徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

観能記 ~檜垣~

2024-02-26 20:14:53 | 古典芸能
 昨夜はEテレの「古典芸能への招待」で能「檜垣」を見た。熊本ゆかりの能なのだが、これまでナマの舞台はもちろんのこと、テレビ放送で見る機会も無かったので全くの初見である。しかし、謡本「謡曲集」で繰り返し読んで展開は分かっていたし、檜垣ゆかりの地めぐりもしていたので現地を思い浮かべながら見ていた。
 今回は金剛流だったからか、一部文言が違っていたり、最後に付加されたくだりがあったようだ。


この能のモチーフとなっているのは「年経ればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな」という後撰集の檜垣媼の歌

 また、鹿子木寂心の作という説のある次の一節が誰の作なのか、世阿弥が典拠としたものは何だったのかについても新たな疑問が湧いて来た。


さてもこの岩戸の観世音は霊験殊勝の御事なれば」とワキの修行僧が謡う霊巌洞の岩戸観音。


南西は海雲漫々として 万古心の内なり」とワキの修行僧が謡う岩戸山から南西の致景。


ここは所も白川の 水さえ深きその罪を」と檜垣媼が謡う白川のほとり。(右岸に蓮台寺)


値遇を運ぶ足曳の 山下庵に着きにけり」と檜垣媼が謡う山下庵の跡。(前方に岩戸の里と雲厳禅寺)



いったい “能” って?

2024-02-10 23:10:38 | 古典芸能
 ブログをフォローさせていただいているcakeさんが、鶴岡市黒川の春日神社に500年に渡って継承されてきた「黒川能・王祇祭」における神事能をリポートされていた。記事を拝見しながら、演能が行われた公民館はお世辞にも立派な舞台とは言い難いが、本来、能というのはこういうものだったのではないかという思いを強くした。
 ちなみに鶴岡市は加藤清正公・忠広公の終焉の地という熊本市とゆかりの深い町。平成23年の清正公生誕450年・没後400年行事の際には、黒川能(国指定重要無形民俗文化財)が熊本に招かれるなど、これまでも人の往来や文化の交流があった。
 熊本の能楽関係者にとって公立の能楽堂建設が悲願だと何人もの関係者からお聞きした。現在、熊本市内の常設能舞台はすべて神社の所有。しかも客席は野天。たしかに使いづらいこともあると思う。福岡の大濠公園能楽堂のような施設があればと願っておられるのだと思う。公立能楽堂を能楽振興の拠点とし、天候も心配しないで開催できるので喜ばしいことだとは思う。
 能を観るようになって15年が過ぎた。大濠公園能楽堂のような立派な舞台でも観たし、出水神社薪能で土砂降りに見舞われたりもした。正直、屋根付きの能楽堂がほしいと思ったこともある。しかし3年前「翁プロジェクト熊本公演」を観たあたりから、能って立派なホールで観るものなんだろうかと疑問を抱くようになってきた。神仏をお迎えする影向の松。赤々と燃える薪の灯り。月や星の煌めき。鳥のさえずり、虫の鳴声等々。それらが混然一体となって初めて能という芸能は成立するのではないかと思うようになった。時には雨風に曝されることもあるだろう。しかし、それも含めて能なのではないかと思う。「草木国土悉皆成仏」


出水神社薪能(舞囃子)


出水神社薪能(火入れ)


