文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:電通さん、タイヤ売りたいので雪降らせてよ。

2018-10-31 09:22:46 | 書評:ビジネス
電通さん、タイヤ売りたいので雪降らせてよ。
クリエーター情報なし
大和書房

・本間立平

 タイトルは、一種の冗談だが、売り手は雪を降らせる代わりに、色々な手を使って、客に今買い逃したらいけないという気にさせる。本書は、人間心理をうまくついたマーケティング、言い換えれば、売り手側がものを売るために仕掛けてくるあの手・この手について述べたものだ。

 ところで、ちょっと気になる部分があった。店のルールを客に強いている人気モツ焼き店について以下のように述べている。

<「こだわり」を伝えたいからルールがある。ときには客を叱咤する。わからない人には、客になってもらわなくても構わない。「指導」は売り手の熱意を伝え、買い手の共感を獲得します。客に従う時代から、客に従わせる時代へ。「指導」が効果を発揮する場面は、これからも増えていくでしょう。>(p51)


 私ならまったくそういうこだわりに「共感」できないし、これからは、店側からの一方的な「指導」に対して、そんなものに従順に従う必要はないと考える人が増えていくだろう。なぜなら、現状では、日本人の「個」の意識はとても高いとはいえないが、しだいに「個」というものが確立されていくように思えるからだ。

 私は、上から目線のもつ焼き店(p47)などといった店にはまったく行きたいとは思わない。なぜ嫌な思いまでした飲食店で食べなくてはならないのか。同じ金を払うなら、もっとまともでうまい店は沢山あるだろう。

 人の好みは千差万別。客が店側のこだわりに合わせてやる必要はまったくないのである。まあ、店側のこだわりに合わせたい人がいれば、それはそれでいいのだが、私には自分というものがない残念な人に思えてしまう。

 もう一つ本書にあるような、飢餓商法、品薄商法というのは、賢い消費者にはまったく効かない。売り手はとにかく売って利益を上げたいものだ。しばらく待っていればやがては十分な量が出回る。しかも最初より安くなることがあるから待つ甲斐はあるだろう。もっともいち早く手に入れて自慢したい人がいることも事実だ。そんなに売り手側に乗せられてどうするのと思わないでもないのだが。

 飢餓商法、品薄商法を続けるような売り手があれば、客が相手にしなければいいだけだと思う。そんなものに踊らされるのはなんともアホらしいではないか。

 面白いと思ったのは、「インスタ映え」ならぬ「インスタ蠅」という言葉があることだ(p173)。インスタ映えするものを撮ることだけを目的にしている人たちのことを指すらしいが、ネットの世界には、ヘンな人間が多いものだ。まあ蠅はともかくゴキブリはうろうろしている気がするが(笑)。

 今はまだ消費者が啓蒙されてないから通用するのだろう(永遠に啓蒙されない可能性もあるが)。売る側はあの手この手で購買意欲を高めようとする。とにかく焦って物を買わないことにつきるというのが、本書から学び取れることだろう。とにかく安易に売り手側の商法に引っかからないこと。自分の頭で考えること。これが賢い消費者になるための第一歩だと思う。

☆☆☆

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書評:闇の峠

2018-10-29 09:43:09 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
闇の峠 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

・諸田玲子

 本書のモチーフとなっている、荻原重秀もその嫡子の乗秀(源八郎)も実在の人物で、父の重秀は、元禄時代に勘定奉行として、貨幣改鋳を行ったことでよく知られる人物だ。しかし、死後に罪人とされ、お家断絶は免れたものの、3700石あった所領は、700石にまで減らされた。源八郎は後に佐渡奉行に昇進しているのだが、赴任先の佐渡の地で1年後に急死している。本作は、この重秀の死と乗秀の急死の謎に迫る歴史ミステリーである。

 主人公はかって荻原重秀の部下だった萩原源左衛門(これも実在の人物)の娘せつ。かって荻原源八郎と縁談が進んでいたが、荻原重秀が罪人になったことから話が立ち消えとなり、今は小姓組の旗本、根来長時の妻になっている。実家の父、源左衛門はこの時、荻原乗秀の相役となる佐渡奉行だった。

