徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

薩摩の殿様も西郷さんも篤姫も通った二の丸御門

2018-11-30 21:49:55 | 熊本
 熊本地震で石垣が崩れ、通行不可となっていた二の丸御門は、現在、仮設通路が確保され、二の丸広場から旧細川刑部邸や熊本博物館へ下りることが可能となっています。市民の憩いの場となっている二の丸広場は、旧藩時代、重臣たちの屋敷が立ち並んでおり、その間を縫って街道が通っていました。現在の熊本YMCA中央センターのあたりにあった新一丁目御門前には札の辻があり、豊前・豊後街道などの起点となっていました。新一丁目御門から法華坂を登った街道は、現県立美術館の入り口付近にあった住江門をくぐり二の丸に出ます。そして高い塀に囲まれた大きな屋敷が並んだ間の通路を通り、北の二の丸御門に抜けていました。ここを薩摩藩の参勤交代も通っていたのです。通る方も通させる方も相当緊張したことでしょう。槍を立てて通ろうとすると狭間から銃口が覗くという一触即発の危機もあったようです。


安全な仮設通路が確保されている二の丸御門


熊本地震直後の様子(熊本市資料より)

「つばき、時跳び」映画化はその後…

2018-11-29 20:40:18 | 映画
 地域文化の振興に功績があった個人や団体を文部科学大臣が表彰する地域文化功労者に熊本市在住のSF作家、梶尾真治さんが選ばれ、昨日熊本県庁で伝達式が行われたとTVニュースが報じていた。梶尾さんは映画「黄泉がえり」の原作者として知られているが、昨年末、熊本を舞台としたSF小説「つばき、時跳び」が、大林宣彦監督により映画化されることが熊日新聞で報じられた。今年秋に全編熊本ロケで撮影し、来年春の公開を目指すという話だったが、まだクランクインしたという話は聞かない。大林監督は健康問題を抱えておられるので今後の成行きが心配だ。


作品の主な舞台となる「百椿庵」がある花岡山(写真はキロクマ!さんより)


タイムトラベルものなので現代の仏舎利塔も登場か?

シカ騒動と立田山

2018-11-28 21:58:56 | 熊本
 熊本市中央部の立田山西麓の民家庭に野生の鹿が姿を現したという件だが、その後新たな目撃情報は聞かない。しかし、過去のニュースを調べてみたら、6年前にも北区の武蔵ヶ丘に出没しているようだ。独立行政法人森林総合研究所九州支所や熊本県の調査では、鹿の生息数や生息域の拡大が見られ、農林業の被害が懸念されるという。
 それはさておき、立田山と鹿のことを歌った和歌があったような気がして調べてみた。あった、と言っても熊本の立田山ではなく、奈良県生駒郡の立田山(龍田山)で、俊恵法師の作だった。

 立田山梢まばらになるままにふかくも鹿のそよぐなるかな(新古今・俊恵法師)

(大意)立田山の木々もすっかり落葉し、梢もすき間が空いた状態で、深く積もった落葉の上を鹿が歩く音がそよそよと聞こえてくるよ。

 熊本の立田山(龍田山)は、その昔、濃い緑に覆われていたため黒髪山と呼ばれていたが、平安時代の歌人清原元輔(清少納言の父)が肥後へ国司として赴任したとき、この山の姿に奈良の龍田の里をしのんで名前を改めたといわれている。


立田山の広葉樹林


山中に祀られる山ノ神

巫女舞

2018-11-27 21:25:32 | 日本文化
 巫女舞は記紀に書かれた「岩戸隠れ」の神話をその起源とする。天の岩戸にお隠れになった天照大神をつれ出すために岩戸の前で天鈿女命(アメノウズメ)が舞った神がかりした激しい舞。これが巫女舞の起源であり、また日本の芸能の始まりともいわれている。かつては巫女舞も神がかりしたような舞だったらしいが、今日では雅やかで美しい舞となっている。これは近代になってから見せる神事芸能として、より洗練された舞や神楽歌が作られたことによるものらしい。普段、見る機会が多い能や日本舞踊の源流として巫女舞を見るとまた味わい深いものがある。

※右の絵は梶田半古の「天宇受売命」
※下の映像は梅林天満宮例大祭における
 太宰府天満宮の巫女舞「扇の舞」



熊本博物館の再オープンと「細川家舟屋形」

2018-11-26 17:44:22 | 歴史
 リニューアル工事のため、2015年7月から3年4ヶ月にわたり休館していた熊本市立熊本博物館(中央区古京町)が、12月1日に再オープンする。今回特に注目の一つは熊本地震後に熊本城大天守から搬出された国指定重要文化財「細川家舟屋形」。この舟屋形は、熊本藩主細川氏が参勤交替に用いた御座船「波奈之丸」の御座所部分で天保十年(1839)の建造。劣化が進んでいた舟屋形の天井画は九州国立博物館(福岡県太宰府市)で1年をかけて修復されたそうでそれも見どころである。


