徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

都々逸・神戸節(どどいつ・ごうどぶし)

2023-04-30 21:30:09 | 音楽芸能
 今日はNHK総合「民謡魂 ふるさとの唄 愛知県豊川市編」に、日頃から楽しませていただいている東海風流プロジェクト(水野詩都子・﨑秀五郎)のお二人が出演された。
 水野さんは「平針木遣音頭」と「岡崎五万石」を唄われた。「民謡魂」で「平針木遣音頭」を唄われるのはたしか3回目だ。そしてお二人で「都々逸・神戸節」を演奏された。
 この愛知県民謡「神戸節」はもとを辿れば茨城県潮来の「潮来節」が江戸で流行り、それが「よしこの節」に変化し、東海道最大の宿場・宮宿に伝わって「神戸節」と名を変えたものだそうだ。さらに「神戸節」は「都々逸」へと発展して行く。番組では民謡として紹介されたが、その粋で洒落た味わいは端唄と称したほうがよさそうだ。



「神戸節」は東海風流チャンネルで既にアップされているので掲載してみた。

昭和の日

2023-04-29 20:59:01 | 世相
 今日は「昭和の日」。昭和世代のわれわれにとっては「天皇誕生日」であった。かつては門口に日の丸を掲げていたものだがそんな風習もなくなった。まさに「昭和は遠くなりにけり」である。

 昭和2年(1927)に行われた昭和天皇のご即位の大礼に際して、古代から伝わる「八乙女の舞」に明治天皇の御製三首を使って新しい歌詞がつけられた。近代の創作神楽である。
 下の動画「扇の舞」はその中の、明治43年に「神祇」と題して詠まれた一首
  「わが国は 神の末なり 神まつる 昔の手ふり わするなよゆめ」
を歌詞としている。

2022.11.25 梅林天満宮例大祭 太宰府天満宮の巫女

水の都の 江津湖の春は

2023-04-28 18:48:05 | 
 調べものをしようと県立図書館に出かけたらなんと今日は休館日。しょうがないので図書館裏の上江津湖でも見て帰ろうと裏へ回った。相変わらずハッとするほど透明度の高い水が流れている。

  湧くからに 流るるからに 春の水(明治31年 夏目漱石)


水前寺の湧水が流れる加勢川の清流

 主流は加勢川として流れて行くが、水前寺周辺から湧き出た水は細い流路となって縦横に流れ、芭蕉林を通り抜け加勢川に合流する。

  縦横に 水のながれや 芭蕉林(昭和3年 高浜虚子)


上江津湖のほとりに広がる芭蕉の林


舞踊団花童による「江津湖音頭」

ストーリーテリング

2023-04-26 19:52:15 | 
 毎日少しづつコースを変えながらの散歩。その道すがらを物語ってみた。

 わが家を出て京町柳川から瀬戸口へ階段坂を降りる。垣根に絡みついたテイカカズラの甘い香りが鼻腔をくすぐる。坂を降り切り、瀬戸坂を横切ると今度は真っすぐ三年坂を登る。30㍍ほど登ったところの「むくり屋根の家」をしばし眺める。ここはもう住まいとしては使われていないが、江戸時代、知行取りの熊本藩士だった藤掛氏の邸だ。益城町の知行地から移築した建物で床柱には西南戦争時の弾痕が残っているらしい。坂を登り切った後、真っすぐ京町本丁の裏道を通って稗田町に入る。稗田町の公園でひと休みしようと入って行くと高齢の女性が箒で清掃奉仕をしていた。「お疲れ様」と声を掛けベンチに座る。そこへ犬を連れた高齢の女性がやって来て、中腰で清掃作業中の女性に声を掛けた。
「奥さんな腰の痛うなかですか」
「腰ゃ痛うなかですばってん、膝がいかんですたい。サポーターば着けとります」
 どっかで聞いたような会話だなと思いながらベンチから腰を上げた。
 公園から県道303号を渡って往生院に入る。境内の通路を本院に向かう。通路脇の江戸時代の蘭方医奥山静叔の墓にいつものように目礼して通り過ぎる。静叔の墓を示す白い標柱を熊本市が立てているが、たしかこの寺には他にも名のある人の墓があると聞くが標柱は他には見当たらない。やはり静叔は特別な存在なのだろうか。本院と放牛地蔵に手を合わせて裏口から出る。裏道をぐるっと回るとわが母校熊大附中のグラウンドの前に出る。2クラスほど体操の授業が行われていた。もう60年以上前になるが僕らの頃は、まだ師範学校だった時代の名残りか、トラックと芝を張ったフィールドが残っていた。今は完全なベアグラウンド。今の生徒たちがちょっと可哀想な気がした。県道へ戻り肥後銀行京町支店の交差点で左折する。正善寺の掲示板の前で足を止めた。ここを通る時は掲示されている格言などを読むことにしている。今日目についたのは
 「また明日」言葉の重みを今知った 明日は当たり前じゃないから(気仙沼高校文芸部員)
とあった。おそらく東日本大震災で被災された方の作品なのだろう。ぐっと胸に迫るものがあった。


