徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

舞妓 ふく典(ふくのり)さん

2020-09-30 14:32:44 | イベント
 今日から鶴屋百貨店の毎秋恒例「大京都展」が始まり、オープニングイベントとして京都の舞妓さんによる舞披露が1階のサテライトスタジオで行われた。
 今回やって来たのは宮川町のお茶屋「しげ森」のふく典さん。ふく典さんは、栃木県宇都宮市の出身で今年2年目。まだ初々しさが残る舞妓さんだ。今日は次の4曲の舞を披露した。

  京の四季/わしが在所/祇園小唄/宮川音頭






内モンゴル自治区の弾圧

2020-09-29 18:56:44 | ニュース
 中国ではチベット、ウィグル、内モンゴルなどの少数民族弾圧が激しくなっているらしい。民族の文化や言語も危機に瀕しているという。
 もう13年前のことになるが、中国内モンゴル出身の馬頭琴奏者リポーさんを熊本に招いて演奏会を開いたことがある。開演を前にリポーさんが熊本市長に表敬訪問をしたいというので、当時、市議会議員を務めておられた牛島弘議員にアポをとってもらい、市役所に幸山市長(当時)を訪ねた。何階だったか応接室に通された後、ちょっとしたハプニングがあった。テーブルの上に飾られていた両国国旗の一方がモンゴル国の国旗になっていることをリポーさんが指摘し、市役所担当者があわてて中国国旗に取り換えるという一幕があった。リポーさんはおそらく複雑な心境だったに違いない。後でそのことをリポーさんに問うたが、彼は多くを語らなかった。
 今、存立危機に瀕している内モンゴルの状況についてリポーさんは何を思っているだろうか。
※写真は幸山市長を表敬訪問した時のリポーさん

▼リポーさんが演奏する「スーホの白い馬 叙事曲」

嗚呼 竹内結子…

2020-09-28 20:06:42 | 映画
 どんな事情があったのかはわからない。本人が亡くなった以上、おそらく誰にもわからないだろう。ただ、ご冥福を祈るのみだ。
 映画をほとんど見なくなったので、彼女の最近の作品は知らない。今から10年前くらいまではよく映画を見ていて、彼女が出演した作品を結構見ている。まだ彼女が20代の頃だ。若いながら、なかなかしっかりした女優さんという印象が残る。40代になり、これからますます幅広い役をこなしていけるはずだったろうに。惜しい人をなくしたものだ。
 ちなみにこれまで見た彼女の出演作品は次のとおり。なお、テレビドラマはほとんど見ていない。
  • 黄泉がえり(2003)
  • 天国の本屋〜恋火(2004)
  • いま、会いにゆきます(2004)
  • 春の雪(2005)
  • サイドカーに犬(2007)
  • クローズド・ノート(2007)

 なかでも印象深かったのは「サイドカーに犬」のかっこいい女性ヨーコの役。2007年12月30日のブログに次のように記している。

「サイドカーに犬」
 80年代の物語だが、80年代の初め、この映画の舞台となっているくにたちに住んでいたので、百恵ちゃんの家を探しに行くシーンなどでは当時を思い出して懐かしかった。まぁこの映画、とにかく竹内結子が絶品。こんなにかっこいい女性が主役の映画はひさしぶりだ。誰しも小さい頃、かっこいいなぁと憧れた大人の一人や二人はいるものだ。映画公開の時、それほど大きな話題にはならなかったが、映画としての出来も今年の作品の中でかなり上位に行くのではないか。


大浜町の叔父

2020-09-27 13:12:12 | 
 大浜町の叔父が九十歳の生涯を終え旅立った。叔父にとって僕は初めての甥っ子だったので小さい時から可愛がってもらった。ユーモアに富んだ人で大好きだった。祖父の代から玉名市大浜町で始めた理髪店を継ぎ、一生を「床屋のおやじ」として終えた。仮通夜の席でふと、あの「巧まざるユーモア」はどこから来たのだろうと考えた。祖父もユーモアのある人だったのでその血を受け継いだのは間違いないが、どうもそれだけではないようだ。江戸時代から「髪結い」の店はサロンであり社交場だったという。いろんな身分、職業などの人が集まり、世間話をする。いきおい店のおやじはそうした種々雑多な情報に触れ、世事に明るい存在となる。また、大浜町の歴史的背景もあったろう。江戸中期から菊池川の土砂堆積により港としての機能を失った高瀬に代わり、河口の大浜が肥後米の積出港となった。廻船問屋が軒を連ね、大きな廻船がやって来た。船とともに江戸や上方の文化も入って来たろう。明治時代になり、「髪結い」から「床屋」になっても海運に乗って様々な人々が往来した。僕が子供だった戦後間もない頃、大浜の床屋にはまだそんな歴史の名残りがあったように思う。叔父の「巧まざるユーモア」は仕事を通じて身に付けた幅広い知識に裏付けられたものだったのだろう。