かつて水前寺成趣園にあった土壇の能舞台


土壇の能舞台で行われていた薪能


令和3年3月9日 水前寺成趣園能楽殿 翁プロジェクト熊本公演


旅の衣は篠懸の… ~長唄 勧進帳~

2024-01-30 21:59:46 | 古典芸能
 「勧進帳」というのは、能「安宅」を元にした歌舞伎の演目。僕が「勧進帳」の物語に接したのは、黒澤明監督の映画「虎の尾を踏む男達」が最初だった。テレビで能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」を観たのは、それよりずっと後のことで、「勧進帳」と聞くとまず思い出すのは映画「虎の尾を踏む男達」のこと。「旅の衣は篠懸の、旅の衣は篠懸の・・・」という有名な謡が、ミュージカル風の男性コーラスで始まるオープニングや「虎の尾を踏み、毒蛇の口を遁れたる心地して・・・」と安宅の関を後にして、強力のエノケンが「飛び六法」で消えて行くエンディングなどが忘れられない。
 あらすじは、源義経一行が源頼朝の追及を逃れ、山伏姿に身をやつして奥州への逃避行の途中、加賀国の「安宅」の関を通過しようとして関守の富樫との間で繰り広げる攻防を描いたもの。中でも武蔵坊弁慶が富樫に迫られて白紙の勧進帳を読み上げる場面が有名だ。
 弁慶役の大河内傳次郎、森雅之、志村喬らの山伏、富樫の藤田進、そして映画版で創造されたキャラクターである強力の榎本健一など、名優たちが織りなすサスペンス劇は今でも忘れられない。終戦の昭和20年(1945)にこんな映画が製作されたというのも驚きだ。またこの映画の撮影中には進駐軍関係者の見学が多かったらしく、ある時、そんな米軍関係者の中に黒澤監督が敬愛してやまないジョン・フォード監督が含まれていたらしいが、肝心の黒澤監督は俯瞰撮影のためクレーンの上にいて気づかなかったというエピソードも残されている。


映画「虎の尾を踏む男達」の一場面

 さて、下の写真は一昨日行われた「第57回熊本県邦楽協会演奏会」での「長唄 勧進帳」の様子。毎年、見事な演奏を見せていただく蓑里会の杵屋五司郎さん。卓越した唄と立三味線の技が最も引き立つのがこの「勧進帳」だろうと思う。もう一度映像でゆっくり楽しみたい。


長唄 勧進帳

2024-01-19 21:30:56 | 古典芸能
 母の入院生活は当分続きそうなので、しばらく遠出はあきらめざるをえない。今月は久留米の「久留米座能」やみやまの「大江幸若舞」など楽しみな公演があったのだが今年は断念することにした。そのかわりと言ってはなんだが、近場の熊本市国際交流会館で28日に行われる「第57回熊本県邦楽協会演奏会」はなんとか見たいと思う。
 10演目のどれも見たいのだが、なかでも蓑里会の「長唄 勧進帳」は見ものである。杵屋五司郎さんの立三味線はいつ聞いても絶品。超一流の三味線の響きを楽しみたい。

 この映像は2016年の「第51回 熊本県邦楽協会演奏会」で演奏された蓑里会の「長唄 勧進帳 ~滝流しの合方の部分~」

松囃子と和泉式部

2024-01-05 23:22:31 | 古典芸能
 今日やっとわが家の氏神様である藤崎宮に初詣をした。この日にしたのは正月恒例の松囃子が行われるからでもある。わが家族の息災を願うとともに能登半島地震や航空機事故の犠牲者の鎮魂の想いも込めて参拝した。
 能楽殿での松囃子で喜多流狩野家四代の祐一さんが舞囃子「東北(とうぼく)」を舞った。松囃子は神事だからアナウンスもないしパンフレットみたいなものもないので本当に「東北」だったかどうか定かではない。ただ地謡に「和泉式部」というフレーズが何度か出てきたので「東北」だったのだろう。見ながらふと今年の大河ドラマ「光る君へ」のことを思い出した。和泉式部は主役の一人藤原道長の娘彰子に仕えていたのでドラマに登場してもおかしくない。しかしいまだに登場人物の中に和泉式部の名はない。エピソードの多い人物だから話がややこしくなるのであえて登場させないのか、あるいはどこかで効果的に登場させるのか、展開に注目だ。


藤崎八旛宮


能楽殿での松囃子


狩野祐一さんが舞う「東北?」

三番叟?のような…

2023-07-17 21:35:40 | 古典芸能
 明治中期から昭和初期までの40年間にわたり、日本と日本人をこよなく愛し、その姿を撮り続けたバートン・ホームズというアメリカ人の映像作家がいる。彼が遺した映像は日本の民俗史料として大変貴重なものだ。下の映像もその一つで、1920年代と記されているので大正9年(1920)から昭和4年(1929)までの間に撮影された映像で、まだ子供と思しき二人の芸妓が一人は大鼓と小鼓、もう一人は太鼓を、大人の芸妓たちの三味線、箏、笛、胡弓などと一緒に演奏したり、その後、衣装を着替えて舞を披露したりしている。残念ながらサイレント・ムービーなので曲もわからないし、英語のキャプションにも演目や場所などについての記述はない。
 10年ほど前にこの映像を初めて見て、演奏している曲、舞っている曲が何なのか調べたいと思った。しかし、この映像について解説するような資料は見出せなかった。そこで浅学な僕の限られた知識で推測してみることにした。まず前半の演奏だが、いきなり鼓がリードしているように見え、日本舞踊の出端、例えば長唄「供奴」のような曲かもしれない。後半の舞は衣装や所作から見て三番叟系のように思われる。10年前に撮影した「羽衣三番叟」を見てみたら雰囲気がピッタリのような気がした。