むくり屋根の家

あやめ咲く頃

2023-04-25 21:36:03 | 
「何れアヤメかカキツバタ」
 南北朝時代の軍記物語「太平記」の一節に典拠を持つことわざで「どちらも優れていて選び迷うこと」の意である。

ら衣 つつなれにし ましあれば るばる来ぬる びをしぞ思ふ」
 古今和歌集の中の在原業平の歌で、旅先での妻恋しさと旅のつらさを詠んだ歌である。

「潮来出島の 真菰の中に あやめ咲くとは しおらしや」
 お馴染み茨城県の水郷潮来の俗謡「潮来節」の一節である。

 「ショウブ」「アヤメ」「ハナショウブ」「カキツバタ」とちょっと紛らわしいが、実は四つとも別ものだそうである。端午の節句にお風呂に入れる「ショウブ」だけは他の三つと異なる系統だという。残りの三つはいずれもアヤメ科の植物だが、あやめは漢字で「菖蒲」と書き、「しょうぶ」とも読む。ところが「アヤメ」と「ショウブ」は全く別の植物であり、「アヤメ」と同じ種類のものは「花菖蒲(はなしょうぶ)」である。肥後六花の一つ「肥後花菖蒲」もその一系統である。「カキツバタ」も水辺や湿地に群生する植物だが園芸植物となったのは「ハナショウブ」よりも歴史が古いという。「アヤメ」は乾燥した山野に生える植物で水辺に生えることはないそうだ。
 「潮来節」の潮来では、花菖蒲もカキツバタもひっくるめて「あやめ」というらしい。

 来月中旬頃になると玉名市高瀬裏川の「ハナショウブ」が咲き始める。今年は少し開花が早まるかもしれない。


立田山湿性植物苑の「カキツバタ」


玉名市高瀬裏川の「ハナショウブ」(昨年)



山頭火出家のナゾ

2023-04-24 22:21:23 | 歴史
 今日は坪井繁栄会の「お茶の間交流センター」を訪れ、ここの主である岡崎さんに久しぶりにお会いした。岡崎さんは地域起こし活動とともに「坪井・山頭火の会」の事務局長でもある。4年ほど前、坪井の見性寺で行われた「山頭火の会」に飛び入り参加させていただいた時のテーマが「山頭火出家のきっかけを作ったのは誰?」だった。「木庭」という姓だけが分かっているその人の最も有力とされているのが、進学予備校の走りとなった壺渓塾を設立した木庭徳治さん。当日は木庭氏の養女澄子さんが出席されて父上から聞いた話を証言された。
 山頭火は大正13年の暮れに泥酔して市電を止める事件を起こした。その時、「木庭」と名乗る男性に助けられ、報恩寺に預けられたのを機に出家したとされる。ただ、この「木庭」氏には別人説もあり、その日の「山頭火の会」でも断定するまでには至らなかった。
 今日、訪れた目的はその後、新たな事実が出てきたかどうかを確かめることだったが、岡崎さんによれば残念ながらまだ決定的な証拠は出ていないそうだ。しかし、山頭火を直ちに報恩寺に連れて行くことが出来るのは寺と何らかの関わりを持つ人であり、それは木庭徳治さんしか考えられないという。関係者がほとんど亡くなった今、新たな事実が出て来る可能性は低いが、いずれにせよ、山頭火がこの時、報恩寺で出家得度していなければ「漂泊の俳人 山頭火」はおそらく誕生していなかっただろう。
※右の写真は山頭火が堂守を務めた味取観音瑞泉寺の山頭火像


