ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「否定神学」20211022

2021-10-22 | Weblog

 

 


共通の敵はいる、かもしれない
けれどそれが仲間の証だとは思わないほうがいい

陣取りゲームをして生きているわけじゃない
紅組と白組にわかれて敵の失点をよろこびあう
加点と減点のクソゲームに意味はない、未来もない

この路線は不毛だと感じていた
鼻垂らして山猿のように野山で遊んでいたときからね

はじめからチーム〝正義〟の一員じゃないの

チーム正義の一員であることの矜持、自尊、連帯
そんな自意識はいったん解除したほうがいい

すべての問題の根源にあるものかもしれない

一人一人の実存が水面下に水没していく
「正義」という水面をフラットに保つためにね

みずからと仲間たちの善性、正義にのぼせ上がるとそうなる
ビョーキであり倒錯であり変態だと呼んだほうがいい

歴史の惨劇の大もとにあるものだと思う

スコープを広げれば単数じゃなく複数の無数の「正義」が見える
なので、「正義」と「正義」の背立関係を超えるには「正義」は使えません

ほんとうに対立を超えたいと願うなら「正義」は使用不可
それだと必然的に、どっちが勝つか、という最後のステージが導かれる

正義と正義をブリッジして別の世界を願うなら
別の方法を考える必要がある、本当に願うならね

きわめて大事で必須なことさ
日常の日々の暮らしとつながっている

正解をさがす本の読み方はやめたほうがいい
ここではない、あなたこなた、どこかに
真正の正義、真理、究極解がある!
このマインドセットは解体したほうがいい

心のかたちは敵も味方も共通の本質を示している

無数の正義の最上位に立ち上がる「メタ正義」
この究極解をささえる根拠はただ一つ、「信」以外にない

この実証されざる仮象の究極解が世界をおとしめていく
すなわち、否定神学による世界の確定記述

〝メタ〟を戴く信仰、信憑に染まった心によって
世界は「ソレ」と「ソレでないもの」に画然とマップされる

この世を否定の斧で裁断し、見上げ見下す関係世界
だれが真理と正義に近いか遠いか
人間の価値を査定する序列の階梯がおのずと立ち上がる

このフォーマット化された精神の形式において
右も左も関係なく、相同的な世界図式が普遍的に共有されている

ビョーキの根源は日々の経験のなかで胚胎されている

不易の世界図式、バインドされた二項対立シェーマ
白と黒、バカと利口、敵と味方、上と下、先生と生徒

別の方法を考えよう、たとえば学校

「教える-教わる」という一方向的関係図式、ではなく
両者のセッションとして現象するものにフォーカスする

教えるものは教わるものであり
教わるものは教えるものでもある

教え教わりながら、本を読みながら
生成的に立ち上がる第三の位相がある

つまり、相互に触発しあう資源として関係しながら
よびかけと応答が循環しているいわばセッションの位相がある

「人格、価値観は関係ない」とマイルス・デイビスは吠えた

だれにも専有されない第三領域、新たな音の生成
未知の、非知の、生きるに値する生のエロスの創出可能性
ここにセッションの主題があり、位相がある

この主題を共有してセッションに加わるとき
どんな人間も活性化する可能性をもつ

「正義ー不正義」を問うより大事なことがある
生のエロスが生成する第三の圏域に開かれているかどうか

そのための条件とはなにか──もっとも考えるに値することだと思う

「正義-不正義」の分割は確定された世界記述のなかで起きている
関係意識、関係態度、人間的価値をめぐるマインドセット
すべがバインドされていく世界図式の上の出来事としてね

 

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