ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろのセイ!ヤング21(5/13)その4

2017-05-22 09:34:00 | メディア
「沖縄のラジオ番組始めたじゃないですか、プラプラ歩くヤツ」と甲斐さん
「70年代のフォーク、そこでかけたいなと言っちゃった手前

ああ、アレも聴きたいな、コレも聴きたいなということで
改めてデジタルリマスタリング買う訳ですよ
もうね、ものすごくイイよ!(笑)

これは、浜省がドラムで居たんですよね
見たら実質1年くらいしかやってないのね、このバンドって…
このバンド、面白いことスゲェありますから(笑)
曲が終わったらまた言いますけど」と話され、3曲目は愛奴【二人の夏】

曲が流れた後にCMが入り
「この番組もね、面白いと思いますけどね
関根(勤)さんのCMも面白い(笑)」とおっしゃってたので
タイムフリーで聴き直してみると(チャンと聴いてなくてスミマセン!)

関根さんが担当されている「スポパラ」の番宣で
関根さんが『田村三兄弟』のモノマネをなさっていて(笑)

「『田村三兄弟』のビミョーな違い(笑)よく判んない(笑)
正和が似てるだけでしょ?(笑)
兄ちゃんと下の弟、全然違う(笑)
スゴイなー!だって単なるラジオスポットでしょ
『田村三兄弟』拾うのスゴイですよ(笑)」と甲斐さん

「(甲斐バンドは)1974年にデビューして、愛奴は、1975年なんですけど…
新宿厚生年金に、デビューして1年くらい経ってる時に
公開録音かイベントかなんかで(愛奴と)一緒になったのね

デカイ楽屋でさ、愛奴と僕らのバンドだけで(使っていて)
先に愛奴がリハ終わって、その後、俺たちがリハやって戻って来たら

右に僕らの机、左に愛奴の机があって
バーッと入って行ったら、いきなりイス蹴って、俺がバーンと…(笑)
『ふざけんな!』って言って、リハのことで大ゲンカになって
(愛奴の皆さんが)シーンとして…(笑)

イヤ、もう俺たちはいいと思ってるからさ
『なんだよ、アレは!』って、ダーッてイス蹴って
ケンケンガクガクやってたの(笑)
あまりに向こうがシーンとして(いるから)
パッと見たら、誰もいなくなってました(笑)

ナンなんだろね、俺たちって思ったもんね(笑)
迫力がある(バンド)のが続いてく…とは言わないけど
どれだけ真剣なんだ?コイツらっていう(笑)

楽屋に女の子が遊びに来たなんて、全然ないよね?
だって『第2の田辺昭知』って言われてたもんね(笑)
まあ〜!バンドにキビしい(笑)」と話されてましたが

「第2の田辺さんは初耳(笑)」と奥さん(笑)
もっとも「ケンケンガクガク」については
メンバー全員が博多弁…というか九州訛りで話されることもあって
東京の方々には「ケンカしているみたいに見える」と
言い訳?なさっていたんだとか…(笑)

でも、真剣にリハーサルをなさって
ライブ後には、きっちりミーティングされていたからこそ
年間100本を超えるツアーをこなす
『日本屈指のライブバンド」と呼ばれたんですよね

余談ですが、ソロになられた浜田省吾さんが
甲斐バンドのライブのオープニング・アクトとして登場された際に
ミュージック・ラボの五業昌晶(佐藤剛)さんの仕切りで
甲斐さんと対談なさっているんですが

「高校生の頃は一人で歌っていました
だけどバンド志向だったから、大学へ入った頃から
バンドでなければやって行けないと思うようになりましたね」
…と、おっしゃる浜田さんに対して

甲斐さんは「僕は本当はバンド志向じゃないのね
とにかく人間が、4月生まれの牡羊座の典型で
協調性がなく、孤独になりがち、短気(笑)
だから、群れを組んでやることは
多分ダメなんだろうと頭で解釈してた

一人で歌っている方が気が楽だし
おまけにこっちはアマチュアと言っても早くプロになりたい口だったから
ヒマな時に曲を作りたかった
人間関係で惑わされるのがイヤだった」と話されてます

ただ「一人でやっていると音に詰まって来るでしょう
それに作る曲が一人向きの曲じゃないのね

当時は一人のヤツでも、ステージではバックをつけるという兆しがあったし
絶対にレコードと同じ音をステージで出した方が勝ちだって計算もあって
バンドを作った方が良いと…

じゃあ東京に行って面子を探すか?福岡で集めるか?
福岡の人間を見つけて、ヘタだったけれどもやったのは
東京のヤツとは相容れない所が出て来るんじゃないかと思ったからです」

…とも、おっしゃっていて、甲斐バンド結成前から
「ケンケンガクガク」「第2の田辺昭知」を
想定なさっていたことが窺えますね(笑)

それはさておき…「この辺で衝撃の告知を」と
甲斐バンドのオールタイム・ベストが発売されることと
その収録曲が、秋からのツアーのセトリになっていることが発表され

「ツアーの予習がバッチリ出来る訳ですね(笑)
歌詞カードも全部…歌詞も全部覚えられると…
間違ったらすぐ判る(笑)」と甲斐さん
松藤さんは「俺たちも覚えなきゃならないということですね(笑)」と…(笑)

あっ!でも、ライブMCでは口にされていたのに
「タイトルは未定」となっていたのは
甲斐さんが「『オールタイム・ベスト』でイイじゃん!」って
主張なさっているからなんでしょうか?(笑)

続いて、ツアー告知があり
「甲斐さんのビルボードツアーも真っ最中
なんと今日もやっております(笑)」と松藤さん

「順調に進んでるみたいです」との言葉に
一瞬、この放送日のライブのことかとニンマリしていたら
「今後の予定をお伝えしておきます」…って、ツアーのことでした(苦笑)

「75年あたりの曲ですか」と4曲目は、猫の【地下鉄にのって】
昔のセイヤングなどで、甲斐さんもよく歌っておられたようですが

この曲の「今 赤坂見附を過ぎたばかり
新宿まではまだまだだね」という歌詞が
甲斐さんのアマチュア時代に書かれた
【昔話】という曲の歌詞と似た感じなので
ググってみたら、1972年の曲でした(笑)

奥さんは、初めて【昔話】の歌詞を入手した後
福岡に行って、大橋から大牟田線に乗り(笑)
この曲のメロディも知らないのに
「次は高宮だね」とか「次は薬院だね」という歌詞にドキドキしたらしい(笑)

ちなみに…「かさぶた」に掲載された甲斐さんのコメントには
「博多では(ラジオ)番組を持っていたので
【バス通り】と同じくらい有名な曲だった
でもプロになっても、この曲だけはレコーディングされることは
確実にないだろうと思ってた

駅名は地元、博多のものだし
東京の駅名にすると全く臨場感は損なわれる訳で、意味も違って来る
ということで、1度もレコーディングはされていない
オリジナルとしては2曲目に書いた曲である」と記されてます
コメント
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