徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

潮来節(いたこぶし)の夜

2023-11-30 20:43:26 | 日本文化
 今朝フェイスブックを開くと、FB友であり、舞踊団花童のサポーター仲間でもある大阪在住の志場さんの誕生日お知らせが表示されていた。お祝いのメッセージを入れようとして、ふと先週護国神社で行われた「熊本城下町菓子祭り」のことが頭に浮かんだ。菓子祭りには上村元三商店も焼きそば店を出店していて、元三さん・敏子さんご夫妻と次女のあやのさんが焼きそば作りと接客に勤しんでいた。
あやのさんは随分久しぶりにお顔を拝見したが、その時なぜか志場さんのことを思い出した。
 あれは12年前のちょうど今頃、熊本城本丸御殿で行われた「秋夜の宴」でのことだった。このイベントに度々出演していた「少女舞踊団ザ・わらべ」のことを紹介した僕のブログを志場さんが見ていてくださり、10月のザ・わらべの出番の日に大阪から日帰りで見に来られた。そして翌11月のザ・わらべの出番の日に再び志場さんがやって来られた。この夜の目玉演目は「潮来三曲集」。その中の「銚子大漁節」のくだりでは観客に舞台で一緒に踊っていただくという趣向があった。大阪から日帰りで見に来る方がおられるということは舞踊団主宰の中村花誠先生も事前に承知しておられ、この日は志場さんのことが口上の中で紹介された。さらに「銚子大漁節」ではザ・わらべの一人だったあやのさんが志場さんをアテンドして舞台に上がっていただいた。こうした歓待に志場さんは大感激、忘れられない夜となった。その後も彼と会う度にこの夜のことがよく話題になる。こんな素敵な夜がいつかまた再現すればいいのだが。

唄と三味線の藤本喜代則さんが作詞された熊本バージョンの「潮来三曲集」が披露された


志場さんを舞台へお誘いするザ・わらべのあやのさん

あの日から50年

2023-11-29 22:38:05 | 熊本
 昭和48年11月29日に多数の犠牲者を出した「大洋デパート火災」から今日でちょうど50年。
 先ずは亡くなられた104名の御霊に謹んで哀悼の意を表します。
 あの日、火災の第一報を聞いたのは当時勤務していた玉名から出張で久留米へ向かう車のラジオでした。出張先でもずっと気になっていて仕事を終えて帰りの車の中でも続報を聴きながら帰ったことを憶えています。以来、「大洋デパート火災」のことは喉に刺さったトゲのような思い出となり一生忘れる事はないと思います。
 社会に出て間もなかった頃、仕事の後の時間を過ごすのは大洋デパートの周辺と決まっていました。会社の同僚と飲みに行ったり、友人と食事に行ったり、喫茶店に行ったりとすべてあの周辺で間に合いました。しかし、そんな店々も昭和51年に大洋デパートが倒産・廃業してから間もなく消えて行きました。今、当時利用していた店は一軒も残っていません。遠い日の青春の思い出となってしまいました。


城見町通り。前方左の高いビルが大洋デパート。昭和30年代。(写真提供:森浩氏)


下通商店街入口のアーチ看板に大洋デパートの名が。(写真提供:森浩氏)

来年の大河ドラマは!

2023-11-28 21:38:21 | ドラマ
 来年のNHK大河ドラマは吉高由里子が紫式部を演じる「光る君へ」だそうだ。戦国時代ものや幕末ものに飽きていた僕にとって久々に観てみようかという気にさせる。脚本を担当するのは大石静。大河ドラマは2006年の「功名が辻」以来実に18年ぶりの担当だが、数々のドラマで実力は証明済み。「源氏物語」に描かれたエピソードをはさみながら物語を紡いでいくと思われるが、そのお手並み拝見といったところ。僕が興味を持っているのは清少納言との関係性がどう描かれるのかである。藤原定子(高畑充希)と清少納言(ファーストサマーウイカ)のラインが面白そうだ。


