ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

和田春樹氏や山際永三監督らと比較すると、関川夏央の自分の言論に対する無責任さに心底からうんざりする

2024-03-26 00:00:00 | 北朝鮮・拉致問題

私はこのブログで、何回も関川夏央の北朝鮮についての言説を批判しています。何しろこの男は、かつて(1998年)

1:金正日はいつまでもつか

関川夏央:現状ではかわりが見つかるまでは、むしろもってほしい。

2:北朝鮮という国はいつまでもつか(引用者注:1998年時点)

関川夏央:韓国に、北朝鮮と中国に対するリアリズムが育つ日まで。あるいは中国に統一コリアと国境を接する準備が整うときまで。

3:戦争はおこるか、おこるとすれば、いつ、どんな形か

関川夏央:全面戦争でなければ1、2年以内に。あるいは金正日の精神・肉体が危機的となったとき。

とまで書いていたのだから、その言説がすっからかんに実情を外したのだから、言論人としては、自分の意見を撤回する必要があるでしょう。さらに彼は、こんなことまでほざいていました。

 近未来予測は、ある意味で通俗なやり口といわざるを得ない。それを承知で編集委員会があえてその手法を採用したのは、大多数が普通の人々であるだろう本書の読者の利便に供したいと発想したからだが、同時に、北のみにとどまらず、長くコリア全体を見つづけ学んできた民間研究者たちの見方を、ここで日本政府にも端的に示しておきたいという意図もひそんでいる。読者は、これら執筆者の北朝鮮の将来へのクールな展望とともに、日本外交への強い危惧の念をも感じとって驚かれることだろう。しかし、それこそが常識人の常識であると知っていただきたいのである。

私の書いたかつての文章を再掲すれば、

くりかえしますと、なにが

>>常識人の常識

だか。馬鹿にもほどがあるし、無様で無残にもほどがある、馬鹿も休み休み言え、デマデタラメもいいかげんにしろというレベルです。で、ご当人、現在では一切北朝鮮関係の発言なんかしていないみたいですからね(呆れ)。おそらく「おれはもう北朝鮮関係の発言はしていない。それでいいだろ!」「わかるだろ!」っていうことなんでしょうね。それにしたってここまでひどいデマとデタラメ間違い戯れ言をほざいたのだから、それは言論人としてもそれ相応の責任はあるでしょう。なぜ「自分のこの本での発言は妥当ではありませんでした。撤回します」くらいのことが書けないのか。彼にもその程度の責務はあるでしょう。でもご当人、無意味に自尊心や面子があるので、ぜったいそういうことはいえないのでしょうね。まさに関川にとって、北朝鮮言論にかかわったというのは「黒歴史」なのでしょう。あまりに愚劣すぎてお話にもなりません。

ということになるでしょう。世の中広いといっても、ここまで自信たっぷりに愚説・珍説をほざいて、それで完全に外したらトンズラこいているというのは、そうそうめったにない無様で無残な光景でしょう。そして私やほかの人間もしているであろう批判にも徹底的に黙りこくっているのだから、この男の無責任ぶり、デタラメぶりというのも、まあ最低だなと思いますね。無名の私の批判など彼の耳に入っていないとか、そういう問題でもないでしょう。私以外にも、この件で関川をろくでもない野郎だと考えている人間は、決して少なくないはず。上の引用でも書きましたように、なぜ自分の過去の言説の撤回ができないのか。

それでこれは確かだと思いますのであらためて指摘しますと、私が批判した関川の発言が収録されている

北朝鮮の延命戦争―金正日・出口なき逃亡路を読む 

という本は、日本における北朝鮮に対する見方について、一定の影響力があった本であると私は思っています。現在からすれば馬鹿にされる内容を多々ふくんでいる本ですが、かつてはそれなりの信ぴょう性や妥当性のある本だと認識されていたはず。ていうか、私もこの本を読んで、不審なところは多々ありましたが、しかし「え!? そうなの!?」と思った部分もそれなりにありましたので。

