文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:人間は考えても無駄である ツチヤの変客万来

2014-11-29 09:21:21 | 書評:その他
人間は考えても無駄である-ツチヤの変客万来 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


 おなじみ、自虐ネタでは他の追随を許さない、笑う、もとい笑われる哲学者No.1、土屋賢二先生の「 人間は考えても無駄である ツチヤの変客万来」(講談社文庫)。何と言っても、このタイトルがいい。確か昔の哲学者に、「人間は考える葦」とかなんとか言っていた奴がいたが、ツチヤ先生は、「考えても無駄である」とバッサリ切って捨ててしまう。なんというすがすがしさだろうか。ツチヤ先生のこと、このタイトルにも、きっと深い意味が・・・あるわけないか(笑)

 ところで、本書は、副題に「ツチヤの変客万来」とあるように、色々な分野の人との対談集である。「万来」と書いてあるものの、実際に対談しているのは、わずかに4組5名。もうこの辺りから、ツチヤ流のレトリックが顔を覗かせている。登場するのは、科学者の佐藤悦久氏、文学者の池田栄一氏、音楽仲間の内田満氏と小久保和英氏、心理学者の内藤俊史氏といった面々だが、「変客」ぶりは、決してツチヤセンセのキャラに負けてはいない。

 この対談が抱腹絶倒。殆どけなし合っていると言ってもよいような具合だ。鋭いツッコミの応酬ばかりではなく、時々ボケも入る。まさに「類は友を呼ぶ」ということだろうか。要所要所で、ナイスツッコミを披露している助手は、同一人物ではなく、合計3名になるそうだが、どれを見ても、すばらしいツッコミの才能。とても別人とは思えない。一度弟子の顔も見てみたいものだが、「私はツチヤ先生の弟子です」と勇気を持って公言している人っているのかな(笑)。

☆☆☆☆

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書評:落ちこぼれネクロマンサーと黒魔術の館

2014-11-25 21:49:03 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
落ちこぼれネクロマンサーと黒魔術の館 (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社


 絶世の美女と逃避行。なかなかロマンチックな響きがするが、ではその女性が凄腕の殺し屋で、おまけにゾンビだったらどうだろう。たとえ、美女が自分に夢中だとしても、なかなか答えにくい問題だ。そんな奇想天外な設定が面白い、「おちこぼれネクロマンサー」シリーズ第2弾、「落ちこぼれネクロマンサーと黒魔術の館」(メラニー・カード/圷香織:東京創元社)。

 主人公は、ヘタレネクロマンサーのワードと、彼が蘇らせた美女シーリア。前巻で、インネクロエストリ(邪悪なネクロマンサー)の絡む事件に巻き込まれたあげくに、シーリアの父親を殺した犯人として、賞金稼ぎに追われる身となっってしまった二人は、ある屋敷に逃げ込む。ところがそこは、前巻で登場した奴とは比べ物にならないくらいの強力なインネクロエストリ・マセリオの住処だった。マセリオの弟子候補とそのヴェスペリティ(強力な不死身のゾンビ)に間違えられて、館に招き入れられた二人だが、色々な思惑のもと、マセリオの所有する伝説の魔術書を手に入れなくてはならないことになってしまう。しかし、彼には、ヴェスペリティが12人も取り巻いている。果たして二人の運命やいかに。

 前作では、お互いに相手を気にしながらも疑いあっていた2人だった。しかし、この巻では、二人とも、頭の中は相手のことでいっぱい。しかし、いくら思いあっても、二人は生者と死者。愛し合うことは、この世の法に背くこと。背徳の愛なら、もっと燃えてもよさそうなものだが、そこはヘタレのワード君のこと。まるで昔の中学生の恋愛のようにうじうじと悩むばかりで、まったく前に踏み出せない。そんな彼にイライラしながらも、結局は彼のいい面ばかり考えてしまうシーリア。傍から見ていると、なんとももどかしい関係なのだが、女性読者には、「そこが可愛いんや!」なんて言われるかもしれない(笑)。

 ところで、マセリオの12人のヴェスペリティ。数が多い割には、結局3人しか目立った活動はない。もともと一体一体が強力な存在なので、12人全部を作品の中で動かすことには、無理があるのだろうが、少し残念である。このヴェスペリティたち、ゾンビにも関わらず、自分の意思を持っており、それぞれ思惑を持っている。結局ワードは、アレットというヴェスペリティの企みに乗せられて、彼女をマセリオのくびきから解放し、怪物として世に放ってしまった。次巻は、おそらくこの怪物を追っていく話になるのだろうが、まだ原書も発刊されていないらしい。どのような展開になっていくのか、今から楽しみである。

☆☆☆☆

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書評:粘菌 その驚くべき知性

2014-11-23 10:14:15 | 書評:学術教養(科学・工学)
粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)
クリエーター情報なし
PHP研究所


 粘菌というのは不思議な生物だ。変形体としてアメーバのように動き回っていたかと思いきや、環境が変われば、カビやキノコのように、子実体を作って、胞子を蒔き散らす。変形体は、数センチ程度になるが、それでも単細胞生物だと言う。粘菌よ、君は一体何者だ!?