平安絵巻さながらに優雅な「代継宮 曲水の宴」

紅葉を眺めながら

2023-11-27 20:28:44 | 歴史
 熊本城域の紅葉もピークを過ぎつつあるというので、夕方になってから見に行った。旧細川刑部邸の紅葉をひと通り見た後、正門を出ようとすると係の男性が大銀杏の前に立っておられたので「だいぶ散りましたね」と声をかけた。それからしばらく大銀杏談議が続いた。話題が刑部邸の移築の話に移った。子飼から三の丸への移築の話が続いた後、この地にはかつて化血研(化学及血清療法研究所)があり、僕が子供の頃には売血で生計を立てる人が毎日列をなしていたので、祖母からは近づかないよう言われていたという話をした。その男性が一瞬複雑な表情をした後、「実は私の92歳になる母が昔、化血研で働いていたんですよ」と言われた。僕は「しまった!」と思ったが時すでに遅し。「あゝそうでしたか」と返すしかなかった。世の中、どこで誰に会うかわからないなぁと思いながら帰路についた。


熊本城監物櫓と大銀杏


旧細川刑部邸御宝蔵と紅葉

近江八景随想

2023-11-26 18:15:38 | 日本文化
 先週のNHK「チコちゃんに叱られる!」では「急がば回れの回れってなに?」という疑問を取り上げていた。
 「急がば回れ」という諺は、「武士(もののふ)の矢橋の舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」という古歌に始まるとされている。この古歌の作者は諸説あるらしい。現在の草津市にあった矢橋の浦は今では「矢橋帰帆島」という人工島ができて景観が変わってしまっているが、かつてはここの港から琵琶湖対岸の石場へ渡し船が通っており、京を目指す旅人にとって最も近道だった。しかし、琵琶湖は春先の比良おろしなど風の影響を受けやすいという危険性があった。実際、昭和16年に琵琶湖でボート練習中の四高生が突風のため転覆し水死するという事故が発生し、それを悼んで「琵琶湖哀歌」という歌も作られた。そんな危険を冒して琵琶湖を船で渡るより、現在の大津市にある瀬田唐橋を利用する方が安全で確実に京に到着するということを例えた諺が「急がば回れ」だという。
 しかし、ふだんは穏やかな湖面の琵琶湖を船で渡りたいと思う旅人が多かったのか、「瀬田へ廻れば三里の廻り ござれ矢橋の舟に乗り」という俗謡もあるそうだ。
 琵琶湖周辺の美しい景観をいつの頃からか「近江八景」と呼び、その中には「瀬田夕照(せたのせきしょう):瀬田の唐橋(大津市)」や「矢橋帰帆(やばせのきはん):矢橋(草津市)」も含まれている。江戸時代の浮世絵師・歌川廣重は「近江八景」を描いた作品を残している。


歌川廣重 画「近江八景之内 矢橋帰帆」


歌川廣重 画「近江八景之内 瀬田夕照」



 歌舞伎舞踊の代表的な演目である「藤娘」には「近江八景」が掛詞として歌い込まれており、藤の花の精である藤娘が恋しい殿御と逢えないもどかしさを歌う一節の中に「瀬田夕照」と「矢橋帰帆」も含まれている。

男心の憎いのは ほかの女子に神かけて あはづ(粟津)と三井のかね(鐘)ごとも 
堅い誓ひの石山に 身は空蝉の から崎(唐崎)や まつ夜をよそに 比良の雪 
とけて逢瀬の あだ妬ましい ようもの瀬田にわしゃ乗せられて 
文も堅田のかた便り 心矢橋の かこちごと
 
下の映像は現在放送されている朝ドラ「ブギウギ」で話題の芸者タイ子役を演じる藤間紫が舞う「藤娘」

▼画像クリックで動画へ

令和4年7月舞踊公演「花形・名作舞踊鑑賞会」より「藤娘:藤間紫」

梅林天満宮例大祭

2023-11-25 23:02:59 | イベント
 今日は玉名市の「梅林天満宮例大祭」が行われました。地元で「ヤクサンドン」の愛称で親しまれている祭りも住民の高齢化や少子化によって歴史を繋いでいくのが厳しい状況にあります。これまで「下」「安楽寺」「津留」の3地区が順番に世話役を担当してきましたが、今回から3地区が合同して祭りを運営することになったそうです。外部から無責任なことをいうのは憚りますが、何とか次の世代へ繋いでほしいものです。