かっぽれ の 踊り方

2020-09-26 16:20:25 | 伝統芸能
 昨夜のNHKのコント番組「LIFE!」で人気若手俳優の中川大志が「妖怪どうしてやろうかなん」に扮し、カッポレを踊ったので、弊YouTubeチャンネルの「かっぽれ」にも多くのアクセスがあった。
 昨年の夏、静岡県掛川市伊達方地区の方からご依頼があり、舞踊団花童の中村花誠先生から「かっぽれ」の映像音源をご提供いただいてお送りした。同地区の皆さんはこの音源を使って「かっぽれ」の練習を重ね、秋の祭りでは見事な群舞を披露されたそうだ。
 花童が踊る「かっぽれ」の振付は師匠の中村花誠先生がアレンジされたものだが、「かっぽれ」の踊り方は昔から基本的なものがある。江戸後期、願人坊主が門付芸として踊ったのが始まりといわれ、住吉踊り、伊勢の川崎音頭、鳥羽節などが融合したもののようだ。明治19年に河竹黙阿弥作の狂言「初霞空住吉 (はつがすみそらもすみよし) 」で九世市川団十郎が「かっぽれ」を踊ったことで全国的に知られたという。
 明治44年12月に発行された「舞踊の手ほどき(町田桜園 著)」によれば下図のように踊るのが基本のようだ。

かっぽれの踊り方


掛川市伊達方地区の皆さんによるかっぽれ

舞踊団花童のかっぽれ

鍾馗水仙(しょうきずいせん)でコロナ退散!

2020-09-25 19:13:29 | 日本文化
 わが家の「しょうきずいせん」が鮮やかな黄色い花を咲かせた。彼岸花の一種で和名の「鍾馗(しょうき)」とはギョロ目とヒゲが特徴的な中国から伝わった道教の神様のこと。「しょうきずいせん」の花が鍾馗様のヒゲに似ているのでその名がついたという。日本では魔よけとして端午の節句に五月人形とともに飾る風習もあるが、もともと疫病退散の神でもある。コロナ禍の先行きが見えない今、この黄色い花にコロナ退散を願うのもアリか。


鍾馗水仙


鍾馗様

平針木遣音頭(ひらばりきやりおんど)

2020-09-24 22:00:34 | 伝統芸能
 東海風流チャンネル(水野詩都子さん・本條秀五郎さん)にアップされている曲のうち、「篠島さのさ」を以前紹介した。「篠島さのさ」には慶長15年(1610)の名古屋城築城の際、天守石垣の普請を担当した加藤清正公が、知多半島の沖に浮かぶ小島篠島から、この島特産の花崗岩を切り出し、船で運んだ故事が唄い込まれている。
 一方、今回紹介する「平針木遣音頭」は陸揚げした巨石を修羅(木製の大型そり)に乗せて運ぶ時、清正公自ら石の上に乗り、木遣り音頭を唄って気勢を上げたという故事が起源だという。この石引きに参加した平針地区の人々がこの時の清正公の掛け声を真似て、景気づけに唄ったのが始まりとされる労働歌といわれる。現在では、平針木遣保存会によって伝承され、名古屋市の無形民俗文化財に指定されている。そんな歴史に思いを馳せながらこの唄を聞くとさらに味わい深いものがある。


加藤清正石引きの図(尾張名所図会)


平針木遣音頭 お木曳き

あつもり違い !?

2020-09-23 19:56:35 | 伝統芸能
 近頃、随分前にYouTubeに投稿した「幸若舞 敦盛」に妙にアクセスが多いので不思議に思っていた。普段はよっぽどコアな古典芸能ファンしかアクセスしないし、コメントも意味不明のものがいくつかあったので調べてみたら、ニンテンドーのゲームソフト「あつまれ どうぶつの森」の略称を「あつ森」というらしい。どうやら「あつもり」という言葉で検索する人が多かったようで、たまたま僕のYouTubeチャンネルが網にかかったらしい。
 まぁ、動機はどうあれ、一人でも多くの方の目に触れるのであればそれは喜ばしいことだ。

 敦盛というのは、一ノ谷の戦で源氏の武将熊谷次郎直実に討たれた若武者・平敦盛のこと。僕が子どもの頃は「討たれし平家の公達あわれ」なんていう歌を婆さんがよく歌っていたものだ。古典芸能としては能「敦盛」と幸若舞「敦盛」がよく知られている。織田信長が出陣前に「人間五十年げてんのうちを比ぶれば・・・」と謡い舞ったというのは幸若舞の方だ。


