高木の掘り出しと根巻き

2006年05月26日 07時24分56秒 | 仕事雑感
今回は人手では動かせない大木の根巻きをどうやるか解説しましょう。
先日高さ10mのナナカマドの根巻きを1人でやりました。本来この作業は2人でやるのですが、社長が外勤でいない、しかし準備をしないとで、1人でやりました。

木を地球から縁を切り、倒してしまうと、根巻きどころではありません。
そこで「お椀」の形に鉢を作り、お椀の足の部分は地球と一体化したままで(木は自立してる)根巻きします。ここまでが作業です。後は足部分の縁を切り、その部分だけの根まきをやります。この時はユニックで吊り上げてやるか、倒してやります。
ここで1つ知識。5月のこの時期になると、幹にロープを巻いて、垂直に吊り上げることは危険です。木肌がむけてしまうのです。鉢の底にロープを掛けて、吊るようにします。当然これだけでは倒れますから幹から転倒防止のロープをもう1本とります。たいした加重ではないので、木肌を傷つけません。

・まず 穴を掘ります。今回は残す鉢の直径が1mちょっとで、それを残しながら、周りを幅3,40cmで堀下げます。この幅が狭いと、後の作業がやりづらいのです。ここで手抜きしないことが肝心です。
・深さ4,50cmになったところで、鉢の底を丸く掘り込みます。この時に穴の幅が狭いと、底にスコップが入らないのです。水平方向に20cmほど掘り込んだら完成です。
・幅1.4mくらいの布を必要な長さに切り(ロープを鉢に巻いて長さをとり、切り取る)、鉢に巻きます。この時、最後に底の部分を覆えるように下に余裕を残します。
・さて肝心のロープかけです。上から鉢底の堀込んだ部分に、またそこから上にと掛けていけばはずれません。この時ロープを堅くしめるために、掛けたロープを引っ張りながら、掛けた部分を木槌でたたきます。引っ張る人とたたく人がいるとうまいのです。理論的にやると、写真のように幾何学模様ができて完成です。

うまいもんでしょう。3時間ほどかかりました。掘り込みを2時間かけてやりました。社長としては1時間くらいを期待するのでしょうが、体が壊れてしまいます。スタミナも考え注意深く掘ることもあわせて、ゆっくり、慎重に進める主義でやってます。



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大正村に行ってきました。

2006年05月23日 18時21分50秒 | 旅紀行
岐阜に行ったので、大正村を観光してきました。
恵那で高速を降り、南に1時間下って、明智町へ。この町全体が「日本大正村」と称されてます。空襲にあわず、大正時代の建物がいくつも残ってました。こじんまりとした落ち着く町ですね。
大正ロマン館 中に入るのは有料です。よって見てません。
大正村役場  展示場になってました。表のヒトツバタゴが満開でした。
ヒトツバタゴの花 この木は別名「ナンジャモンジャの木」といいます。「何だか解からん木」はみなこう呼ばれたらしいのですが、今ではこのヒトツバタゴの別名となってます。「季節はずれに雪をかぶったような」と評されます。明智町を中心にどこにいってもこの木が花をつけてました。

この明智町は「明智光秀」でも有名です。但し岐阜県可児市にも「明智」の地があり、「こっちが出生の地」と言い張ってるようですが。お墓も見てきました。「出生の地」の碑もありました。
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岐阜に友人を訪ねた

2006年05月23日 17時48分11秒 | つれづれなるままに
22,23日の休みを利用して、岐阜県土岐市に暮らす大学時代の友人を訪ねてきました。別の用事で岐阜に行ったついでの訪問でしたが。
15年程前に東京で同期会をやったときに上京してくれたので、正確には15年ぶり、実質的には卒業以来の33年ぶりの再会です。
大学時代、彼の下宿(中野)の部屋を酒の集会所として仲間で使わせてもらったもんです。
今回の訪問で改めて彼の過去(大学まで)と、社会人になってからの人生を聞かせてもらいました。大学時代に受けた彼の印象、今の彼の生き方が1人の男の人生として理解できたように感じました。
今彼は小さい会社を実質的にはまかされて、経営者としてたいへんな苦労をしてるようでした。「たいへんだけど、子供(娘2人、下がまだ大学2年生)が社会人になるまではがんばれ」、「でもその後どう暮らすかは今のうちから考えておいたほうがいいよ」と励ましてきました。