2013.1.2 熊本城本丸御殿 冬のくまもとお城まつり
三味線:今藤珠美と今藤珠美社中
  筝:下田れい子
鳴 物:中村花誠と花と誠の会
振 付:中村花誠
踊 り:ザ・わらべ(中村くるみ・上村文乃)

人間五十年、下天の内をくらぶれば

2023-07-11 22:18:25 | 古典芸能
 福岡県みやま市の大江幸若舞「敦盛」の映像をYouTubeにアップして8年が過ぎ、これまで多くの方々に見ていただいた。その間ご質問をいただいたことも何度かある。最近では「幸若舞」に関するブログなどもよく見かけるようになったが、そんな中に「オヤ?」と思う解説も散見される。その一つが、信長もこれを謡いながら舞ったと伝えられる「敦盛」の有名な詞章
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり」
というくだりのことだ。これは
「人の世における50年は天上界の中で最も劣っている天でも一日にしかあたらない。夢幻のようなものだ」
という意味だと理解しているが、「人間五十年」の読み方について「じんかん」が正しく「にんげん」は誤りという説明をされている方が意外と多い。何か根拠となる史料でもお持ちなのだろうか。
 下のYouTube映像を見ていただきたいのだが、太夫・シテ・ワキの舞手たちは「にんげん」と発音しているし、その下の幸若舞の詞章集である「舞の本」を見ると「にんげん」とルビがふってある。
 また、僕が読んだ史料には「じんかん/にんげん」いずれもありと書かれていた。


奈良絵本に描かれた母衣を着けた敦盛の絵図





幸若舞の詞章集である「舞の本」の「敦盛」の一部

出水神社薪能 4年ぶり⁉

2023-07-10 18:38:44 | 古典芸能
 コロナ禍のため、ここ3年中止された出水神社薪能が4年ぶりに開催されます。
  • 日 時:8月5日(土)18:00~
  • 会 場:水前寺成趣園能楽殿
  • 演 目:能「熊坂」(前シテ 網谷洋志 後シテ 田中秀実)
 能「熊坂」:牛若丸や金売吉次の一行を襲った盗賊熊坂長範が逆に牛若丸に討ちとられる。亡霊となって旅僧の前に現れた熊坂が、牛若丸との大立ち回りを再現、討ちとられた無念さを旅僧に語る。


遊水池のほとりを浴衣姿で能楽殿へ向かう能好き女子


能「熊坂」の一場面(2013年熊本城薪能より)



そもそも歌舞伎のはじまりは

2023-07-09 18:11:41 | 古典芸能
 下の「歌舞伎のはじまり」という文章は、江戸時代前期の万治年間(1658年~1660年)に、浄土真宗の僧侶で仮名草子作家でもあった浅井了意(あさいりょうい)という人が書いた「東海道名所記」の中に出てくる歌舞伎の草創期についての記述である。この頃は歌舞伎の始祖といわれる出雲阿国も既に世を去っていたと思われるが、阿国と生きた時代が重なる浅井了意が書き残した話だけに、とてもリアリティを感じさせ興味深い。
 阿国歌舞伎は様々な文献によれば、大別すると「ややこ踊り」「茶屋遊び」「念仏踊り」の三つが主要な演目だといわれ、一部の題名や詞章が伝えられているだけで、音楽や舞踊についてはほとんどわかっていない。「ややこ踊り」は初期の演目で若い女性による舞踊。狂言小舞などの中世芸能をもとにしたとみられ、小歌と四拍子(笛・小鼓・大鼓・太鼓)の演奏で進行し、まだ三味線は使われていなかったと伝えられている。
 新潟県柏崎市に伝わる「綾子舞」は阿国歌舞伎の面影を最も色濃く残しているといわれているが、芸能史研究家の小笠原恭子氏によれば、「綾子舞」の代表的な曲目である「小原木踊」は、歌舞伎踊を創始する以前の出雲阿国も踊っていたという。


「綾子舞」の代表的な曲目である「小原木踊」は中世小歌にも詠まれている京都八瀬の大原女の姿を謡ったもの。
「沈(じん)や麝香(じやこう)は持たねども、におう(荷負う、匂う)てくるは焼(たき)もの」などの歌詞を持つ。

