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『福沢諭吉の真実』

2012年12月01日 | 評論
平山洋『福沢諭吉の真実』(文春文庫394、2004年)

日本の文明開化を先導した思想家福沢諭吉は、朝鮮や中国での自国民による文明開化を援助しようと、両国での近代化運動の活動家を養成するために慶應義塾に受け入れたりしたことは知っていた。しかし彼が朝鮮人や中国人を蔑視し、両国への侵略を肯定する文章をたくさん残したという話は知らなかった。どうやら、そうした文章のせいで、福沢諭吉は転向したとか時局におもねる風見鶏のような奴だと否定的に論評されているということも知らなかったが、どうも一般的には、そのような人間として見られているらしい。

この本は、このような転向者・福沢諭吉という像を作り出したのが、まさに『福沢諭吉全集』だという。もちろんこの『全集』は福沢諭吉自身が編集したわけではなくて、彼の死後に、『時事新報』に長きに携わっていた石河幹明の手によるもので、結論から言えば、この男の作り物ということになることを解説したものだ。これまでの常識をひっくり返す力作である。

福沢諭吉の真実の姿がこのように捻じ曲げられた原因は、彼が創設した『時事新報』の論説が無署名によるものだったために、実際に福沢諭吉自身が書いたもの、彼の発案にもとづいて論説委員が忠実に書いたもの(代筆といっていいようなもの)、彼の検閲を受けているが、内容的には、福沢諭吉のものとは言えないようなもの、福沢諭吉とはまったく無関係のものなどが、石河によって、彼の都合のいいように、いかにも福沢諭吉の論説として『全集』に収録されたことが原因のようだ。

したがって、福沢諭吉の思想という点では、彼自身が書いて出版されていた本と彼の死後に出版された『全集』に収められた「時事新報論説」の主張が、とくに朝鮮や中国などのアジア外交の問題や主権者としての人民という思想において180度違うということが起きたという。その結果、『全集』を丹念に読んだ人たちから、福沢諭吉が転向したかのように批判されるようになった。

もともと福沢諭吉は人民主権的な考え方をしていたし、政府のあり方もイギリスなどに見られる議会制民主主義を目指していた。そしてそれはどの国民においても同じであるという思想をもっており、朝鮮や中国で、日本のような文明開化が不可能だから、日本が侵略をして代わりにそうした制度を作り上げてやればいいというような発想の人ではなかったという。また石河のような水戸藩出身でもないため、勤王精神はほとんどなく、戦時においてさえ、天皇を頂点とした国家づくりを主張するようなことはまったくなかった。

私はこれを読みながら、この福沢諭吉問題というのは、なんだかソシュール問題に似ているなと思った。ソシュール問題というのは、構造主義言語学の始祖であるフェルディナン・ド・ソシュールが到達した言語学思想についてまったくまとまった著作を書かなかったし、出版もしなかったために、彼の死後に、彼の弟子であったバイイとセシュエがまとめて出版した『一般言語学講義』に、彼らの作為が多数入り込み、ソシュールの考えとは違うものがソシュール思想として流布することになった。そのために、多くの思想家が間違った前提をもとに議論したことから生じたソシュール問題が生じた。現在は、ソシュール自身の講義ノートや上記二人以外の弟子たち(コンスタンタンなど)の講義ノートをもとに、もっと忠実な姿を提示する試みが行われている。日本でも丸山圭三郎がその先鞭を切った。日本では、さらに訳語の問題から生じた日本固有のソシュール問題もあったと彼は述べている。

もちろんソシュールの場合は悪意や私的利害があって歪めたわけではないから、どうも福沢諭吉の場合とは違うかもしれないが、いずれにしても、これから「時事新報論説」のなかから福沢諭吉真筆のものを抽出する作業が行われなければならないだろう。もちろんそのキーになるのは、石河が収集した書簡や「時事新報」の資料であろう。もし真実の姿が見えてくればくるほど、逆に石河のしてきた悪行があぶり出されることになるわけで、相当の抵抗を覚悟しなければならないのではないか。


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