澄み渡る秋空の下、多くの参拝者を集めて古社の秋祭りが行われた。


地元・山部田神楽保存会による神楽奉納


五穀豊穣、万民息災を祈念する天長地久の儀

動画


四百年の歴史を有する「鏑流馬」(熊本県指定重要無形民俗文化財)

太宰府天満宮巫女による奉納舞

舞妓はレディ

2023-11-23 22:13:36 | 日本文化
 9年前の公開時に見逃した映画「舞妓はレディ」を今日BSPで放映していた。初見だったが予想以上に面白かった。周防監督の映画はほとんど見ているが、この作品は古都京都の物語をミュージカル仕立てとした発想が面白い。主演の上白石萌音はこの当時まだ未知数だったと思うが、この7年後には朝ドラヒロインを務めるなど今や人気女優の一人となった。興味深いのはこの映画を製作した9年前の時点で舞妓のなり手がいないことが物語の発端となっていること。3年前から起きたコロナ禍の影響で舞妓の人手不足が問題になっているという話を聞くが、これは古くて新しい問題なのだろう。
 この物語の舞台となっている花街・下八軒は明らかに京都五花街の一つ上七軒がモデルになっている。ロケは現地では難しいのでほとんどセットを組んだらしいが北野天満宮や上七軒歌舞練場などが出てくる。上七軒と言えば熊本の舞踊団花童を主宰する中村花誠さんの鳴物の師匠は中村寿誠さん。寿誠さんは熊本のご出身で、上七軒の鳴物師範をしておられたので、その縁で山鹿の八千代座で行われていた「山鹿をどり」には上七軒の芸舞妓さんが特別出演されていた。「山鹿をどり」はコロナ禍のため2020年から中断しており、早い復活を期待している。




「山鹿をどり」2018年4月15日 山鹿八千代座
(立方)京都上七軒歌舞会:梅葉・市こま・梅智賀  (地方)本條秀太郎・本條秀五郎・本條秀英二

長谷検校記念 第28回くまもと全国邦楽コンクール(映像)

2023-11-22 19:13:41 | 音楽芸能
 このコンクールを平成23年(2011)の第17回から見始めて12回。うち令和3年の第26回は無観客開催だったので、これまで11回見たことになります。
 コンクールでは箏曲の部、尺八・笛音楽の部、琵琶楽の部、三味線音楽・胡弓の部、三曲等合奏の部の5部門を総合的に評価しますが、過去の参加者数や最優秀賞数を見てみますと「筝曲」が優勢のようです。これは江戸後期から地歌などで筝を主奏楽器とする演奏形態が広まったことや現代邦楽への発展性が高まったことなどが影響しているようです。しかし、筝曲には演奏時間が長い曲も多く、コンクールの5分以内に収めるのは大変なようです。
 これまで僕が見た11名の最優秀賞の中で特に印象深い演奏者は次の5名の方です。しかし、最優秀賞にはなれなかった演奏者の中にも印象に残る方は何人もいらっしゃいます。皆さん邦楽の第一線でのご活躍を祈っています。

第17回(平成23年)箏曲の部 佐藤 亜美
第20回(平成26年)箏曲の部 今野 玲央
第23回(平成29年)筝曲の部 大川 義秋
第25回(令和元年)三味線音楽の部 﨑 秀五郎
第28回(令和05年)箏曲の部 中島 裕康


旧細川刑部邸にて

2023-11-21 17:29:25 | 歴史
 先日覗いたが紅葉が進んでいなかったので今日再び旧細川刑部邸を訪れた。この数日でだいぶ色づきもよくなった。
 来年度から熊本地震で被災した建屋や塀などの復旧工事に入るため5年間閉鎖される予定だという。春の梅🌸の時季そして秋の紅葉時季もしばらくは見ることができない。
 この屋敷は初代熊本藩主となった細川忠利の異母弟、細川興孝が興した刑部家の下屋敷を、平成2年から4年がかりで東子飼町から現在の熊本城内三の丸に移築されたもの。わが家の菩提寺である浄照寺(西子飼町)のご住職の話では、移築した当時は既に細川刑部家につながる方は住んでおられなかったらしい。
 細川家の研究をしておられる津々堂さんによれば、刑部家は嫡家を始めとして四家に分かれており、わが父が幼い頃お世話になった立田長岡家はその一つだそうである。


旧細川刑部邸のシンボルとなっている大銀杏


来園者は紅葉を背景に盛んに写真撮影


復旧工事が終わればまた熊本地震前のように建屋の中も見学可能となるだろう

危うし 桜の名所!

