Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

バイオリズムの低い日

2012-06-02 21:48:59 | Weblog

 昨夜は弔辞の纏めに時間がかかり、出来たのは午前1時ごろであった。それを読み直すこともしないで、そのまま寝た。明日の午前中に直せばよいと思った。妻は7時頃「ウオーキングに行くので、母のデーサービスを頼む」と言って出掛けて行った。それを布団の中で聞いた。それから1時間ほど経ったころ電話が鳴った。電話を取ると「〇〇デーサービスの誰々ですが、あと15分ほどしてお迎えに行きます」こんな話であった。直ぐ起きて、母を門のところまで連れて行くと丁度デーサービスの自動車が来て、母を送り出した。

 時間は9時を回っていたが、今日は何事も気乗りしない。テーブルの上に用意してある納豆とみそ汁を呑んだが、朝食を食べる気がしなかった。朝刊に目を通してから、朝風呂に入った。最近は生活のリズムが一定してなく、風呂に夜入ったときは、朝は入らないが、夜入らない時は朝入る癖がついてしまった。着替えをしたのは10時30分ごろであった。それから、昨夜に書いた弔辞を読み直した。昨夜急いで書いたので、抜かしたところや、語彙のおかしいところが数ヶ所あった。それを別用紙に書き、それを張り付けたり、言葉を直したりした。そうした作業もスムースにいかないで気持ちもシャキットしない。それでも2回ほど読み直して、礼服の胸のポケットに納めた。

 今日の葬儀は13時30分から上土の東禅寺である。12時20分には家を出たが、犬は私の姿を見て、犬小屋の中で顔を床面に付け上目ずかいに見ていた。それは今から散歩に連れて行ってくれない時のすねた、しぐさである。帰ってから連れて行こうと思った。東禅寺には12時40分には着いた。まだ境内にはまだ5~6人が日陰になったところにいた。13時ごろには故人に親しい親族の方たちがマイクロバスから降り、本堂に坐った。鉄道関係者は10名ほど来ていた。個人が享年88歳であり、総務系の年配者が多かった。知っている人はその内5人だけであったが、その他の関係者等150名ほどが、本堂に入り、入れない人は外にもいた。

 本葬は始まった。一時間ほどして、弔辞の依頼があり最初に私が行った。今回の内容は、遺族や一緒に仕事をした人達から聞いて作ったもので普段道理出来た。しかしいつにない違和感を感じた。10人とは言え一緒に仕事をした人がきたことは、故人にしては私より、その人達に弔辞をしてもらいた方が良かったのでないかと思った。年齢も離れ、職歴もあまり知らないのに、弔辞を読もうとしたことは、やり過ぎではなかったか、こんなことを考えてしまった。良かれと思ってやったことが、考え方の違いで別の答えがあることを感じていた。バイオリズムが下がっている時は、建設的考えが出てこない。