 知の巨人、南方熊楠も魅了された粘菌。その粘菌は、単細胞生物でありながらも、原子的な知性を備えているという。ネイチャーにも掲載され、イグ・ノーベル賞にも輝いた、粘菌の知性に関する研究を紹介したのが、「粘菌 その驚くべき知性」(中垣俊之:PHPサイエンスワールド新書)である。

 粘菌は単細胞生物なので、もちろん脳も神経系もない。それにも関わらず、粘菌にはある種の情報処理能力が備わっているという。例えば、迷路いっぱいに広がった粘菌に、2つの餌場を与えると、粘菌は、それを最短経路に近いるルートで結ぶような管を形成する。また、周期的な刺激を記憶して、実際に刺激が与えられなくても、あたかも刺激が与えられたような行動をとるという。

 著者は、前者を「適応ネットワークモデル」というもので、モデル化している。これは、水の流れる水道管が、流量によって太くなったり細くなったりするようなものと考えればよい。また後者については、少しずつ長さの違う振り子が連なった「一連振り子モデル」やそれを改良した「位相同期モデル」で説明しようとしている。更に、粘菌の移動に対しては、マッチ棒延焼モデルというものを紹介している。

 これらのことは、科学において、アナロジーで考えたり、モデルを作って考えたりすることの大切さをよく教えている。複雑な自然現象を、そのままで考えるというのは非常に難しい事が多い。しかしモデルをつくってそれを単純化すれば、解決の糸口が見えてくることもあるし、思わぬ応用も可能となる。実際、本書には、「適応ネットワークモデル」の、カーナビなどへの応用も紹介されているのだが、これがなかなか興味深い。

 著者は、粘菌の持つ情報処理能力をある種の「知性」と考えているようだ。もっとも、「知性」というのは、著者も言っているように、それをどういった意味で使うかということにもよるところが多い。これをはっきりさせたうえでないと、粘菌が「知性」を持っているかなど議論しようがない。ただ、言葉の定義はともかく、単細胞生物にも関わらず、実際に粘菌にそのような機能が備わっているということは、驚くべきことだろう。不思議生物「粘菌」、本書はその面白さの一端を私たちに教えてくれる。

☆☆☆☆

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書評:一九七七青春の記憶 喫茶店と受験と仲間たち

2014-11-19 21:33:04 | 書評:小説(その他)
一九七七青春の記憶 喫茶店と受験と仲間たち
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ブックコム


 主人公の山田一は、妻と二人の子供を東京に残して、札幌で単身赴任中に、リストラの憂き目にあってしまう。札幌は、彼がかって浪人時代に過ごした街でもあった。傷心の彼は、浪人時代に通った喫茶店(店の名は変わっていたが)で、あのころの思い出に浸る。「一九七七青春の記憶 喫茶店と受験と仲間たち」(新藤いっせい:ブックコム)は、主人公の浪人時代をノスタルジックに描いた作品だ。

 実は私もこの年は受験生だった。といっても受験したのは、大学ではなく大学院だったのだが(あっ!心は永遠の20代ですからw)。だから、この作品に出てくる、当時の世相は、とても懐かしい。言葉一つとっても、今とは大分違う。例えばエアコンでなく冷房(昔は冷やすのみで、温める方の機能はなかった)、女性社員ではなくOL(本来、レディって、あくせく仕事をしなくてはならないような身分の人じゃないんだよね。その前はBG(ビジネスガール)といった言葉もあったなあ)。そして、オールナイトニッポンにキャンディズなど。少年チャンピオンも、「ブラックジャック」や「エコエコアザラク」、「がきデカ」などが連載されており、このころが黄金時代だった。

 ただ、ノスタルジーに浸れるのもここまで。中味については色々と突っ込みたいところが出てくる。まず、大学名のセンス。主人公の志望校は帝大らしいが、おそらく北海道大学がモデルなのだろう。帝大は、京城や台北も入れて、全部で9つ作られている。あえて、北大を帝大と呼ぶ意図はなんだろう。それとも帝京大学のことか。確か北海道にはキャンパスは無かったと思うのだが。それに、主人公の友人の東海林の志望校の京丸大って、いったいどこやねん!?