 この根来家にある時、江戸町奉行の大岡越前が訪ねてくる。「兼山秘策」という書物を読んだことがあるかというのだ。そこには、20年以上前に起きた荻原重秀の事件のことが書かれているという。そこには重秀が幽閉されて死んだような記載があった。しかし、重秀は生きている間は罪人ではなかった。いったい彼の死の真相は?越前は、この事件を吟味しなおそうとしているのだ。「兼山秘策」とは、江戸時代における金沢の儒学者・青地兼山と麗沢の兄弟が師の室鳩巣から寄せられた書簡を編んだものであるらしい。「兼山麗沢秘策」とも呼ばれている。

 せつには重秀の死の直前に、実家の庭で彼を見かけた記憶がある。その時重秀は、せつの実家の庭に何かを埋めていた。果たして、重秀の死に父は関わっているのか。せつは庭を探してみるものの、埋まっているはずのものは、既に誰かに見つけられていた。ところが、ひょんなことからせつに埋まっていたものが回ってくる。それは、重秀から乗秀に宛てた文であった。その一方で、事件に関係したと思われる者が次々に殺されていく。せつは、事件の真相を求めて、越前の与力左右田藤間、根来家の用人八谷徳兵衛、根来家の使用人喜助らと、乗秀のいる佐渡を目指す。

 この作品で解き明かされるべき謎は二つだ。一つは、20年以上前の重秀の死の真相。もう一つは、今の時点で関係者を殺している犯人は誰かというもの。そしてこの二つの謎は、だんだんとひとつに収束していく。

 20余年前の重秀の死に関する謎は、最初からほぼ明らかなのだが、中心になるのはもう一つの謎の方。いったい昔の事件をもみ消そうとして動いているのは誰か。やがてその人物の正体が明らかになってくるのだが、最後はちょっとあっけない気がする。

☆☆☆☆
コメント (2)
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鬼ごっこ(思い出シリーズ39)

2018-10-28 00:18:46 | 思い出シリーズ
 そういえば、子供の頃すごい遊びをしていたのを思い出したので「思い出シリーズ」に付け加えておく。

 それは「縛り鬼」という遊びだ。鬼になったやつを電柱にふん縛って、鬼は縄抜けをした後で、隠れている他の子たちを探す。要するに数を数えるとか「もーいいかい」という代わりに、鬼が縄抜けをするのである。

 これが、同じ人間ばかりふん縛ったらいけないのだろうが、鬼になる人間は公平にじゃやんけんで決める。今やると、色々な意味でちょっとまずいだろうが、大昔の超田舎での話だ。

 ただ、鬼になった子がいつまでたっても縄抜けができずに泣きだしたので、その後その遊びが行われることはなかったような・・・。

〇関連過去記事
遠足の目的は(思い出シリーズ38)

 
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書評:1万2000人を見てわかった! お金に困らない人、困る人

2018-10-27 21:28:53 | 書評:ビジネス
1万2000人を見てわかった! お金に困らない人、困る人 (単行本)
クリエーター情報なし
集英社

・松尾昭仁

 本書は、「考え方」、「働き方」、「コミュニケーション」、「ブランディング」、「魅せ方」の5つの観点から、10年後に「食えない人」、「食える人」にわけて、今どのような行動をしているかを述べたものだ。俗に「来年のことを言えば鬼が笑う」というので、10年後のことなど分かるわけはないと思うが、書かれていることには納得できるものも多い。

 例えば10年後に食えない人は、コツコツ努力を重ねるが、食える人は努力しても今までの延長線上に劇的な変化はないと考えるというのだ。確かに本書に書かれているように自分がいくら希望の年収に向かって努力を重ねても、その会社の給与体形がどんなに出世をしたところでそれに届いていないのなら努力しても無駄だろう。それよりはあっさり転職を考えた方がいい。最も日本では、転職をして、今より食えなくなる可能性も高いのだが。