 中世の狂言小謡「七つ子」を現代の長唄に作り変えたのがこの「歌舞伎踊」。「七つ子」は阿国歌舞伎でも使われたことが分かっている。
「七つに成る子が、いたいけな事云うた、殿がほしいと諷(うと)うた、さてもさても和御寮(わごりょ)は、誰人(たれびと)の子なれば、定家葛(ていかかずら)か離れがたやの、離れがたやの。」と謡う。

南西は海雲漫々として万古心のうちなり

2023-07-06 21:15:22 | 古典芸能
 玉名からの帰り、河内から山越えのルートを通る場合、時々、岩殿山山頂の黒岩から有明海とその向こうの雲仙岳を望むことがある。そんな時、必ず思い出すのが次の一節。


 これは謡曲「檜垣」の冒頭、ワキの僧による名のりの一節である。僧は自らが参籠する岩戸山(岩殿山)周辺の風景を「この上なくすばらしい絶景であり、南西方向に見える海面も天空もひろびろとしてはてもなく、往古の趣きをそのまま心に味わうことができる。」と言っているのである。
 これは世阿弥の創作なのだが、僕が初めてこの地に立った時、まるで世阿弥がこの地に立って謡ったかのように感じられ鳥肌が立つのを覚えた。
 実際には世阿弥が「檜垣」を創作したのは佐渡に流された後らしいのでここへ来るはずもないのだが。謡曲「檜垣」にはその他にも
 この部分が、戦国武将鹿子木寂心の作、いやもっと古い時代の人の作など諸説があり、世阿弥が創作に当たって典拠とするものがあったことが推察される。今後も引き続き調べてみたい。


岩殿山黒岩から遠く有明海と雲仙岳を望む

品川心中

2023-06-20 22:07:04 | 古典芸能
 気になるエンタメ情報を見つけた。WOWOWで古典落語の名作「品川心中」がドラマ化されるという。主役の遊女お染を演じるのは人気女優・吉岡里帆さんだそうだ。「品川心中」はNHKの「超入門!落語 THE MOVIE」でいずれやってくれるのではないかと期待していたのだが… WOWOWは契約していないので ( ;ㅿ; )
 それはさておき、落語「品川心中」はテレビで何度か見たが、最後に見たのは2015年10月に橘家圓蔵師匠の追悼番組(NHK)だったからもう8年前になる。
《あらすじ》
 品川の女郎お染は人気も陰り、物日に必要な金を用立ててくれる客もいない。女郎たちから馬鹿にされるので死のうと思うが、一人で死ぬのも癪なので誰かを道連れにすることを思いつく。なじみの客の中から、少々とんまな貸本屋の金蔵を道連れにすることにする。さて顛末はいかにというお噺。

 このお噺を一つのエピソードとして取り込んだ映画が川島雄三監督の傑作時代劇コメディ「幕末太陽伝」。落ち目の遊女お染を演じた名女優・左幸子さんと心中の道連れにされる貸本屋の金蔵を演じた小沢昭一さんのコミカルなやりとりが秀逸。


「幕末太陽伝」でお染を演じた左幸子さん

古今亭志ん朝師匠の名調子で聴く「品川心中」

幕末に品川宿で流行った「品川甚句」

淫楽のはなし。

2023-06-14 19:55:37 | 古典芸能
 津々堂さんのブログ「津々堂のたわごと日録」に江戸前期の熊本藩士・山崎半彌が著した「歳序雑話」に書かれた祇園社(現在の北岡神社)の「祇園会(ぎおんえ)」のことが紹介されていた。かつてこの祭は旧暦6月14日に行われていた。今年の暦に変換すると7月31日に当たるらしい。
 この「歳序雑話」については以前僕もブログに取り上げたことがあるが、祇園社の下を流れる坪井川には遊舟が浮かべられ、舟上では酒食とともに音曲を楽しむ風景が描かれている。その中で気になったのが「倡瞽ハ淫楽ノ器ヲ鳴シ、淫風ノ歌ヲ謳ウ」という一節。これは「盲人の音楽家がみだらな楽器を演奏し、みだらな歌を唄う」という意味に解釈できるが、「みだらな音楽:淫楽」という表現が気になった。山崎半彌という藩士は陽明学にも明るかった識者と伝えられるので、江戸前期の儒者熊沢蕃山の著書「集義和書」(1676年頃)を読んでいたと考えられる。その「集義和書」の中に「天下の人心、正楽なき時は、必ず淫楽(インガク)をこるものなり」という一節がある。ここでいう「正楽」とは雅楽や武家の式楽である「謡曲」などを指し、「淫楽」とはいわゆる民俗楽を指したものらしい。山崎はこの「淫楽」という言葉を引用したと考えられる。つまり武家社会と百姓・町人との厳然たる差別を表した言葉ということだろう。


