徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

宇土櫓の復旧に向けて

2024-02-29 22:19:13 | 歴史
 現在、解体保存工事が行われている熊本城宇土櫓は、400年以上前の築城当時の姿を今に伝える「国指定重要文化財」です。現状の姿は素屋根に覆われて見ることはできませんが、近々、一般観光客も素屋根の中に入って工事の様子を間近で見ることができるようになるそうです。おそらく復旧工事が終わったらこんな近くで見ることはできないでしょうからぜひ見に行きたいものです。なお、復旧工事の完了予定は2032年です。


素屋根を覆うシートには熊本地震前の宇土櫓の写真が印刷されています。


熊本地震前の宇土櫓(加藤神社鳥居前から)


熊本地震前の宇土櫓(西出丸広場から)


川瀬巴水が描いた昭和23年頃の宇土櫓


昭和2年に行われた解体再建工事前の宇土櫓


昭和13年(1938)日独防共協定を結んでいたナチスドイツの青少年組織ヒトラーユーゲントが来日。
宇土櫓前で記念撮影


 昭和25年頃、今の加藤神社前が駐車場となっていた。大型観光バスによる観光ブームの始まり。

おそらく「宇土櫓」が歌詞に登場する唯一の唄「五十四万石」

檜垣媼と二本木遊郭

2024-02-28 22:36:49 | 歴史
 一昨日の記事「観能記~檜垣~」の関連記事ということで、今日は「檜垣媼と二本木遊郭」の関係について。
 檜垣が白川のほとりに結んだ草庵が寺歴の始まりという蓮台寺(熊本市西区蓮台寺2)には、檜垣の墓石とも伝えられる「檜垣の塔」がある。この塔は室町時代にはすでに著名であったという。この塔のまわりを取り囲む玉垣の寄進者名が塔の門柱に刻まれている。この玉垣は昭和10年に熊本市の水前寺北郊で開催された「新興熊本大博覧会」の際に造られたものらしい。そしてその寄進者名には二本木遊郭の妓楼名がずらりと並んでいる。なぜ、二本木遊郭がこぞって寄進したかというと、檜垣が遊女たちの守り神として崇敬されていたからである。女流歌人として知られる檜垣は若い頃、都の白拍子(しらびょうし)だったと伝えられる(世阿弥の創作だという説もあるにはあるが)。白拍子というのは高貴な人たちを相手に歌舞を行なう遊女だったといわれる。二本木遊郭の遊女たちは、ほど近い蓮台寺に祀られた檜垣を心の拠りどころとして生きていたのだろう。
※右の写真は檜垣媼座像(蓮台寺所蔵)


蓮台寺山門


檜垣の塔

▼檜垣の塔の門柱に刻まれた寄進者名
【左】
世話人 富貴楼、橋立楼、日本亭
寄付者 八起楼、豊遊楼、幸支店、松島楼、小松楼、第一翁、高砂支店、八千代楼、越楽楼、
    益城屋、第二翁、二葉楼、昭和楼、旭屋、第二日本亭、老松楼、清漣楼、第二三遊楼、
    一心楼、旭屋支店など
【右】
発起人 蓮台寺、幸楼本店、清川楼
寄付者 鴬楼、湊川楼、福恵楼、花月楼、相生楼、一楽、板倉楼、松ヶ枝楼、銀杏閣、舞鶴楼、
    大富楼、松琴楼、美人荘、松亀楼、博多楼、第二一楽、松屋、三遊楼、梅ヶ枝、都本店、
    東京亭、松濱楼、有明楼、都支店、第二松鶴
※不鮮明なため一部誤りや遺漏があるかもしれない。

孫娘の成人

2024-02-27 21:39:57 | ファミリー
 今月でgooブログを始めて19年。その最初の記事は孫娘が可愛いという、ただの「じじい馬鹿」の内容でした。その時、孫娘はもうすぐ満1歳になるという頃で、僕のパソコンのところへヨチヨチ歩きでやって来て、キーボードをメチャクチャに叩いていたものです。彼女も明後日29日にハタチの誕生日を迎えます。今、大学生です。時の流れはなんと早いことでしょう。これからの彼女の人生をいつまで見届けられるでしょうか。



観能記 ~檜垣~

2024-02-26 20:14:53 | 古典芸能
 昨夜はEテレの「古典芸能への招待」で能「檜垣」を見た。熊本ゆかりの能なのだが、これまでナマの舞台はもちろんのこと、テレビ放送で見る機会も無かったので全くの初見である。しかし、謡本「謡曲集」で繰り返し読んで展開は分かっていたし、檜垣ゆかりの地めぐりもしていたので現地を思い浮かべながら見ていた。
 今回は金剛流だったからか、一部文言が違っていたり、最後に付加されたくだりがあったようだ。


