大阪、京都、神戸など関西の歴史と名所を再発見するブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



ミサゴが稀にみる大物を捕まえてきたので紹介しましょう。右足だけで掴んでいましたが、足が疲れてきたようです。

右足の疲れ具合を確かめるためか、しばらく屈伸運動をしていました。

一瞬のうちに、右足から左足に持ち換えしました。爪が鋭いので、滑ることなく簡単に持ち替えができるようです。・・・キビレチヌの眼を見ていますね。

このとき誤って落とすこともある獲物にありつこうと、杭の下で待機するアオサギをキッと睨んでいます。

周囲を見渡して、他のミサゴやトビ、カラスなどの邪魔者がいないかも警戒しています。

遠くにいるトビに向かって警戒の威嚇行動

どうやらトビは問題なさそうです。

問題が無ければよしと、獲物にクチバシをつけました。・・・キビレチヌの口にクチバシを入れ、目と目が合って、キスしているようでした。

他の鳥達もキビレチヌを虎視眈々と狙っているようで、そのちょっとした音で食事を中断、再び警戒態勢に入りました。



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近所の公園では、秋になるとキツツキの仲間として知られるアリスイ(全長18cm)を見ることがあります。

アリスイは20cmもある舌を伸ばしてアリなどの昆虫を捕食することが知られています。・・・用心深い野鳥で、藪の中や樹木の中など目立たない場所に留まることが多いようです。

アリスイは本州北部や北海道で繁殖、アリが越冬する季節になると本州中部以南に南下してくると言われています。

アリスイの体の正面は、樹木の色と似ている保護色なので、じっとしていると見つけるのが大変です。

いつかアリスイの長い舌を見てみたいと思いますが、今回も見せてくれませんでした。アリスイの背中には黒い模様があり、黒っぽい樹木に留まるとこれも見つけにくい。

さて、アリスイがいなくなって暫くすると、夏鳥のコサメビタキ(全長13cm)が枯れ枝に留まってくれました。これから越冬地(東南アジアか)に向けて旅立つ途中なのでしょう。コサメビタキは背面が鮫色のサメビタキ(全長14cm)より小型のヒタキ科サメビタキ属の鳥です。

コサメビタキは、大阪府レッドリストの絶滅危惧Ⅱ類に指定され、大阪府下では見つけることが難しくなっているようです。仲間にはサメビタキ・エゾビタキなどが知られていますが、胸から腹の体下面が白く見えるのがコサメビタキです。

スズメ目ヒタキ科は、語源となったジョウビタキと同じくらいの大きさの鳥をまとめてヒタキ科としたため、ジョウビタキとは鳴き声や生態が違うものが多いようです。

大きな目と白いアイリングがコサメビタキの特徴で、この角度から見ると、アイリングが白目のように見えて幻想的でした。



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近所の公園には、9月頃から渡り鳥のシギとカモが渡来してきます。そのシギとカモは同じ場所に固まって休むようです。

ところがNET検索してみると、シギとカモが一緒に写った写真は意外と少ないようです。・・・腹の白っぽいやや小型の鳥がシギ、茶色いやや大型の鳥がカモ

さらにズーミング。ほとんどのシギ・カモは、クチバシを背中に突っ込んで寝ているようです。シギ6羽・カモ8羽が写っています。

下の写真、中央の4羽がシギ(両側にアカアシシギ・左から2番目がオグロシギ・その右隣はコアオアシシギ)シギ4羽・カモ10羽

シギとカモは仲良しのようです。・・・羽ばたいているカモはオナガガモでしょう。一番右で羽繕いしているのはアオアシシギ。シギが6羽・カモが7羽

下の写真にはシギが9羽とカモが2羽写っています。同じ場所にいることで、猛禽類の襲撃時に早く逃げることができるのでしょう。

こちらは左にダイサギ、中央にシギ6羽、右にコサギが写っています。

左から2番目と3番目のシギはアカアシシギ。コサギと言えど、シギと比べると体の大きな野鳥です。

左に7羽のアオアシシギ、中央2羽はハシビロガモ、その右のカモはよく判りません。右のクチバシの黄色いサギはダイサギ



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昨日に続いて近所の公園で見かけるサギの写真を紹介しましょう。・・・この日の天候は雨、干潟に4羽の白いサギがいます。

白いサギには、コサギのほかにダイサギとチュウサギ、カラシラサギがいます。・・・中央の1羽は、左の3羽と比べてかなり大きい。

コサギのクチバシは黒いので、小さいほうはチュウサギ、大きいほうはダイサギで間違いないでしょう。

チュウサギは、生息数が減少していて環境省レッドリスト2017の準絶滅危惧(NT)に指定されているサギとなっています。・・・クチバシの切れ込みが眼の下で止まっているのがチュウサギ。

環境省レッドリスト2017の準絶滅危惧(NT)には以前紹介した旅鳥のカラシラサギも指定されています。・・・カラシラサギには冠羽があります。

クチバシの切れ込みが眼の下を通過して後ろまで伸びているのがダイサギ。

こちらはダイサイギとコサギの比較。体の大きさとクチバシの色、またコサギの足の指が黄色いので見分けが付きます。

クチバシ後方の切れ込みが眼の後ろまであるダイサギ(左)と、眼の下までしかないチュウサギ(右)、チュウサギはクチバシの長さもやや短いようですね。

いつかはダイサギ、チュウサギ、コサギ、カラシラサギというシラサギの四役そろい踏みを同時に見てみたいものです。・・・左ダイサギ、右チュウサギ2羽



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珍しくコサギの水浴び姿が撮影できましたので、万葉集のサギの和歌と一緒に紹介しましょう。

万葉集にあるサギの和歌として知られているのは「白鳥の 鷺坂山の 松蔭に 宿りて行かな 夜も更けゆくを」です。

「白鳥の」は鷺坂山の枕詞なのでサギ(コサギかも)のことでしょう。作者は、三十六歌仙の一人で万葉集第一の歌人とも言われる柿本人麻呂(660~724年)。

意味は「夜道を歩いていて気が付いたら鷺坂山まで来てしまった。夜も更けてきたので旅の宿は鷺坂山の松陰で取ることにしよう」

京都府城陽市久世、現在の久世神社の東側にある坂道が当時の鷺坂山なので、鷺坂山の松陰とはこの神社のこと、柿本人麻呂の時代には既に存在していたのかも知れません。

この久世神社の祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)です。

熊襲や東国征討をした英雄、日本武尊は、亡くなったあと大和を目指して白鳥(白鷺)となって飛び去ったとされています。

その白鷺が最初に留まった地がこの鷺坂山だったため、この地に日本武尊を祀る神社が創建されたと久世神社に伝わっています。

柿本人麻呂も、この伝承(日本武尊が鷺となってこの地に留まったこと)を知っていて、この神社の軒先に宿を取ることで日本武尊が守ってくれると考えたのかも知れません。・・・コサギの足の指は黄色



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近所の干潟に住むミサゴの写真と一緒にミサゴのことを紹介しましょう。ミサゴという言葉(日本語)は、西暦759年に成立した万葉集の時代から存在していました。

例えば「みさご居る 荒磯(あらそ)に生ふる なのりそ(莫告藻=海藻の一種)の よし名は告らせ 親は知るとも」などです。

意味は、名前をまだ知らない美しい女性に対して「ミサゴのいる磯には名前を名乗る海藻があるのに(あなたは名前を名乗ってくれない)親に知られてもいいからあなたの名前を教えて欲しい」という男の積極的な気持ちを詠んだものでしょう。

もうひとつ「みさご居る 沖つ荒磯に 寄する波 ゆくへも知らず 我が恋ふらくは」

意味は「ミサゴが居る 沖の荒磯に寄せては返す海の波のように 私が貴女を恋しく思う気持ちは 行方がわからないほど乱れています」

今から1300年くらい前の万葉集には、こうした男女の恋心を詠んだものが沢山あるようです。

さて、万葉集の時代、この鳥をなぜミサゴと呼んでいたのかについては諸説あります。

最も可能性が高いと思うのは、ミサゴが常に上空から水中の魚を探して飛んでいることから、「水探子」(みさこ)が変化してミサゴとなったというもの。

今から1300年以上前から、この鳥をミサゴと呼んでいたという事実には驚かされましたが、ミサゴの英訳オスプレイ(OSPREY)は、いつ頃から英国で使われ始めてていたのでしょうか。

