徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

盆の終わり

2023-08-15 07:12:56 | 鎮魂
 昨日までと打って変わって今日は風がありだいぶ過ごしやすかった。しばらく散歩をしていなかったので、夕方食事を済ませてから歩いて二の丸公園へと向かった。新堀橋近くに差し掛かると西の空が開け、あかね空に金峰山が見えた。明日でお盆も終わり。父や祖母や弟、そして先日他界した義兄たちも西方浄土へと帰って行くのだろう。思わず西の空へ向かって手を合わせ「また来年・・・」とつぶやいた。

 
 陽がすっかり沈んだ薄暮の中を歩いていると路傍のオシロイバナが開き始め芳香を放っていた。


 散歩から帰ると長崎の「精霊流し」風景を唄った「流れ灯」を聞きたくなった。


四つ御廟とガラシャ夫人のクルス

2023-04-01 18:12:19 | 鎮魂
 一昨日、実は立田山から小峰墓地に向かう途中、泰勝寺跡(立田自然公園)に立ち寄って肥後細川家の初代藤孝夫妻と二代忠興・ガラシャ夫妻の墓「四つ御廟」にお参りした。先月、何者かによって四つ御廟に赤い液体がかけられたというニュースを見ていたので、その後の状況を確認しておきたいということもあった。公園係員の話ではまだ調査中で何も処置は行われていないらしい。ただ、普通にお参りしている分には特に違和感はなかった。接近して見れば分かるのかもしれないが、こちとらが変に疑われても困るので接近するのは控えた。

 この泰勝寺は明治時代初期に廃寺となるまで臨済宗のお寺だったので、ガラシャ夫人廟といえどキリシタンを表象するものは何もない。いつもお参りする度にそれがお気の毒な気がする。
 ところで、ガラシャ夫人が最期の時まで肌身離さず持っていたクルスの中心には、明智家の家紋である桔梗が彫られている。ガラシャ夫人がゆるぎない信仰とともに明智の出であることをいかに誇りとしていたかが分かる。
 また、桔梗紋は加藤清正の家紋としてもよく知られている。加藤清正を祀った加藤神社では蛇の目と桔梗の合せ紋が使われており、60年前まで加藤神社が鎮座していた京町は今でもお膝元という思いがあり、各所で桔梗紋が見られる。先祖を遡ると明智家と加藤家は親戚関係になるという。

 ガラシャ夫人廟にお参りしながら、あらためてその悲劇的な運命に思いを致すとともに、「四つ御廟に液体」事件の早期解決と再発防止を願ったひと時だった。


ガラシャ夫人廟


大阪のカトリック玉造教会壁画に描かれたガラシャ夫人


舞踊団花童公演・舞踊劇「細川ガラシャ ~玉の一生~」でガラシャに扮したはつ喜月蘇女さん


ガラシャ夫人が最期の時まで身に着けていたクルス(実物)


クルスの中心に明智家の家紋である桔梗が


かつて加藤神社が鎮座していた京町には桔梗紋が目につく


加藤神社の幟には蛇の目と桔梗の合せ紋

   ▼創作舞踊「細川ガラシャ」(Viento 作曲)
2014.4.6 水前寺成趣園 「水前寺まつり」
演奏:Viento ケーナ:吉川万里 シンセサイザー:竹口美紀
鳴物:中村花誠・今村孝明
振付:中村花誠
舞踊:ザ・わらべ(中村くるみ・上村文乃)・黒木界成