この能のモチーフとなっているのは「年経ればわが黒髪も白川のみづはくむまで老いにけるかな」という後撰集の檜垣媼の歌

 また、鹿子木寂心の作という説のある次の一節が誰の作なのか、世阿弥が典拠としたものは何だったのかについても新たな疑問が湧いて来た。


さてもこの岩戸の観世音は霊験殊勝の御事なれば」とワキの修行僧が謡う霊巌洞の岩戸観音。


南西は海雲漫々として 万古心の内なり」とワキの修行僧が謡う岩戸山から南西の致景。


ここは所も白川の 水さえ深きその罪を」と檜垣媼が謡う白川のほとり。(右岸に蓮台寺)


値遇を運ぶ足曳の 山下庵に着きにけり」と檜垣媼が謡う山下庵の跡。(前方に岩戸の里と雲厳禅寺)



隠れた人気動画

2024-02-25 19:40:28 | 音楽芸能
 YouTubeマイチャンネルの投稿動画数は現在、公開・非公開合わせて826本となっている。その中で月次視聴分析でアクセス数の上位にランクされることはほとんどないにもかかわらず、根強い人気を持つ動画がある。そんな動画の一つが「秋田県民謡 喜代節」。これは7年前にアップしたものだが、この曲は秋田県仙北市角館あたりでお祝いの席で唄われるお座敷唄である。ゆったりとしたメロディで舞う地味な印象だったので、アップした時はあまり多くの方には視聴していただけないだろうと思っていた。ところが、アップ後しばらくしてから意外と反響が届き始め、それに伴いアクセス数も伸びて行った。
 先日、ネット上の歌詞検索サービス大手の「歌ネット」で、この動画を紹介していただいていることを発見した。根強い人気の要因の一つは「歌ネット」だったのかもしれない。

「歌ネット」の「喜代節(秋田県民謡)」


角館・武家屋敷通りのしだれ桜(PHOTO-ACさんより)

  • 二人のはつ喜流名取が舞う。振付は中村花誠(はつ喜流月花)さん
  • 歌うのは本條秀太郎さんを通じご縁の高橋キヨ子さん。

河津桜よ また来ん春のたねになるべき

2024-02-24 22:40:55 | 
 昨日は未明の強い雨と冬に逆戻りしたかのような寒風の中、坪井川遊水地の河津桜は散ってしまうのではと川沿いの道を歩いて見に行った。幸いまだそれほど散ってはいなかったがそろそろ今年の終わりが近いようだ。
 ところで河津桜の発祥地・河津といえば「伊豆の踊子」の舞台でもある。河津というひびきが僕を青春時代に誘う。
 川端康成の小説に次のような一節がある。場面は湯ケ野の木賃宿。
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 その次の朝八時が湯ケ野出立の約束だった。私は共同湯の横で買った鳥打ち帽をかぶり、高等学校の制帽をカバンの奥に押し込んでしまって、街道沿いの木賃宿へ行った。二階の戸障子がすっかりあけ放たれているので、なんの気なしに上がって行くと、芸人たちはまだ床の中にいるのだった。私は面くらって廊下に突っ立っていた。
 私の足もとの寝床で、踊子がまっかになりながら両の掌ではたと顔を押えてしまった。彼女は中の娘と一つの床に寝ていた。昨夜の濃い化粧が残っていた。唇と眦の紅が少しにじんでいた。この情緒的な寝姿が私の胸を染めた。彼女はまぶしそうにくるりと寝返りして、掌で顔を隠したまま蒲団をすべり出ると、廊下にすわり、「昨晩はありがとうございました。」と、きれいなお辞儀をして、立ったままの私をまごつかせた。
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 東京在勤の頃、会社の水泳仲間とともに西伊豆には何度も行った。ダイビングが目的だった。高校の時に読んだ「伊豆の踊子」のことはずっと頭の片隅にあったのでいつかは舞台となった東伊豆に行ってみたいと思っていたが、そのうち転勤となり願いはついに叶わなかった。河津桜を見ると必ずそのことを思い出す。
 また来年、一段と成長した河津桜が花を咲かせる頃を楽しみに待つことにしよう。


