徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

昔の人はエラかった!

2022-01-31 20:08:19 | 歴史
 平成10年(1998)に始まった熊本城復元整備計画は、第1期の南大手門、戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓、本丸御殿大広間の復元が終わり、第2期に入って馬具櫓および続塀まで進んでいたが、平成28年(2016)の熊本地震で甚大な被害を受け、いまだ傷ついた姿を晒していたり、既に解体されたりしている。そして今、そのいくつかが同時並行で復旧工事が進められている。
 戌亥櫓は平成15年(2003)に復元されたが、そのわずか13年後に被災したことになる。復旧工事の様子を見ていると、工事のための重機が入ったり、コンクリートの構築物が築かれたり、車輌進入のための舗装道路が取付けられたりしている様子を見ていつも思うのは、昔の人はどうやっていたのだろうということ。熊本城は江戸時代以来、何度も大地震に見舞われている。その都度、櫓が倒壊したり、石垣が崩れたりしたに違いない。重機も運搬車両もない時代、その都度復旧させてきた昔の人はエラいと思う。


戌亥櫓の復旧工事風景

わげもんの時代

2022-01-30 19:41:55 | 伝統芸能
 NHK土曜ドラマ「わげもん~長崎通訳異聞~」の4回シリーズが終了したが、エンディングでキーマンの神頭が生き残っていることから続編があるのかもしれない。
 3年ほど前にこのブログに熊本民謡「ポンポコニャ」が生まれた時代について書いたことがあるが、「わげもん」がちょうど同じ時代背景の物語なので3年前の記事を再編集して掲載してみた。 


長崎港絵図

 郷土史家の鈴木喬先生(2010年没)の研究論文「熊本民謡ポンポコニャーと熊本名所地名考」の中には、熊本県御船町出身の醸造学の権威・住江金之(すみのえきんし)博士が「日本談義(1951年2月号)」に寄稿した「肥後古民謡」に関する小文が紹介されている。この文献は数年前、僕も県立図書館でその現物を読んでみたことがある。それには、住江博士が大叔母から聞いたという「ポンポコニャ」の歌詞が紹介されている。

〽長崎にオランダペレトン始まりて
 台場台場にゃ大きな石火矢ポンポコニャ
 オーサポンポコポンポコニャー

 ここに出てくる「ペレトン」は英語の「ペレット」つまり弾丸のことであり、「石火矢」とは「大砲」のこと。これらの言葉から、住江博士は、それは大叔母の生きた時代からみて、長崎周辺に外国船が出没することに危機を感じた幕府が嘉永2年(1849)に海防強化令を出したことに関連するものという住江説に鈴木先生も同意している。「ポンポコニャ」は、熊本名所めぐりのような歌詞の他にも、当時の国内情勢を反映した歌詞が、かつては唄われていたと考えられとても興味深い。


Oldies but Goodies

2022-01-29 19:16:56 | 音楽芸能
 外出も自粛してYouTubeのミュージック・ビデオを漁っていたら「ロック・ザッツ・スイング・フェスティバル(Rock That Swing Festival)の映像に行き着いた。若い頃、ジルバなどは多少の心得があったのでとても興味深かった。調べてみると、このフェスティバルはスイングダンスの世界的なイベントで各国の名うてのダンス・インストラクターが集結するらしく、全員がキレッキレのダンスを披露する。スイングダンス自体は1920年代のアメリカで始まり世界中に広まったという。
 ダンスの素晴らしさもさることながら、僕は音楽の方に食いついた。この映像では次の8曲が使われているが、どれも懐かしい曲ばかり。
  • バビロンの河:ドイツのグループ、ボニーM 1978年のヒット曲。
  • Sugar Sugar:アメリカのアーチーズ(The Archies)1969年のヒット曲。
  • More Than I Can Say:アメリカのボビー・ヴィー 1961年のヒット曲。
  • Forever And Ever:ギリシャのデミス・ルソス 1973年のヒット曲。
  • Mississippi:オランダのポップミュージックグループ「Pussycat」 1976年のヒット曲。
  • グヮンタナメラ:キューバの民謡でアメリカの大物フォーク歌手ピート・シーガーが歌い世界中に知られた。
  • Kiss Me Honey Honey Kiss Me:英国の女性歌手シャーリー・バッシーの1959年ヒット曲。
  • Jeany Ich Brauch' Dich: ドイツのディー・フリッパーズの曲らしいが、僕は初見だった。


熊本城マラソン 10年

2022-01-28 21:21:31 | スポーツ一般
 熊本城マラソンが始まって今年で10年。しかし、昨年、今年とコロナ禍のため中止となった。
 小平にいた頃、日の出山の中腹から青梅街道をまるで川のように流れるランナーの群れの壮観さを眺めながら、故郷熊本でもこうした市民マラソンが開催出来たらいいなぁなどと思ったものだ。それから25年後、それは実現した。しかし、年齢的に参加するのは無理とあきらめた。それは防府にいた頃、当時カネボウ陸上部監督を務めておられた貞永信義さん(ローマ五輪などのマラソン日本代表)と交流があり、寒い時期のマラソンの厳しさを聞いていたからだ。運営ボランティアへの参加も考えたが、年寄りの出る幕ではないとあきらめた。
 毎年、この時期になると2月に開催される熊本城マラソンに参加するランナーたちがコースを試走する姿を数多く見かけたものだが、さすがに今年は見かけない。来年は何とか開催出来ればいいが。


2012年の第1回大会を報じる熊日新聞

江津湖の春

2022-01-27 20:07:35 | 熊本
 今日、熊本県は新たに1281人の新型コロナウイルス感染が発表された。この急激な感染拡大に、近々、水前寺江津湖公園の中にある熊本県立図書館へ行こうと思っていたのだが先延ばしすることにした。県立図書館へ行く時はいつも決まって江津湖周辺を散歩することにしているのだが、早春の江津湖散策もしばらくお預けだ。久しぶりに「江津湖音頭」を聞きながら陽春の湖畔を思い浮かべた。

湧くからに流るるからに春の水(夏目漱石)


上江津湖


西出丸長塀の修復

2022-01-25 20:11:22 | 熊本
 「西出丸長塀」の修復工事が始まった。熊本城を訪れる観光客のほとんどが、二の丸広場から薬研堀をはさんだ向こうに目にする「西出丸長塀」は熊本城景観の中でも見どころの一つ。6年前の熊本地震では西大手門から戌亥櫓へと続く長塀のほとんどが倒壊。下を支える石垣の一部も崩落した。地震以来、手着かずの状態が続き、見るのが辛くなっていたが、やっと修復工事が始まりホッとした。今度は修復が進んで行くのを見るのが楽しみだ。


復旧工事が始まった西出丸長塀


熊本地震で倒壊する前の美しい西出丸長塀


地震前は、二の丸広場で行われる様々なイベントの舞台背景となっていた西出丸長塀

やつしろ舟出浮き

2022-01-24 17:22:17 | 歴史
 八代には「舟出浮き(ふなでうき)」というアウトドア・レジャーがある。漁船に10人前後の客が乗り込み、漁師の伝統漁法を目の前で見物するとともに、獲れた季節ごとの海の幸を、八代海に浮かぶ無人島に上陸して漁師さんがさばいて料理してくれるというもの。
 「舟出浮き」は江戸時代、八代城主だった松井家が球磨川河口で楽しんでいた船遊びに由来するいわば「海のピクニック」。

 僕が「舟出浮き」という行事のことを知ったのは10年ほど前のこと。その時ハタ!と思い出した。今から60数年前、父が八代の太田郷小学校に勤務していた頃、教職員の慰安行事に僕も連れて行ってもらった。それが八代海でのイカ釣り舟だった。海に沈めてあった籠を次々に引き上げると中にイカが入っていて、船上へ上がる瞬間に真っ黒いスミを吐く。みんなキャーキャー言いながらスミをよける。そして漁が一段落すると無人島に上陸して弁当を開いた。釣ったイカをそこで食べたかどうか憶えていないが、お土産に持って帰ったことは憶えている。あれが「舟出浮き」だったのだと認識したのはそれから50年以上も経ってからだった。


