徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ザ・わらべ ~ 熊本自転車節 ~

2011-04-30 23:39:34 | 音楽芸能
 元唄は、明治40年代に流行した神長瞭月作詞・作曲のバイオリン演歌「ハイカラ節」。いわば「ハイカラ節」の熊本バージョンといえる。他の多くの熊本民謡同様、お座敷での座興唄として流行ったのだろう。もともと「ハイカラ」つまり西洋かぶれをからかった唄だが、熊本でなぜ地元バージョンができるほど、この唄が好まれたのだろうか。熊本には、明治初期にアメリカ軍人ジェーンズを招いて熊本洋学校ができたり、それを母体にプロテスタントの「熊本バンド」が結成されたりするなどの歴史がある。そういった他に先駆けて何かをやろうとする「わさもん気質」と、一方ではそれを冷ややかに見ている「いひゅうもん気質」が共存する熊本県人特有の気質と無関係ではないように思われる。 



〽逢いたかばってん逢われんたい たった一目でよかばってん
 あの山一丁越すとしゃが 彦しゃんのおらす村ばってん
 今朝も今朝とて田のくろで 好かん男に口説かれて
 ほんに彦しゃんのおらすなら こぎゃん腹も立つみゃあばってん
 千代八千代 どうしたもんじゃろかい

〽チリリンチリリンと出て来るは 自転車乗りの時間借り
 曲乗り上手と生意気に 両の手離した洒落男
 あっち行っちゃ危ないよ こっち行っちゃ危ないよ
 危ないよと言ってる間に そらずっこけた
 千代八千代 どうしたもんじゃろかい

ロイヤル・ウェディング

2011-04-29 20:57:01 | 時事

 エリザベス女王の戴冠式を映画館のニュース映画で見たのが、小学2年生の時だったから58年前。チャールズ皇太子とダイアナさんの結婚式をカラーTVで見たのがちょうど30年前。そして今日のウィリアム王子とキャサリンさんの結婚式はハイビジョンの大画面TVで見た。見ながら時代の流れを感じるとともに、大画面の迫力に思わず引き込まれそうだ。ウェストミンスター寺院における式の様子を見ていると、その荘厳さや世界中の関心の高さに、大英帝国の歴史の重みを感じさせられる。「God Save The Queen」を全員が斉唱するシーンでは思わず鳥肌が立った。それにしても数日前から各TVメディアは異常なほど、ダイアナ妃の映像ばかり流していて、正直「いったい誰の結婚式?」と思ったほどだ。

父の足跡をたどる旅 ~ 上村尋常高等小学校 ~

2011-04-28 20:20:54 | 熊本
 昨日は夜半まで降り続いた雨も上がり、五月間近を思わせる晴天が広がったので、思い立って母を連れ、父の足跡をたどってみることにした。小学校の教員をしていた父は、県内の7、8箇所の学校を転勤しているが、僕がまだ一度も行ったことがないのが上天草の上小学校だ。なにしろ昭和10年頃のこと、当時は上村尋常高等小学校と言った。天草五橋の1号橋を渡った大矢野島のほぼ中心部にある。僕がイメージしていたとおり小高い丘の上にあった。教頭先生にご挨拶してお話をお伺いした。もちろん父の勤めていた頃とは校舎も建て替えられ、運動場の位置も変わったそうだ。父は島の南西部、江樋戸港近くの旅館に下宿し、週末熊本の家に帰っていたようだ。学校を辞した後、下宿していたという旅館を捜して江樋戸港まで下りた。港の前の酒屋に飛び込んでたずねてみようと思った。するとラッキーなことに80歳前後と思しきおばあちゃま達がおしゃべりの真っ最中。主旨を話すと、なんとそのうちの一人は父の名前に記憶があると言う。ただ年齢的には父の勤務時期とちょっとズレているので、お兄さんかお姉さんとの接点があったのかもしれない。肝心の下宿した旅館も判明した。現在は旅館は一軒もないが、当時は2、3軒の旅館があったという。そのうち大宮旅館というのがそれらしい。大宮旅館という名前を聞いて母の記憶も甦った。たしかに父から大宮旅館という名前を聞いたことがあるそうだ。いろんな話を聞きながら、20代の父がここら辺を闊歩する姿が目に浮かんだ。こころ優しきおばあちゃま達に感謝!
 帰りに三角西港に立ち寄り、小泉八雲の「夏の日の夢」に登場する旅館、浦島屋でコーヒー&ケーキを楽しんだ。