奥さん、奥さんのお父さん、長女の君 ありがとうございました。たいへんお世話になりました。楽しい夜でした。ここでお礼を言っておきます。
次女の君 会えなかったね。残念。勉強がんばれよ。お父さんもお母さんも今君のためにがんばってるんだからね。そして勉強以外の人生勉強もたくさんやってね。

友人K君 ほんとに楽しかった。行ってよかったと思えるよ。また会おう。山梨まで家族で遊びに来て。
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若者A君の考え方

2006年05月14日 07時41分37秒 | つれづれなるままに
A君 30歳 1.9児のパパ 東京でサラリーマン。
奥さん 実家はとある田舎 近々2児目の出産を控えて、実家に帰省中。

A君は最近、奥さんの様子見で実家を訪ねたらしい。そこで奥さんの友人夫婦を訪ねる機会があったらしい。その御夫婦はさらに田舎の地に家を持ち、自然豊かな中でゆっくりと暮らしているようだ。
そのA君が次のようなことをもらした。
「いずれはあんな土地で暮らしたいな」「今まじめに考えてるんだ」

・自然志向なのかな。
 僕自身が自然志向派で今こんな生活をしてるんだけど、A君にも早くも自然回帰のような感覚が目覚めてるんだろうか。僕の場合より10歳は若くて始まってる。それだけ都会が「なじめない、魅力のない」場所になってるということか。
・A君もいい大人になってきたということ
 A君の奥さんはお兄さんと2人兄弟。両親は健在でいらっしゃる。奥さんとしては将来御両親の面倒をみたいと考え、夫婦でそんな話もしてるのかも。
 そういえば私事ですが、私の母(病と格闘中)は私の姉に面倒看てもらってる。物理的な面倒は姉、精神的支えは僕と分担してる。私の妻の母も体調が悪く、妻と妻の妹が交代で面倒看てる。実の娘に看てもらうのが一番楽というのも真理。そういえば私に長女が生まれた時、妻の父に「男がよかったです」と言ったら、「面倒看てくれるのは娘だぞ」と言われた。
 A君も30歳の若さでそんな真理を視野にいれてるのか。
 もうひとつ、子供をどこで育てるのがいいかも考えてるんだろう。
 自分達夫婦の将来を、世帯主の責任を考慮しつつ模索するいい大人になったんだな。

僕はA君を応援したい。 都会が住みにくい、自然の中と思うなら、その今の気持ちに素直でいてほしい。まだ30歳、ここから人生を作り直すのはそんな難しくない。いや「作り直す」のではなく、「変化する人生を楽しむ」こと。子供が小学校に通うようになると、そういう生活の変化はちょっと耐えられない。今ならやれる。
A君がんばれ。田舎にひっこむと君になかなか会えなくなるのはさみしいが。
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とうとう丸刈りです。

2006年05月08日 18時17分44秒 | つれづれなるままに
GWは休みなしの12日間ぶっとおし仕事ざんまいでした。7日夜神奈川に帰ってきて、2日連休です。手の病院に行く、車の3ヶ月点検、母の様子見、それと理髪が今回の主な仕事。
今回の理髪は「丸刈り」と決めて帰ってきたのです。夏の暑さ対策として髪は邪魔物と思ってるので、以前からいつかやろうと決めてたのです。
ハサミをいっさい使わず、全面バリカン仕立てです。というと「五厘刈り」「お坊さんちょっと前」を想像されるかもしれませんが、そこまでは踏み切れませんよ。バリカンのmax長15mmで刈ってもらいました。もともと短髪仕上げの僕ですから違和感はないですね。すっきりです。
決行のもうひとつの理由はイメチェンです。昨年から髭をたくわえてるのですが、もみあげからあご髭は繋がってます。ここの髭は6mmカットですから、その延長線上で頭髪を短くしたかったのです。
想像してたほどの変化は感じてないのですが、これで礼服着て、黒のネクタイ締めたら、「怖い系のおじさん」と見られること間違いなしです。
普段着を着て、新宿ですれちがっても、会社時代の僕を想像してる人は気付かないだろうと思います。
ますます山男へと進化してる僕です。
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友が訪ねてきた。

