報道によると、広島高検は広島市で起きた木下あいりちゃん(当時7歳)を殺害して先日広島高裁で1審通り無期懲役判決をうけたペルー人ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(38)について上告を断念するようですね。妥当な判断でしょう。
><広島女児殺害>検察が上告断念へ 差し戻し審で無期懲役
8月7日0時20分配信 毎日新聞
広島市で05年11月、小学1年の木下あいりちゃん(当時7歳)が殺害された事件の差し戻し控訴審の判決(7月28日)で、殺人と強制わいせつ致死などの罪で無期懲役を言い渡されたペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(38)について、広島高検が最高裁への上告を断念する方針を固めたことが、関係者への取材で分かった。
検察側は死刑を求刑していたが、過去の判例に照らして適切な上告理由がないと判断したとみられる。8月11日が上告期限で、遺族は上告を要請していた。刑事訴訟法の規定で、被告が上訴した場合は原判決より重い判決を出せないため、死刑は適用されないことが確定する。
広島高裁は先月28日の判決で、無期懲役とした1審判決を支持。死刑を求めた検察側と、「犯行時の責任能力に問題がある」として殺人と強制わいせつ致死では無罪か刑の減軽を求めた弁護側の控訴を、いずれも棄却していた。
1審の広島地裁は06年7月に無期懲役(求刑・死刑)の判決を出したが、広島高裁は08年12月、1審の訴訟手続きを違法として審理を差し戻した。09年10月の最高裁判決は1審手続きを適法とし、高裁に差し戻していた。
言うまでもなく、上の記事にもあるように最高裁への上告については、判例違反や重大な事実誤認などに限られています。この事件の場合、とくに判例違反は見受けられないので上告を断念したわけです。私はこの事件は、死刑求刑はやや難しいんじゃないかなと思っていまして、裁判所の側も最終的に死刑に値しない事件であると判断したということです。わざわざ検察が上告するほど悪質な事件だとは個人的には思いませんので、とりあえずは不必要な死刑判決が出なくて良かったと思います。
こういうことを書くと、てめえとんでもない野郎だ、こんな性犯罪者は(奈良の小林薫みたいに)どんどん死刑にしちゃえばいいんだとお考えの方も多いでしょうが、でもやっぱり死刑判決なんてそんなに出すもんじゃないと思います。この間死刑執行に署名した千葉法相じゃないですけど、私は死刑反対論者ですが、仮に死刑が法にあるのなら(悪法もまた法なりとまではいいませんが)そのような判決を下すこともあるでしょう。しかしこの広島の事件に関しては、過去の判例を鑑みてもなかなか死刑判決は難しいしまた下すべきではないと思います。
さてさて、この事件は死刑判決もあり得る(しかし現実にはなかなか難しい)という案件ですが、世の中はじめっから死刑がわかりきっている事件もあります。前にも記事にした池田小学校の事件は、宅間守(のちに吉岡姓になる)に死刑判決が下ることは分かりきっていましたし、やっぱりそうなりました。宅間は弁護人控訴を自ら取り下げ、そして1年後には刑場に消えました。
私は宅間に対していかなる意味でも同情するつもりもありませんが、でも宅間にこの池田小学校の事件について「反省しろ」っていってもなかなか難しいですよね。『フライデー』だかにのっていた写真に、現場検証の際宅間が手を合わせていた写真を見た覚えがありますが、しかし裁判という場では死刑確実な彼が反省するということはほとんど期待できません。
だいたい死刑判決が下るということは、裁判官が「反省がない」と判断するか「反省はしているがそれは死刑を回避する特段の事情たり得ない」と判断するということです。上のヤギ被告の場合、一応は反省をしていたみたいですし(遺族からすればそんなものはなんでもありませんが、でも「反省」をすればそれはそれなりに評価はしないわけにはいきませんよね)、この事件のように「反省」することが死刑を回避するためのキーポイントになればそれは反省することは大いに意味があります。
しかし、宅間守に対して反省を求めるということは、この記事の題名、つまり
>「反省はしろ、しかしお前は死刑だ」
ということではないでしょうか。もちろんそれで宅間が多少なりとも反省すれば、しないよりはずっといいでしょうが、しかし宅間が反省しなかったところでそれを道徳的に非難したってあんまり意味はないと思います。宅間は控訴もしなかったし、異例の速さで処刑されちゃったんですから、それ以上彼に何かしろといっても出来ない相談でしょう。
もちろん死刑判決を受けた人の中でも非常に深く反省した人もいます。名古屋で戸谷小百合さんを誘拐し殺害した木村修治などはとても深く反省したそうです。しかし宅間とか、坂本事件の後、実行犯たちに対して「3人殺したから我々は逮捕されたら死刑だ」とか述べたといわれる麻原某とかに「反省」を求めたって(彼は裁判では無罪を主張していましたからどのみち反省なんかしませんが)、これもほとんど意味はありません。むろんそんなことは分かっていても求める以外ありませんが。