というわけでこの野郎の書いたことなんて、前にも書きましたように

「馬鹿も休み休み言え」「デマデタラメもいいかげんにしろ」「うそ八百ほざいてんじゃねえよ」「素人にフェイク吹き込むのもたいがいにしろ、嘘つきクズ野郎」

ということです。

さて明日(2024年3月27日)bogus-simotukareさんの記事で知ったのですが、次のような催しがあります。bogus-simotukareさんの記事より引用いたします。

今日の朝鮮・韓国ニュース(2023年3月25日分)(副題:和田春樹氏が日朝問題で集会を開催ほか)


日朝関係の膠着状態が続くなかで、昨年後半から日本政府岸田首相と北朝鮮当局者との間でメッセージの交換がなされ、今年2月15日、金与正労働党副部長の好意的な談話が発表されました。日朝交渉打開の第三のチャンスが到来したことに間違いありません。 
 この時にあたり日朝国交交渉三〇年検証会議では、検証作業の成果として『北朝鮮拉致問題の解決』(和田春樹編、岩波書店)を3月26日に刊行いたします。刊行にあわせて報告執筆者と寄稿者がそろって話をさせていただく会合を開きます。『拉致問題の膠着を破る鍵とは何か』を考え、解決のための緊急提言を行います。みなさまのご参加をお待ちしています


【日時】3月27日(水)15:30-17:30
【会場】衆議院第一議員会館1階・国際会議室(15時から会館入り口で入管カードを配布)
【挨拶】参議院拉致問題特別委員会委員長・松下新平
【報告】和田春樹、日本テレビ報道局「日テレNEWS」の統括デスク・福澤真由美、元「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」副代表・蓮池透、ジャーナリスト・有田芳生等
【発言】木宮正史・東京大学教授ほか

本来ならぜひ私も参加したいのですが、あいにく当日仕事があって行けません。が、ここはかなり興味深いものがあると思うので、ぜひ 会議後ネットで発言のまとめみたいなものを発表していただけると本当にうれしいですね。で、上の引用にもありますように、下の本が本日発売になるとのこと。

北朝鮮拉致問題の解決: 膠着を破る鍵とは何か

Amazonでは28日発売とありますが、岩波書店のサイトでは、26日の発売とあります。ともかく26日までには都内の大きな書店などには並んでいるのでしょう。この記事は3月25日に書いていますが、拙記事執筆段階では


未刊・予約受付中

とあります。岩波のサイトから本の内容を引用しますと、


はしがき

第Ⅰ部 検証 日朝国交交渉と拉致問題

 第1章 日朝国交交渉と拉致問題の経緯を振り返る
     日朝交渉三〇年検証会議 和田春樹
 第2章 拉致問題の真実とその解決の道
     日朝交渉三〇年検証会議 和田春樹

第Ⅱ部 二〇年を問い直す──外交、拉致被害者、家族

 第3章 交渉以外に問題解決の道はない
     田中 均 聞き手=福澤真由美
 第4章 拉致された人々を取材して──知られざるその肉声から見えるもの
     福澤真由美
 第5章 救う会と家族会の二〇年──「救出」から「北朝鮮打倒」への変質を問う
     蓮池 透
 第6章 拉致問題対策本部は二〇年何をやってきたのか
     有田芳生
 第7章 橫田家三代 女性たちの思い
     和田春樹

とあり、上のイベントの参加者には入っていませんが、インタビュー参加ということになりますが、田中均氏がご意見を書いているわけで、これは必読です。私もぜひ読ませていただくつもりです。

それにしてもこんな話は何回かいたかわかりませんが、田中氏のように本当に拉致問題解決のために動いてくれた方が国賊だなんだと罵倒されて外務省を追われて、安倍晋三のような口先だけの野郎に拉致被害者家族会は徹底的に依存しているのだから、どんだけ木が沈み石が浮くのか。お話にもなりません。