能「敦盛」


幸若舞「敦盛」

熊本城天守閣が再建される前

2020-09-22 22:25:32 | 歴史
 今年は熊本城天守閣が昭和35年(1960)に再建されて60年の年。昨日、二の丸広場から天守閣を眺めながら、幼稚園の帰りのお決まりのコースだった本丸の思い出に浸った。天守閣が再建される10年も前のことだ。


昨日の熊本城天守閣

 千葉城町の幼稚園を出ると千葉城橋を渡って須戸口門へ。平御櫓から一気に十八間櫓へ登り、そこから左折して石段を登ると本丸の広場に出る。当時は大天守も小天守も、もちろん本丸御殿もなく、ただの広場だった。広場を西に向かって抜け、頬当御門を出て右折。当時の熊本城のシンボル宇土櫓を右に見ながら進み、監物台を左折し、新堀橋へ向かう。新堀橋を渡ると、愛染院の前から加藤神社(当時は新堀町に鎮座)の脇道を通って加藤神社の中へ。神社内でしばらく遊んだ後、神社の裏口を出て、裁判所の前を通り、中坂を横切って京町測候所の前へ。そして柳川小路を下って新坂へ出る。これが帰り道のコースだった。


昭和33年(1958)の頃の本丸


昭和34年(1959)再建工事中の天守閣

観光客が戻った熊本城

2020-09-21 21:34:44 | 熊本
 午後から熊本城周辺を散策する。二の丸広場に多くの人々を見るのは久しぶりだ。熊本城特別公開のチケット売場の前にも行列ができている。二の丸広場と城彩苑の間の通路はコロナ以前の状態に近い賑わいが戻っていた。城彩苑の入場者はまだコロナ以前の状態には戻っていないが、一時の閑散としていた頃のことを思うとありがたいことだ。このまま順調に観光客が戻り、人の流れが途切れないかつての熊本城に戻ってくれれば嬉しいのだが。


城彩苑もコロナ前の賑わいが戻りつつある。


無料シャトルバスの利用者数も回復してきた。


来月から再開されるわくわく座の舞踊団花童公演の宣伝イベントにも多くの観客が。

寄進碑から歴史を読む

2020-09-20 22:50:10 | 歴史
 本妙寺大本堂の門前に10本の寄進碑が建ててある。いつもは胸突雁木へ向かって通り過ぎるだけだが、今日、ちょっと刻まれた文字をじっくり読んでみようと思った。向かって一番左端の九州産交の寄進碑以外は、明治42年の加藤清正三百年忌の時のもののようだ。おそらく寄進額の大きいものをここに建ててあるのだろう。寄進者は熊本市長を始め多士済済である。陸軍関係者や遊郭関係者、細川家関係など。一本一本読んでいくと当時の熊本の社会背景が見えてくるから面白い。ちなみに寄進額を今日の価額に換算してみた。何を基準にするかでだいぶ異なるが、1円を4,000~5,000円として換算すると壹千圓というのが400~500万円とみていいかもしれない。

  • 熊本市代表者 熊本市長 辛島格 参千六百五拾圓 (第3代熊本市長。辛島町の由来)
  • 兵庫県神戸市 品川源兵衛 壹千五百圓 (質や両替商として財を成した資産家)
  • 東京歌舞伎座 大河内輝剛 壹千貮百圓 (歌舞伎座社長、政治家)
  • 熊本 塩山仙蔵他三名 四菩薩造立費 壹千圓 (資産家?)
  • 二本樹町 竹下彌次郎 鐘楼堂新築費 壹千圓外現金百円 (資産家、遊郭関係?) 
  • 第六師管在職将校同相當官以下一同 壹千圓 (陸軍第六師団関係者)
  • 二本樹町 倉岡幸作 黒門新築費 千三百九拾五圓 (妓楼幸楼の楼主)
  • 東京 侯爵 細川護成 壹千圓 (熊本藩第12代藩主細川護久公の子)
  • 神戸多門通 品川源兵衛 壹千圓 (上記同名者と同人物)
  • 九州産業交通株式會社 玉垣寄進

 

ブラタモリ史上No.1の美女!?