「お前を国家と法の名のもとに殺す」というのが死刑の趣旨であれば、そこに「反省」を求めるというのは基本的に筋ちがいじゃありませんかね。だって「殺す」というんだから、そういった場合に平均的な人間よりはずっと性格がよろしくない人間である可能性が高い被告人が「反省」するというのは、ほとんど期待できないというか期待するだけばかばかしいというものでしょう。
「反省」というのはそれなりに希望があった場合にするものであって、「死ね」と国家権力(司法と行政の双方)から文字通り希望のかけらもない宣告をうけたら、やっぱり「反省」はしないよね。
最近でも秋葉原の通り魔事件で検察が被告人に
>この日の公判では検察官が「模倣した事件が起きていることをどう思うのか」「事件は社会のあり方を変えてしまったのでは」と追及。「申し訳なく思う」と繰り返す被告を「どうして見ず知らずの人に痛みを残すことに思いが至らないのか」と叱責(しっせき)した。
とのこと(魚拓)ですが、死刑判決確実と思われる被告人をしっ責したところで意味はないよね。いや、これは被告人というより、国民へのアピールか。裁判員裁判を意識している部分もあるのでしょう。
なおこの記事は、apesnotmonkeysさんのこの記事にコメントさせていただいたことで書くことができました。apesnotmonkeysさんに感謝を申し上げます。
><広島女児殺害>検察が上告断念へ 差し戻し審で無期懲役
8月7日0時20分配信 毎日新聞
広島市で05年11月、小学1年の木下あいりちゃん(当時7歳)が殺害された事件の差し戻し控訴審の判決(7月28日)で、殺人と強制わいせつ致死などの罪で無期懲役を言い渡されたペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(38)について、広島高検が最高裁への上告を断念する方針を固めたことが、関係者への取材で分かった。
検察側は死刑を求刑していたが、過去の判例に照らして適切な上告理由がないと判断したとみられる。8月11日が上告期限で、遺族は上告を要請していた。刑事訴訟法の規定で、被告が上訴した場合は原判決より重い判決を出せないため、死刑は適用されないことが確定する。
広島高裁は先月28日の判決で、無期懲役とした1審判決を支持。死刑を求めた検察側と、「犯行時の責任能力に問題がある」として殺人と強制わいせつ致死では無罪か刑の減軽を求めた弁護側の控訴を、いずれも棄却していた。
1審の広島地裁は06年7月に無期懲役(求刑・死刑)の判決を出したが、広島高裁は08年12月、1審の訴訟手続きを違法として審理を差し戻した。09年10月の最高裁判決は1審手続きを適法とし、高裁に差し戻していた。
言うまでもなく、上の記事にもあるように最高裁への上告については、判例違反や重大な事実誤認などに限られています。この事件の場合、とくに判例違反は見受けられないので上告を断念したわけです。私はこの事件は、死刑求刑はやや難しいんじゃないかなと思っていまして、裁判所の側も最終的に死刑に値しない事件であると判断したということです。わざわざ検察が上告するほど悪質な事件だとは個人的には思いませんので、とりあえずは不必要な死刑判決が出なくて良かったと思います。
こういうことを書くと、てめえとんでもない野郎だ、こんな性犯罪者は(奈良の小林薫みたいに)どんどん死刑にしちゃえばいいんだとお考えの方も多いでしょうが、でもやっぱり死刑判決なんてそんなに出すもんじゃないと思います。この間死刑執行に署名した千葉法相じゃないですけど、私は死刑反対論者ですが、仮に死刑が法にあるのなら(悪法もまた法なりとまではいいませんが)そのような判決を下すこともあるでしょう。しかしこの広島の事件に関しては、過去の判例を鑑みてもなかなか死刑判決は難しいしまた下すべきではないと思います。
さてさて、この事件は死刑判決もあり得る(しかし現実にはなかなか難しい)という案件ですが、世の中はじめっから死刑がわかりきっている事件もあります。前にも記事にした池田小学校の事件は、宅間守(のちに吉岡姓になる)に死刑判決が下ることは分かりきっていましたし、やっぱりそうなりました。宅間は弁護人控訴を自ら取り下げ、そして1年後には刑場に消えました。
私は宅間に対していかなる意味でも同情するつもりもありませんが、でも宅間にこの池田小学校の事件について「反省しろ」っていってもなかなか難しいですよね。『フライデー』だかにのっていた写真に、現場検証の際宅間が手を合わせていた写真を見た覚えがありますが、しかし裁判という場では死刑確実な彼が反省するということはほとんど期待できません。
だいたい死刑判決が下るということは、裁判官が「反省がない」と判断するか「反省はしているがそれは死刑を回避する特段の事情たり得ない」と判断するということです。上のヤギ被告の場合、一応は反省をしていたみたいですし(遺族からすればそんなものはなんでもありませんが、でも「反省」をすればそれはそれなりに評価はしないわけにはいきませんよね)、この事件のように「反省」することが死刑を回避するためのキーポイントになればそれは反省することは大いに意味があります。