山頭火が市電を止める事件を起こした頃、軌道敷は熊本城長塀に沿って走っていた。


山頭火が出家得度した報恩禅寺


山頭火が参禅したことがあるという見性禅寺(漱石もここで参禅した)

4年ぶりの「せいしょこまつり」

2023-04-23 19:58:38 | イベント
 今日は4年ぶりの加藤神社「清正公(せいしょこ)まつり」。しかも4年前までの7月下旬開催から4月下旬開催へと変更された。毎年猛暑の中での神幸行列は参加する大勢の子供たちにとってハードだったので、この開催時期変更は喜ばしい。もっとも戦前は春に行われていたそうなので、元来の開催時期に戻ったことになる。たまたま参拝に来られていた方から「こんな大きなまつりがあるとは知らなかった」との声が。再開を機にもっと情報発信が必要なのかも。


神幸行列の出発


鳥居をくぐるあたりから掛け声のボルテージも上る


凛々しい子どものせいしょこさんたち


可愛い巫女さんたちも行列に加わる


馬上の湯田宮司

舞楽 ~飛鳥文化~

2023-04-22 19:02:05 | 古典芸能
 今日4月22日は聖徳太子の命日。飛鳥時代に聖徳太子によって創建された大阪市天王寺区の四天王寺では聖徳太子を偲んで恒例の「聖霊会舞楽大法要」が行われた。その様子はYouTubeのライブ配信が行われたので初めて視聴した。といっても半日がかりの行事なので、太子様には申しわけないが、最初から最後まで見るわけにはいかない。今までYouTube動画で見て知っている童舞の「胡蝶(こちょう)」と「迦陵頻(かりょうびん)」に的を絞ることにした。四天王寺聖霊会の舞楽は国の重要無形民俗文化財の指定を受けているそうで、今を去ること千四百年前の豪華絢爛な飛鳥文化を垣間見る思いがした。


胡蝶                  迦陵頻


2:34:25頃から「迦陵頻」、2:49:35頃から「胡蝶」が演じられます。

初夏の香り

2023-04-21 18:00:42 | 世相
 わが家から新坂を歩いて下っていると、どこからか甘い香りが漂ってきた。えッ!これはたしかテイカカズラの花の香だなと思い、山側斜面の藪を見上げると間違いなくテイカカズラの花が咲き始めていた。毎年5月に入る頃から咲き始めていたと思うので今年は開花が早まったのだろう。近年、周辺のテイカカズラ繁茂の勢いが凄い。帰りがけによくよく見て行くと、漱石ゆかりの坂であることを示す案内板の近くにまでテイカカズラが迫っていた。いずれこの案内板にも絡みつくのかもしれない。




 午後、立田山湿性植物苑のカキツバタを見に行く。今年も本紫の花を咲かせていた。ちょうど1年前、くまもと花博の会場となった時、遊歩道の木柵などが整備されたらしい。もうしばらくすると肥後花菖蒲も咲くと思うのでまた訪れたい。山あいの窪地を薫風が吹き渡っていた。


ふるさと

2023-04-20 21:20:09 | 音楽芸能

わがふるさとのランドマーク

 いささか旧聞に属するのだが、今年の2月、YouTubeマイチャンネルの動画「ふるさと」にある方から次のようなコメントをいただいた。
「作曲した岡田京子さんとはどういうかたかわかりません。どなたか教えてください。」
 この動画をアップしたのはもう13年前になるが、作詞が石塚克彦さん、作曲が岡田京子さんというお名前だけは調べた記憶があるのだが、どういう方なのか存じ上げないのであらためて調べてみた。その結果は下記のとおりなのだが、今回おたずねいただいたおかげで随分久しぶりに倍賞千恵子さん歌うこの歌を聞いた。この歌は山田洋次監督の映画「同胞(はらから)」(1975)の主題歌で僕の大好きな歌の一つ。わがふるさと熊本の風景に当てて映像化してみたいと思い、それまで撮りためていた写真をあれこれ引っ張り出したが、まだYouTube動画の投稿に慣れていない頃で手こずったことを懐かしく思い出す。ちなみに上のランドマークの写真は動画をアップした後、入れ忘れていたことに気付きしまったと思った1枚である。



