徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

シーボルトのかっぽれ

2024-05-11 21:16:44 | 音楽芸能
 この映像に付けられた音楽は、江戸後期、長崎のオランダ商館の医師として日本へやって来たシーボルトが採譜し、ドイツの作曲家ヨーゼフ・キュフナー によってピアノ曲に編曲された「日本の旋律」という楽曲である。全7曲のうち2曲目に収められているのが、俗にいう「シーボルトのかっぽれ」という曲で「Poco lento (かっぽれ)」という題名が付けられている。「Poco lento」とはイタリア語で「少しゆっくり」という意味だそうで、0:47から2:20までが「Poco lento (かっぽれ)」である。
 この映像を視聴すると、誰しも「かっぽれ」とは似ても似つかぬと思うだろう。


 いったいなぜこんな曲になったのだろうか。
 まず、シーボルトはいつ、どこで、どのような状況で「かっぽれ」に接したのだろうか。この時代、彼がいた長崎出島周辺に「かっぽれ」が伝来するのはまだずっと後の時代。となるとオランダ商館の一員として⽂政9年(1826)に江戸参府した時の道中か江戸滞在中に見聞きした可能性が高いが、シーボルト自身によって書かれた「江⼾参府紀⾏」にはこれについての記述はない。ちょうどこの文政年間、江戸市中で願人坊主たちによる「かっぽれ」が流行り始めた時期だったようだ。シーボルトは江戸市中を歩く機会があり、その時偶然、願人坊主たちの大道芸「かっぽれ」に遭遇したのではないかと思われる。

 「幕末明治見世物事典」(倉田喜弘編 2012年)によれば、「かっぽれ」の起りと流行について次のように記されている。
――早乙女の姿をまねる大坂の願人(最下層の僧侶)が「住吉踊」と称して市中を勧進する。それを見て、江戸の願人も文化年中(1804~18)、同じ格好で万灯傘を持ち出し、「住吉踊」の名のもとに「伊勢音頭」や「深川」などを唄い、また、茶番を演じながら、市中を流すようになった。江戸の住吉踊は天保の改革(1842)で一掃されたが、5年後の弘化4年(1847)には4組15人が復活している。彼らは願人ではなく号胸で「烏万度豊年踊」と唱える、今のところ風教に害はないので見守りたいと、隠密廻りは「住吉踊風聞書」に提出した。住吉踊はやがて「かっぽれ」と改称する。その時期は明らかではないが ――

 また、明治から昭和にかけて江戸文化の研究家として高名な三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)が著した「鳶魚随筆(大正14)」の中に「甘茶でカッポレ」という條がある。この中に、「住吉踊り」から「伊勢音頭」や「深川節(吉原通い)」などを取り込みながら「かっぽれ」へと変遷していく経緯などが書かれている。

 このように、シーボルトが見聞きした願人坊主たちの大道芸「かっぽれ」は、彼の耳にはどう聞こえたのだろうか。「かっぽれ」という囃子詞は聴き取れたかもしれないが、今日われわれが聞き覚えのある「かっぽれ」と彼が感受した曲の印象はだいぶ異なっていたかもしれない。加えて、編曲したキュフナー は「かっぽれ」を聞いたことがないわけで、自らの解釈で曲作りをしたのだろう。

 この曲には次のような意味不明の歌詞がローマ字で付記されている。これもシーボルトの耳コピーが断片的で不完全なものだったことを表していると思う。
 Anokomitasani jorekorekorewatosa(あのこみたさにほれこれわとさ)
 siwokakarinana(しおかかりなな)
 Boosunikapore(ぼおずにかっぽれ)

かっぽれ

伊勢音頭

深川節


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2 コメント

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Unknown (小父さん)
2024-05-11 21:57:43
シーボルトというと日本の動植物採集から測量、観測、終いには日本地図を持ち出そうとして国外追放になったと聞きますね。

私の近くの「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」でも正確で見事なスケッチを残していたというので驚いておりました。
        ↓
https://blog.goo.ne.jp/goo221947/e/6587c5a94a265987d91de9328a19ccd9

添付されている「シーボルトのかっぽれ」は、そのような人となりからは想像できないような、全く違う音階なので、「かっぽれ」という名前だけを拝借したのではないか?と勝手に思いました(汗)。

しかし、FUSAさんはとことん調べ上げておられますね。
敬服します。

有難うございました。
Re:小父さん様 (FUSA)
2024-05-12 07:25:56
シーボルトのお抱え絵師だった川原慶賀が描いた「石の宝殿」ですね。

シーボルトは意図はともかく、日本の万物に興味を持って調べたようで幅広い素養も持っていたようにいわれていますね。もちろん音楽にも興味津々だったのでしょう。
不正確ながらも歌詞が付けられているところを見るとやっぱり「かっぽれ」だったのでしょうね(^^♪

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