塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカースパイク、日本企業は大丈夫か

2017-11-29 01:29:03 | 日記
 タカタのエアバッグの不良が全米で騒動になった際、ここまで日本の製造業が批判を受けるとは思いませんでした。

 過去はトヨタですら米国できつい尋問を浴びたことがありましたが、2016年の三菱モータースの不祥事、日産による子会社化は、車ブランドの不祥事の枠を超え

 「F・マリノスとレッズのスポンサー問題」

 にまで言及され、両クラブのファンをやきもきさせました。

 その日産、スバル、そして東レと相次ぐ不祥事が、今後株価を含む日本経済にどのような影響を及ぼすでしょうか。

 過去、マンションが傾いた形で建設、住民との相談会で紛糾した例があるように

 お金の問題と時間の問題
 そして何より、自分の命の問題

 がこれらにつきまとうからこそ、消費者は敏感なわけです。

 一方でアシックス、アドラー、そしてミズノという日本のスパイク・ブランドの製造はどうなのでしょうか。

 特にモレリアの評判はいつの時代でも衰えることなく、モレリア2からモレリア・ネオ、そしてモレリア・ネオ2へとより履きやすさを向上させ、市場に投入しています。

 ミズノは僕が所有しているブレスサーモも含めて、日本製が多いことも特徴で、逆に言えば

 「国内での雇用を維持している」
 「同時に海外での製造を含めて現地での活動にも熱心である」

 という見方ができます。

 Jリーグ在籍時からフッキがミズノの大ファンであることは有名ですが、日本製の丁寧な手仕事が多くの選手を支えてきました。

 アドラーは目立ちませんが、過去、パルセイロの選手たちも愛用していましたし、アシックスもタイガーシューズの人気は世界規模ですよね。

 同課サッカースパイクが上記の製造業のような批判を受けませんように、と切に願う今日この頃です。
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往時を知り、現在も知る事の意義深さ

2017-11-28 00:55:36 | 日記
 ナイキがエアージョーダンの多くを復刻していますが、そのオリジナルを履いたジョーダンの映像を誌面やダイジェスト、VHSで確認できたことは凄く意義があると思えます。

 コンバースならラリー・ジョンソンとランスラム
 フィラならグラント・ヒルとグラント・ヒル
 リーボックならばショーン・ケンプとレインマン

 というように、1990年代の名作バッシュの復刻は、当時専門誌だけでなく、ファイン・ボーイズヤメンズノンノでも特集されましたし、40代のバスケ好きは当時を思い返す材料になります。

 サッカーも同じで、例えばバッジョが疾走する足元に、イエローラインのディアドラ「マッチ・ウイナー」が、当時のワールド・サッカーダイジェストで確認できます。

 1990年代はロットがすごく影響力を持っており、極上のカンガルーレザーを用いたイタリアメイドの素晴らしさは、写真からでも凄く伝わってきます。

 ブライアン・ラウドルップはパトリック
 フリスト・ストイチコフはクロノス
 デニス・ベルカンプがリーボック

 というように、当時を振り返るとスパイクも銘柄も人気商品が見えてきます。

 当時を知っていて今を知る
 ただ今だけを知る

 この2点には大きな隔たりがあり、だからこそ僕たちも賀川浩氏に代表される著作を、もっと読まねばならないと自己反省の日々です。

 後20年も経てば、ロナウドが愛用するマーキュリアル、メッシが履くメッシも復刻の対象となり、その時代の若者に新鮮な印象を与えるのでしょう。

 そこに今の彼らが持つ素晴らしさを説く義務が僕たちにはある、そんな気がします。
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改めて思うオーソリティという存在