上天草市立上小学校


江樋戸港


小泉八雲の「夏の日の夢」に登場する浦島屋


「坂の上の雲」のロケが行なわれた港の倉庫(現在はレストラン)

「おてもやん」 ~ ザ・わらべ  次世代も踊ります!~

2011-04-27 19:52:28 | 音楽芸能

 熊本の代表的民謡といえばやっぱり「おてもやん」。真夏に行なわれる「火の国まつり」も「おてもやん総踊り」がメインなので「おてもやん祭り」と言っても過言ではない。子ども舞踊団「ザ・わらべ」の次世代を担うチビッコたちもこれをマスターすることが基本のようだ。先日の熊本城・本丸御殿における「春の宴・川尻をどり」でもチビッコたちが可愛らしい踊りを見せてくれ、観衆の喝采を浴びていた。この「おてもやん」が作られたのは明治時代、三味線と踊りの師匠だった永田イネさんによって作られたと言われている。また、おてもやんにはモデルがおり、イネさんのところに習いに来ていたチモという人だとも言われている。とにかく熊本弁丸出しでコミカル、かつリズミカルなところがこの歌の持ち味。九州新幹線が通って、熊本駅周辺は再開発され、駅西側の春日もぼうぶら(かぼちゃ)が獲れるような環境ではなくなり、よじょもん(夜聴聞)詣りなんていう風習も廃れてしまったが、この歌はずっと歌い継がれることだろう。


「おてもやん」には古桶屋町の普賢寺で行なわれた「よじょもん詣り」が歌われている。
毎年8月に行われる「城華まつり」では、普賢寺でザ・わらべの舞台が行なわれる。

〽おてもやん あんたこの頃嫁入りしたではないかいな
 嫁入りしたこつぁしたばってん
 ご亭どんが ぐじゃっぺだるけん まあだ杯はせんだった
 村役 鳶役 肝煎りどん あん人たちのおらすけんで
 あとはどうなときゃあなろたい
 川端町っつあん きゃあめぐろ
 春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃあで 花盛り 花盛り
 ピーチクパーチク雲雀の子 げんぱく茄子のいがいがどん

〽一つ山越え も一つ山超え あの山越えて
 私やあんたに惚れとるばい
 惚れとるばってん いわれんたい
 追々彼岸も近まれば 若者衆も寄らすけん
 くまんどんのよじょもん詣りに ゆるゆる話をきゃあしゅうたい
 男振りには惚れんばな 煙草入れの銀金具が それが因縁たい
 アカチャカベッチャカ チャカチャカチャー


その気にさせないで ~ キャンディーズ ~

2011-04-26 20:24:13 | 音楽芸能
 僕は特にキャンディーズの大ファンというわけではなかったが、キャンディーズが活躍した70年代に花の20代・30代を過ごした者として、スーちゃんこと田中好子さんの訃報には正直、無性に寂しさを覚えた。キャンディーズが絶頂期を迎えていた頃、僕が勤務していた防府で机を並べていた女の子が、4年前に肺がんで逝った時と同じような気持だ。防府といえば、スーちゃんの義妹の夏目雅子さんも早世した。
 キャンディーズの歌の中では、「その気にさせないで」のようなシュプリームスを想起させるモータウン系のナンバーが好きだ。これは僕が学生時代、シュプリームスが大好きだったからだろう。スーちゃんは映画やドラマでも活躍した。彼女が出演したドラマを見ながら、やっぱり表現者としての才能がある人は歌とか芝居とか関係ないんだなぁと思ったことがある。ご冥福を祈る。合掌。


「江(ごう)」と熊本の因縁

2011-04-25 19:19:54 | テレビ
 今年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」は今、江が最初の結婚を、秀吉によって無理やり離婚させられるところまで進んでいるようだ。例年どおり、今年も大河は見たり見なかったりで詳しいことはわからない。江の話というのは、熊本県人の僕にとって、あまり触れたくないところへ繋がって行くので、それも気持にブレーキをかけているのかもしれない。江は三度目の結婚で将軍秀忠の正室となるわけだが、秀忠の跡目を次男・家光にするのか、はたまた三男・忠長にするのかをめぐって春日局と対立する。結局、春日局が推した家光が三代将軍となるわけだが、江が推していた忠長には過酷な運命が待っていた。加藤清正の死後、跡を次いで肥後の藩主となっていた加藤忠広は、忠長と繋がっていたとみなされ、加藤家は改易となってしまう。もちろん改易の理由はそれだけではないが、大きな要因となったことは間違いないようだ。ただ、この加藤家改易は江が亡くなった後の話だ。今後ドラマがどう進展していくのかわからないが、あまり聞きたくない話もでてきそうだ。


