塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が感じる背番号10が嫌う事

2015-07-01 00:11:35 | 日記
 偉大なる背番号10にとって、複数のマーカーを背負う事と、タッチを背負う事はどちらが面倒でしょうか?

 1987年の欧州最優秀選手であるグリットは、戦術で縛られる事をとにかく嫌い、ミランとサンプドリアの間を往復します。

 それはミランの全盛時であり、彼以外にも優れた外国籍選手が多く在籍し、また指揮官カペロがサッキから受け継いだゾーン・プレスを、忠実に実行する事が求められたためでした。

 ジダンもユヴェントスの守備偏重に「げんなり」し、レアルに移籍します。

 指揮官デル・ボスケは4-4-2の布陣を敷き、2トップとラウルとモリエンテス、両翼にフィーゴとジダンを配置するも、ジダンがタッチを背負う事を嫌い、変則的な

 「4-2-2-2」

 になる形が見られました。

 つまり、ロベルト・カルロスの前には、相手からは唾が出るほど膨大な空間が存在し、このブラジル代表は持ち味である快速を封じられ、守備に忙殺されます。

 デルボスケは同じ4-4-2を菱形に変える事、中盤の底をマケレレ一人に託し、ジダンを2トップの背後に置く事で、ジダンの特性を活かし、布陣のアンバランスを是正したのです。

 こうしてみますと、背番号10は

 「タッチを背負う事、制約を担うことを本当に嫌う」
 「むしろ複数のマーカーを振り払う方が簡単」

 という認識なのでしょうね。

 よくベンフィカが背番号10を活用するサッカーの代名詞と近年捉えられています。

 しかし菱形は4-3-1-2になる事も多く、フルバックの攻撃参加がなければ両翼は停滞し、またプレスのかかりにくい布陣である点がマイナスになります。

 それでも今季のユーベのように、4-3-1-2が最適と考える選手と指揮官は、案外多いと感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカージャージに学ぶ伝統

2015-07-01 00:02:14 | 日記
 サッカージャージにも原点回帰、言い換えれば「これだけは譲れない」という形があります。

 日本代表ならばホームはブルー、これはアディダスだろうが他社であろうが、絶対に変更が認められない不文律になります。

 アンブロが手掛けるペルー代表のジャージもこの不文律があります。

 それはデザインの襷がけです。

 ペルー代表は基本、ホームジャージはボディが白で、ここに赤の襷が入る仕組みで、これは英雄であるテオフィロ・クビシャスが活躍していた70年代後半から変わらない伝統です。

 ですからデザイナーの方も、伝統から

 「逆算してデザインを起こす」

 と言う形で、むしろ作業はしやすいのではないでしょうか。

 人間、不思議と制約がある方が、知恵を働かせることができますからね。

 僕はクビシャスの写真を

 「日本スポーツ企画出版 ストライカー100」

 で閲覧していますが、この時の写真はスキッパータイプで、現行の丸首とは印象が異なります。

 クビシャスは70,78,82年と3度のワールドカップに出場し、スイス、米国でもプレイした、まさにペルーサッカーの代名詞なんですね。

 ペルーは近年、ワールドカップ出場から遠ざかっていますが、パラグアイがラモン・ディアス、チリがマルセロ・ビエルサの招聘で息を吹き返したように、些細なきっかけが変わる秘訣でしょうか。

 ちなみにペルーは何度かキリンカップで来日しています。

 またJリーグ創世記、レッズに在籍したウエハラも、ペルーからやってきた選手でしたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする