椿が咲いた

2018年11月30日 11時17分34秒 | 大和の四季
     また椿が咲く時季になった。
1週間ほど前から咲きだした。花芽はいつもより少ないかな。例年花をつけない木には今年も花芽が見当たらない。「あ前ら、切るぞ」と思う。また3か月ほど数種類の椿を楽しめる。一輪挿しにして雰囲気を出そう。

今日は11月の最終日。明日はもう今年最後の月。毎年確実に来るね。今年は23日の週に白州滞在を予定してるから、師走行事を前倒しで済ませないと。暖かいようだから水仕事もおっくうではない。そう思い始めると窓の汚れがやたら気になる。これも自分の仕事、積極的に片付けよう。
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異常に馴らされていく感

2018年11月28日 08時03分12秒 | 国を憂う
毎度おなじみの光景であり、「うん またか」と見る自分。「おやっ、馴らされてるか?」。
ドンドンひどくなる安倍国会運営、ドンドンその異常さに馴らされていく国民。ゴーンさんには「おかしいだろう」と想うのに、安倍さんにはもう「諦め」なのか。
「いろんな役割で外国人が国内で生活し、社会参加するようになるだろう」の展望に異を唱える人は少ない。野党だってそんな国の向かう方向に反対してるわけではない。世界の中でのこれからの日本の顔を作って行く話だから「もっと中味を吟味し、せめて半分くらいは姿が見通せる法案にしましょう」と言ってるだけだ。
なのにだ中味は何も提示しないままで「外国人労働者をもっと増やします」とだけ決めようとしてる。詳細は今後政令を設けて具体化していくという。政令って国会の審議を経ないでいいんですよ。これって「安倍流」ですよね。大枠の大枠だけ決めて、後は「私に任せて」。 あんたの国じゃないって言うの。
だいたい日本に入って来る外国人は「生活者」なのか「労働者」なのか。今の政権では「労働者」のイメージでしょう。働く前に生活基盤を作らんと労働貢献だってできないでしょう。すでに国内に何か所も外国人が住民の1/3に至ってる自治体(マンションの管理組合も含めて)がある。そこで長を務めてる方の苦労話も多く報道されてる。今の政権はこんな実態には目も向けない。産業界側の「人手が足りん」という声しか聴いてない。
だいぶ安倍流に馴らされてる自分だが、やはりそれではいかんと思い直してる。「政治は結果」と安倍さんはよく言うがそれは違う。確かに問答ばかりで結論が出ない、前に進まない政治は困る。だからといって「決めればいい」というものじゃない。「過程」の議論、譲歩にどれだけ汗かくかが問題でしょう。だから「政治は過程」であって、「結果」であってはならない。
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LINEなら無料?

2018年11月24日 20時03分06秒 | つれづれなるままに
スマホ使いだして、当然いろんなことに疑問だの、関心だのが生まれて来る。まっそれをひとつづつ調べ、解決していくのが楽しみでもあるのだが。
まずどうしても関心をもつのが「料金」系。 「0円です」の宣伝だから僕も「LINE」なるソフトを使い出した。「そうか、インターネット経由だから0円なのか」、「電話もメールもできるし」。 利用者が多い理由は解るような気がする。
でも「ほんとに0円なの?」の疑問が出て来て悶々としてる。これはだれか知ってる人が教えてくれるだろうを期待して書いてみる。

まず原則。こっちから電話した時、自分の機器から相手の機器までの通信料金は全てこっち持ちだということ(ほんとの初期 固定電話、有線、NTTだけの世界を想像してみて)。
インターネットという世界が現れて、その中での通信は無料で使えるのは解ってる。じゃLINE利用ではどこからどこまでがインターネット空間なの?
自分のスマホでLINE動かして相手のLINEに情報を送る(受ける)。さてさて、スマホからインターネット空間までの通信は無料? 僕にはここは「インターネット空間」ではないとしか思えない。 スマホからはNTTなりKDDIの通信網を使ってインターネット空間にでてるんじゃないの? だとするとスマホからインターネット空間までは有料じゃないですか? 合わせて、相手側のインターネット空間から受信機までの通信料もこっち持ちじゃないんでしょうか?
こういう判断になるのは「自分の端末」から「インターネット空間」に接続するには間に「プロバイダがいる」が常識化してるから。LINEアプリがプロバイダ機能まで持ってるとは思えない。
これは押さえておかない行けないこと。自分のスマホがWiFi環境でインターネット空間につながってるならこっち側は無料ですね。でも相手側が契約通信会社の機能でつながってるならそこの通信料金はこっちに負荷されるんじゃないの?

