塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

アンチェロッティが率いたクラブの共通項

2011-12-24 23:00:17 | 日記
 アンチェロッティが凄いのは、

 「与えられた戦力を巧みに操り結果を残せる」

 ここに尽きます。

 例えばチェルシー時代、突如与えられたフェルナンド・トーレスとドログバを両立させる
ために、4-3-3を4-3-1-2に変更した点は、その代表例ですね。

 またミラン時代も、

 1・忍び寄る主力の高齢化
 2・一向に進まない最終ラインとGKの強化

 が常に指摘されながらも、2003年と2007年のチャンピオンズ・リーグ、2004
年のスクデット獲得と、彼は結果を残し続けてきました。

 不思議とアンチェロッティは常に、「富豪」が経営するクラブの指揮官として、その道を
歩んできました。

 1・パルマ時代 (当時のパルマはタンツィという屈指のパトロンが控えていました。)
 2・ユヴェントス (アニエリ家はフィアットのオーナーとして有名ですね。)
 3・ミラン (ベルルスコーニ)
 4・チェルシー (アブラモビッチ)

 そして今度のパリも王族の手によって莫大な資金を投下できる形になりました。

 アンチェロッティにとって資本力のあるオーナーの存在は、得なのかそうでないのか、正直
わかりませんが、パリの首脳陣が彼を招く背景には、彼がオーナーに

 「噛み付く」

 ことなく仕事をすることもあるでしょう。

 ミラン時代、ベルルスコーニが2トップを求めたのは有名ですし、チェルシー時代はトーレス
の存在が重荷になったことは確かでしょう。

 ですのでPSGはアンチェロッティとの契約後も

 「これでもか」

 という具合にビッグネームを獲得するかもしれませんし、むしろその瞬間がアンチェロッティ
の真骨頂が見られるのかもしれません。
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PSG、コンブアレとの契約を遂に解除か

2011-12-24 22:50:11 | 日記
 「威厳」かそれとも「柔和」か。

 PSGが以前から囁かれているようにコンブアレ監督との契約を解除し、アンチェロ
ッティを後任に据える策を、いよいよ実行に移す模様です。

 リーグ1で首位に立つも、その他のコンペティションでは既に敗退が決定しているPSG。

 アーセナルに移籍したジェルビーニョのように、主力を失いながらもアザールを中心
に昨シーズン同様の調子を維持するリール。

 勿論マルセイユ、リヨンという強豪も含めてますと、PSGの首脳陣は

 「コンブアレは妥当では無い」

 と判断したのかもしれません。

 首脳陣が契約解除を提案する一方、選手のコンブアレ評は案外良いと、以前聞きました。

 それはコンブアレが日本風に言うと、「兄貴分」、俺についてくれば良い思いができる
という、その推進力を選手が認めていたようなんです。

 パリは他の欧州の大都市と比較した際、非常に洗練された文化度の高い都市として知られ
ています。

 パリの佇まい、空気はミラノ、ロンドン、リスボン、そしてミュンヘンなど、他の国の
大都市でも勝てないようです。

 僕はPSGの首脳陣はコンブアレの仕草や表情が、パリの空気と合わないと考えていると
推測します。

 アンチェロッティもお世辞にもスマートな体格をしていませんが、ミランとチェルシーで
得た実績とその柔和さが、PSGを率いるに相応しい

 「人格」

 の持ち主だと、レオナルド以下のフロント陣は考えているのではないでしょうか。
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日本でやり直すという選択肢

2011-12-24 00:45:42 | 日記
 アルビレックスの酒井高徳が、2013年6月までのレンタル移籍でドイツの
シュツットガルトに移籍を果たす一方

 矢野貴章 (フライブルク)
 槙野智章 (1FCケルン)

 がそれぞれ戦力外通告を受ける形で、新しい働き場所を探しています。

 両者はどちらも欧州リーグ内での移籍を模索しているようで、それはマジョルカの家長
も同様の様子です。

 僕はこの事例から

 「J1は日本人ですら、魅力的に見えないのでは無いか?」

 と寂しい気持ちになります。

 別に日本に帰国してやり直すことは、恥ずかしくは無いと思いますが、彼らからすれ
ば日常の中で優れた選手と戦える欧州の雰囲気が消えないのでしょう。

 また口さがない日本のファンの1部が

 「彼らは欧州で失敗したから日本に復帰した。」

 そう叫ぶ姿も否定はできません。

 1999-00シーズンをベネチアで過ごした名波も、ペルージャからローマに移籍
を果たした中田と比較され、1年で帰国したことを揶揄された事がありました。

 しかし彼はその批判を発奮材料として、2000年アジアカップ、ヨルダン大会で見事
MVPを獲得し、周囲を黙らせます。

 日本に帰ってやり直すことが選択肢に無いようですが、日本は母国なのですから視野に
入れるべきだと思います。

 僕は槙野は恩師から呼び戻される形で、レッズで来季を過ごす形になる気がします。
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