坪井川遊水地の河津桜


     ▼吉永小百合が歌う「伊豆の踊子」

清少納言と父 清原元輔

2024-02-23 21:21:31 | ドラマ
 大河ドラマ「光る君へ」の第6回にいきなり清原元輔が出て来てビックリした。ききょう(清少納言)に関連して名前は出てくるかもしれないがおそらく登場することはないだろうと思っていたからだ。藤原道隆が開いた漢詩の会に講師として招かれ、お題「酒」を出していた。三十六歌仙の一人として名高い歌人である元輔と娘の清少納言の関係を説明するために創られたエピソードなのだろう。
 「元輔集」(清原元輔個人の和歌集)を読んでいたら前書きに次のような中宮定子と清少納言の歌のやり取りが紹介されていた。
 
定子が
  元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる
  (歌人として名高い清原元輔の後を継ぐべきあなたなのに、今宵の歌会には参加しないのね)

これに応えて
  その人の後といはれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし
  (その元輔の子だと言われることがない身でしたら、今宵の歌会では真先に詠んだことでしょう)

 ドラマはこれからどういう展開になって行くのかわからないが、清少納言は才気煥発な女性であったことは間違いないようだ。


肥後国司を務めた清原元輔を祀る清原神社(北岡神社の飛地境内)

花のお江戸の文化発信

2024-02-22 16:17:55 | 音楽芸能
 大衆文化の発信地が「花のお江戸」になったのは文化・文政期(1804〜1830年)だそうである。それまでの京都中心のいわゆる上方(かみがた)にとって代わった。江戸から離れた地方にもファッション、書物、絵本、食、芸能等々の江戸の文化が伝えられた。もちろん今日のような通信メディアやコミュニケーションツールはないから、専ら地方と江戸間を往来する人々によって伝えられたので時間はかかった。熊本にも江戸の文化が伝わった事情について、「肥後史話」(昭和56年発行 卯野木卯一良著)には次のように記されている。

 お江戸上りの侍や足軽達は参勤交替の長い旅から熊本へ帰ると、いつも得意で、江戸の流行歌を家中の朋輩などの間で歌って聞かせたものである。すると熊本にはまた熊本の芸術家が居って、早速、その悠暢なリズムに一味のユーモアを加えて、更に第二の歌謡を作り出す。面白い/\、肥後独特の郷土味があって素敵だ、などと宴会ごときの場合には、すぐ首打ち振りながら歌い出す者が出るという始末、こうして文化の中心江戸の歌謡は、それら参勤交替の御供の人々の間から、数年越しに田舎の熊本あたりまでも輸入されたものであった。博多や長崎などの様に、海運交通の便利にも余沢にも恵まれていない純然たる封建城下町の熊本市は、一、二特別の場合を除くの外、あらゆる中央の文化的要素を、この参勤交替の御供の人々の土産物として貰い且つ喜んだものであった。

 東海道第一番目の宿場として整備された品川宿は、参勤交代や旅人など多くの人々が行き交う場所で、多くの旅籠や飯売旅籠や水茶屋が立ち並び、飯盛女500人を置くことが公認されていた。また、品川宿周辺には御殿山の桜、海晏寺の紅葉、品川沖の潮干狩りなどの行楽地があり、江戸でも屈指の文化発信地であった。


東海道五拾三次之内 品川(歌川広重、部分)

 江戸の文化を研究している「江戸東京下町文化研究会」というサイトがある。今から11年前、舞踊団花童(当時はザ・わらべ)が踊る「品川甚句」の映像を江戸文化の一例として紹介したところ、このサイトに快く掲載していただき今日まで多くの方に見ていただいている。

2012.5.26 熊本城本丸御殿 春の宴
振付:中村花誠
立方:ザ・わらべ(中村くるみ・上村文乃)
地方:藤本喜代則・中山康子・中村花誠と花と誠の会・本條秀美社中

今年の花見は早いかも…?

2024-02-20 19:39:28 | 季節
 昨日、熊本も「春一番」が吹いたと報じられました。そして今日は気持悪いくらいの暖かさ。予報されていた雨もほとんど降らず、日中は気温が22℃にも達し、まるで4月中旬以降のよう。この分で行くと、3月20日という桜開花予想もだいぶ早まるかもしれません。ただ、桜の名所である熊本城は桜の老木の伐採が進められており、今年はちょっぴり寂しい花見になるかもしれません。
 過年度の桜の風景を並べてみました。










▼東都上野花見之図・清水堂(歌川広重)
 東京在勤中、何度か花見に訪れた上野の山は花見の名所。この絵は上野の山の華やかな花見風景を描いた歌川広重(1797-1858)の「東都上野花見之図」です。下の「長唄 元禄花見踊」にも唄い込まれた「清水堂」下あたりの風景が描かれています。