さて僕のこの考察、どこまでが正しくて、どこに間違いがあるの? 解る人教えてください。ひょっとしたら皆さん「LINEは0円」とだまされてるかもしれませんよ。
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権力とその行きつく先

2018年11月21日 09時22分02秒 | 国を憂う
発覚したゴーンさんの所業 いやはや生粋の日本人である僕なんかじゃもう考えられない事態ですね。日本人だれがこんな所業を想定できただろうか。学者にしたって評論家にしたって、発覚してみれば知ったような顔で解説してくれますが、半年前にこんな事態が起こりうると想定できたかどうか? それほど日本文化からはかけはなれた事態だと見てます。操作当局による徹底捜査とその公開を待つしかないです。日本人(文化)じゃせいぜい「オレオレ詐欺」か「地面師詐欺」までじゃないですか。
一方で1個人が地球上狭しとこれだけのことができてしまう社会だということにも驚くしかない。「法」による規制がどんどん進む一方でそれすらも飛び越えたような所業が行われる。永遠の「いたちごっこ」なんだろう。
こんな見方もできる。「権力」が至上であり、それがあれば何でもできる。が一方でそれを持ったが故に「倫理観を無くし」「身を亡ぼす」。諸業無情、盛者必衰なのか。

一方では新しい(?)日本の政治手法。 うん、安倍さん流の政治手法だ。今の臨時国会、またまたいつもの光景。閣内に悪者(らしき)がいて、野党国民がそっちを攻めるのに熱を上げてる最中に、「訳の解らん(理解できない、中味が不明な)」法案を力づくで成立させていく。(入管法、憲法審査会、夏時間の制定etc) これだけ毎度毎度のお決まりパターンとなると一つのりっぱな「政治手法、国会運営法」じゃないですかね。

結局、何かやってくれると期待したい「権力者」は何もしてくれない。個々の平民が自分の生活のプラス&な部分で世のための努力をする。そんな小さな活動の積み重ねでしか世は良くなっていかないのかもしれない。世界中でそんな活動をしてる個人の姿を見る・聞くことがある。もう社会システムが古いんじゃないだろうか。
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スマホ研究3週間

2018年11月18日 20時51分46秒 | つれづれなるままに
ガラケイをスマホに換えてもう3週間が過ぎました。電話、SMS、LIENは使えるようになったので通信手段としては不便無い状況です。
どういう通信をしたいか? 相手のレベル(利用アプリは?)は? 等を考慮して自分がどう人と繋がっていくかをきちんと決めてかからんと混乱しそうなのが想定されたのでそこは決めました。添付文書で情報交換するような相手なら旧来のE-MAILを、相手がLINEを使ってるのであればLINE通信を、それ以外の個人的な連絡、調整ならSMSをと使い分けることにしました。これとて将来どう変えるかは解りませんが、ともかくこれでスタートです。
SNS系はやたら使い易く=アクセスしやすくなってるのに驚いてます。凄い技術進歩ですね。でもうまく使い分けないと自分の首を絞めることになりそう。その意味でフェースブックは使わないで行きます。
今一番の検案事項はスマホとPC間のデータのやり取りです。これは僕にとって必須機能です。
そうそう、このBLOGで作ってる自分のスケジュール表がONEタッチで見れるようになりました。これでどこにいて自分のスケジュールが把握できるようになり、二重帳簿の解消です。
まだあった、WIFIも理解できました。自宅はもちろん、スポセンでも、白州でもWIFI接続できます。料金のかかる回線利用頻度をグッと下げることができてます。自宅のPCは自力でWIFI接続に変更したのですが、それ以上必要無い知識でした。今回勉強しちゃいました。そうか、これがあれば海外でもWIFI環境ならNETに出れるわけだ。世界が広がるね。一機にワールドワイドになった気分です。
そうだ、音楽は旧来のIPOD利用としました。スマホがIphoneじゃないこと、Itunesに音楽が整理されちゃってること、小さく軽いIpodだから別に持ってても手間じゃないこと、そんなとこが理由ですかね。
その他いろいろアプリがあるようですが、それは追々でいいでしょう。先輩の意見を聞いてからでいいです。便利なものなら使えばいい。かといって、使わないものまで登録しておいても資源の無駄でしょう。アンインストール対象もきちんと見分けないと です。
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すぐれもの