 岡田京子さんの著書に「うたの旅」があり、その出版社の広告に次のような紹介があった。
岡田京子[オカダキョウコ]
1932年東京に生まれる。軍医だった父について中国(旧満州)を含む各地を転々として暮らす。原太郎・清瀬保二氏に作曲を師事。アジアの音楽と民族に興味を持ち、「イフンケ」「喪輿の途(サンヨのみち)」など、アイヌや朝鮮をテーマとする作品を多く発表。現代座の木村快氏の仕事に共感。30年間舞台音楽の仕事でこの劇団や観客と関わって来た。1967年に作曲家・安達元彦と結婚。同じ時期に、笠木透氏のフィールドフォーク運動を知り、岐阜の「我夢土下座」、山口の「凪の座」など、それぞれの地域で自分たちの歌を作りつづけている人たちに出会って行く中で、安達元彦ともども、自分の音楽の方向について大きな変更を迫られる。1980年頃から、「めだか大学」という小さな音楽塾を開く。平行して1990年前後より、全国各地をまわって歌の会を開き、歌を作り、また各地で生まれた歌を紹介するなどの旅をつづけて現在にいたる。

ヨイショコショ節 と 淡海節

2023-04-19 22:04:17 | 音楽芸能
 「しずごろう民謡わがままチャンネル」(水野詩都子さん&﨑秀五郎さん)に新たにアップされた曲は「ヨイショコショ節」。お二人のもう一つのプロジェクト「東海風流チャンネル」で3年ほど前にアップされた「淡海節」ともとは同じ唄である。
 簡単に言うと喜劇役者・志賀廼家淡海(しがのやたんかい)が唄った「ヨイショコショ節」のことを後に「淡海節」と呼ぶようになったというわけ。「ヨイショコショ節」は山口県で唄われていた民謡。NHKの「新日本風土記アーカイブス『みちしる』」では山口県周防大島に伝わる民謡として紹介されているが、元治元年(1864)の第二次長州征伐(四境戦争)において大村益次郎率いる長州軍が 「石州口の戦い」で幕府軍を破った時、奇兵隊の一員として参戦していた人が陣営で唄われていたこの唄を持ち帰ったものという説がある。
 大正6年、志賀廼家淡海は熊本の大和座での公演で初めて、劇中「ヨイショコショ節」を唄った。それが評判を呼び、昭和に入った頃「淡海節」と呼ばれるようになった。今では「淡海節」は志賀廼家淡海のふるさと滋賀県堅田の民謡ともなっている。

 ちなみに下の写真は大正初期の大和座である。明治41年、熊本市練兵町(現在の中央区辛島町・ホテルクラウンヒルズ熊本の位置)に建設された歌舞伎専用の劇場。定員2500人、来熊の歌舞伎役者はほとんどここの舞台を踏んだという。昭和18年に歌舞伎座に改称。昭和36年に閉館するまで市民娯楽の殿堂だった。



   ▼しずごろう民謡わがままチャンネルの「ヨイショコショ節」


   ▼NHK「新日本風土記アーカイブス」の「ヨイショコショ節」


   ▼東海風流チャンネルの「淡海節」

今日の1枚 ~古京町の石材置場~

2023-04-18 20:22:21 | 熊本
 このエリアはかつて熊本家庭裁判所があり、その後、熊本市役所古京町別館として使われていた建物があった場所である。建物は熊本地震で損壊し、解体撤去された。今は熊本地震で崩落した飯田丸五階櫓石垣の復旧工事のための石材置場となっている。
 このエリアに納まりきれない程あった石垣や裏込石が最近急激に減り始めた。それは飯田丸五階櫓石垣の復旧工事が進んでいる証なのだろう。予定では来年2月に石垣の積み直しが終わり、それから櫓建物の復旧に4、5年かかるという。飯田丸五階櫓が地震前の姿に戻るのはまだだいぶ先のことではあるけれど、この石材置場を見て、少しづつ少しづつ復旧が進んでいることを実感するのは楽しい。


