コロナが近づいた

2022年01月31日 08時11分17秒 | 新型コロナ雑感
これだけ感染者が増えてくると、もうその辺にうようよしてて、いつ感染してもおかしくない状態です。うちの家族にもとうとう近づいてきて、生活を変えなきゃいけない状態になりました。
下の娘家族 両親は看護師さんで共稼ぎ、子供上の2人は小学校、3番目が保育園の年中。この保育園で感染者が出たらしい。幸い濃厚接触者にはならなかったようだが、園は休園、できるだけ外出はしないように、自宅待機 の指示がでたようだ。
両親 すぐに仕事休めるわけじゃない、小学生だって休んで弟の面倒見るってわけにもいかない。そこでうちにSOSがきた。
娘の場合はいい。「助けて」と言えばすぐ来てくれる母親がいるから。世の中一般にはこうはいかんのだろうな。そんな実態は他人事で聞いてはきてるが、近寄ってみると、やはり相当に深刻なものだなを思う。娘たちもなかなかしたたかなもので、(多分だが)園で同様な被害者になった親の中で日中家にいる人もいるんでしょう。その家で何人かの園児を預かってもらう互助会を成立させてもいるみたい。この対応力にも驚くけど。
やはりつくづく思うのは、世の中の成り立ちが実にきわどく、複雑な関係を維持しながら営まれてるということ。ぼんの小さなほころびでも世の中ガタガタになっちゃうんだから。
「寄るな、会うな」という病だからしょうがないわな。こういう世の中をいい物だ、正しいんだと暗黙の裡に納得してるところには一度目を向けてみてもいいのかな。
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温度の変化 案外早いぞ

2022年01月30日 08時13分37秒 | つれづれなるままに
この時季は何となく「暖かくなったかな」の感じがあって、ジワジワ嬉しくなる頃だ。
「大寒」には「うん、これからあと1週間だ」で前向きになり、2月になろうとすると「もう寒さのピークも超えたな」と喜びに繋げる。防寒で着てた厚手のフリースを「もう着ないぞ」と決めた。明日洗濯依頼して、仕舞いこもう。
今朝の散歩時は変な計算をしながら歩いた。日々気温が上がっていくんだが、平均的に日に何度くらい変化するんだろうの計算です。
その日の最高気温が年間一番低いのが0℃、一番高いのが30℃だとすると、半年で30℃変化することになる。これは月5℃、6日で1℃の変化というこだ。これを知って、ちょっとびっくり。
僕の感覚では1℃の変化って大きいって感じなんです。「暖かくなったな」をしっかり感じれる変化という認識です。それが1週間毎に進むってことですよ。そう計算されると、ここ1,2週間の変化も納得かな。
僕はこれを知って一気に暖かくなりましたよ。2℃、3℃の上昇なんてあっという間じゃないか。
もうすぐ節分。よし、衣類をワンランク春モードにするぞ。
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将来はAIが判定するかな

2022年01月29日 10時11分05秒 | つれづれなるままに
またまた痛ましい、おぞましい、そして残念な殺人事件が起きてしまった。66歳の息子が高齢で弱った母を介護していた。訪問医療も受けていたようだが、遺漏施術を許可してくれなかった事に不満を持ち、その母が亡くなった翌日、犯行に及び、44歳の医師を散弾銃で殺害したという事件。一方でこの医師が実に素晴らしい方で、ともかく献身的に訪問医療に当たって来た方らしい。昨年コロナ下の医師として報道され、「僕は救いたいんですよ」と涙ながらに話す彼の姿がまた映されている。   どう考えても 痛々しすぎます。

さて今日はもうちょっと軽い方。19歳の女子大学生が入試の共通テストで不正をやってしまったという話です。昨日のNHKラジオ番組で作家の高橋源一郎さんが「不正が起きにくい試験は実施できる」「しかし実施しずらいから、簡便な方法になっていて、それゆえに不正が入る余地のあるやり方なんです」「学校側がサボってるからだとも言えるんじゃないか」と語ってた。
どういう方法かと言うと「試験官の前で4,5時間かかる論文を書かせ、それを採点すればいい」というのです。それがいいかどうか、できるかできないかは別として、「これからの人」を評価するんであればこれくらい労のかかる方法じゃないと正しくない(不正の反語としても)のかもな と思うのです。
そしてここからは妄想です。今「人力ではできない」として上の方法が否定されても、将来はAIが代わりにやってくるんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。「これこれについて4000字から5000字で論じなさい。」これが問題。3,4時間で終了。回答は電子データで返す。上がって来た何千人分の論文をAIが読んで、いろんな角度から採点する。まっ2、3日で序列付けてくれるんじゃないですか。「4つから正しい答えを選べ」よりいいでしょう。
源一郎さん 「不正をやったことはいけない。ただこれで貴女の人生が終ったわけじゃない。何がどう左右するか解らんのが人生。貴女も貴女らしく生き直すことに努力をしてください」としめていた。自分の試験経験を踏まえつつ。

この放送 2/3まで「聴き逃し」で聴けます。 開始から5分程のコメントです。 
   「高橋源一郎の飛ぶ教室
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ショパン づいてます

2022年01月28日 09時39分19秒 | 音楽鑑賞
「反田恭平 ショパンコンクール 2位入賞」以来なにかとこの関係の報道、ドキュメントが放送される。嫌いじゃないから観る、聴く。そこにあるいろんな人間ドラマに引き付けられる。そこを知れば知るほどはまっていく。そして今は「ショパンのピアノ曲」を好きになり、「これはショパン」と聞き分けられるようにまでなった。
今回最も興味をもったのは「日本人参加者それぞれの人間ドラマ」だな。
反田君(2位、27歳) このコンクールに勝つためにありとあらゆる角度からこのコンクールを分析し、技術を磨き、演奏曲の構成を考えたという。すでに会社を立ち上げてる。会社の発展のためにも「勝つんだ」と臨んでる。どの演奏を聴いても、上がってる感じが無い。のびのびしてる。「どうだ、これが僕のショパンだ」の自信が感じられる。そうだよな、「やること、出来ることは全てやってきたんだ」の自信しか見えてこない。
沢田蒼梧君(2次予選出場、23歳)は名古屋大学の医学部生、角野 隼斗(3次予選出場、26歳)は東大の大学院を卒業してる。今は「かてぃん」の名前でYoutube即興ピアニストとして有名になってる。
こういう、まっ言ってみれば『異色のピアニスト」じゃないですか。こういう人間が出てきた、存在してるってことが興味深いですよね。「天は二物も三物」じゃないですか。 これも「多様化」のひとつの現れなんでしょうね。
そして「ショパンのピアノ曲」。 40前に亡くなってるんですね。 その若さでこれだけ深い曲を作ったのか? どんな日々を送り、どんな経験を積み重ねたんだろうかと興味が生まれる。それとこのピアノ技巧、後々のピアノ弾きに挑戦したかのような「技巧のみせびらかし」はもう「人間わざ」の域を超えてるとしか見えません。
今も反田君が弾くショパンを聞きながら、これを書いてます。 うっとりしてます。
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「ドライブマイカー」を観る

2022年01月27日 08時52分49秒 | 映画・演劇鑑賞
昨日観てきた。 このBLOGを愛読いただいてる友人から先日「岳さん観たらいいよ」と推薦された。この映画の存在は「既に海外で評価されてる」ということで知ってた。が、元々そんなに映画を観るタイプじゃないし、予告等をチラ見する範囲では何か難しそう でそんなに積極的ではなかった。ところが友人から「岳さんの感心事への答えがあるかもよ」と言われては・・・。
想定通り「難しい」映画でした。それでガバッと大ざっぱにまとめれば「社会を、人を、個人を もっと信じていいんでは、そして自分が傷つくことには正面から受け止める力が必要なのでは」ということなのかな。
頭から30分程の映像が強烈で、しかも関係ありそうなんだけど、そこが上手くつながらないストーリーが2つ3つ並行して進む。「なんだ?」と考えてるうちに、別のストーリーが重なってくる。最後に全てのストーリーが「あっそういうことね」とどうにか「1つらしい」ところにおさまっていくんだが・・・・・。
もう哲学の域ですね。 今までは あくまでも映画とそれを作品としてみてる自分がいる映画観賞だったんだが、昨日は一瞬だけど、自分が映画の中で考え、動く個人になってたような。ちょっと違う感覚を味わった映画でした。
こういう映画が評価される、こんな映画が作られる、こういう風に作る人がいる 世の中の変化を感じる映画でもあった。    そうか、村上春樹原作なんだ。どうりで・・・。
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首相の答弁文書作成官がいる?

2022年01月26日 08時42分18秒 | 国を憂う
国会本会議、予算委員会での岸田首相の答弁を聞きながらつくづく思ったことは「これは答弁文書作成専門官がいるな」です。ここ10年ほど同じ文章を聞いてる感じだなと思いませんか。
喋ってる顔、声が違うだけで、論調、言い回し、やんわり納得して根の所では拒否する流れの作り方 これは間違いなく専門官がいますね。あの文章は「個人の個性」の域に達してますから。
そんなんでいいんですかね? だれが行政の長だか解らんじゃないですか。そりゃ首相の意思抜きで答弁書作るとは思いませんが、作成者の意思で作られる部分が徐々に大きくなっていくのは今の官庁の悪癖をみてると十分考えられます。
会議時間の節約、余計な紛糾を避ける目的で「事前に質問書の提出」がルールになってるようですが、これは政府答弁側が大きな失態をしないための策であって、「真の議論」をするにはマイナスでしょう。結局「事前調和」なんですよ。答弁に立った時、分厚い「答弁文書綴り」をめくりながらマイクの前に進む。そしてその文章を読む。そこから何がでてくるのか。丁々発止でやってほしくないですか。もっと首相の本心を聞きたいし、「この人」はどんな日本にしようと考えてるか知りたい。専門官の作った文章、それを読む答弁から見えないのは当然です。
たまに大失言するのもいいじゃないですか。昔「貧乏人は麦を食え」と言った首相もいるし、「ばかやろうー」と吼えた人もいる。ひょっとしたらそこに首相の「本心」が現れ、時の世相を凝縮して見せる力があるんじゃないか。国民はそこに「この人が考える明日の日本」を見てとるんじゃないかな。
岸田さんは前任者の言動を反省する意味で「聴く耳を持つ」とおっしゃる。それは一歩前進と聞き取ったが、そうじゃないんだ。「喋る口」を持つべきなんじゃないの と思うのです。
先日のバイデンさんとの会談を説明する中でこういう言い方をされた。「経済の好循環を『完成』させることで一致した」。 おっこれが本心であり、岸田さんの社会感覚なのだと思いました。「完成」があると思うところに「思い上がり」があり、これでは信用できんな と。
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名護市長選挙に思う

2022年01月24日 09時26分31秒 | つれづれなるままに
辺野古問題を抱える名護の市長選挙が昨日行われ、自民公明が支援する「埋立容認派」(?) の現職が当選した。4万人の有権者の中で5000票の差は有意なものだったと思います。
日頃「国政の横暴、かっては許さん」「民意をもっとくみ取れ」というスタンスで「国を憂いてる」僕としては「これも一つの民意」と捉えています。こういう結果も市民が選択したものと尊重しないといけないんでしょうね。 (本土民として)
国と名護市民(沖縄県民)との「根競べ」になって久しいわけで、「こう長く」「埒の明かなさ」が続くと、「どうせダメだべ。ダメならよ、金貰ってよ、生活便利にした方がいくねぇか」となっていく、なってきたのは当然なのでしょう。
「人間はこうなっていくものだ」との読みを入れた根競べを国は仕掛けてきてるわけで、その意味で「すでに絡め捕られてる」という構図なのかもしれない。
人間とは弱いもの。大半の人は『行き詰ると将来のベストより今のベター」を選択しがちなんでしょうね。しかも子育てしながら現役で戦ってる人ほどそうなのかもしれない。
「沖縄県民、名護市民の問題」とせず、本土の国民も「自分事」で語っていくなら結果は変るかもしれない。そして僕は「自分の時代に良かれ」じゃなく、「孫の時代」に視点を置き、考え続けようと思ったのです。
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オミクロン・英国・マスク

2022年01月23日 10時33分09秒 | 新型コロナ雑感
日本ではこれからまだまだオミクロンの感染拡大が予想されるんだが、英国、米国ではそろそろ拡大も収まってきてるんだそうですね。「なぜ? どうして?」と考えてもみたいんですが、これから増える日本ではまだ早いだろうで先送り。
気になってるのは「英国ジョンソンさんの政策」です。

ジョンソン首相は自らの不手際もあって、支持率を大きく下げてるらしい。となると国民受けする政策を出したくなるのは当然ですかね。
それにしても「パーティーもいいんじゃないでしょうか。マスクの強制もしません。」と言うのはちょっと「ウケ狙い過ぎ」じゃないかな。現地の報道を見ても、街行く人はほとんどがマスク無しで歩いてる。国民性なんですかね、習慣が無いんじゃなく、「嫌」なんでしょうね。国民文化として「許容できる、できない」に差があるのは当然だとは認めます。
が、世界が認めてる「小さいけど、効果大」の対策なんだし、感染自体が今後どうなるか予測できない今、「そこだけは守りましょう」が他国への「範」であり、国民の安全確保の最有効施策なんだと思うのですが。  自らの点数稼ぎで施策を曲げるのはまずいな と思うのです。
日本の現状を見てると、他国を批判してる余裕はないのかなとも思います。3回目接種の実施率はたった1%、1日の感染者数がついに5万人を突破した。重症化率は低そうで、少しゆとりを感じるのですが、感染者は10万を超えると推測してます。
新型コロナが「インフルエンザ化」するまで日本人はマスクを続けましょうね。そして世界の範となりましょう。
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「生き方、一つじゃない」子どもに伝えて