で、和田氏のこのような、北朝鮮問題や拉致問題への関与ぶりというのは本当に頭が下がりますね。和田氏も、2002年の際は一斉に厳しい批判をそこら中から受けて、これは人間だから当然ですが、さすがに北朝鮮問題とかかわり続けるのが嫌になった瞬間もないわけではないでしょうが、それでもそれから20年以上にわたって先頭に立って動きづづけておられるわけです。こんなすごい人もそうはいないのではないか。

さてここで拉致問題とは直接関係ないのですが、国際放映のドラマやウルトラシリーズの演出でも知られる映画やテレビドラマの監督である山際永三氏について考えてみたいと思います。

以前私は、山際監督のトークショーに参加したことがあり、それを記事にしています。

ウルトラシリーズなどのテレビドラマの演出で有名な山際永三監督のトークショーに顔を出してきた(映画のフィルム発見の経緯、商業化の過程も興味深い)

で、その記事のコメントにbogus-simotukareさんからご指摘いただいたように、山際氏は、実は人権活動家としての側面もあったわけです。Wikipediaから該当部分を引用します(注釈の番号は削除します)。

オウム問題や拉致問題に関する社会評論を展開している。首都圏女性連続殺人事件狭山事件などの冤罪支援運動や死刑制度廃止運動、被逮捕者の人権擁護運動などでも知られる。オウムに関しては野崎研二弁護士にオウム弁護を持ちかけたのは自分で、横山昭二弁護士解任には役割を果たしてくれたと述べている

山際氏の共著署・編著書には、『報道被害 11人の告発』『「悪魔のお前たちに人権はない!」 学校に行けなかった「麻原彰晃の子」たち』があります。後者は、私も読んだことがあります。またbogus-simotukareさんがご紹介していただいた記事を引用させていただくと、


<その187> 帝銀事件70年=城島徹
2018/1/24 17:59(最終更新 1/25 02:34)

 戦後の混乱期に起きた「帝銀事件」で死刑判決を受け、無実を叫びながら獄中死した平沢貞通(さだみち)元死刑囚(1892~1987年)の獄中画を展示する「帝銀事件70周年 故平沢貞通画伯執念の獄中画展」が2月4日まで、下町情緒が残る東京都台東区谷中の「ギャラリー・てん」で開かれている。1月22日、二十数点の作品を並べた会場を訪ね、降りしきる雪に「雪冤(せつえん):無実の罪をすすぎ、潔白であることを明らかにすること」(広辞苑)という言葉が脳裏に浮かんだ。

 「獄中の平沢さんの心境が伝わってきますね」。そう言いながら作品を見つめていたのは、画展を企画した「帝銀事件再審をめざす会」代表で映画監督の山際永三さん(85)だ。

 鉄格子の内側に真っ赤な花が浮かぶ「獄窓の花」、鉄格子の下にしゃがむ我が身の姿を描いた「うずくまる貞通」、理不尽な思いが燃え上がるような「猫怒る」、娘への思慕と思われる「霞中娘」など、平沢元死刑囚が獄中で描いた作品ばかりが掲げられていた。

 1948年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店で都職員を装った男に赤痢予防薬と偽った青酸化合物入りの液体を飲まされた行員ら12人が死亡し、現金や小切手が奪われた。この「帝銀事件」発生から半年余り後に逮捕されたのが、北海道・小樽出身で、日本画の巨匠・横山大観に師事したことのある画家、平沢元死刑囚だった。

 55年に死刑判決が確定した後も、冤罪だと訴え続け、支援者の協力で描いた獄中画は数千点にものぼったという。「この大量毒殺事件は毒物に知識が皆無の画家には起こせない」……。冤罪への強い疑いが指摘されるなか、87年に獄中で95歳の生涯を閉じたが、遺族が2015年11月、第20次再審請求を東京高裁に申し立てている。

 「映画に携わっていることから冤罪事件に関心が及び、特に帝銀事件は戦後冤罪の原点とも言うべきものとして70年代から支援活動に加わりました」「今年は事件発生から70年。平沢さんの出身地の北海道以外では確かにこの事件を知らない人が多くなったと思います。この獄中画を通して帝銀事件を知ってほしい」……。展示画を引き立てる照明を念入りにチェックしながら山際さんはそう語った。