剣八幡社(大分市東鶴崎)にまつられている絵馬「熊本藩主細川氏御座船鶴崎入港図(一部)」


国指定重要文化財「細川家舟屋形」

梅林天満宮例大祭

2018-11-25 19:58:31 | イベント
 例年11月25日に行われる梅林天満宮例大祭だが今年は日曜日とあって、参拝客は例年よりだいぶ多いように思われた。だが、地元の人の話では、伝統の流鏑馬神事を最大の呼び物とする梅林天満宮例大祭は今、岐路に立たされているという。祭りの運営担当は節頭区と呼ばれ、下・安楽寺・津留の各地区が交代で務めているが、各地区とも高齢化や住民の減少で負担を負いきれなくなっているという。日本国内の多くの地方で同じような問題に直面しているが、多くの人出で盛り上がる光景を見ながら、厳しい現実を認識した一日だった。


熊本県指定重要無形民俗文化財の流鏑馬


太宰府天満宮より派遣の巫女舞奉納

前世の縁?

2018-11-24 23:07:16 | 
 今日、不思議なことがあった。城彩苑から二の丸広場を通って帰ろうと広場を横切っていた。広場の真ん中を通り過ぎたあたりで子どもたちが何人か駆け回っていた。その中の一番小さい男の子、おそらく2歳にはまだ届かないかなというくらいの子がたたずんで僕を見ていることに気付いた。僕は笑顔を返して通り過ぎようとした。するとその子が僕の方に歩いて近付いて来た。おじいちゃんか誰かと間違っているのかなと思い、慌ててかけていたサングラスを外した。しかし、その子は驚くわけでもなくそのまま後を付いて来る。遠くでお母さんが「◯◯ちゃ~ん、どこ行くの!」と呼ぶ声が聞こえた。僕はその声で安心して歩き去ろうとした。ところが、それでもその子は当たり前のように付いて来る。とうとうお母さんが「すみませ~ん」と謝りながら走って来た。別れ際にもう一度笑顔をして見せると、その子はまるで前から知っている人と別れるような表情をしてお母さんに手を引かれて行った。
 帰り道、あの子と僕は前世で出逢っているのだろうかと思えてきた。


奉行丸は今…

2018-11-23 20:13:17 | 熊本
 復旧工事が進む熊本城の中で、現状を確認できないエリアの一つが奉行丸だ。昭和35年の熊本国体の頃はテニスやバレーボールのコートとして使われたり、近年では春秋のお城まつりの会場として使われたりして、僕にとってとてもなじみ深いエリアである。特にお祭り会場としてはコンパクトにまとまっているので一番好きな会場でもあった。
 その現状を何とか覗き見たいと西嶋三井ビルディング(中央区桜町)の最上階・14階に登ってみた。



 崩落した石垣の石の仮置場になっているという話は聞いていたが、まだ櫓や塀も石垣も修復には未着手のようだ。当分は石の仮置場のままなのだろうか。寂しい思いがした。


▼天守閣を背景に奉行丸で行われた2012年の「秋夜の宴スペシャル」

桜町への帰座を待つ観音様

2018-11-22 20:15:47 | 熊本
 来年夏完成予定の桜町再開発による複合施設。2015年3月に閉館した交通センタープラザで、そのシンボルだった泉の広場の観音様は今、浄国寺(北区高平2丁目)で帰座の日を静かに待っている。新しい施設にはかつてのセンタープラザと同じように泉が設けられる予定で、観音様はそのほとりに鎮座することになるという。泉の広場の復活が待ち遠しい。

♫  泉の広場で逢いましょうと
  あなたの言葉を思い出す
  最後のバスはもうすぐ出るのに
  いつまでもいつまでもセンタープラザ


現在、浄国寺に一時遷座している観音様


交通センタープラザにあった泉の広場と観音様

立田山に野生のシカが生息している件

2018-11-21 13:32:21 | 熊本
 熊本市の中央部に位置する低山・立田山(標高151.7m)は市民憩いの森として親しまれているが、なんとこの山に野生の鹿が生息していることが確認され話題となっている。最近、立田山西麓の北区室園町の民家近くでニホンジカが出没するという情報があり、RKK熊本放送の情報番組「土曜の番組」のカメラがこの姿をとらえた。
 下の熊日新聞記事は6年前、動物たちの楽園となっている立田山の状況をまとめたものだが、この時点では鹿の生息は確認されていない。立田山西麓と言えば、わが家の墓もあり、いつかひょっこり出逢うこともあるかもとちょっとワクワクする。
 熊本市では、鹿を目撃した場合は、鳥獣対策室(TEL096-328-2369)まで、情報の提供を呼びかけている。


