文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:ニッポンの奇祭

2017-12-12 09:25:03 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
ニッポンの奇祭 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社

・小林紀晴


 本書の著者は、諏訪生まれの写真家だ。私も昔訪れたことがあるが、諏訪と言えばなんといっても諏訪大社である。諏訪大社は、上社と下社に別れ、更に前者は本宮と前宮に、後者は秋宮と春宮に分かれているので、合計4つの神社から構成されていることになる。

 時折、テレビで放映されるのを視るが、諏訪大社では、6年に一度御柱祭りというものすごい祭りが行われることでも有名だ。これは、山から切り出した大木を神社の四隅に立てるというものだが、それを運ぶ際には、氏子たちが群がって、山から転がり落ちてくるといった表現がぴったりなくらいのなんとも豪壮なものだ。ちなみに時々死傷者が出るらしい。

 しかし、日本の奇祭はこれだけではない。まだまだ全国には、私たちが驚くような祭りが存在しているのだ。本書は、著者が取材したそんな祭りに数々を写真と文章で紹介している。

 しかし、新書一冊に収めるためだろうか、収められているものに結構偏りがあるのだ。長野県や九州・沖縄、東北の祭りは結構収められているのに、中国地方のものは一件もない。例えば日本三大奇祭として知られる岡山西大寺観音院のはだか祭り、山口県下関市長府にある忌宮神社の数方庭祭、同じく山口県防府市の小俣地区に伝わる「笑い講」などは、本書に収められている奇祭と比較しても、けっして引けは取らないと思うのだが。これは、ぜひ続刊を出してくれることを期待したい。

 ショッキングだったのは、宮崎県の銀鏡神社で行われる銀鏡神楽だ。なんと猪の生首が神様に捧げられるのである。これにはびっくり。

 沖縄県の宮古島で行われるパーントゥという祭りも極めて興味深い。全身を草を編んだもので覆い、そこに泥を塗りつけ、仮面を被った奇怪な姿の人々が、誰かれ構わずに泥を付けていくというもの。新築の家には、このパーントゥに中に入ってもらい壁に泥を塗りたくるのが、しきたりらしい。

 どの祭りを見ても、まさに縄文の息吹、ディオニュソスの狂乱といったものが感じられそうだ。しかし、近年の少子高齢化、過疎化の影響を受けて、滅んでしまった祭りもかなりある。そういった中で、このような本を編むのは、各地方の文化を後世に伝えるという観点からも意義があるものと思う。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。



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書評:幸せとお金の経済学

2017-12-10 10:17:09 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
幸せとお金の経済学
クリエーター情報なし
フォレスト出版

・ロバート・H・フランク、(訳)金森重樹

 本書の教えるところによれば、財には、「地位財」と「非地位財」の二つの種類があるようだ。私は元々は電気工学が専門だが、経済学関係の本も割と読んでいる。しかし、他書であまりこの概念について書いてあった覚えはない。

 ここで、「地位財」はコンテクストの影響を受ける財のことだ。要するに相対的な位置づけが重要だということである。本書に載っている例としては、家の広さがある。他の人が6000平方フィートの家に住んでいる中で、自分だけ4000平方フィートの家に住むのと、他の人が2000平方フィートの家に住んでいる中で、自分だけが3000平方フィートの家に住むのとではどちらが良いかというものだが、絶対値でいえば前者の方が家が広いにも関わらず、ほとんどの人が後者を選ぶという。

 これに対して、「非地位財」というのは絶対的な位置づけが重要な財のことだ。これも本書に載っている例だが、他の人が、年間6週間の休暇をもらえる中で、自分だけが4週間の休暇しかもらえないのと、自分は年間2週間の休暇がもらえるのに、他の人は1週間しかないのとどちらが良いかというものだが、これはほとんどの人が絶対数の長い前者を選択したのである。

 アメリカでは、近年所得格差がどんどん広がっているという。そして、高所得層は、可処分所得が増えるので、例えば、もっと広い家を持つようになる。この割を食うのが中間所得層以下である。家は、「地位財」だから、高所得層に近接している中間所得層は、その影響で自分たちもより広い家を求めるようになり、それが次々に下位の層に伝搬していく。これでは、少しばかり所得が伸びても、決して生活は豊かにはならない。

 考えてみれば、これは日本でも似たようなことはある。例えば勤めている会社の給与水準が、世間一般では平均よりかなり高くても、同期の人間より100円でも給料が安いと、ものすごく不満を持つのではないか。これは、コンテクストの中で、満足、不満足を判断してしまうからだ。

 要するに、金をたくさん使えるようになっても、それは、基準が上方にシフトするだけで、決して幸福にはつながらないのだ。本書には面白い例が載っている。経済学者のリチャード・レナードの言葉のようだが、「豊かでない国では、夫の妻への愛情表現は1輪のバラですが、豊かな国ではバラの花束が必要です」(p209)というものである。しかし、いつも花束を贈っていては、それが当たり前になって、ありがたみも薄れるかもしれない(笑)。

 著者はアメリカの経済学者なので、アメリカを例に語られているが、これは日本についてもあまり変わりはないように思える。「吾唯足知」、「われただ足るを知る」という禅の言葉がある。京都の竜安寺のつくばいに記されていることでも有名だが、私達はこの言葉をもっと噛みしめなければいけないのではないだろうか。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:火星からの侵略

2017-12-06 13:32:26 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
火星からの侵略―パニックの心理学的研究
クリエーター情報なし
金剛出版

・ハドリー・キャントリル、(訳)高橋祥友

 1938年10月30日、今考えるととても信じられないような事件がアメリカで起こった。ラジオで放送されたラジオ劇の宇宙戦争(H.G.ウエルズ原作)を聴いた人が、本当に火星人が攻めてきたと思って、多くの人が大パニックに陥ったとされている。

 しかし、同じ放送を聴いても、正しくラジオドラマだと判断した人も多かった。それではパニックに陥った人とそうでない人との間にはどのような違いがあったのか。本書は、それを心理学的に解き明かしたものである。

 原書が最初に出版されたのは1940年。日本でも、川島書店から、1970年に斎藤耕二氏と菊池章夫氏の訳で「火星からの侵入」という邦題で発売され、この方面を学ぶ者にとっては参考書の一つとなっているようだ。ただし、川島書店のホームページを見ると、この本は「長期品切」扱いになっており、読みたければ、図書館で探すか、古書を手に入れるかしかないだろう。ところがうれしいことに、今回訳者を変えて、別の出版社から発売されたのである。

 本書には、元になったラジオドラマの脚本を掲載したうえで、どのような人がこれをドラマではなく本当の出来事だと判断したのか、パニックにならなかった人はどのような人なのかを詳細に分析している。

 脚本を読む限り、この放送は、最初と最後そして放送中にもこれがH.G.ウエルズ原作の宇宙戦争のドラマであると断っている。また、新聞のラジオ番組欄には、このことがはっきりと載っているのである。それにも関わらず多くの人がパニックに陥ったのだ。

 パニックに陥った人とそうでない人を分けたのは、高度な学校教育を受けているかということと、批判力の有無といったファクターが大きいようである。まあ、どこの国にも、自分の頭で考えることをせずに、流れてきた情報を鵜呑みにする連中がいるということだろう。我が国でも、オイルショック時のトイレットペーパー買い占め事件や東北大震災時の風評被害などを見ると、そんな人間はかなりいるのではないかと思うのだが。

 本書が教えるのは、そのようなパニックに陥らないためには、情報の中にある矛盾点を探したり、他の情報と突き合わしてみたりすることが有効であるということ。事実、パニックに陥らなかった人は、番組での人々の移動速度が速すぎることに気づいたり、他のラジオ局でこのような大ニュースが報道されていないのはおかしいと思ったりして新聞のラジオ番組欄を確認したのである。