2022年01月22日 09時34分46秒 | 国を憂う
昨日の朝日新聞 文化面にあったコラムの丸写しです。共感しました。社会文化の変化が世の中の不安定さを醸成してるんだろうまでは想像してるが、具体的に何なのかは上手く言えずにいる。社会学者 宮台真司さんが「相次ぐ無差別の襲撃事件」を分析し、世の中の変化を明快に説明し、何ができるのかを示唆してくれてます。
50年前頃の世の中は
 ・異年齢集団で外遊びをする中で見ず知らずでも仲間になりうると感じる対人能力を培った。
 ・親や先生が与えた思い込みを近所の年配者が「ナナメからの介入」で緩和された。
 ・教室にはいろんな家庭の子が集い、互いの家を行き来して、いろんな生き方を学べた。
 ・家族の外でも全人格的に扱われ、他で代替できない尊厳(自己価値)を持てた。

自分の小学校、中学校(高校時代もかな)ほんとにそうだったな と懐かしいね。

そしてこの50年の中で
 ・1960年代の 団地化で「地域」が
   80年代の コンビニ化で「家族」が
   90年代の ケータイ化で「人間関係全般」が   空洞化した。
 ・土地に縁の無い「新住民」が不安から遊具を撤去し、校庭をロックアウトし、外遊びが消えた。
 ・地域が不信ベースになり、親以外の大人との交流が消えた。
 ・親と教員とネットと友人と の希薄な関係だけが残った。
 ・子は親の自己表現のダシにされ、進学校に入れと言われるが、
                   それ以外の価値が解らなくなった。
 ・やっと進学校に入ると、周りは皆自分より優秀。
                   自分を価値の無い存在と感じるようになった。
 ・どうにか会社に入ると、希薄な関係の中「置き換え可能な存在」でしかないと知る。

こういう変化をもたらしたのはグローバル競争とテクノロジー化である。それは今後も増々進み、「誰でもいい」「置き換え可能」な存在を量産していく。

やっていける事、やっていかなければならん事は
 ・大人が目の前の子供に接っする姿勢を改める。
 ・子供が多様な大人と関わる機会、いろんな文化に接する機会を増やし、
                 自分の日常と違う世界があるという想像力を培う。 
 ・「人生の選択肢は一つじゃない。いろんな生き方がある。
       面白くて幸せな人生はたくさんある」とのメッセージを伝えていく。

こうだと示唆されてる。 そうなんだろうな。 グローバル化、テクノロジー化の進行に見合っただけの「人間としてのソフトな文化」を取り戻すのか、再構築するのかやって行かなきゃ、今の「怪しい世の中」の進行は止められなんだろいうな。
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「企業を救う」じゃなく「人を救う」政策

2022年01月21日 08時52分40秒 | 国を憂う
昨年「人新世の資本論」に触れてから、「新自由主義」「中小企業問題」を考えなきゃな と思い、今年の考察テーマにあげている。
まだマジメに考えだしてはいないのだが、今朝のNHKラジオで京都大学の諸富徹先生がそのアウトラインを話してくれた。実に参考になるし、僕が考えたい方向そのものだったので、皆さんにも聞いていただこうと紹介します。

  < マイ!Biz「どうみる“新しい資本主義”」  諸富徹 >   1/28まで視聴可
     先頭から4分半は普通のニュース、Skipしたら。 先生の話は10分弱。

岸田首相が掲げる「新しい資本主義」 視点はいいが、やらんとしてる政策は核心を外しているのでは と前置きして、今手をつけなければいけない点はこういうところでしょう と進める。 後半ではそのいい例としてスウェーデンでの政策を解説し、日本との差を論じている。
僕がハッとしたのはスウェーデンでの政策の基本は「企業を救わず、人(労働者」を救う」としてるとこだ と説明されたところ。
そうなんだ、確かに日本では人よりも企業をどう救うかに力点が置かれてる。中小企業対策なんかその典型。こう言っちゃ失礼かもしれないが、自然消滅すべき企業もあるのではないか。救うが故にゾンビ企業がゴマンと残ってるんじゃないのか。社会的浪費を生んでないのか。 
ここが僕の関心事。 そうか、「人を救う」という価値観に変換すればいいんだ。
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