松井家の御用絵師が描いたという「舟出浮き」の様子(無人島での貝掘りか)


上陸した無人島で小学生の僕と女の先生が記念撮影


母の娘時代

2022-01-22 21:30:45 | ファミリー
 祖母が他界して今年で45年。僕は両親が共働きだったので、幼い頃はもっぱら祖母に育てられた。言わば「婆さんっ子」というやつだろう。幼い頃から、芝居や歌手の公演などにもよく連れて行ってもらった。父の話では祖父が早世したので、まだ若い頃から寡婦として父と叔父を苦労して育てあげたそうである。父が書き残した備忘録の中に「母の娘時代」という話がある。僕は時々、これを読み返しながら祖母の若い頃を想像している。


籠城陣中で「ションガイナ節」が流行った件

2022-01-21 19:15:57 | 歴史
 各地の梅のたよりも届き始め、自然と「♪ 梅は咲いたか・・・」と口ずさみたくなる季節がやって来た。この通称「梅は咲いたか」は、江戸初期から明治時代まで歌詞・曲調を変えながら歌われた「しょんがえ節」や「しょんがいな節」などと呼ばれた端唄の一つ。


わが家の梅ももうやがてこんな状態に(写真は過年度)


 この「しょんがいな節」が明治10年の西南戦争のさなか、薩軍に攻められて籠城戦を余儀なくされた熊本鎮台(熊本城)の陣中で歌われていたという記録が残っている。鎮台司令長官の谷干城少将を補佐し、鎮台参謀副長を務めていた児玉源太郎少佐の口述をまとめた「熊本籠城談」という文献の中に記されている。砲撃の音はするが一向にやって来ない援軍に苛立つ気持を替歌にしたものらしい。

▼「熊本籠城談」より
三月二十六日、初めて熊本の東に当たる鹿児島街道の松橋方面に、大砲の音がおどろおどろに聞こえた、これは山田少将の引率された別働隊が賊と衝突したので、さてはこの方面にも戦が始まったなと思って、二十七日に相なるとそれが次第次第に烈しくなって、今は激戦の最中、勝つか負けるか、願わくば逆賊を破って早く城下へ押寄せよかしといずれも心中秘かに神仏に祈っていた
二十八日に及んで植木口の旅団司令部よりして、忍びの使者が一人やって来た。これは福田丈平といって植木近在の者であったが、どうやらこうやら敵囲を免れてようやく城へ達したが、もっとも福田より前幾人も幾人も使者になってやって来たけれども一人も達しない、福田一人初めて城へ入ることができた、初めの間はどうも変だ間諜ではあるまいかと疑われたので、容易に入れることをせなんだが、遂に事情が判明して城に入れ、段々様子を聞くと、山鹿口の対陣は延長七里にわたっていること、南の関は向坂を降して木留まで進軍して来たことなどを報告した
ところで三月一日の調査には城中の兵糧ただ十九日間を余すばかりであったに今はというにすでに三月下旬、やがて四月に入る時節である、手を替え品を変えてやっとのことに露命を繋いではいるものの、この先の見込みは殆ど付かない、味方は来る来るとばかりで更に影も姿も見えぬところから、この頃陣中に替歌の「ションガイナ節」が流行した、歌は記憶しておらぬが何でも余程たしかなもので
「酒は見てるが煙草はまだかぇな、旅団は植木でトテチリシャン、音ばかり、ションガイナ」
とかいうようなものじゃったが、この歌は司令部から禁止されてしまった


列島ニュース から

2022-01-20 21:36:36 | ニュース
 このところ、NHK午後の「列島ニュース」をよく見るようになった。大阪局をキーステーションに、全国のNHK各局のお昼のニュースをピックアップして見せてくれる。日頃、全国や九州・熊本のニュースを見ているが、なかなか各地のローカルニュースは見る機会がない。最近はやはりコロナに関連するニュースが多いが、各地の感染状況や対応の違いなども興味深い。
 今日の「列島ニュース」では都道府県別の人口10万人あたりの感染者数が紹介された。なんと熊本は全国で6番目に感染者数が多い。「まん延防止等重点措置」の適用もやむなしといったところ。