 なお、この事件で全米100万人以上の人がパニックに陥ったと言われているが、「この「火星からの侵入」事件は大げさに語られすぎており、現実にパニックが起きていたとしても、かなり限られた範囲の人々であったであろうと考えられている」(注)というのが最近の説のようである。そうはいっても、本書に述べられていることは極めて興味深い。


(注)放送大学テキスト「危機の心理学」(森津太子、星薫)p100

☆☆☆☆

※初出は「本が好き!」です。


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書評:正しい本の読み方

2017-11-23 11:39:50 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
正しい本の読み方 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社

・橋爪大三郎

 昔からたくさんの本を読んできたが、こういったタイトルの本を見つけるとつい手を出してしまう。読んでみると、賛成できる部分と、ちょっと自分とは違うなというところがあるのはいつものことだ。

 本書に書かれているのは、本の選び方、本の読み方など。まずどういった本を選ぶかについてだが、本はネットワークを作っているので、その構造が分かれば、読むべき本、読まなくても良い本が分かるという。しかし、これは本を読むことを商売にしているいわゆる学者とか研究者と呼ばれる人の読み方だろう。私のように、興味の向くままに、あらゆる分野の本に手を出している者にとっては、本の作っているネットワークなんて全然興味がない。

 本の読み方だが、印をつけたり線を引いたり、書き込みをしたりといったようなアクションを行いながら読むことを勧めている。著者が故小室直樹氏の本を借りた時、その本は色々な色で塗りつぶされて総天然色になっていたという。私も同じようにマーカーで色を塗ったり、付箋を貼ったり書き込みをしたりといったアクションをしながら読んでいるのだが、確かにただ読むだけの時よりは、内容が頭に入りやすくなるような気がする。また、著者は、あんまり腹が立った時には欄外に「アホ」と書いたりするとのことだが、実は私も似たようなことを・・・(笑)。

 ところで、本書には特別付録として「必ず読むべき「大著者一〇〇人」リスト」というのが付いているのだが、人文・社会系に偏っているので、これについては大いに異論がある。例えばアインシュタインの「相対性理論」などは岩波から出ているのだが、リストには入っていないのである(もっともあれは必ずしも読みやすくないので、通常の相対性理論の教科書を読んだ方がいいかもしれない)。

 もうひとつ気に食わないのが、どうもマルクスに対して好意的な印象を受けるところだ。ただ、マルクスが資本論を書くにあたってのモデル構築で、どのような考えで書き、何を捨てたかということが書かれているので、それがそのままマルクスなんて読まなくてもいい理由になっていると思えるのはある意味皮肉か。人文社会系の人間には、未だに未練がましく、マルクスに対して一定の評価をしている人が多い(かっての学生運動の残り火?)ようだが、私は理工系なので、まったく評価してない。むしろ世界の現実をみれば、害毒しかたれ流していない気がする。

 笑ったのは、入門書の効用を謳ったところ。講談社現代新書には入門書がごっそり入っているというので、高校生や大学生の本棚には、講談社現代新書がずらっと並んでいなければならないと書いてあったところだ。ちょっと出版社に対するリップサービスが過ぎる?まあ、最近は学生が本を読まなくなっているので、そういった本棚が増えるのは悪いことではないだろうが。

☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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書評:プロジェクションマッピング

2017-11-21 11:14:25 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
プロジェクションマッピング
クリエーター情報なし
市井社

・三葉かなえ

 本書は、著者による五行歌を集めた詩集である。五行歌とは、本書の巻末に「五行歌五則」としてどのようなものか纏められている。もっと詳しいことが知りたければ、本書を読んで見るなり、ググってみれば「五行歌五則」の具体的な内容が分かるだろうが、端的に言えば、五行で表した詩のことである。

 本書は、表題の「プロジェクションマッピング」と各章題の「吐息の膜」、「秋の鱗」、「雲の額縁」、「深緑の氷山」、「星の精」、「生きている証」、「破壊と誕生」のいずれもが、収められている五行歌の一節から取られている。

 確かに、ひとつひとつの歌を見れば、著者の瑞々しい感性が感じられるような気がする。しかし、それを詩集に纏めるとなると、各章にそれなりのテーマというか纏まりが必要になってくるのではないか。

 そういった観点からこの詩集を見てみれば、例えば、第一章の「吐息の膜」はあまり順調ではない恋の苦しさ、第六章の「生きている証」には、生きることの辛さ悲しさといったものが感じられるので、そういった意味で纏まりがあると言えるだろう。

 しかし第二章の「秋の鱗」に収められている歌は、春夏秋冬すべてのものが入っている。それをなぜ「秋」で代表させるのだろう。また、第四章の「深緑の氷山」は、故郷の思い出を歌ったものが多いと思うが、それがなぜ抹茶かき氷で代表されるのだろう。感性の違いということかもしれないが、私にはよく分からない。

 また、私なら、別の章に入れるといったような歌もみられる。単なる好みの問題かもしれないが、その辺りの工夫も望まれる気がする。

☆☆☆

※初出は、「本が好き!」です。


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書評:邪馬台国をとらえなおす

2017-11-11 14:11:49 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
邪馬台国をとらえなおす (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社

・大塚初重

 中国の三国志魏志倭人伝に記された「邪馬台国」。2世紀後半から、3世紀中頃にかけて、女王卑弥呼が支配した幻の国。それは、果たしてどこにあったのか。

 我が国の古代史の中でこれほど多くの人を引き付けたテーマはないだろう。特に知られているのは、大和説と九州説だが、その他にも多くの説があり、まさに百家争鳴の状態である。

 本書は、発掘考古学の視点から、邪馬台国の謎に迫ろうとするものだ。発掘考古学とは、モノを基礎に据えて、型式学と層位学の方法論で過去を探っていく学問である。ここで、型式学とは、出土物を特徴ごとに分類するもので、層位学とは、遺物を含む層の積み重なりの順序などで年代の新旧を探っていくものだという。なお、著者は1926年生まれの明治大名誉教授で考古学界の重鎮ともいえる人である。

 邪馬台国の時代は、従来は弥生後期だと考えられてきたが、最近の考古学の研究成果からは、古墳出現期であると考えられるようになってきている。そして、この時期にヤマトの地に突然現れたのが、箸墓古墳を中心とする纏向遺跡である。それでは、この箸墓こそ卑弥呼の墓なのか。事はそう単純にはいかない。まだまだ、邪馬台国論争には数々の謎があり、当分決着はつかないだろう。

 魏志倭人伝には、卑弥呼が魏帝から百枚の鏡を与えられたという。この百枚の鏡とは前漢鏡なのか、後漢鏡なのか、三角縁神獣鏡なのか、それとも画紋帯神獣鏡なのか?これが、候補地推定に大きな役割をすることは確かだが、卑弥呼が贈られた鏡と見られていた三角縁神獣鏡は、既に五百面程度見つかっており、数が多すぎる。また、中国や朝鮮半島からは、鏡はもちろん、鋳型さえも出ていないという大きな弱みもある。

 また、魏志倭人伝には、倭人は鉄の鏃を使うとあるようだ。鉄器は九州からの出土が圧倒的に多い。これが九州説の根拠の一つでもあるようだ。鉄器は、弥生後期には、関東まで普及しており、奈良は、湿った土地で、鉄が残りにくい環境だったというだけかもしれないらしい。

 私自身の考えを言えば、魏志倭人伝をいくらこねくり回しても、そこから正解が導ける可能性はほぼ0に近いのではないかと思う。当時の文書がどれだけ正確性があるのか分からないし、書かれている内容も、明らかに南方の風俗を表しており、これがヤマトの地だといわれてもかなりの違和感がある。