2023-11-20 21:54:04 | 熊本
 こんな情報が熊本城のホームページに載っていた。

▼熊本城の桜(丸太)を配布します
 熊本城では、倒木の危険がある桜の撤去を行っています。熊本城は桜の名所として多くの方々に親しまれていることから、撤去により発生した桜の丸太について、活用を希望される方に無償で配布を行います。ご希望の方は、事前申し込みの上、下記の配布期間内に引取りをお願いします。

 この情報を見る数日前、監物台樹木園周辺の桜の木がかなり減っていることに気付いた。「倒木危険」の札が貼られた木が多いことは前から気付いていたが、それらの伐採が進んでいるようだ。試しに加藤神社参拝の帰りに、伐採された木の根っこを数えてみた。埋門の辺りまでで10本を超えている。植樹の計画はどうなっているのだろう。熊本城の桜の季節も寂しくなるかもしれない。


監物台樹木園前の桜

熊本城下町菓子祭り

2023-11-19 17:33:03 | イベント
 今日は4年ぶりの護国神社「熊本城下町菓子祭り」。かつて「九州一の菓子の町」と謳われた新町の旧中職人町に坐していた祠を護国神社に遷座して8年。コロナで中断したものの、第6回目の菓子祭りが今日開催された。
 境内には特設ステージや菓子を始めとする多くの出店が立ち並び、詰めかけた多くの人々が菓子と芸能イベントを楽しんでいた。
 僕の今日のお目当ては専修大学熊本玉名高等学校Venturesの演奏。期待通り全国トップレベルのパフォーマンスを楽しんだ。


朝から大勢の人が詰めかけた熊本県護国神社


今は護国神社の一角に鎮座するお菓子の神様 菓祖 新宮神社


NHK熊本児童合唱団のステージ


熊本市立西山中学校吹奏楽部の演奏

▼専修大学熊本玉名高等学校Venturesの演奏

民謡「八木節」をロック調にアレンジした曲

おなじみ国民的ヒット曲「マツケンサンバ」

紅葉の橋のたもとから・・・

2023-11-17 20:02:28 | 日本文化
 今日から紅葉シーズン恒例の旧細川刑部邸特別公開も始まった。しかし今日はそれを横目で見ながら玉名へ向かう。いつもと違い、有明海沿いに国道501号線を走る。進行方向右側に展開する山並みの紅葉具合を眺めながら進んでいると、思わず、「紅葉の橋のたもとから 袖を垣根の言づてに ちょっと耳をば かささぎの・・・」と端唄「紅葉の橋」の一節が口をついて出る。
 今年は紅葉の色づきが遅いとテレビで言っていた。しかし、近年は完全に色づく前に落葉してしまうのが目立つ。10数年前の今の時季の写真を見ると、鮮やかに色づいた葉がぎっしりと茂った写真が何枚も出てくる。これも気候変動の影響なのだろうか。
 「紅葉の橋」にちなんで紅葉に彩られた橋の写真を並べてみた。


五家荘へ向かう樅木の吊橋(八代市泉町)


二俣橋の二俣渡し(下益城郡美里町)