東日本大震災から12年

2023-03-11 19:44:54 | 鎮魂
 今から6年前の2017年3月29日、宮城県仙台市の電力ホールで行われた「東日本大震災七回忌追善公演 ふるさとの春まつり」に熊本から舞踊団花童が出演した。これは2014年に38歳の若さで夭逝した作詞家おのりく(園田凌士)さんと花童とのご縁で実現したものだった。おのさんは少年時代を熊本で過した方で、十代から音楽活動を始め、作詞家となってからは多くの歌手に歌詞を提供している。この「ふるさとの春まつり」では、おのさんが生前、東日本大震災被災地の復興への願いを込めて贈った歌を花童が踊った。
 その中の1曲「平泉讃歌」は、奥州平泉で非業の最期を遂げた源義経をモチーフとした叙情歌。この世の未練断ち切りがたい義経の魂が高館の杜を彷徨っていると、どこからか迦陵頻伽の妙なる歌声が幽かに聞こえて来て、やがてひとすじの希望の光が差し、阿弥陀如来が来迎、義経の魂はお浄土へと導かれるという、義経の物語に仮託しながら東日本大震災のすべての犠牲者を供養するおのさんの想いが込められている。
 東日本大震災により犠牲となられたすべての方々及びおのりく様にあらためて心より哀悼の意を表します。

この動画は、仙台での公演を熊本の玄宅寺で再現した時の様子

女子フットボーラーを悼む

2023-03-09 20:21:05 | 鎮魂
 今週末はまた「3.11」がやってくる。あっという間に12年が過ぎた。当時投稿したブログ記事を再掲し、あらためて犠牲になられた方々に哀悼の意を表したい。

▼消えた女子フットボーラーを悼む(2011年8月6日)
 つい先日まで、東日本大震災による悲劇の中に、遠く離れた熊本にもこんなに悲しい話があるとは知らなかった。それはかつて益城ルネサンス熊本FC女子サッカーチームに所属し、中心メンバーとして活躍していた佐藤恵利子さんが大津波にさらわれて亡くなっていたというのだ。彼女は宮城県の聖和学園高校の出身で、卒業と同時に熊本にやってきたチームの創立メンバーだそうである。2007年まで約10年ほど在籍し、その後、宮城県に帰っていたらしいが熊本への愛着は強かったらしく、その後も度々熊本を訪れていたそうだ。3月11日の大津波の後、行方がわからなくなり、3週間後に遺体がご家族によって確認されたという。僕は彼女のことはこの話を聞いて初めて知ったのだが、なぜか涙が止まらなかった。遠い熊本まで遥々来てくれてありがとう、と心から言いたい。

岩手県大槌町の復興

2022-10-03 20:04:17 | 鎮魂
 ラグビーの釜石シーウェイブスRFCのスタッフとして働いておられたFB友の梅澤様が、このほどクラブを離れることになったとFBで報告されました。
 6年前、鹿本農業高校郷土芸能伝承部が東日本大震災被災地である岩手県大槌町を訪問した時の様子をブログで紹介されていたので、写真や記事をお借りしたいとお願いしたところ快くご提供いただいたことがあります。そのお礼をあらためてコメントで申し上げたところ、当時の写真とともに現在の復興状況を示す写真を添付したお返事をいただきました。


現在の大槌町役場前の状況

 鹿本農業高校郷土芸能伝承部が、岩手県や宮城県などの被災地交流として大槌町を訪れたのは2016年8月1日のことです。大槌町役場前で山鹿灯籠踊りを披露して地域の皆様と交流しました。当時の写真を再見しますとまだ盛土・かさ上げ等の工事が盛んに行われていることが見てとれます。現在の写真と見比べますと工事が行われていた辺りは住居が建て込んでいて大槌町の復興ぶりと時の流れに感慨深いものがあります。






77回目の終戦記念日

2022-08-15 18:00:10 | 鎮魂
 今日は77回目の終戦記念日。昼前に熊本県護国神社(熊本市中央区宮内3-1)に参拝し、わが祖国の礎となられた方々への追悼と感謝の誠を捧げた。
 この神社はだいたい月一度はお参りしている。いつも拝殿の前でお参りした後、「従軍看護婦慰霊碑」にも手を合わせることにしているが、今日はあらためて石碑に刻まれた碑文を読み直してみた。次のように書かれている。