 シュリーマンはギリシア神話に出てくるトロイの実在を信じ、それを実際に発掘してみせた。邪馬台国も同じだろう。どのように理屈を積み重ねても文献史学だけではだめなのだ。地道な考古学的な発見があってこそ、邪馬台国の真実が私達の前に現れてくるのではないだろうか。本書はこれまでともすれば空想や妄想によって語られてきた邪馬台国像に、考古学の観点から新たな光を当てるものといえよう。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。


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書評:周防大島昔話集

2017-10-29 17:03:44 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
周防大島昔話集 (河出文庫)
クリエーター情報なし
河出書房新社

・宮本常一

 山口県が産んだ偉大な民俗学者である宮本常一が集めた、彼の故郷・周防大島で語られてきたという昔話集。本書は著者の母親が77歳を迎えた記念にまとめられたもので、話の採集は、昭和5年~15年頃にかけて行われたようだ。

 収められているのは、全部で134の昔話。中には、九尾の狐の話や、俵藤太のムカデ退治の話など、他地方の話も入っている。また、お馴染みのサルカニ合戦の話やわらしべ長者、カチカチ山の話なども伝わっている。

 周防大島は、今でこそ本土と橋で結ばれているが、この大島大橋が作られたのが1976年(昭和51)であり、それまでは、訪れる手段は、船便しかないような瀬戸内海の孤島だった。

 私も田舎育ちだが、自分の故郷に伝わる昔話はほとんど聞いたことがない。よく周防大島にこれだけ多くの話が伝わっていたものだと感心するが、考えてみればテレビなどのない昔のこと。古老が話してくれる昔話は、子供たちにとっての大きな娯楽だったのだろう。また、孤島だったからこそ、一度入った話は、大事に語り継がれてきたのかもしれない。

 時代が進むにつれて、昔のものは次第に忘れ去られていく運命だ。そのような中で、このような記録を残すことの意義は大きいと思う。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。


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書評:60代から簡単に頭を鍛える法: 「生涯現役」のためにやるべきこと

2017-10-25 12:11:59 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
60代から簡単に頭を鍛える法: 「生涯現役」のためにやるべきこと (知的生きかた文庫)
クリエーター情報なし
三笠書房

・高島徹治

 歳を取ったので物覚えが悪くなったということを、時に聞くことがある。しかし本当にそうだろうか。本書によれば、幾つになっても、工夫次第で記憶力は維持・向上できるという。

 しかし、ここで大きな疑問が湧いてくる。「頭の良さ」とは「記憶力がいい」ということだろうか。確かに「記憶力」のいい人は、一見頭がよく見える。

 もちろん「記憶力」もあるに越したことはないが、それだけで頭の良さが決まるわけではない。いくら記憶力が良くても、それに論理力、判断力、推理力などが伴っていなければ、単なる記憶術の見世物をするくらいしか役に立たないだろうと思う。

 しかし、「頭を鍛える法」と唄いながらも、本書には、最初から最後まで、どうしたら「記憶」できるようになるのかといったようなことしか書かれておらず、それ以外の「頭の鍛え方」については特に触れられていないのだ。もちろん、記憶力を鍛えればその副次的効果で、その他の能力についても鍛えられる可能性はあるのだが、それも保障の限りではない。

 いくら頭に知識を詰め込んでも、それだけではだめだ。それをいかに運用していくのか。それが上手くできてこそ、本当に「頭の良い人」と言われるのではないかと思う。

☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:江戸の性事情

2017-10-15 12:38:42 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
江戸の性事情 (ベスト新書)
クリエーター情報なし
ベストセラーズ

・永井義男

 色々な本に唄われてるように、江戸時代の性に関する考えかたは今と大きく違っていた。例えば、現在においては、妻が元フーゾク嬢だとしたら、普通はそれを大ぴらにはしないだろう。ところが江戸時代は、妻が元吉原の太夫だということが自慢の種になったのである。