 また、食えない人は「完璧」になるまで打席に立たないが、食える人はとりあえず打席に立ってフルスイングするというのもある。あまりに「完璧」を求めると、結局いつまでも何もできないということになりかねない。それよりは、とりあえずのアウトプットをしてみて、周りの反応を取り入れた方がずっと完成度の高いものができるだろう。

 本当にここにあるような行動をすれば、10年後に食えなくなるかどうかはよくわからないし、10年後に食えるかどうかも保障の限りではないが、参考になることも多いのではないだろうか。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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書評:京都大学アイデアが湧いてくる講義

2018-10-25 09:35:34 | 書評:学術教養(科学・工学)
京都大学 アイデアが湧いてくる講義 サイエンスの発想法 (祥伝社黄金文庫)
クリエーター情報なし
祥伝社

・上杉志成

 本書は、京都大学で化学を教えている著者が、理科系1,2回生向けに行っている全学共通講義の抜粋だという。著者は、私よりだいぶ後輩になるが、講義を行うにあたり、以下のようなことを言っている。
「この講義で私がしたいことは一つです。それは私がしたいことは、ひとつです。それは私が京大の1、2回生だったときに受けたかった講義をすることです。-」(p005) 


 これを読んで、我が母校の学生気質もかなり変わったもんだと思った。何しろ私たちが学生のころは、受けたかった講義なんてない。講義に出て単位を取るのは当たり前。講義には出なくても、ちゃんと単位を取って卒業していく学生の方が尊敬されていた(と思う。たぶん。一部の超真面目な学生を除く。)。

 おまけにこの講義、受講者を選別するうえに、毎回宿題がでるようだ。私が現役学生のころこの講義があったら絶対にパスすると思う。

 内容は、アイディア出しとはいいながら、著者の専門性もあって化学に関することばかりといってもいい。高校の時には化学はまあまあ得意だったが、有機化学の面倒くささに嫌気がさし、大学に入ると化学からきっぱり足を洗った私にとっては、フーンという感じ。やはり、アイディアの裏には、ある程度の専門知識が必要なんだろうなと思った次第。まあ、化学方面に進む人は得ることが多いとは思うが、それ以外の人にはどれだけ役立つかなあというのが正直なところだ。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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警察における監察官とは(テレビドラマに見る組織論)?

2018-10-24 15:02:40 | 内部監査
 テレビを視ていると、たまたま「監察官・羽生宗一」というドラマをやっていた。2014年からテレビ朝日で放映しており、中村梅雀が主演しているものだ。

 このドラマの中で、国広富之扮する警視庁の刑務部長が、中村演ずる監察官に圧力をかけるとき、「これは命令だ!」と言っていた。ここで疑問が湧く。警察の観察官というのは、企業で言えば内部監査のようなものだろう。企業の内部監査は普通は社長直属である。もっとも監査役のように、法定のものではないので、会社によっては、色々な組織形態があることは事実だ。しかし、組織として独立させておかないと、社長の目や耳となって社内の調査ができないことになる。

 どうして警備部長が観察官に命令できるんだろうと思ってちょっと調べてみた。都道府県警においては、警備部に監察官室が置かれているらしい。だからテレビでのシーンは正しいことになる。

 しかし、組織論から言えば、この体制はおかしい。内部監査の場合は社長直属ということでいろいろなところからの圧力を防いでいるのだ。同じように考えれば、監察官というのは警視総監か道府県警本部長に直属でないといけない。警備部長という実務部隊のトップの下にあるようでは、独立して十分な活動ができないではないのかと思う。このようにドラマのなかにもいろいろと考えさせられるところがある。ただ漠然とテレビを視るよりは、いろいろ考えながら視ることは大切だと思う。

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書評:「文系力」こそ武器である

2018-10-23 09:56:48 | 書評:ビジネス
「文系力」こそ武器である (詩想社新書)
クリエーター情報なし
詩想社

・斎藤孝

 斎藤孝氏が、文系的な能力こそ大切だと主張しているもの。なんだかこの「文系力」というのがよく分からないのだが、ここで言う「文系力」とは①雑談力、②意味を正確にやりとりできる言語能力、③クリエイティブなコミュニケーション(p121)ということらしい。