飯田丸五階櫓石垣復旧工事のための石材置場


▼熊本地震前の飯田丸五階櫓


     ▼熊本地震で石垣がV字崩壊した飯田丸五階櫓


▼「奇跡の一本石垣」としてメディアに取り上げられる

地震とハーン

2023-04-17 23:20:09 | 歴史
 熊本地震本震からちょうど7年の昨夜、地震があった。7年前の悪夢が甦った。幸い短時間で収まったが、南区辺りが震度3だったようだ。一瞬、明治熊本地震のことが頭をよぎった。明治22年7月28日(1889)に発生した明治熊本地震から5年後の明治27年8月8日(1894)再び熊本は大きな地震に見舞われている。今またそれが再現するのではないかという危惧が常に頭の片隅にある。
 明治27年の地震の時、五高の教師として熊本にいたラフカディオ・ハーンは熊本二番目の坪井西堀端の家に住んでいた。友人の東京帝大教授バジル・ホール・チェンバレンへの手紙で「阿蘇が爆発して地震が頻発し、庭で夜を明かした…」と書き送っている。この頃は日清戦争が始まったばかりで、ハーンは全国から熊本に結集する若い兵士の姿や錦山神社(加藤神社)や藤崎八旛宮などにおいて必勝祈願に湧き立つ熊本の様子を「願望成就(A Wish Fulfilled)」に著している。


新堀時代の加藤神社(明治7年~昭和37年)

吉岡隆徳記念出雲陸上

2023-04-16 19:26:57 | スポーツ一般
 陸上競技日本グランプリシリーズは先週熊本で行われた「金栗記念選抜中長距離大会」に続き、今週は島根県での「吉岡隆徳記念出雲陸上競技大会」。ライブ配信で観戦した。注目したのは女子100mに出場した熊本中央高校の山形愛羽選手。大会は雷雨のため一時中断。予定よりだいぶ遅れたが、女子100mは3組のタイムレース。1組で2位となった山形選手は全体で3位に入賞した。これを足掛かりに高校最後のシーズンの活躍を期待したい。


ゼッケン84番が山形愛羽選手



          ▼女子100mタイムレース集計結果

▼吉岡隆徳さんについて
 吉岡隆徳の名を冠したこの大会は、1932年に行われた第10回ロサンゼルス五輪の100mで、東洋人初の6位入賞を果たし「暁の超特急」と呼ばれた出雲出身の伝説のスプリンターを記念する大会です。
 吉岡さんが東京女子体育大学の教授を務めておられた1970年頃、僕の妹が同大短大に在学していました。ある時、学生の保護者が参加する催しが開かれ、亡父が出席しました。父は吉岡さんの2つ下のほぼ同世代。若い頃から憧れの人でした。懇親会で吉岡さんと酒を酌み交わし意気投合。その後、吉岡さんが亡くなる1984年まで年賀状のやり取りが続きました。父にとって一生の思い出となりました。

藤祭 ~藤崎八旛宮~

2023-04-15 17:39:40 | イベント
 桜の季節が慌ただしく過ぎ、もう藤の花の季節。今日4月15日は藤崎八旛宮藤祭の三日目。五穀豊穣と諸行の繁栄を祈願する祭祀がとり行われた。
 承平5年(935)、山城国の石清水八幡大神が肥後国の茶臼山西側段丘(今の藤崎台)に勧請された。その鎮座の日、勧請の勅使が藤で作った神馬の鞭を、三つに折って三ヶ所に埋めたところ、その中の一つからやがて芽が出て枝葉が繁茂したので藤崎宮の名称が付いたという伝承がある(異説あり)。この神恩に感謝する祭りとして、毎年、藤の花が咲く4月に行われるのが「藤祭」である。


境内の藤棚も見ごろに


祭祀をとり仕切る神職の入場


氏子会などが式典に参列


能楽殿では仕舞が奉納された(喜多流能楽師 狩野了一さん)