▼長唄 元禄花見踊
 この唄が作られたのは明治時代に入ってからですが、上野が桜の名所となったのは、三代将軍徳川家光の頃で、元禄時代(1688-1704)には、数ある江戸名所の中でも随一の人気を誇っていたそうです。豪華絢爛な時代の空気がよく表現されています。

2024年2月12日 桜の馬場城彩苑わくわく座 舞踊団花童&はつ喜

熊本城マラソン

2024-02-18 21:56:49 | スポーツ一般
 昨日に続く快晴の下、熊本城マラソンが開催され、1万4600人が城下町を駆け抜けた。2012年に熊本市の政令指定都市移行を記念して始まったこの大会は、今年で12年経過したが、2021年、2022年と新型コロナ感染拡大のため中止。今年が第11回となった。11回目ともなるとさすがに初期の頃のワクワク感は薄れてきたが、それだけ定着してきたとも言える。この大会がある朝はわが家の前の道路が大渋滞するのはいつも変わらない。


男子マラソン優勝者の古川大晃選手。2年連続4度目の優勝。


女子マラソン優勝の加藤みちる選手。加藤選手は3連覇。


第1回大会(2012年)のスタート風景

On The Sunny Side Of The Street

2024-02-17 21:39:24 | 音楽芸能
 雲一つない好天に誘われて今日は熊本城二の丸広場から護国神社周辺を歩いた。京町の本通りを歩いていると、日なた側の歩道と建物沿いの日陰の歩道とでは全く気温が違う。慌てて日なたの方へ移動。思わずあの曲のメロディが浮かんできた。

 二の丸広場は明日に迫った熊本城マラソンのゴール会場設営に大わらわの状態。明日も今日と同じような天気になってくれれば観る側にとってはありがたい。過去何度か雨中のレースがあったが、沿道で傘を差して応援するのも結構つらいものがある。

 護国神社の梅園に近づくと梅の花の甘い香りがただよい、爽やかな気分になる。明日のマラソンはすぐ下の上り坂を通るので今年もこの梅園から観戦することにしよう。


熊本県護国神社・梅園


熊本城二の丸広場



ブラタモリが終わるってよ!

2024-02-16 20:40:51 | テレビ
 今年度末(3月末)を以てNHKの人気番組「ブラタモリ」が終了するという。2009年10月に始まったこのシリーズは第1シリーズから第4シリーズまで、パイロット版も含めるとこれまで合計317本、そのほとんどを見た。この1年ほどは正直、そろそろいいかなと思っていたが、いざ終わるとなると名残り惜しさが募る。タモリの後継者の話もチラホラあるようだが、同じ役割を担う人材となると簡単には見つからないだろう。
 これまで見た中から、個人的に印象に残る3本を選んでみた。

江戸の盛り場 ~吉原編~
(第3シリーズ 2012年1月12日放送 アシスタント:久保田祐佳)


 立教新座中学校・高等学校校長兼立教大学名誉教授の渡辺憲司さんの案内で番組が進行する。「吉原は江戸の流行の発信基地」とかなんとか言いながら、舟で吉原を目指す。柳橋から隅田川を北上、浅草を通過して吉原へと向かう。「船宿へ家の律儀は置いてゆき」と恥も外聞も打ち捨てて、というわけ。かつて使われたのは猪牙船(ちょきぶね)。「猪牙船 小便千両」と言って、相当金をつぎ込まないと舟上に用意された竹筒へ小便ができるようにはならないという。やがて、隅田川の西岸に見えてくるのが「首尾の松」。江戸時代から数えて七代目の松。「濡れてしっぽり首尾の松」てな調子で舟は吉原を目指す。この回の取材から笑福亭鶴瓶の新作落語「山名屋浦里」やそれをもとに新作歌舞伎「廓噺山名屋浦里」が生まれた。


熱海 ~人気温泉地・熱海を支えたものは?~
(第4シリーズ 2016年1月16日放送 アシスタント:桑子真帆)


 ブラタモリ史上No.1の美女の呼び声高い京都府立大学で都市史がご専門の松田法子先生が初登場。その後、有馬温泉編や別府温泉編にも登場された。桑子真帆アナがアシスタントとなって1年、タモリとの息もピッタリ。
 日本を代表する温泉地として、年間600万人の観光客が訪れる静岡県熱海市。江戸時代より前は、知る人ぞ知る小さな漁村にすぎなかったという熱海が、いまのような巨大な観光都市となりえたのは、熱海を支えたものは何だったのか?。何が熱海の発展をもたらしたのか? 熱海のお湯の秘密をひもとく鍵は、断崖絶壁に建つ巨大温泉ホテルから見る絶景にあった?三方を山に囲まれた、傾斜ばかりの地形を巧みに利用した江戸時代の温泉街の工夫とは?さらに、とある旅館の倉庫から「謎の版木」を発見!タモリが刷ってみると、そこに描かれていたものは!?