 納得がいかないのは、ミニスカートのお姉さんからもらったチラシを見るため、主人公が一瞬立ち止まったら、いかにもその筋らしい男がぶつかってきたというエピソード。「時計が壊れた」と殴られたり、念書を書かされたりしたあげく、その男の子分らしい3人組の予備校生たちに、強引に麻雀に引きこまれて、勉強どころではなくなってしまったのである。

 このエピソードの結末は、「人を見かけで判断してはいけない」とか、「心から謝罪することの大切さを教わった」とか、なんだか美談めいて終わっているが、もともとぶつかってきた男の方の前方不注意ではないか。時計が壊れたのだって、自業自得のようなものだし、いきなり殴りかかってきたら、「アブナイ奴」だと思うのは当たり前のことだ。いっそこんな話はなくてもよかったのではないか。

 また、キャンディズが出ているのに、どうして太田裕美が出ていないんだろう。山口百恵も、このころが絶頂だったのではなかったかと思うのだが、なぜ出てこない? もしかして、山崎ハコを忘れている? いちいち挙げるときりがないな。

 最後に、この作品には、オチが二つばかり用意されている。ひとつは主人公の帝大合否に関するオチ、もう一つは主人公の嫁に関するオチだ。こちらの方も、どこか既視感が感じられ、特に驚くようなものでもなかったのだが。

☆☆

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放送大学:「現代哲学への挑戦」のレポート提出

2014-11-17 18:29:19 | 放送大学関係
現代哲学への挑戦 (放送大学教材)
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放送大学教育振興会


 今日、最後に残っていた放送大学のレポートである、「現代哲学への挑戦」分を投函した。他のものは、webで提出できるのだが、この科目だけは、郵送でないと出せないようになっていた。

 一応、書くのは書いたのだが、どうもこの科目とは相性が悪そうだ。それとも、哲学と相性が悪いのか。正直なところ、書かれていることがたわごとに近いようにしか感じられない。ハイデガー研究で知られた故木田元さんは、著書の中で、哲学は実際の生活には何の役にも立たないと明言されていた。私もその通りだと思うのだが、このテキストには、いかにも哲学は役に立つのだから、みんな哲学しなきゃいかんよというような書き方がされている。例えば、<もはや世界中のどの地域のひとたちも、それ抜きでは何も考えられなくなっている>(テキストp22)といった具合だが、世界中の殆どの人は、哲学なんか抜きにして、物事を考えているんじゃないかな。

 また、ベルクソンという哲学者。お茶の水女子大学名誉教授の土屋賢二さんは、「ツチヤ教授の哲学講義」という著書の中で、ベルクソンの言う時間概念は、<一般の人が従っている規則に反対しているだけ>(哲学講義p68)、すなわち他の人の言葉の使い方に、いちゃもんをつけているだけだと言われているのだが、この教科書では、いかにもすごいことをやったように書かれている。私も、土屋さんの言うことに賛成だ。

 こんな調子だから、試験を受けてもあまり、通る気がしない。この科目は、先学期の積み残し分なので、今回受験しないと受講料が無駄になるので、どうしようかと迷い中だが、今後は、哲学の科目なんか履修するのはやめようと思う。



 

 
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書評:愛の裏側は闇(2)

2014-11-17 18:25:59 | 書評:小説(その他)
愛の裏側は闇(2)
クリエーター情報なし
東京創元社


 政治的にも、宗教的にも混乱が続くシリア。そんな世界に生きる現代版のロミオっとジュリエットを描いた、「愛の裏側は闇」(ラフィク・シュミ:東京創元社)の第2巻。100年に渡る、憎しみの歴史を繰り広げて来た、ムシュターク家とシャヒーン家。そんな歴史に縛られながらも愛し合う、ファリードとラーナ。若い二人の前には、様々な苦難が降りかかる。

 前巻では、両家の因縁が中心だったが、この巻はファリードを中心とした物語となっている。父親により、修道院に入れられたファリードだが、そこは、決して神の使途となることを目指すようなところではなかった。虐待やリンチが横行し、欺瞞と対立に満ちた、閉ざされた虚飾の空間だったのだ。ファリードが友人のアミーンに語った次の言葉は、端的にそのことを表しているだろう。作者の宗教観が垣間見えるようだ。

<修道院で実践しているのは憎しみさ。純粋な憎しみ。イエスは誰も苦しめず、みんなとパンを分かち合った。だけど修道院はみんなを苦しめ、そのせいでみんな、心が折れて、おなじような心ない人間を作りだしている。>(p306)

<修道院にいる仲間がいっていたことがある。教会は神への道を短くするのではなく、長く引き伸ばしているってね。>(同)