 その他の各地のニュースで気になったのは大分のニュース。大分県国東市が宇宙ビジネスの拠点となって地域振興を図ろうというもの。なんと大分空港を宇宙港にする計画らしい。それ自体は夢があり、地域振興につながるならば喜ばしいことなのだが、そこでふと思った。国東半島といえば神と仏が共存する神仏習合の発祥の地として知られたところ。そこで最先端の宇宙ビジネス!!!
 面白い発想かもしれない。なぜなら宇宙飛行士は皆な、神の存在を感じるというから。


国東市の観光パンフレットより

明清楽とその時代

2022-01-19 20:30:35 | 音楽芸能
 現在、NHKで放送されている土曜ドラマ「わげもん~長崎通訳異聞~」は、江戸時代、西洋への唯一の窓口となって栄えた長崎出島でオランダとの交易を、通訳として支えたオランダ通詞(つうじ)たちの活躍を描く物語。「わげもん」とは「和解者」と書いて通訳者のこと。時代背景はペリーの黒船来航まであと4年に迫った嘉永2年(1849)という設定。
 今日の邦楽の一源流となった「明清楽」が日本に伝来したのは、この少し前、文政年間(1818~30)のこと。長崎へ渡来した清の人々によって伝えられた。僕はちょうど「明清楽」について調べていたところだったので、ほぼ同じ時代のドラマ「わげもん」はとても興味深い。
 その「明清楽」の代表曲が「九連環」。日本人の好みに合わせてアレンジされ、「法界節」などになり、さらに端唄として洗練され「さのさ節」などになって、明治中期に大流行した。
 その経緯については「明清楽資料庫」のサイトに詳しい。






新型コロナ第六波のなかで

2022-01-18 10:49:26 | 
 熊本も連日300名を超える新規感染者で「まん延防止等重点措置」が適用されそうな状況となった。
 今週末は、もしコロナなかりせば、その全部またはどれかに行ったであろうイベントが目白押しだ。
 ちなみに
  1月20日(木)大江幸若舞(みやま市 大江天満神社)
  1月22日(土)久留米座能(久留米市 久留米シティプラザ)
  1月23日(日)玉名女子高吹奏楽部ニューイヤーコンサート’22(熊本市 熊本県立劇場)など。

 このうち、久留米座能と玉女コンサートは昨年からチケット販売が行われていたが、第六波を予測してあえて購入しなかった。また、大江幸若舞は無観客開催になるかもしれないことがアナウンスされている。
 安心安全な環境でイベントが開催されるようになるのはいったいいつになるのだろう。


大江幸若舞

老医師の年賀状

2022-01-16 18:57:37 | 友人・知人
 お年玉付年賀はがきの抽選が明日だと思い出したので、今年いただいた年賀状をあらためて眺めていたら、ふと酒井恭次先生のことを思い出した。酒井先生は永年ブリヂストン横浜工場の産業医を務められた方で、僕は在職中大変お世話になった。残念ながら7年前95歳で他界されたが、毎年先生からいただく手書きの年賀状が楽しみだった。何度かブログネタにさせていただいたが、その中から二つ再掲して先生を偲びたい。

▼2019年3月11日
 熊本城二の丸の西大手門への通路の脇に「歩兵第十三連隊の跡」記念碑がある。今日散歩のついでにしばらくながめていたら、ふと4年前に他界された酒井恭次先生のことを思い出した。酒井先生は僕がブリヂストン時代に最もお世話になった横浜工場の産業医である。亡くなる数年前から、毎年、年賀状には必ず戦時中の熊本の「西部第十六部隊」にいた頃の思い出が書かれていた。よほど懐かしい想い出だったのだろう。「西部第十六部隊」というのは、この記念碑の「歩兵第十三連隊」が昭和12年の支那事変で出征した後、その補充部隊が集められ、この部隊が後に「西部第十六部隊」となった。
 先生は久留米のご出身だが横浜勤務が永く、亡くなるまで逗子市に住まわれた。今日は先生のお住まいにほど近い小坪漁港で歌い継がれている「小坪いかとり歌」でも聞きながら先生を偲びたい。


