徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

中将湯と中将姫

2024-05-09 20:18:56 | 歴史
 ブログをフォローさせていただいている「りぼんの部屋」さんが、朝ドラ「虎に翼」に違和感を感じるという記事をアップされていた。りぼんさんは「昭和初期の家庭内で女性の生理について大っぴらに会話するなどあっただろうか」という主旨だった。実は僕も見ていて同じことを感じていたのでさっそくコメントを入れさせていただいた。同意を伝えると、りぼんさんからリプライがあり、その中に「ドラマでは、生理痛の時に、三陰交のツボ押しの話は出てくるが、「中将湯」の話が出て来ないのはなぜ…」という疑問を抱かれたようだ。「中将湯」というのは生理痛など女性特有の症状に幅広く用いられる生薬のこと。女性ならではの気付きだと思うが、たしかに「中将湯」は明治26年に発売されたとあり、昭和初期にはかなり普及していたはず。僕らが子どもの頃、あちこちで「中将湯」の看板を見かけたものだ。NHKだから固有の商品名は使いづらかったのかもしれないが、あの会話の流れの中に出て来ないのは、りぼんさんが言われるとおり不自然と言えば不自然だ。
 その「中将湯」は、奈良時代の当麻寺で中将姫(藤原郎女)がこの寺で学んだ薬草の知識から生まれたと伝えられている。中将姫と言えば、当麻寺に伝わる「当麻曼荼羅」を一夜で織ったという伝説がある人物。

 この中将姫をまつる熊本のお寺が金剛寺(熊本市中央区新屋敷)。別名「中将姫」として広く知られている。この金剛寺はもともとわが家にほど近い中坂の登り口にあった。熊本城の鬼門にあたり、かつては加藤神社の別当を務め、熊本民謡「ポンポコニャ」にも唄い込まれたほど栄えていた。明治維新の廃仏毀釈により衰退したが、現在は新屋敷で再興されている。
 この中坂は日頃、僕の散歩コースでもあるが、かつての金剛寺入口あたりに小さな石仏が鎮座している。この石仏、いつ誰がここに安置したのか誰も知らない。僕はこの石仏に手を合わせる度に、かつてこの地にまつられ、そして去らねばならなかった中将姫の身代わりではないかと思えるのである。


金剛寺
【金剛寺のご詠歌】
 極楽を 何処ときけば 金剛寺 中将姫のいます浄土ぞ


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2 コメント

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Unknown (juraku-5th)
2024-05-10 08:02:36
中将姫を祀る寺が熊本にもあるのですね。
ローカルな伝説と思っていたので意外でした。
當麻寺では先祖の追善供養をしてもらっていて春秋の彼岸には出かけます。
地味な寺ですがいいところだと思っています。
ご紹介ありがとうございました。
Re:juraku-5th様 (FUSA)
2024-05-10 09:22:58
子供の頃から「中将湯」や「中将姫」という言葉になじみがありました。
今でも能「当麻」や折口信夫の「死者の書 」などを見たり読んだりしています。

貴ブログにはいつも楽しませていただきありがとうございます。最近では、昔、訪れたことのある湖北菅浦や金沢の記事が印象的でした。

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