その昔、祇園会で倡瞽が淫楽を奏でた坪井川・一駄橋付近(宗禅寺より)

 「淫楽」とされた「古浄瑠璃」の一つ「外記節」は江戸後期に廃れていたが、十代杵屋六左衛門が「外記節」を長唄に取り入れ、「外記猿」などの新しい長唄を創った。

2015.12.23 花童あやの卒業公演より

舞楽 ~飛鳥文化~

2023-04-22 19:02:05 | 古典芸能
 今日4月22日は聖徳太子の命日。飛鳥時代に聖徳太子によって創建された大阪市天王寺区の四天王寺では聖徳太子を偲んで恒例の「聖霊会舞楽大法要」が行われた。その様子はYouTubeのライブ配信が行われたので初めて視聴した。といっても半日がかりの行事なので、太子様には申しわけないが、最初から最後まで見るわけにはいかない。今までYouTube動画で見て知っている童舞の「胡蝶(こちょう)」と「迦陵頻(かりょうびん)」に的を絞ることにした。四天王寺聖霊会の舞楽は国の重要無形民俗文化財の指定を受けているそうで、今を去ること千四百年前の豪華絢爛な飛鳥文化を垣間見る思いがした。


胡蝶                  迦陵頻


2:34:25頃から「迦陵頻」、2:49:35頃から「胡蝶」が演じられます。

旅の衣は篠懸の…

2023-04-10 22:12:53 | 古典芸能
 巨匠黒澤明の没後25年。先週土曜日、ETV特集「黒澤明が描いた『能の美』」が放送された。撮影を始めたものの未完に終わったドキュメンタリー映画「能の美」が紹介されるとともに、能を取り入れた黒澤映画の中から「蜘蛛巣城」や「乱」などで、メイク、衣装、所作などに能がどのように取り入れられたかが解き明かされた。これまでも黒澤映画と能の関係を紹介するTV番組や文献には触れる機会があり、断片的な知識はあったが今回の番組でだいぶ整理できたような気がする。
 しかし、僕にとって黒澤映画と能のかかわりを知った最初の作品は能「安宅」をもとにした「虎の尾を踏む男達」である。製作されたのが1945年、終戦の1ヶ月後というから驚きだ。さすがに米軍占領下では公開できず、初公開は7年後の1952年となった。
 この映画の面白いところは謡曲がミュージカル風の歌曲に置き換えられている。よく能の解説に「能は日本のミュージカルである」という説明を聞くが、まさにミュージカルなのである。この発想が面白い。そんな歌曲の中からオープニングの「旅の衣は篠懸の」の一節と、安宅の関所を前に義経が強力姿に身をやつすシーンの「げにや紅は園生に植えても隠れなし」の一節を再見してみた。


黒澤明監督


旅の衣は篠懸の(2.0' 頃から)


げにや紅は園生に植えても隠れなし

犬王の天女舞

2023-01-24 15:17:58 | 古典芸能
 先日、アニメ映画「犬王」をレンタルビデオで見た。今年のゴールデングローブ賞にノミネートされて話題になったあの映画である。古沢日出男さんの原作小説を読んでいたので、それがどのように映像化されているのか興味があった。
 結論的に、僕としては期待外れだった。僕の最大の興味は、誰も見たことがない失われた芸能である犬王の天女舞をどういう風に再現しているのかだったが、犬王の舞はまるでアクロバットというか器械体操といった感じに表現されていた。また友魚の弾く琵琶楽も70年代か80年代のロックミュージックに変えられていた。
 近年、若手の能楽師には現代的なセンスを持った方もおられるし、琵琶楽も気鋭の若手奏者が何人もおられるのでそういう人材の発想と能力を引き出すような舞や琵琶楽で物語を創り上げてほしかった。海外向けという意味でもロックを使えば受けるというものでもないと思われる。いつの日か犬王の天女舞を堂々と再現するような作品が生まれることを願ってやまない。


観世流 能「羽衣」より