2017-11-28 00:44:35 | 日記
 池波正太郎先生の手掛けた「男の作法」が、今でも新潮文庫から刊行され続けています。

 また同社からは山口瞳の「礼儀作法入門」も2冊刊行され、身だしなみ、食の作法に至るまで、多くの事柄を学ぶことができます。

 僕がごくごく基礎的な事柄を除いてコンピュータに疎い理由の一つに、贔屓の作家がコンピューターとの付き合いに言及していないという点もあります。

 天ぷら屋や寿司屋での振る舞い
 背広やネクタイの購入方法
 電話応対や人を待たせない事

 そう、これれは過去も現在も未来も重要な出来事ですが、かつては携帯電話やパソコンという代物はなく、従って今に至るまで段階的なマナーを説く人物がいない気がします。

 僕は両氏がオーソリティだから学ぶ意欲があったのではなく

 「ああ、この点は今出来ているなあ」
 「そうか、このような考えが大事なのだな」

 と言葉に頷く点が大きいためです。

 サッカーも子供たちや関心を抱き始めたファンは、まず日本代表や各国代表の技術と言動を確認します。

 今ならば頂点に立つのはメッシとロナウドですが、僕の時はカズとバッジョでしたが、変わらないのは

 選手インタビューで感じていることを学ぶ
 技術や体力はもちろん大事だが、人間として振る舞うことの大切さ

 という2点に尽きると思います。

 雑誌と書籍の時代からテレビの時代へ
 テレビの時代からパソコンの時代へ
 パソコンの時代からスマートフォンの時代へ
 
 時代を象徴する機械は常に変化してゆきますが、オーソリティという趣旨を説く存在はいつの時代にも必要ではないでしょうか。

 もしオーソリティが

 「スマートフォンを歩きながら使わないで」
 「タバコの吸い殻を道に捨てるな」

 と叫べば、状況はもっとよくなる、のかもしれません。
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加地亮、引退を公表する

2017-11-27 22:18:23 | 日記
 ファジアーノ岡山に在籍する加地亮が引退を発表しました。

 僕の印象は「反論をしない選手」というものです。

 ジーコ政権時代、右サイドの主力であった彼は、メディアとファンから容赦なく批判されましたが、それはクロスの質が低いというもので、中で待つFWが合わせずらい、という物でした。

 ジーコはJ1で多くのクラブが採用しているバック3で代表し、この点は代表選手も違和感はなかったと思います。

 当時の代表選手の8割はJ1の選手たちでしたから、馴染みある布陣の方が約束事が浸透しやすい点が確かにありました。

 しかし、実際の布陣は5-2-1-2に近い形が多く、加地だけでなく左サイドの駒野友一もオーバーラップを往復で130メートル程度走る、つまり駆け上がるたびに疲労するという事態だったのです。

 バック3は構造上、どうしても自分の背後を気にする必要がありますし、対戦相手が両翼を高い位置に張らせると、守備でも体力は消耗してしまいます。

 ですから、一部の識者たちは

 「彼のクロスの質は、彼の実力ではなく布陣のいびつさにあるんだ」
 「ジーコは駒野と加地の負担をどうして減らさないんだ」

 とこぼしたものです。

 でも、当時彼が布陣の問題や幾度も駆け上がる事での体力に維持について、反論したり意見した記憶ないのです。

 「僕の実力不足です」
 「僕がもっと良いクロスを供給できれば問題ありません」

 と他者に責任を擦り付けることは無かったと思いますが、これが彼の人柄なのでしょう。

 ただファンも海外サッカーと日本代表、J1を比較する機械が増えて選手の力量ではなく、対戦相手とのかみ合わせや布陣にも問題があることを理解しています。

 今加地が代表ならば、異なる評価が下された、そんな気がします。
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釜本邦茂氏、キングギアで大いに語る

2017-11-27 16:22:27 | 日記
 デサントはアンブロの総代理店、過去にはアディダスの総代理店でもありましたが、不思議と自社ブランドの「デサント」は、野球に強い印象ですよね。

 大リーグで戦うことを決めた大谷選手もデサントの愛用者ですし、野球に強い自社の強みを強化し、サッカーは輸入代理店として補うというのが、デサントの方法論のような気がします。

 ちなみに、先日デサントが誇るオルテラインの

 「水沢ダウン」

 が中古で6万円で売られていましたが、いつか買えたらいいなあと思える最高の逸品でしょうね。

 さて、そのデサントが供給口となっているアンブロはガンバとFC東京と契約していますが、ガンバの初代監督という縁もあったのでしょうか、釜本邦茂氏も愛用者なんですね。

 今、キングギアで釜本さんのインタビュー・コラムが5回まで掲載されているのですが、なるほどと思える事柄がいくつも出てきます。

 一方でご自身も語られているように

 「肝炎でなかったら、海外リーグのどこに移籍しだだろうか」
 「日本代表も予選であれほど敗れることはなかったのだろうか」

 という2点は、皆が想像してしまいます。

 釜本さんは、反復練習の大切さ、そしてシュートの練習の意義、勇敢さを解いていますが、たしかに今の代表に足りない面だと思います。

 中山雅史があれほどファンから必要とされたのは

 「ワールドカップ98、対ジャマイカ戦で骨折しても走り続けた」
 「どんなにどんくさい形でも、ネットを揺らすことを信条とした」

 という愚直さがあるからでしょう。

 1993年当時、中山はオフトにとって流れを変えられる最高の存在でした。

 今の代表には交代枠3を使えるだけの選手層があると思いますが、一方で流れを引き戻す存在、そして勇敢な存在が必要ではないでしょうか。
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