加藤忠広公のお墓がある山形県鶴岡市の本住寺(片山秀明さん撮影)

御馬下の角小屋(みまげのかどごや)

2011-04-24 19:22:25 | 熊本
 延び延びになっていた車の定期点検を、やっと今日、自動車販売店でやってもらった。点検が終るまでの小1時間を、近くの「御馬下の角小屋」で過ごした。ここは江戸時代、細川藩や島津藩が参勤交代の際、休息所として使っていた商屋だ。築200年という建物の座敷に正座してじっと目を瞑ると、往時の人々のさざめきが聞こえてくるようだ。資料館に貼られていた古い新聞記事の中に、「御馬下の角小屋」で永年番頭を務めた利平が垣間見た、西郷隆盛や篤姫のエピソードが興味深かったので、帰ってから自分で打ち直してみた。


「松」 ~ 唄・三味線 本條秀美 ~

2011-04-23 21:41:47 | 音楽芸能
 少女舞踊団「ザ・わらべ」の舞台を見たのがきっかけで、和楽に親しむようになり、最近は踊りとともに唄やお囃子などにも興味が湧いてきた。特に唄の歌詞は現在日常ではあまり使われない言葉が多いのでなかなか聴き取れず、よけい知りたいと思う。またうたい手の皆さんはビックリするほど上手な方(先生方だから当たり前か)ばかりなのだが、中でも僕が個人的に声の音色が好きなのが、本條流の本條秀美先生だ。本條流というのは本條秀太郎氏(備考)を祖とする民謡や三味線音楽の流派で、本條秀美先生は植木町味取の教室で指導をしておられる。この「松」という曲は本條流の流儀曲、つまり流派の手法や様式をモデル化したものだそうだ。ところで、本條秀美先生の唄声を聴いて、どこかで聴いたようなと思われる諸兄もおられるのでは。





 ※歌詞は本條秀美先生のご提供によるもの。
≪備 考≫
■本條秀太郎
1971年、藤本流より独立し「本條流」を創流。日本の民謡・端唄・俚奏楽三味線の演奏者で、かつ三味線音楽の作曲家。テレビ・ラジオ・舞台での演奏に加え、本條流家元として全国各地の門弟への教授活動を行なう。その他、映画音楽、舞台音楽、NHK大河ドラマなどでの邦楽指導、邦楽監修など幅広く手がける。

本條秀太郎氏が邦楽指導したNHK大河ドラマ「篤姫」


※本條秀美先生の唄声を聴いた後、この唄を聴いてみる?
  https://youtu.be/J2JdG2B1Qhk

残したい!地名・町名

2011-04-22 20:52:11 | 熊本
 わが家からほど近い坪井川流域の坪井田畑周辺には海にちなんだ地名が多い。瀬戸坂、舟場、津之浦、打越等々。最短距離でも海岸線まで7~8kmはあるにもかかわらずだ。その昔、海が内陸部まで入り込んでいた時代、坪井田畑あたりに海岸線があった名残だと言い伝えられている。「その昔」っていったいいつ頃の話なんだろうと、かねがね思っていたら、今日たまたま見たEテレの「高校講座・歴史」で、今から5500年ほど前に地球が温暖化した時代があり、その頃は海が内陸部まで入り込んでいたという。しかし、その頃は縄文時代、今と同じような言葉を使っていたとは思えない。日本に中国から漢字が入って来たのは3500年くらい前と言われているから、2000年もの間、坪井田畑が海だったのだろうか。何千年も前につけられたとは思えないようなボキャブラリーには驚く。
 しかし、こうした由緒ある地名や町名がだんだん消えて行っている。○○1丁目、××2丁目などと住居表示が変わり、実に味気ない。行政も口では観光振興などと言っているが、それはまず自分たちの住む町の歴史や文化を知ることが基本。地名や町名はそんなわが町の歴史や文化を語っているのだ。

ゴールデンウィークに向け、イベント復活の動き!