 ギャラリーの外を見ると、4年ぶりに都心を襲った大雪で家屋や路面が真っ白に染まり始めていた。それは「雪冤」を願って絵筆を握り続けた平沢元死刑囚が降らせたようにも思えた。【城島徹】

というわけです。山際氏は、いわば正義感でこういった問題にかかわっているわけであり、かなりの経済的な負担や時間の負担もあるわけであり、こちらもほんと頭が下がりますね。他人がそうそう容易にまねができるものではないし、まねする必要もありませんが、ともかく本当に尊敬に値します。

で、こんな野郎言及する価値もありませんが、関川夏央の昨今の著作活動はどうか。詳細はWikipediaの著作でご確認いただくとして、つまりは文芸評論です。最近は、『人間晩年図巻』なるシリーズを岩波書店から出している。あれ、岩波って北朝鮮に対して好意的な出版社じゃなかったっけと思いますが、つまりは関川は、自分の過去は不問にしてもらいたいということなのでしょうね。関川にとって、過去の北朝鮮言説なんて完全な黒歴史、自分の過去から削除したいことなのでしょう。関川が文芸評論に逃げた背景には、たぶん朝日新聞社を不祥事(自衛隊員殺害事件の犯人と強度にかかわってしまった)で懲戒解雇になった川本三郎あたりをモデルにしてやっていこうと考えているのでしょうが、川本はそれでも『マイ・バック・ページ』を記して(1988年出版)彼なりに総括をしましたが、関川はねえ(苦笑)。当方関川の文芸評論に何の興味もないし、仮に彼の文芸評論がそれなりの価値があるからといってだからといって関川批判をやめる気もありませんが(そういえば、某大学教授の放言・暴言を批判したら、なんの関係もないその教授の研究実績をもってその大学教授をかばったどっかの馬鹿がいましたが(ご当人現在ネット界逃亡中にて、関係者の名前や関係HPなどの紹介は略)、関係ない話で他人を擁護してもしょうがないでしょう)、いずれにせよどんだけ自分の言説に無責任なんだということですね。要は、関川は、川本ほどではないですが、ほかで食っていけるくらいの才覚はあったから、関係ない方向へ逃げたが、そういった芸もない李英和関西大学教授(故人)などは、自分が運営していた人権団体が活動停止に追い込まれたり、死の直前に極右雑誌(WiLL)に寄稿するまでに落ちぶれたわけです。おまけにその死まで、ろくに報道されませんでした。高世仁などもご同様。あの男が会社をこかしてもいまだ拉致被害者家族会周囲に寄生しているのは、彼が自分でもほかの業界でやって行けるほどの才覚がないと自認しているからでしょう。上の本や集会には、高世とも強い関係にある有田芳生氏が参加するようですが、高世には、和田氏と関係するほどの覚悟はないでしょう。

李英和氏の死があまり報じられないことが、対北朝鮮や拉致問題への関心の実情ではないか

有田芳生氏の拉致問題についての本が発売され、その解説を高世仁が担当するとのこと

高世仁が主張するような人間はそうはいないし、いたらそれは多くの場合精神疾患や強度の発達障害などがある(高世も無責任なデタラメをほざく人間だ)

関川夏央が現段階SNSなりブログなりのネット言論をしているという情報を私は目にしていませんが、本を定期的に出版するくらいの立場ではあるわけで、だったら今からでも遅くないから、「私のかつての北朝鮮言説は妥当ではありませんでした。撤回します」とでも書いて、「ただし北朝鮮の体制への批判は今後も続けます」と書けばいいのです。あそこまで上から目線で、愚説・珍説・デマ・デタラメ・嘘八百をほざいたのだから、それくらいのことをする程度の責務はあるでしょう。でも彼は、そんなことをするくらいの責任感もないのでしょうね。どんだけデタラメな野郎なのかです。

なおこの記事のヒントを、前掲のbogus-simotukareさんの記事と拙記事へのコメントからいただきましたことを明記します。bogus-simotukareさんありがとうございます。

コメント (4)
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