昭和12年に勃発した日華事変から大東亜戦争の終結までに日本赤十字社が派遣した救護班は960班、延べ人員33,156人もの「戦時救護看護婦」を戦地に派遣し、戦地に於ける敵襲・病院船への魚雷攻撃・内地の病院勤務中の空襲・原爆による殉職救護員は1,143名、負傷者は4,689人に達したと云われている。しかし従軍したのは日赤の看護婦だけではなく、陸軍・海軍の応召看護婦、「ひめゆり学徒隊」等女学生にも及び、その方たちの犠牲を合わせると殉職者の数は膨大な人数に上るが、正確な記録は残されていない。
       建立 熊本県護国神社崇敬会  満ソ殉難者慰霊顕彰会
          平成24年10月10日


昨日は神職のみで「みたま祭」が行われた。


今日午前中に「大東亜戦争終結平和祈願祭」が行われた。


従軍看護婦慰霊碑

鎮魂 ~東日本大震災11年~

2022-03-11 21:26:54 | 鎮魂
 今日11日は東日本大震災から11年。熊本でも震災発生時刻の午後2時46分にはサイレンが鳴り響き、多くの市民が黙祷をささげる風景が見られた。震災関連死を含めた死者・行方不明者は2万2,207人。復興が進む一方、未だに2,500名を超える行方不明者の捜索が続いている。被災者の皆さんへのインタビューを聞いていると、11年たっても「忘れない」あるいは「忘れてはならない」という人がいる一方、もう「忘れたい」と思う人がいるのも事実のようだ。

 11年経って、忘れられないことが二つある。一つは発生当日の午後、九州新幹線開業を翌日に控えて、在来線リレーつばめのラストランを見るため田原坂公園へ家内と母を連れて行った。そして現地で大地震発生のニュースを聞いた。これはただならぬことだと、ラストラン見物もそこそこに急ぎ家へ帰った。そしてテレビで見た大津波の様子に衝撃を受けた。そして九州新幹線開業関連のイベントはすべて中止となった。
 二つ目は東日本大震災が発生してから5年となる2016年3月11日、被災地である宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で行われる追悼イベントに、熊本から鹿本農業高校郷土芸能伝承部が参加し、鎮魂と復興の願いを込めた山鹿灯籠踊りを奉納した。これは事前の報道で知ってブログに投稿したところ、その追悼イベントに参加された名取市在住の方からブログに懇切なコメントをいただき、当日の様子を知ることができた。さらに、そのイベントに山形県酒田市から参加されていたcake様という方がご自身のブログに写真を掲載されていたので、写真の転載をお願いしたところ快くご承諾いただき当日の様子を写真付きで紹介することができた。会ったこともない方々のご親切に感動した。その時は一ヶ月後に熊本地震に見舞われることなど知る由もなかった。

        ▼今日行われた宮城県石巻市の追悼式典で黙祷をささげる皆さん



宮城県名取市閖上地区の追悼イベントで山鹿灯籠踊りを奉納する鹿本農高郷土芸能伝承部(2016年3月11日)



千羽鶴

2021-08-12 22:05:43 | 鎮魂
 今日、BS日テレで映画「武士の家計簿」を放送していた。久しぶりの再見だ。サウンドトラックを聴きながら、そういえばこの映画の音楽は大島ミチルさんだったなと思い出した。好きな映画音楽家の一人で、彼女が音楽を担当した映画を結構見ている。すぐに思いつくだけでも

 長崎ぶらぶら節/陽はまた昇る/阿修羅のごとく/北の零年/明日の記憶/サウスバウンド/眉山/椿三十郎/武士の家計簿 etc.

 大島さんと言えば先日、8月9日に行われた「被爆76周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」でも、長崎出身の彼女が作曲した被爆50周年記念歌「千羽鶴」が、彼女の後輩たちによって歌われた。これは毎年恒例になっていてこれからも鎮魂そして平和を祈る歌として歌い続けられるのだろう。

   ▼被爆50周年記念歌「千羽鶴」作詞:横山 鼎 作曲:大島 ミチル