2011-04-21 16:38:54 | 熊本
 例年、桜開花の時期を中心に開催されていた各種イベントは、東日本大震災を考慮して自粛が相次いでいたが、ゴールデンウィークを目前にして復活の動きが見え始めた。とても良いことだ。いつまでも沈滞ムードを引き摺っていても何も良いことはない。今年は「九州新幹線全線開業記念」として例年以上に盛り上がるはずだった「熊本城坪井川大園遊会」も一部を除き、下記のイベントが再開されることになった。これをきっかけに熊本の経済も浮揚に転じてくれればいいが。
  ■郷土芸能「肥後絵巻」
  ■城下町老舗料亭体験「華の宴」
  ■城下町写真撮影会セミナー
  ■城下町歴史散策
  ■きものde園遊
※詳細は熊本市ホームページへ
 http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/content/web/asp/kiji_detail.asp?ID=9421&mid=3&LS=26


昨年の「熊本城坪井川大園遊会」

西郷隆盛のルーツを訪ねて想ったこと

2011-04-20 23:26:42 | 熊本
 その場所は七城町の砂田という地区の、のどかな田園風景の中にあった。若宮神社という小さな神社の境内の一角に記念碑がひっそりと佇んでいた。先日の「仁 -JIN-」新シリーズに西郷隆盛が出てきたので急に思い出した。ちょうど今日、合志へ行く用事があったのでついでに七城町まで足を延ばしてみた。
 維新三傑とか維新十傑とか言うが、僕はやっぱり明治維新の最大の功労者は西郷隆盛だと思う。西南戦争の指導者として悲運の最期を遂げるが、歴史はけっして彼を悲運の人とはしていない。
 ちなみに九州新幹線鹿児島ルート全線開通のカウントダウンボードに「西郷どーん」が使われた際、熊本県民から反発があった騒動について、ウィキペディアの「西郷隆盛」のページに次のような記述がある。

 鹿児島県では絶大な人気を持つ一方で、西南戦争で市街地が灰燼と帰した熊本県では、現在でも西郷は「侵略者」として扱われている。2010年に九州新幹線鹿児島ルート全線開通に向けてマスコットキャラクター「西郷どーん」が披露された際も、熊本県と熊本市からの抗議で熊本駅のカウントダウンボードのみ、西郷どーんではなく熊本県のキャラクター「クマもん」が描かれたバージョンに変更された。

 誰がどういう根拠で書いているのか知らないが驚いた。西郷さんをいまだに「侵略者」と思っている熊本県人がいたらお目にかかりたいものだ。あれはあくまでも「熊本駅」にふさわしいキャラクターは他にあるでしょう、という話だ。西南戦争で市街地が灰燼と帰した話だって、今日では官軍側の焦土作戦説が有力になっている。あの記事を読んで心よく思わない熊本県人も多いはずだ。あまりいい加減なことは書かないでほしいものだ。


若宮神社鳥居


小ぢんまりとしたお社の天井や壁には沢山の絵馬が飾られている


案内板には下記のように記されていた。

 ここの集落は西郷といい、明治維新で活躍し西南の役薩軍の将西郷隆盛(1827~1877年)の祖先発祥の地です。
 また、この一帯は菊池十八外城の一つ増永城跡で、初代の城主西郷太郎政隆は菊池氏初代則隆の子で菊池一族でした。その後裔26代西郷九兵衛昌隆の時、薩摩に移り住んだという記録があり、初代西郷太郎政隆から32代目が西郷隆盛(生涯のうち3年余、鹿児島県大島郡龍郷町に居住。この時「菊池源吾」と名乗る。)です。
 境内の記念碑「西郷南洲先生祖先発祥の地」は徳富蘇峰筆。熊本三洲会・旧加茂川村有志により昭和27年10月の建立です。


記念碑「西郷南洲先生祖先発祥の地」(徳富蘇峰筆)