 ところで、本書では、アレの値段が書かれている。ピンの方は、「呼出し昼三」と呼ばれる遊女で、その値段は1両1分。これがキリの方になると夜鷹の24文で、蕎麦一杯の値段と同じだったらしい。ちなみに当時の紙屑の値段が、竹籠二杯で200文だったらしいから、夜鷹の値段は紙屑より大分下ということになる。

 おまけに当時はもれなくビョーキが付いてきた(これはピンの方でも似たようなものだったらしいが)ようだから、抗生物質なんてない江戸時代は、いろいろと大変だっただろう。

 この道に関する限り、昔も今もそう変わらないようで、現在使われている各種テクニックは既にこの時代に開発されていたという。ただし、パ〇ずりだけはなかったようで、昔はそれができるほど大きい人がいなかったらしい。また、昔は足で女性の大事なところをウニャウニャする「足くじり」というテクニックが一般的だったようだ。当時は水虫なんてなかったのだろうか?

 この他、妾は職業の一つだったとか、遊女と芸者の違いは、おおっぴらか隠れてやるかの違いだとか、不義密通は大事にせずに金で解決する場合が多かったとか驚くようなことが満載。流石は、性のワンダーランド、花のお江戸である。

 最後に本書に載っている川柳で、思わず吹き出したものを紹介しておこう。

 馬鹿夫婦春画を真似て手をくじき
 馬鹿夫婦春画を真似て腰痛め (p96)

 まあ、あれを真似する人はいないと思うけど、いい子はくれぐれも気をつけるように(笑)。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。


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書評:いまさら聞けない! 「経済」のギモン、ぶっちゃけてもいいですか?

2017-10-05 09:49:23 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
いまさら聞けない! 「経済」のギモン、ぶっちゃけてもいいですか?
クリエーター情報なし
実務教育出版

・高橋洋一


 本書は、経済数量学者だという著者が、焼き鳥屋で出会った家具メーカー勤務の経子の疑問に、経済学的な観点から答えていくというものだ。さわりの部分がマンガ形式で、その後は焼き鳥屋の大将や従業員の金田も含めた対話形式で進んでいく。

 解説されているのは、「三面等価の原則」やGDPと景気や失業率の関係、市場での需要と供給の関係、外部経済や外部不経済と言った概念、銀行の役割や信用創造のプロセス、日銀の金融政策や、比較優位による国際分業の考え方など。本書には、マクロ経済学の初歩的な部分はほぼ網羅されているものと思う。

 著者は、巻末の略歴を見ると、最初に数学を学んだ後に、経済学に鞍替えしたようだ。旧大蔵省出身で、現在は株式会社政策工房代表取締役会長、嘉悦大学教授も務めているという。

 元々は数学出身ということからだろうか、感覚的な話ではなく、数量的なことを大事にしているようだ。我が国は国の借金が莫大だとか、年金が破たんするとかよく言われるが、本書によれば前者は、収入と支出のみを見ても仕方がなく、どのくらいの資産を持っているかといういわゆるバランスシートも併せて見ないといけないという。また後者については、破たんしないような制度設計をしているから大丈夫だということらしい。どちらも、増税をしたいお役人(財務省)に騙されてはいけないということのようだ。

 確かに、あれだけの天下り先が用意されている国なんて、そうあるものではない。増税よりは、あれを始末する方が筋だという論調には賛成だ。ただ、示されているバランスシートは、通常の企業でいえば債務超過状態にあるので、あまり安心という訳にはいかないのだが。

 著者は、元官僚だが、お役人には厳しい。確かに、著者の言うように、許認可だけ行っているお役人に、まともなビジネス活動ができる訳がない。だからこそ「民活」などという言葉ができるのだろう。

☆☆☆☆

※初出は、「本が好き!」です。
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