「土曜の番組」(RKK)が放送した鹿の映像


2012.11.27の熊日新聞記事

今週のカバー写真 ~ 浄国寺 ~

2018-11-20 18:30:17 | 熊本
 坪井川の土手を歩いて浄国寺(北区高平2丁目)まで行く。2年ぶり4回目の訪問。もちろん目的は松本喜三郎の傑作生人形・谷汲観音様のご尊顔を拝するため。谷汲観音様は相変わらず神々しく美しかった。今回もご住職に丁寧な応対をいただいた。拝観者はほとんど県外の方で熊本の人はあまりご存じないとか、観音様の衣装を作り替えた博多織屋次平さんの話だとか、浅草寺伝法院の所蔵となっていた谷汲観音を熊本へ持ち帰る際の苦労話とか、それが縁で喜三郎が来迎院(西区春日6丁目)の聖観世音菩薩を作ることになった話だとか、いろんな話をして下さった。また、ご趣味のジャズ(ご自身もウッドベースをお弾きになる)のコンサートを毎年開催されていて、渡辺貞夫さんとも一緒にやっていた名ベーシスト・鈴木良雄さんがいつも来て下さるという話などを聞かせていただいた。


浄国寺


谷汲観音

路傍の石仏とポンポコニャ

2018-11-19 18:46:39 | 歴史
 京町から坪井方面へ下りる坂道の一つに「中坂」という狭い急坂がある。旧藩時代には観音坂とともに参勤交代の御行列も上り下りしたれっきとした「豊後街道」の一部である。この坂の登り口の道端に小さなお地蔵さんが鎮座ましまして、近所のどなたかが供えられたのか、いつ見ても綺麗な花が供えられている。このお地蔵さんに気付いたのは随分前のことだが、いったいいつ頃から置かれているのだろうか。お地蔵さんは廃寺の跡などでも見かけるが、このお地蔵さんのある辺りはかつて金剛寺というお寺があった。明治維新後、激動する時代のうねりの中で衰退し、崖崩れの危険性などもあったことからこの地を去った。現在は新屋敷に再興されている。ひょっとしたらこのお地蔵さんは金剛寺が去る時、置かれたものかもしれない。そう考えるとお地蔵さんにいっそう愛着が湧く。
 金剛寺と言えば、「中坂越ゆれば金剛寺」という民謡「ポンポコニャ」の一節を思い出す。この唄は幕末に唄われ始めたというが、唄に唄われるほど寺は隆盛を極めていたのだろう。


中坂


玉名女子高校吹奏楽部 今年もW金賞!!!

2018-11-18 20:27:34 | 音楽芸能
 今日、大阪城ホールで行われた「第31回全日本マーチングコンテスト・高等学校以上の部」において、九州地区代表の玉名女子高校吹奏楽部が見事金賞を受賞。先月行われた「第66回全日本吹奏楽コンクール」と合わせて今年もW金賞に輝きました。
 毎年正月恒例の玉名女子高校吹奏楽部ニューイヤーコンサートは次のとおり開催の予定です。

 開催日:2019年1月14日(月・祝)14:30開場 15:00開演
 会 場:熊本県立劇場コンサートホール
 入場料:指定席 1,500円(県劇のみ販売) 自由席 1,000円


なつかしい写真

2018-11-17 19:03:33 | 熊本
 FB友の森浩さんはたまに熊本の懐かしい写真を提供していただくのでありがたい。

▼蔚山(うるさん)町電停
 慶長の役から帰還した加藤清正が連れて来た朝鮮・蔚山の人たちを住まわせたことから、かつて蔚山町と呼ばれていたが、町名変更により、現在は電停やバス停の名前にその名残りを残す。
 前方に藤崎台の大楠が見えるが、昭和30年代の写真と思われる。僕は小学生の頃、新町の耳鼻科へバスで通っていて、一つ手前の停留所だったので特に懐かしい。
 


▼城見町通り
 前方に大洋デパートが見える。昭和48年11月に多数の犠牲者を出した「大洋デパート火災」はいまだ記憶に新しい。かつては熊本を代表する百貨店だったが、火災から立ち直れず、結局、昭和51年に倒産・廃業した。
 幼い頃、玉名から出てきた母方の祖父母と買物をして、この写真前方の三年坂辺りで別れたことを今でも思い出す。これも昭和30年代か40年代初めの写真と思われる。