邦画を彩った女優たち ~ 昭和の大女優・高峰秀子 ~

2011-04-19 21:39:15 | 映画
 やっと供養を終えたような気がする。今夜のBSプレミアム「邦画を彩った女優たち『高峰秀子と昭和の涙』」を見終わった後、そんな気がした。昨年末の訃報の後、とうとう追悼番組らしいものはなかった。彼女の訃報はどうも海外のメディアの方が大きく報じていたようだ。ヨーロッパではいまだに「浮雲」の人気は根強いらしい。今回の企画は追悼番組ではないが、彼女の半世紀にわたる女優人生をなぞりながら、人間高峰秀子の実像に迫り、結果的に追悼になったような気がする。内容的には彼女の著書「わたしの渡世日記(上・下)」を読んでいたので特に目新しいというわけではなかったが、昭和という時代に彼女がいかに大きな存在であったか、あらためて認識を強くした。
 彼女の出演作で僕が特に好きな5本を選んでみた。

 ●浮雲 (1955)成瀬巳喜男
 ●二十四の瞳 (1954)木下恵介
 ●稲妻 (1952)成瀬巳喜男
 ●張込み (1958)野村芳太郎
 ●無法松の一生 (1958)稲垣浩


細雪 (1950) 26歳当時の高峰秀子

「仁 -JIN-」の時代の蘭方医・奥山静叔

2011-04-18 18:09:42 | テレビ
 「仁 -JIN-」の新シリーズが始まった。視聴率も高く、上々の滑り出しのようだ。今回はさらにいろんな歴史上の人物が登場するので今後の展開が楽しみだ。ところで、前シリーズの中で南方仁が出逢った医師・蘭学者の緒方洪庵が大阪で開いていた「適塾」からは福沢諭吉、大村益次郎らを始め、多くの優秀な人材が育っているが、その中の一人に奥山静叔という蘭方医がいる。奥山は、熊本は山鹿の医者の家に生まれ、地元で学んだ後、大阪へ行き、「適塾」で緒方洪庵に学んだ。塾頭を務めるなど優秀な生徒だったようだ。熊本に帰った後は熊本城下の内坪井で医院を開いたが、肥後藩の蘭学指導をしたり、侍医を務めたりと、大変重く用いられた。明治維新後は、熊本医学校(熊本大学医学部の前身)で教壇に立ち名物先生だったようだ。
 この奥山静叔のお墓が、わが家の近くの往生院にある。時々、散歩で往生院の中を通るのだが、最近、墓を示す標柱が倒れていて、そのままになっているのが気になっている。

ザ・わらべ ~ 春の宴・川尻をどり ~

2011-04-17 00:14:58 | 熊本
 昨夜の熊本城・本丸御殿「春の宴」は先々週の「熊本をどり」、先週の「植木をどり」に次いで「川尻をどり」。川尻という町も熊本の中では独特の歴史と文化を持つ。かつては緑川河口の港町として物流の拠点となり、また薩摩街道の宿場町として栄え、町には回船問屋、旅籠、料亭などが軒を連ねていた。刃物や桶、肥後象がんなどの工芸品や酒造、菓子づくりなどの伝統文化が今日まで連綿と息づいている。藩主御茶屋は薩摩藩参勤交代の定宿となり、あの篤姫も江戸参府の際、宿泊した記録が残っている。そんな川尻の歴史的文化遺産を後世に残していこうという取り組みが、町ぐるみで行なわれている。


「藤寿三番叟」
 藤本流三味線の御祝儀曲。熊本市在住の師範、藤本喜代則さんの唄と三味線は聞く人を魅了する。



「ハイヤ節」
 天草市牛深に江戸時代から伝わるハイヤ節は、全国40ヶ所以上のハイヤ系民謡のルーツといわれる。毎年この時期に、牛深では「ハイヤ祭」が行なわれる。

段違いの強さ! ~ 江里口 & 野林 ~

2011-04-16 19:52:37 | スポーツ一般
 今日から始まった「熊本県陸上選手権兼国体一次予選」をKKウィングへ観に行く。今日の注目種目は何と言っても、男女の100m。早稲田から大阪ガスへ入社した江里口匡史(鹿本高出身)と桜木中から九州学院へ進学した野林祐実の二人がどんな走りを見せてくれるか、ワクワクしながらレースを見守った。二人とも格の違いを見せつけ、軽く予選、準決勝を突破、決勝では江里口は10秒48、野林は12秒00とシーズン初めとしてはまずまずのタイムで優勝した。今年は、来年のロンドン五輪を控えた重要な年。二人にはオリンピアンを目指してさらにステップアップしてほしい。

 


4レーンが江里口匡史


5レーンが野林祐実