2006年05月03日 06時48分05秒 | つれづれなるままに
5月1,2日 会社時代の友人が1人で訪ねてきた。1日の夜はしこたま飲んで、酔っ払って、お互いの今をかたりあった。
彼は僕と同年代。将来に大きな不安をいだいているようだ。会社を辞め、好きかってなことをしてる僕を観察にきたのだろう。
彼は「会社に居られるだけ居て(定年の延長もあって)、その後はぶらぶらかな」と言ってた。「そんなのつまらんよ」、「座ってて不安、動くも不安。なら動けよ」と熱く激を飛ばした。彼を勇気づけ、腰を上げるきっかけになってくれればと思う。
彼と話してて、自分が自分におどろいた。その兆候は3月頃から感じてたのだが、昔はこんなに強く、自信を持って自分を語ることはなかったし、できなかった。それが最近できるし、空元気でしゃべった後の気まずさとか反省感のようなものが全然ない。自分をありのままにしゃべって、相手に違和感を与えることなく、今の僕を解かってもらえるようになってる。
10日ほど前、会社時代の先輩と話したときもそうだった。先輩の前であんなに気楽にしゃべったことはなかった。
だからといって、「つけあがる」ことは自分で常に警戒してないといけないのだろうが、今の自分に大いに自信を持ててることのあらわれだと思う。56年生きてきて、こんな心境になったのは初めてだ。
警戒心を常にもちながら、さらに自信を強めていけたらいいと思う。そのために今日も頭使って、悩んで、工夫して、がんばろうと思う。
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会社辞めて早1年

2006年05月01日 05時58分29秒 | つれづれなるままに
4月末で辞めたから早いものでもう1年がたった。いろいろあって、中身濃くやってきた。
GWにからむ時期なので、会社最終日が何日だったかは忘れた。主だったところへの挨拶も終わり、後はほんとにまわりの人達への挨拶だけを残して自席にいた僕に4時頃上司が「竹ちゃん、帰ってもいいよ」と言った。キチンと5時半まで会社にいようと決めてたところにこの一言。うろたえ、挨拶もそこそこに部屋を出たっけ。「もうここに来ることはないんだ」と考えながら、新宿の街を歩いたっけ。未練とか過去を振りかえる気持ちはなかった。明日からあれして、これしてと前を見てたな。
失業保険、年金、健康保険など社会的手続きに始まり、身の回りのいろんなお荷物を整理し、身軽になるのに半年かかったな。どうにか生活規模も失業者に似合った大きさに縮小できたころ、母が倒れ、また荷物をしょった。これからの介護体制を作るのにまた半年ほどかかった。
神奈川をはなれて、山梨で1人暮らしをはじめられる状況にできたのが、やっと年末だった。問題はまだあった。林業関係の職がみつからない。森林組合にも行った。県庁にもいった。林業の衰退を実感し、国土の将来の不安を大きくしただけだった。
ぶらぶらしててもしょうがないので、昨年末今の職場に直接「使ってください」と頼みに行った。造園業だ。森には入れないけど、木と土には触れてられる。運もよかったようだ。昨年働いていた男性が現場での怪我から辞めたいとの申し入れがきてたようだ。
1月10日から働き始め、4ヶ月信頼もされてきたようだ。仕事をまかせてもらえるところまできた。社長もいろいろ教えてくれる。ロープの結び方の本を「勉強して」と貸してくれた。きつい駄目だしもあるけど、期待されてるからだと考えるようにしてる。
一方林業の方はますます暗くなってきてる。森林組合に勤務する友人が「辛い。会社辞めてなんでこんな辛い仕事しなきゃならんの。辞めるよ。」ともらしてる。今の造園業でも手がいたくてたまらんのに、体力派の僕でも大いに不安がある。
今の会社 おもしろいし、居心地も悪くない。期待もされてるようだし、商売の面でのお手伝いもできそうだ。しばらくはここでがんばろうかと考えてる。「森の再生」は違った形での参画を探そう。なにかあるだろう。

この1年 ほんとに中身濃くおもしろかった。こう振り返れる自分は幸せもんだと思う。団塊世代 いろいろ言われてるけど、生きるのは自分。こんなことしたいとの希望(夢なんて大きくなくていい)をもって、早く世に出てください。動けば必ず道があります。動かないと道はできず、そこに留まって、しぼんで行くのを待ってるだけです。何も怖いものはないです。30数年やってきた自分の能力を信じて、動きましょう。
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