徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

父の二十五回忌と「受け念仏」の話

2024-05-19 19:52:12 | 日本文化
 今日は父の二十五回忌。自宅に近親者のみ集まってささやかな法要を営んだ。
 最後に菩提寺ご住職の法話があり、浄土真宗の「受け念仏」についての話があった。大要は次のとおり。
――私の恩師がアメリカのシアトルに招かれて広島県出身の信徒に法話をされたことがある。その時、今日、日本ではほとんど行われなくなった「受け念仏」が300人以上の信徒によって行われ、異常なほど盛り上がった。「受け念仏」とは、説教者のお話の中で、聴き手がいいお話をいただいたと感じた時はその都度手を合わせ「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と唱えること。その信徒たちは広島県からアメリカに移民として渡った人たちの三世・四世の人たちで、父母や祖父母などからそうするように教わって育ったという。日本では既に廃れてしまった宗教的風習が遠く離れたアメリカの地に残っていて感動的だった。――
というお話。ちなみに、今日、お笑いなどで「受けた」とか「受けない」などという「受け」の語源は「受け念仏」から来ているという。

 父が幼い頃、立田山麓の長岡邸(泰勝寺跡)の謡のお稽古で聴き覚え、終生忘れなかった謡曲「田村」を今年も聴いた。