 一番わからないのは、これらが「文系力」だと決めてしまっていること。私が学生のころ、同じアパートに文系の学部に学んでいる人間が多かったが、そんな能力を持った「文系人」を寡聞にして知らない。氏がどうしてこのような結論に至ったのかは推測するしかないが、明確な根拠はあるのだろうか。著者は言う。文系は「なんとなくの共通理解を積み重ねていくもの」(p44)と書いているが、これもその「なんとなく」の一例だとしたらなんとも情けない。

 世間では理系というとなんだかヘンな人たちというステレオタイプな思い込みがある。しかし奇人変人は文理問わずにいるもので、現に私の大学時代の友人たちにはテレビドラマなどによく出てくるようなヘンな理系人間はいなかった。だから理系の人間が変わっているように言われると、不愉快になる。

 なお、著者は、「江戸時代はみな文系人間だった」(p17)とトンデモないことを言っているが、当時からくり人形など技術分野の能力は高かったし、和算などの分野も発達していた。それとも著者は、こういった分野の人は人間ではなかったと言っているのだろうか。

☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:雑草はなぜそこに生えているのか

2018-10-21 11:02:42 | 書評:学術教養(科学・工学)
雑草はなぜそこに生えているのか (ちくまプリマー新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房

・稲垣栄洋

 昨年父が亡くなったので、時々実家の管理に帰っている。実家管理のうち一番手を取られるのが除草である。なにしろちょっと見ない間に雑草が生い茂っているのだ。抜いても抜いても生えてくる。除草剤を撒いても一時しのぎにしかならない。世の中に雑草というものが無ければ、私の心は、どんなに安らぐだろう。

 本書には、雑草をなくす方法というのが記されている。これが、意外かつ気の長い方法で、「雑草をとらないこと」だという。雑草を取らなければ、植生が遷移して森になるから、他の植物との競争に弱い雑草は生えることができないのだという。田畑を森にしてどうするんだと思わないでもないが、雑草が繁栄できる環境に人間は欠かせないのである。

 言い換えれば、「雑草」というのは、人間の作り出した環境に適応して生きてきた植物なのだ。雑草たちには、生き延びるための色々な仕組みが備わっている。例えば、休眠、光要求性、虫に花粉を運んでもらうための仕組みなど。本書にはそれらについて丁寧に説明されている。

 雑草のキーワードは多様性。遺伝的に多様であることこそ彼らの生き残り戦略なのである。たかが雑草、されど雑草とでも言おうか。一例を挙げると、ゴルフ場に生えているスズメノカタビラという植物は、ラフ、フェアウェイ、グリーンで芝刈りで刈り取られないように、穂の高さを変えているという。同じ条件で栽培すると、元々生えていた場所の穂の高さになるという。つまりは、遺伝的多様性の結果なのだ。

 雑草とは人間にとって邪魔なだけの存在なのだろうか。本書に書かれているエマーソンという人の言葉を紹介してみよう。「雑草とは、いまだその価値を見出されていない植物である」(p178)。雑草の持つ様々な特性をうまく利用すれば役に立つのである。

 雑草と呼ばれるものは、いろいろと生存のための戦略を持っている。考えてみれは、物言わぬ植物にこのような性質がそなわっているのは不思議だと言わざるを得ない。本書は、そんな身近の自然の不思議さ面白さを教えてくれる。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:事故物件に住んでみた!

2018-10-20 23:03:18 | 書評:その他
事故物件に住んでみた!
クリエーター情報なし
彩図社

・森史之助

 あなたは、「事故物件」というのをご存知だろうか。何かの原因で先住者がお亡くなりになった住宅物件のことだ。「心理的瑕疵物件」とも呼ばれる。これが自然死ならまだしも、自殺や殺人事件のあったところなら、なかなか次の借り手がつかないという。だから家賃は相場より安くなる。

 独立行政法人都市再生機構(UR)の案件では半額が2年(最近は1年に変更)、民間だと相場の7~8割位らしい。思ったよりは高い。元々関東地区は相場が高いので、事故物件でこれかという気もしないではないのだが。

