文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
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書評:武器としての決断思考

2015-05-02 12:38:05 | 書評:ビジネス
武器としての決断思考 (星海社新書)
クリエーター情報なし
講談社


 タイトルに興味が湧いて買ってみた「武器としての決断思考」(瀧本哲史:星海社新書)。著者が、京都大学で20歳前後の学生に教えている「意思決定の授業」を本にしたものだという触れ込みだ。いったい決断思考とはどんなものかと思って読んだら、なんのことはない、ディベートのことだった。そういえば、最近は、「ディベート」についてはあまり聞かないような気がする。一時、流行していた記憶があるのだが、最近は下火になっているのだろうか。

 ところで、ディベートというのは、ルールのある議論のことだ。賛成側と反対側に別れて、特定の論題について議論する。ディベートで論じられるのは、基本的に二者択一となるような問題だが、どちらの立場に立つかは、個人的な意見に関係なく、くじ引きなどで決められてしまう。そして、両方で議論をするのだが、相手を説得する必要はないというのが大きな特徴だ。どちらが勝ちかを判断するのは、第三者になるのだから。つまり、正しいことを正しいと証明するのではなく、自分の意見が正しいと、いかに第三者に信じさせるかというものがディベートなのである。もっとも、別に目新しいものではない。すぐに思い浮かぶのは裁判だ。原告側、被告側が議論を戦わせて、最後に裁判官が判定を下す。まさにディベートそのものである。

 本書に言う「ディベート思考」とは、自分一人が賛成側と反対側に立ち、メリット、デメリットを比較して、一人ディベートをやるというものだ。確かに、この方法は、どのような反論が来るかを考え、それに対してどう再反論をしていくかという作戦を考えるような場合には有効だろう。少なくとも、思考停止状態に陥っているよりはずっといい。しかし、万能ではないこともよく理解しておく必要があるのではないか。

 ロジカルに二者択一のどちらかに決めることができるようなものは、まともな理性のあるものなら、おそらく誰がやっても似たような結果になるだろう。しかし世の中で重要なものの多くは、価値判断の絡むものだ。言い換えれば、その人の持っている価値観というものが大きく影響し、それ次第で、どちらにも転んでしまう。一人ディベートは、裁判官、検事、弁護士を一人がやれと言っているようなものだから、この個人の価値観というフィルターから逃れることは困難だろう。ディベートは、賛成か反対かの結論が先にあり、それにあわせて、後付けで理屈を作っていくという面がある。いうなれば、ディベートとは、いかようにでも理屈をつけられるようになるという訓練なのである。だから、自分の出した結論が唯一無比で絶対的なものだと思ってはいけない。

 そのような注意点はあるものの、どのようにロジカルに議論を組み立てていくかといったことや、主張の中に潜む穴や詭弁にどうやって反論していくかといったことに対しては参考になることが多いだろう。過信せず、適切に使う。これが大切だと思う。

☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。

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