耳で理解し、


「ぐっもぅにん」「はうあーゆ」とか


簡単な 会話は できていた。


私には真似のできない 資質を持った人だった。



生活の中で、コツコツ努力することで、その人が


気付かずに 身に着けたものだと思うが、


そういう人に 会うたびに、


私も 自分を 高めていきたいと思うし、


その力を 家族や 自分の周囲の人や これから出会う人のために


活かしていきたいと思う。












治療のための精神分析ノート
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