防府天満宮 裸坊祭とゴムクローラ

2023-11-16 22:37:47 | イベント
 昨日、KBC九州朝日放送の「アサデス。」で防府天満宮から生中継をやっていた。その中で今月25日に迫った御神幸祭「裸坊祭」に使われる御網代神輿(おあじろこし)のことを紹介していた。この御網代神輿は御祭神である菅原道真公の御霊を乗せて御旅所の勝間浦まで御神幸する台車で、直径2㍍もある車輪が付いている。この車輪が500㌔にもおよぶ重量の御網代神輿を支えるので社殿から下ろす石段や商店街のカラータイルを傷つけていたらしい。そこで2011年にブリヂストンが車輪のトレッド部分を覆うゴムクローラを奉納した。ゴムクローラというのは、本来、農機具の足回りに用いるものでブリヂストン熊本工場(熊本県玉名市)で生産している。僕が熊本工場に在勤していた1973年から生産を始めた。またブリヂストン防府工場もこの祭りに参加しているが、初めて参加した時の事務局をやったのは実は僕だ。そんなこんなでこの祭りは僕にとって一生忘れることの出来ない祭りとなった。


まぼろしの銘菓「さおしか」

2023-11-15 19:00:01 | 熊本
 父が幼い頃(大正時代初期)日参した泰勝寺の長岡家でふるまわれたおやつの中に、新坪井六間町にあった菓子舗・福栄堂の銘菓「さおしか」があったらしい。どんなお菓子だったのかは福栄堂も今はないのでわからなかった。
 ところが先日、熊本情報ブログ「肥後ジャーナル」の2年前の記事に、明治28年創業の老舗和菓子店「福栄堂」が味噌天神近くで火曜日だけ営業しているという記事を発見した。
 この店が件の「福栄堂」なのか確かめたくて今日訪れてみた。「肥後ジャーナル」の記事のとおり、今日は休業日で閉まっていたので、味噌天神に参拝した後、裏の公園から電話インタビューを試みた。女将さんと思しき年配の女性が電話に出られた。かつて六間町に店を構えていたお店(の後身)なのかや、わが父の思い出の菓子だったこと、それを今でもどこかで作っていないか探していたことなど縷々説明した。それに対し、お祖母様の代から今日までの店の経過を実に懇切丁寧に説明され、店の商品への愛顧に対する感謝の言葉を述べられた。そして残念ながら、今は「さおしか」は作っていないが、合志市須屋の和洋菓子工房・大盛堂さんが同じ製法で「さおしか」を作っておられることを紹介していただいた。
 父が他界して23年。やっと父の思い出の菓子にたどり着いた。後日、大盛堂さんを訪れてみたい。

 「さおしか(小牡鹿)」とは若い牡鹿のこと。万葉集にも度々この言葉が出てくる。
 「さおしか」が詠まれた和歌を一首

   我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿 (大伴旅人)
   (わがをかに さをしかきなく はつはぎの はなつまどひに きなくさをしか)
   (大意)
    私の岡に若い牡鹿がやって来て、まるで萩の花に求婚をするかのように鳴いている。


味噌天神社


わが父が「さおしか」をふるまわれた長岡邸(泰勝寺跡)

長岡家の謡のお稽古に幼い父も末席に侍しており、中でも生涯忘れなかった謡曲「田村」

高齢者講習を受けて思う

2023-11-14 21:20:01 | 
 今日は運転免許更新の高齢者講習を受けに行った。この講習は2度目だが、今日の実技講習で初めて指導官から「ちょっとセンターライン寄り気味」と注意された。長年のクセがついているのだろう。また「左を開けすぎるとバイクや自転車と思わぬ接触事故を起こしかねない」とも言われた。
 思えば運転免許を取ってから今年で56年。免許を取ってしばらくしてトラックディーラーに勤めたのだが、初めて先輩社員を乗せて運転した日のことをよく憶えている。先輩から「車が左に寄り過ぎていて怖い」と言われた。だいたい初心者の時は誰でも左側に寄り過ぎになりがちだ。ひょっとしたらその時の先輩の注意がずっと頭の隅にあったのかもしれない。初任のテリトリーは阿蘇一帯だったので走るのは山道ばかりだった。テレビの「ポツンと一軒家」でよく見る山道より条件は悪く、まだほとんど舗装されていない細い山道ばかりだった。しかもそんな道を4トントラックを運転して納車することもあった。若さゆえの怖さ知らずで今思い返すと冷や汗が出る。
 そろそろ免許返納の時期も考えなくてはならないが次の更新となる3年後がギリギリかもしれない。


こんな道を走るのが普通だった若い頃