しかし、宅間守に対して反省を求めるということは、この記事の題名、つまり
>「反省はしろ、しかしお前は死刑だ」
ということではないでしょうか。もちろんそれで宅間が多少なりとも反省すれば、しないよりはずっといいでしょうが、しかし宅間が反省しなかったところでそれを道徳的に非難したってあんまり意味はないと思います。宅間は控訴もしなかったし、異例の速さで処刑されちゃったんですから、それ以上彼に何かしろといっても出来ない相談でしょう。
もちろん死刑判決を受けた人の中でも非常に深く反省した人もいます。名古屋で戸谷小百合さんを誘拐し殺害した木村修治などはとても深く反省したそうです。しかし宅間とか、坂本事件の後、実行犯たちに対して「3人殺したから我々は逮捕されたら死刑だ」とか述べたといわれる麻原某とかに「反省」を求めたって(彼は裁判では無罪を主張していましたからどのみち反省なんかしませんが)、これもほとんど意味はありません。むろんそんなことは分かっていても求める以外ありませんが。
「お前を国家と法の名のもとに殺す」というのが死刑の趣旨であれば、そこに「反省」を求めるというのは基本的に筋ちがいじゃありませんかね。だって「殺す」というんだから、そういった場合に平均的な人間よりはずっと性格がよろしくない人間である可能性が高い被告人が「反省」するというのは、ほとんど期待できないというか期待するだけばかばかしいというものでしょう。
「反省」というのはそれなりに希望があった場合にするものであって、「死ね」と国家権力(司法と行政の双方)から文字通り希望のかけらもない宣告をうけたら、やっぱり「反省」はしないよね。
最近でも秋葉原の通り魔事件で検察が被告人に
>この日の公判では検察官が「模倣した事件が起きていることをどう思うのか」「事件は社会のあり方を変えてしまったのでは」と追及。「申し訳なく思う」と繰り返す被告を「どうして見ず知らずの人に痛みを残すことに思いが至らないのか」と叱責(しっせき)した。
とのこと(魚拓)ですが、死刑判決確実と思われる被告人をしっ責したところで意味はないよね。いや、これは被告人というより、国民へのアピールか。裁判員裁判を意識している部分もあるのでしょう。
なおこの記事は、apesnotmonkeysさんのこの記事にコメントさせていただいたことで書くことができました。apesnotmonkeysさんに感謝を申し上げます。
日本人って、つくづく「厳罰主義」が好きなんですね。
死刑にしても、「自分自身には降りかからないもの」、「自ら手を下すものではないもの」という非対象性意識がこの制度を存続させている一要因であると思います。
そこで提案ですが、被害者の遺族が執行すればいいのではないでしょうか?
勿論、法務大臣の立会いのもとで。
遺族が拒否すれば終身刑とするのです。
ただ、国家とは「合法的な暴力装置」である以上、死刑という殺人も国家が容認すれば許されるということになるのはやはり論理的矛盾が生じるので、なんともいえませんが・・・
ただ、執行に携わる刑務官はあまりに気の毒に思えます・・・
やはり、廃止すべきで少なくとも、無期限のモラトリアム状態にすべきですね。
死刑にしても、「自分自身には降りかからないもの」、「自ら手を下すものではないもの」という非対象性意識がこの制度を存続させている一要因であると思います。
同感。日本人がやさしいなんてうそですな。
遺族感情がそんなに大事なら冤罪で死刑になった人の遺族感情も同じくらい尊重されるべきですね。出なけりゃ偽善ですね。
日本なんか糞ですね。こんな国、売る価値もないね
実際、仮釈放が認められず、終身刑化する無期懲役の例がかなり増えているように聞きます。
上にも書きました通り、遺族感情なんてたんなるカードです。不必要になったらそれまでです。
>実際、仮釈放が認められず、終身刑化する無期懲役の例がかなり増えているように聞きます。
ある程度無期懲役における仮釈放のシステムも構築する必要があろうかと思います。
奪った命に対して命で償うのは当然
反省なんかサルにでもできる
所詮うわべでしかない
冤罪もそもそも必ずしも全く非の打ちどころのない人が疑われて牢屋にぶちこまれたわけじゃない
それに遺族感情も大事かもしれんが、加害者の理不尽な行いによって殺された物言わぬ被害者のために死刑にすべきだ
>ここで偽善的なコメントをしてる連中が被害者女児の代わりに殺されれば良かったんだ
それは残念ながらできない相談だね。
>奪った命に対して命で償うのは当然
日本の刑法や刑事訴訟法はそのようになっていない。ハムラビ法典の昔にタイムスリップしたら?
>所詮うわべでしかない
しょうがないでしょ。刑事裁判での「反省」なんてそんなもんですよ。
>加害者の理不尽な行いによって殺された物言わぬ被害者のために死刑にすべきだ
そうお考えなら裁判所に抗議のメールでもどうぞ。
これはなんのこと? 私のこの記事と何か関係が?
つまりUnknownとやらは、非の打ちどころだらけの人物なんですね。
>反省なんかサルにでもできる
Unknownとやらは、サルの言葉が理解出来る方なのですね。
反省したフリをしたサルは見た事はありますが、実際反省したサルは見た事は無いのでネ。