 また、この巻でも、前巻に引き続き、性的な描写が目立つ。例えば、ファリードは、ハンマーム(公衆浴場)で、あかすり師に尻を狙われているし、修道院で行われた劇では、ジャンヌダルク役の人妻が、拷問されているはずの場面で、敏感な部分を刺激されてイカされてしまうといった具合だ。そしてどの性的な場面も背徳にまみれている。

 しかし、その一方で、ファリードとラーナの逢瀬は、なぜか綺麗に描かれている。若い二人の愛の語らいは、まるで二匹の子猫がじゃやれあっているようだ。以前、男女の間でやることには、A,B,Cの区分があったが、二人の関係はBまでしか描かれていないのである。修道院では、ラーナのことを夢見て、何度もパンツを汚してしまったファリードのこと。単にそれだけで済んだとは思えないのだが。どろどろとした、性の背徳にまみれた世界で、二人の関係は、まるで泥沼に咲いた蓮の花だ。まわりが汚れているほど、二人の愛の関係はいっそう美しく見える。そういった効果を狙っているのだろうか。

 ロミオとジュリエットの話は、悲劇で終わった。この物語も二人の悲劇で終わりそうな、そんな予感を残して、物語は、最終巻に続いている。

☆☆☆☆

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宇品かがやきフェスティバル(広島市を歩く134)

2014-11-16 18:00:52 | 旅行:広島県



 今日は、広島都市学園大学宇品キャンパスで行われた「宇品かがやきフェスティバル」に言ってきた。「宇品かがやきフェスティバル」というのは、一応この学校の大学祭なのだが、地域との交流というものも目的になっているようだ。




 屋外には、模擬店が並び、ステージでは、地域のダンスなどが披露されている。また、屋内、屋外では色々なイベントがおこなれていた。

 普段は、なかなか大学の内部には入る機会がないのだが、今回はスタンプラリーもやっていたので、スタンプを集めながら、大学内部を見学した。途中、図書室で「ビブリオバトル」をやっていたので、ちょっと覗いてみる。発表者は5人で、すべてこの大学の学生のようだ。1年の女子が3名、2年の男子が2名と、なぜか男女で学年が別れていたが、皆なかなか初々しくて良かった。





○関連過去記事
広島市のループバス めいぷるるーぷ(広島市を歩く133)
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放送大学「場と時間空間の物理」レポート提出

2014-11-14 18:40:56 | 放送大学関係
場と時間空間の物理―電気、磁気、重力と相対性理論 (放送大学教材)
クリエーター情報なし
放送大学教育振興会


 今日は、放送大学のキャンパスネットワークホームページから、「場と時間空間の物理」のレポートを提出した。結果は9/10で最初の一問で、計算間違いをしていた。orz

 しかし、最初に思っていたよりは、かなり難しい。おまけに、記号の使い方も、昔慣れていたものとだいぶ違うので、内容だけでなく、読みにくさということも加えて、難航しそうだ。

 しかし、別に急いで単位を取る必要もないので、進み具合によっては、試験を来年度に回すかもしれない。頭のリハビリが、なかなか大変で、この学期だけでは間に合いそうにない。


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放送大学「博物館経営論(’13)」のレポート提出

2014-11-13 19:55:44 | 放送大学関係
 放送大学のキャンパスネットワークホームページから、「博物館経営論(’13)」のレポートを提出した。問題は、既にだいぶ前に解いていたので、今日はただ入力するだけ。5分もかからなかった。結果もすぐに分かり、9/10で1問間違えていた。

 それにしても、結果がすぐにわかるのはいい。放送大学は、今4科目抱えていて、レポートはあと2つ残っている。今学期で、履修期限が切れるのが2科目だが、そちらのレポートもまだ1つ残っている。これは、ネットではなく、郵送でしか提出できないので、これを優先して片付けようと思う。

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晩秋のカマキリ

2014-11-09 14:03:53 | 旅行:山口県


 所用で、実家に帰った際に、家の周りでたまたま見つけたカマキリ。実家のあるところは、もう夜はかなり冷え込むのに、まだまだ元気だ。腹がだいぶ膨らんでいるので、これから卵を産むのか?それとも、カマキリが殆ど持っている、あの気持ちの悪い寄生虫、ハリガネムシによるものか。ハリガネムシは、カマキリの腹を水につければ出てくるらしいのだが、ちょっと気味が悪いので、実験する気にはならない。子供のころは普通に見かけていたのだが、やっぱり苦手である。

 いずれにしても、冬は間近だ。このカマキリも、卵を産んで、次の世代にバトンタッチして行くのかと思うと感慨深い。実家のある辺りは田舎なので、まだまだ自然がある。それでも、昔に比べれば、環境は大きく変わっている。一度失った自然は取り戻せない。もう田舎でも、ミズスマシやゲンゴロウなんかを見るのは無理だろうな。
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