歩兵第十三連隊(西部第十六部隊の前身)記念碑 熊本城二の丸広場




▼2016年1月4日
 今年いただいた年賀状の中で最高齢の方は、今年93歳を迎える酒井恭次先生。文面には相変わらず「無為徒食の輩」などと先生一流の自虐ネタが書かれていた。もう30年ほど前になるが、横浜工場で産業医を務めておられた酒井先生のところへ仕事で度々お伺いした。お伺いすると必ず、終業後は横浜の街へ繰り出すのがお決まりだった。行きつけの店へ行くと先生は必ず、財布を店の女将に預ける。精算は女将にまかせていて店を出る時、財布を受け取って帰るというのが慣わしだった。ある時、何軒か回った後、カラオケバーに行った。そこで先生は病院に出入りしている製薬会社のプロパーさんを呼び出した。呼び出したわけはその若い男性のプロパーさんはおそろしく歌が上手い人で、先生は僕にそれを聞かせたかったのかもしれない。特に松田聖子の「SWEET MEMORIES」や「赤いスイートピー」などは絶品だった。松田聖子はその頃デビューして5、6年経っていたと思うが、実は僕の会社の大先輩に久留米出身で、かつて松田聖子のお父さんと職場が一緒だったという人がいて、彼女がデビューする時、応援を頼まれたりして、彼女にはずっと注目していたこともあり、この夜のプロパーさんの歌は特に印象深かった。毎年、酒井先生の年賀状を見る度にあの夜のことを想い出す。


天神三社詣り

2022-01-15 17:14:54 | 
 今日は孫娘の大学入試センター試験の日。朝から近場の天神さん三社を歩いて巡り、合格を祈願した。
 まずわが家から歩いて10分足らず裏京町の草分菅原神社(草分天神)。加藤清正公による熊本城築城時に草むらから発見された祠を祀る。現在は加藤神社末社扱いとなっている。
 二番目は熊本市民会館西側に隣接する山崎菅原神社(山崎天神)。「イチハラヒロコ恋みくじ」で今、若い女性に人気の神社だ。
 三番目は水道町交差点に近い手取菅原神社(手取天満宮)。この地はわが祖母の生家に近く、先祖は氏子だった可能性がある。ある意味最もゆかりが深い神社かもしれない。
 さて、ご利益のほどは・・・


草分菅原神社(熊本市中央区京町2-1)


山崎菅原神社(熊本市中央区桜町1-18)


手取菅原神社(熊本市中央区上通町5-34)

300年後にこの文化を残すために

2022-01-14 19:14:52 | 伝統芸能
 今日、テレビ熊本の情報生ワイド番組「かたらんね」では舞踊団「花童」を主宰する中村花誠さんと同舞踊団に密着した。花誠さんへのインタビューを通じ、同舞踊団や伝統芸能の現状と未来についてリポートした。
 現在はコロナ禍のため、かつて年間200回以上行なっていた公演がほとんどなくなるという逆境の中にある。しかし、そんな状況にもめげず、舞踊団は厳しいけいこを重ね、来るべきコロナ後に備えている。そんな中、昨年後半から再開した城彩苑わくわく座での定期公演に向け稽古に余念がない。
 花誠さんは言う。
「300年後までこの文化を残すには、一人でもそういう志を持った人がいないと難しい。私の志を受け継ぎ、様々な困難にも立ち向かい、多くの人々を巻き込んでいけるような人材が私のもとから巣立ってほしいと願っている。」

※わくわく座特別舞台 舞踊団花童&はつ喜「加藤清正~民衆との絆~」
 今月は明日15日(土)13:00より
 桜の馬場 城彩苑わくわく座