 私に言わせれば、空室で遊ばせておくより、固定資産税や修繕費が賄えるくらいの金額で貸し出せばよいと思うのだが、貸し出す方も、なんとも欲深いこである。

 それはさておき、著者が事故物件に入居したのも、前の住居を出ていかなくてはならなかったため、家賃の安いところを探したからのようだ。著者の先住者は風呂場で自殺したらしい。時々夢に出てきたというから、無意識に気にしてはいたんだろうが、事故物件の居住体験を本にするとは、まさにライターの鏡である。

 もっとも著者は、交通違反の罰金が払えなくって50日ほど服役(日当5000円らしい)して、その経験を逞しくも本にしてしまうような人だ。もちろん事故物件に住んでみたら、その経験をもとに一冊の本にするのは当然。

 皆さんも、都会で住居費を安く抑えようと思ったら、事故物件を探してはいかが?最も、何があっても自己責任で(笑)。特に視える人には辛いかも。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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放送大学で生涯学習

2018-10-18 12:06:19 | 放送大学関係
 私はかれこれ20年以上放送大学に通っている。専業学生時代に修士まで行っているので、別に大学卒の資格が欲しいわけではないが、なんやかやと単位を取っているうちに、4回卒業して、5回目の卒業が目前に控えている。放送大学は2学期制で、10月から2学期に入っているが、この期に登録している科目を全部取れば、5回目の卒業となる予定である。放送大学は基本教養学部しかないが、コースが違えばまだ修了していないコースなら再入学できるのだ。ただし、受講科目はどのコースからでも選択できる。卒業に必要な単位にならないだけなのだ。

 放送大学で学んでいる理由は、他に適当な通信制の大学がなかったことだ。これが首都圏なら色々な選択肢があるだろうが、やはり地方では選択肢が限られる。放送大学なら全国展開しているので、各県に学習センターがあり、そこで学習したり、試験を受けたり出来る。

 もう一つの理由は、提供されている科目の幅が広いということだ。情報系の大学通信教育は案外とあるのだが、その他の理系科目を勉強しようと思えば、選択肢は放送大学くらいしかない。普通の通信教育は、レベル的にアレという感じで、今一つ興味が向かない。私の場合アカデミックな内容を好むからだ。

 放送大学の大学院で勉強するという手もあるが、学部に比べて学費が高く、千葉県にある本部まで結構行く必要があるようだ。学部なら、すべて地方の学習センターで完結する。脳の老化防止を目的としているので、別に今更大学院で取れる学位など欲しくはないということで、現在のようになっているわけだ。

 放送大学で開催されている科目のテキストに一度目を通してみると、中には簡単なものもあるが、意外に内容は高度でアカデミックなことが分かるだろう。だから放送大のテキストの内容を完全に理解していれば、その方面ではどこでも通用すると思う。

 その反面試験は驚くほど簡単だ。たまに記述式のものもあるが殆どが選択式の問題。まあ大量の学生を決まった時間内でさばくには、いまのような形式でもやむを得ないかもしれないが。

 もうひとつの特徴が面接授業である。これは通常の通信制大学ではスクーリングと呼ばれているものだ。講師は、各学習センターがある地元の大学の教員が務めることが多いが、たまに中央からその道ではトップクラスの人が来ることもある。しかも地方だと競争率が低いので、たいていが定員以内に収まる。

 ただし、心理学関係は女子に人気が高く、認定心理士の資格取得のためだろうか、地方でも競争率が高く、申し込んでも外れることが多い。地方で行われる面接授業は、受講生を考慮してだろうか、入門的な科目が多い。しかし、その地方ならではの科目も開講されるのが、面接授業の魅力だろう。

 放送大学の全コースを修了すれば、名誉学生の称号がもらえる。昔は、名誉学生になると、色々と特典があったのだが、今は本当に名誉だけみたいだ。でも生涯学習を進めていく上で、何か目標があった方がいいと思うので、名誉学生を目指すのもいいかも知れない。

※本記事は、「シミルボン」に投稿したコラムの写しです。
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