Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

登呂博物館へ行く

2012-06-12 23:40:28 | Weblog

 今日は時々霧雨のような雨が降る天気でこの時期にしては寒い。母をデーサービスに送り出してから、雨間をぬって犬の散歩に出かけた。妻から「病院に行くので11時前には帰ってきてほしい」と言われた。10時を回っていたので、遠出せず登呂遺跡の周りを回ってこようと思った。1周して2周目を歩いていると雨が強く降ってきた。そこで登呂博物館で雨宿りし、小雨になるまで待つことにした。犬を屋根のあるところに繋いで、登呂博物館に入った。丁度「鷹ノ道遺跡」展が開かれていて、小学生の集団や、観光バスで見えた、高齢な方たちが入っていて混雑していた。鷹ノ道遺跡は、登呂遺跡の北側に広がる遺跡で、現在はビルや民家が建っている。

 この博物館に入った目的は、今から2000年ほど前の弥生時代に集落であった登呂遺跡は、現在の地表から1m程下がったところにその遺跡は広がっていた。そこが何らかの原因で土砂が埋まり、遺跡として残った。それは安倍川の氾濫によって埋まったと本で読んだことがあった。その氾濫は降雨によるものか、それとも津波が安倍川を逆流したものか、それとも津波の影響なのか知りたいと思ったからだ。

 昨年3月11日の東日本大震災以降、プレートが沈み込みにより発生する地震が見直され、東海地震、東南海地震、南海地震が連動して起きた場合、駿河湾では20mぐらいの津波が来ると言われている。それは現在の地震学から導き出されたもので、論理的に実証されたものかと思う。しかし、それにより沿岸に近い人達は大きな不安を抱いている。我家も海抜は9m程であり、20mの地震が来たら完全に押し流される。その被害は甚大であり、日本は立ち上がれないほどの大災害となると思う。しかし2000年ほど前に集落があった登呂遺跡は土砂で埋まった。これが津波が原因でなかったら、2000年間大きな津波はなかったことになる。そのことを確認したかった。

 受付で学芸員を紹介された。その学芸員は、登呂遺跡が埋没したのは安倍川の氾濫である。その理由は、埋設土に海水の混入がないことから安倍川の氾濫であると言った。それなら津波が安倍川を逆流して氾濫したとは言い切れないのか聞くと「そのことは私には分らないから、良く知っている静岡大学の〇〇教授に聞いてほしい」と言った。博物館の学芸員ならそのことぐらい説明してほしいと思ったが、私の質問の仕方も悪かったのかも知れない。話しから津波は来なかったとの判断はできなかったが、私は考えた。この2000年の間に川の氾濫はあったが10m以上の津波がきた可能性は薄いのでないか。安心はできないが、最近喧伝されている大津波予想に振り回されていいるが、大地震が来ても、それに対処する心構えだけは持っておこうと思った。外に出ると雨は上がっていた。