2018年11月16日 08時44分14秒 | つれづれなるままに
    ストーブの薪着火材を今回買ってきて試してみた。
これまでの作法は 新聞紙、細かく切った段ボール、小枝、中枝 をストーブ内にセットして、新聞紙に火を点けるという手順。これだけでも面倒なのと、段ボール(これは火力が強いから失敗がない)をたくさん切って準備しておかないといけない。それと一旦火が落ちると、またこの作業かと考え、ちょっと熱くても火だね維持のためにもやし続ける悪癖が当たり前になってた。
写真の材料はホームセンターのキャンプ道具売り場にある商品。キャンプ道具でこういう材料があることはしってたが、案外高いものじゃと決めつけてた。ところがびっくりするくらい安いものでした。写真の袋100円でした。12ピースはいってます。切って置いた1片で十分着火します。つまり着火に10円かからないということ。
この材、おがくずを固め、それに灯油をしみ込ませたものです。「手に持っての着火は禁止」と描いてありますが、理由が解りました。一機に材の全体に火が周ります。
一切れの新聞紙、その上にこの材を1片置く。その上に小枝を組み置けばもうばっちり。10分で大きい薪にまで発展させられます。しかも失敗なし。
段ボールの準備、小枝の切り集め作業が不要になりました。

   小春日和 の 紅葉     
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もう最高の朝飯

2018年11月14日 08時53分55秒 | 白州の四季
    

この景色、色を窓一杯に見ながら、ぬくぬくストーブの暖かさを感じつつの朝飯 これを最高と言わずになんと言えるか。
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この紅葉 初めてかも

2018年11月12日 18時30分59秒 | 白州の四季
         

今日白州に帰ってきた。今回は先週用事があったので神奈川に3週いた。  久しぶりの感じ。
すっかり秋になってた。2,3割の木はもう落葉しきってる。でも「やまもみじ」の紅葉がすばらしい。この地でこれだけの紅葉を見るのは初めてじゃないかな。紅葉そのものが今年は素晴らしいのか、毎年僕が見そこなってるのか。
庭に入ってきて、車を止め、まず上の写真を撮った。ちょうど西日が当たってるところだった。うれしくて。興奮して眺めた。右の写真は2階の窓から。
明日朝は山の方に散歩に行こう。今年の秋風情を見つけに。雨降るな。

もっと冷えてるかと思ったが、暖かい。今日はストーブ点けるの止めた。 明日が「火入れ式」だな。
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渋谷ハロウィン騒動

2018年11月02日 09時42分00秒 | 国を憂う
「軽薄な世になったな」と思った人が多いのでは。仮装して正体がばれなければ何やってもいい、大勢でなら平気で羽目外す。そんな傾向がどんどん強くなってるように思えて、人間社会の先々に不安を思ってしまう。
「川崎ハロウィン」(ハロウィン祭の先陣らしい)はその実行をあるNPOが管理してるようで、ルールもあり、その枠内で粛々と参加者が楽しむ形式を長年続けてるらしい。責任者の方が「うちでは渋谷のような問題は起きません。渋谷の問題は責任者がいないこと。運営母体をはっきりさせることが大事。」と語ってた。 一見正当なようにきこえるんだが、ぼくにはこれもこれで怪しいように思えるのだ。
何をするんでも先に規制なり枠が設けられ、「その中で行動して」とやることが正しいとは思えない。今を飛び越えた新しい物は生まれないと思うから。ここはもう「社会が先か個人が先か」の問題だ。
つらつら考えた結果、「まず自律」の思いに至った。社会の規制でも個人の活動でもない。それ以前にまず「個人が自分を律する」力を持つことだということ。個人にこれがあれば社会が準備する規制の枠も変わるだろうし、個人の行動も変わってくるだろう。結局「ゆるやかで、生き易い社会」を形成することにつながるんだろう。そこまでは考えた。
今日の朝刊で京都大学の佐伯名誉教授が次のように書いてる。
論の発端はトランプさん、グローバル化、ポピュリズム、民主主義といった世相からの考察なんだが、最後に哲学的な結論を書かれてる。

『社会の伝統的秩序の中にある「自己抑制」「寛容」「思慮」「エリートのもつ責任感」といった価値観は民主主義とは関係ない。見えない社会規範というべきものだ。 (それが失われた時、民主主義こそが独裁者を生み出す。) 』
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