水の国・熊本 ~“火の国”熊本は“水の国”?~
(第4シリーズ 2016年4月2日放送 アシスタント:桑子真帆)


 熊本県立第一高校の校内にある「ASO-4」火砕流堆積の露頭から始まり、水前寺公園へ移動。まず、住宅地を流れる川岸から湧き出す清水に驚き、天下の名園「水前寺成趣園」へ。池の底から湧き出す水。その秘密を探りにとある地点へ。そこは阿蘇から続く台地のヘリにあたる場所。雨水が浸透しやすい火砕流堆積で濾過され、台地のヘリである水前寺辺りで水が湧き出す仕組みに納得。
 しかし、熊本の豊かな水の秘密はそれだけではない。それを探りに健軍水源地へ。そこにはなんと自噴する井戸が。タモリも初めて見たという。その水はどこから来るのか。実は「ASO-4」の下に「ASO-1」から「ASO-3」までの巨大な水がめがあるという説明に驚く。
 この後、タモリ一行は街中に戻り、加藤清正による治水の巨大プロジェクト、大蛇行する白川の河川改修の痕跡を見る。さらに菊陽町の「鼻ぐり井手」へ行き、コメを飛躍的に増産させたという清正の巧みな利水技術を知る。こうして熊本が水の国であることを認識する。熊本地震の直前、そして桑子アナのラスト出演という思い出も残る。

母の誕生日と春めく野辺

2024-02-15 21:23:11 | 
 今日は母の102歳の誕生日。姉と妹夫婦だけに声を掛け、一緒に昼食をとりながらささやかなお祝いをした。一昨日はかかりつけ医による退院後2週間の診察も受け、経過は順調のようだ。姉も妹夫婦もわれわれ夫婦も既に高齢者。話題といえば、どこの具合が悪いの、あの病院はどうだのといった話ばかり。これからも老々介護の日々が続く。

 午後2時から訪問看護師さんが来られたので、僕は寺原田畑の坪井川沿いを散歩した。関東地方だったか春一番が吹いたというニュースが流れていたが、空には雲が広がっていたものの妙に暖かく春本番といってもいいほどだった。1週間前に咲き始めていた坪井川遊水地の河津桜が七、八分咲きくらいになっていた。土手道をジョギングしていた高齢の男性が「だいぶ咲きましたね」と声を掛けて走り去って行った。思わず顔がほころぶ。

  土手沿いの河津桜や紅淡し


七、八分咲きとなった河津桜



102歳を迎えた母



上熊本駅界隈

2024-02-13 22:00:25 | 
 今日は買物ついでにひさしぶりに上熊本駅界隈を散策した。行く時は新坂を下ったが、帰りは「赤尾口の坂」を上って帰った。

 漱石先生を無視して通り過ぎるわけにはいかないので一応ご挨拶。相変わらず先生は128年前に上熊本駅に降り立った時のように新坂方向を向いてござる。ここから人力車で新坂を越えて行かれた。


 熊本電鉄上熊本駅は中華圏からの観光客と思しき団体で賑わっている。相変わらず「くまモン」が人気のようで、ラッピングを背景に記念撮影ラッシュ。

 前方直進が新坂。赤い車の処から左折が「赤尾口の坂」この坂を上った右の丘の上に、加藤清正公の時代、熊本城の外城「赤尾丸城」が構えていた。清正公が亡くなった時、この丘で荼毘に付された。


 「赤尾口の坂」を上り切ったところにわが母校・熊大附中があり、その先に古刹往生院がある。境内のしだれ梅はまだ三分咲きくらいか。本堂と百体目の放牛石仏に手を合わせた。
(P.S.)その後、しだれ梅は散りじまいだったことが判明。昨年の満開が2月20日頃だったので勘違いしてしまった。

平成文化の薫り

2024-02-12 20:13:50 | 音楽芸能
 昨日、NHK総合で放送された「民謡魂 ふるさとの唄~熊本県芦北町編~」では12曲が演奏され、そのうち8曲が熊本民謡でした。そしてその8曲のうち7曲はYouTubeマイチャンネルにアップしている曲でした。
 その中から番組の主題となっていた「おてもやん」を始め、「牛深ハイヤ節」「熊本自転車節」「ポンポコニャ」の4曲を聴いてみました。いずれも、地方を務められた邦楽演奏家の先生方の第一級の演奏と舞踊団花童の巧みな踊りとが相俟って素晴しい芸能となっています。あらためて、その文化的価値の高さを再認識させられました。