2020-09-19 22:53:02 | テレビ
 今夜のブラタモリは「熱海編」のアンコール。数日前からしっかりチェックしていた。なぜかというとブラタモリ史上No.1の美女の呼び声高い京都府立大学で都市史がご専門の松田法子先生が登場されるからである。2016年1月16日のこの回が初登場。その後、有馬温泉編などにも登場された。熱海編の展開は大体憶えているので、もっぱら松田先生をうっとりと眺めていた。また、新作へのご登場をお待ちしております。
 この熱海編のアシスタントはまだ桑子真帆アナ。前年の4月からブラタモリ担当になってやがて1年近く経っているのでだいぶ馴染んでいる。 彼女の前任者、しとやかな久保田祐佳アナの時代が長かったので、最初はちょっと違和感があったが、この頃になるとタモリさんとの息もピッタリという感じだ。彼女の後の近江友里恵、林田理沙、浅野里香各アナらに比べると明らかにタモリさんとのパーソナル・ディスタンスが近い。熱海編を見ながらそんなことも感じ面白かった。


「そうじゃおまへんか」ファミリー大集合!

2020-09-19 09:53:37 | 音楽芸能
 コロナ禍の中、活動の危機に瀕しているアーティストたちを支援しようと「ナゴヤ・アーティスト・エイド」が立ち上げられました。これは名古屋市を拠点に文化芸術活動をしているアーティストたちがWEB上で映像作品を発表し、それを名古屋市が助成するというものです。
 このほど「東海風流プロジェクト」でおなじみの民謡歌手・水野詩都子さんの作品がこの支援活動に採用され、YouTubeで公開されました。作品は幕末に名古屋で流行ったという「きんらい節」別名「そうじゃおまへんか節」という俗謡の系譜に連なる各地の民謡たちです。
〽名古屋名物(愛知県)
〽おてもやん(熊本県)
〽酒田甚句(山形県)
〽日高川甚句(和歌山県)

 水野さんの解説とともに、ルーツを同じくするこれらの民謡の似ているところ違うところを確かめながらお聴きください。なお、三味線は「東海風流プロジェクト」に同じく本條秀五郎さんがリモートで演奏しておられます。


流鏑馬のメランコリー

2020-09-18 17:03:20 | 日本文化
 毎年楽しみにしている「秋のくまもとお城まつり」も今年は中止。中でも残念なのは「熊本城流鏑馬」が見られないことだ。千百年もの歴史を有する熊本県の重要無形文化財「武田流騎射流鏑馬」が、熊本城天守を背景に駆け抜ける雄姿は、まさにここでしか見られない。
 ブログでご好誼を賜っている津々堂様が先々週、「人の歩き方・馬の歩き方」という記事を投稿された。その中で流鏑馬の馬の走り方「側対歩」について紹介されていた。「側対歩」というのは右側の前足と後足を同時に踏み出したら、次に左側の前足と後足を同時に踏み出すという走り方のことである。この走り方は上下動が少なく、騎射がやりやすいのでかつては流鏑馬の走法として使われていたという。ところが馬も日本在来種が少なくなり、サラブレッドのような外国産種を使わざるを得なくなったが、外国産種は「側対歩」を調教するのは難しいらしい。また、どこかの馬主から借りるとなると、その馬が現代馬術にも使われている馬だと変なクセをつけるのは嫌がられるという。従ってほとんど競馬と同じような疾走(ギャロップ)での騎射になってしまう。つまり、今の流鏑馬は昔よりはるかに難しい条件で騎射をせねばならないというのである。





吉田高校神楽部と神楽の伝承

2020-09-16 13:44:34 | 伝統芸能
 先日放送された「鶴瓶の家族に乾杯 2020特別編 ~中村勘九郎と広島スペシャル~」(NHK-G)では2011年の放送で勘九郎(当時は勘太郎)さんが「地域で伝統芸能に携わる人に出会いたい」と安芸高田市を訪問した当時の吉田高校の神楽部だった皆さんと中継で再会した。2011年の本放送も見たが、その時、勘九郎さんが流した感動の涙を今回はより強く共感できた。おそらく9年の間に、僕自身も能や神楽などの伝統芸能をたくさん見たからだろうと思う。この放送が影響したのか、吉田高校神楽部の部員はかなり増えたらしい。喜ばしいことだ。
 全国でも有数の神楽どころといわれる広島県。中でも安芸高田市は特に盛んなところで、市内に22の神楽団があるという。毎年7月、この安芸高田市で開催されるのが「高校生の神楽甲子園」。全国各地から神楽に青春をかける高校生たちが集うのだという。ちょうど放送のあった2011年から始まり、今年は10回目を迎えるはずだったが、残念ながらコロナの影響で中止された。来年以降も必ず開催されると思うが、伝統芸能を担う高校生たちにとても心強い思いがする。


吉田高校神楽部


高校生の神楽甲子園における吉田高校の演技