参考文献 山渓名前図鑑 野鳥の名前 安部直哉 解説



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太陽を背に受けて、トビ(♂全長59cm・♀69cm)がこちらに一直線に飛んできました。

トビは、尾羽を広げると端部が直線状となるので、遠くからでも容易に識別できます。

トビの狙いは、ミサゴ(全長♂54cm・♀64cm)が左足に持っている獲物でした。

体の大きなトビがミサゴに向かって足を広げて威嚇しますが、ミサゴの爪をナイフのサイズとすると、トビの爪は彫刻刀くらいですね。

彫刻刀でナイフに向かっても勝ち目はありません。思わず威嚇していた足の爪を閉じてしまいました。

猛禽類の武器は爪。ミサゴは、体の大きさはトビに若干劣りますが、爪の長さと爪のパワーでは圧倒しているようです。

トビは、ミサゴを威嚇して獲物を横取りするつもりだったようですが、ミサゴの剣幕とナイフのような爪を見てビビったようです。

トビは、ミサゴの獲物を横取りするのを結局諦め、飛び去ってしまいました。

よく見かけるトビですが、近くで見ると意外と大きいのでびっくりしました。トビの翼長は、157~162cm



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この季節、近くの公園の干潟に多くのシギが渡来してきます。左からアカアシシギ・オグロシギ・コアオアシシギ

やや大型のオグロシギがこの長いクチバシを使って何を食べているのか、ちょっと見てみました。

干潟のオグロシギは、こうしてクチバシを水中に突っ込み、細かく振りながら一心不乱に採餌しています。

クチバシを水面から上げることはほとんどありません、また上げることがあっても、ほとんど一瞬だけのことでした。

その一瞬を撮影してみると、クチバシの先端部がやや開き、固そうに見えるクチバシが意外と柔らかいようです。

下の写真のクチバシの中央部にキャッチした小さな獲物が見えています。どうも浅い干潟にいる小さなヨコエビ類のようです。アカアシシギは、干潟の小さなヨコエビを採餌することが知られています。

下の写真ではキャッチした獲物を咥えていますが、ピンボケなのでよく判りません。ヨコエビは、種類によって差がありますが、多くは数mm程度しかなく、1cmを超える種類は少ないといいます。それでも個体数が多いので食物連鎖の中では重要な位置を占めているとか。

下の写真は、キャッチした獲物を飲み込む瞬間でしょう。獲物の正体はやはり小さくてよく判りませんがヨコエビの可能性は高いと思います。ヨコエビの研究はまだ発展途上にあり、日本では2015年現在で411種が報告されているようです。

採餌中に一瞬だけ伸びをして、白い翼帯のある翼をチラッと見せてくれました。このときクチバシは、ピンセットのように中央が開いて先が閉じていました。



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昨日の写真で紹介しましたミサゴの獲物の話です。・・・ミサゴが抱えているかなり大きな魚は何でしょうか。

ミサゴは、左右の足で魚の頭と胴体をしっかりと持ち、空気抵抗が少なくなるよう進行方向に魚の頭を向けています。

この状態となったところで、魚の正体が判別し易くなりました。

魚の形はチヌですが、尾びれと尻びれが一部黄色く見えていますので、キビレ(キチヌ)でしょう。

チヌは寒い時期から初夏までが旬であるのに対し、キビレの旬は春から夏までとされ、クセのない味なのでチヌより好む人も多いようです。

このキビレをミサゴ♀の全長64cmと比較すると36cmくらいでしょうか。キビレは45cmくらいまで成長するようなので中型サイズでしょう。

ミサゴの全長の半分くらいもあるキビレは、かなり重いのでキャッチしてから飛び立つまで相当難儀したのではないでしょうか。

いつもの杭の上、ミサゴは嬉しそうに新鮮なキビレを食べ始めました。

杭の直下には、ミサゴが誤ってキビレを落下させる事故を想定し、アオサギが首を長くして待機していました。



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江戸時代の幕府鳥見という役職を昨日紹介しましたが、その鳥見の話の続きと、鷹の仲間・ミサゴが運んできた獲物の写真を紹介しましょう。<・・・>が文献(大江戸役人役職読本)からの引用

<大名同士の陰謀めいた相談や動きは、ふつう人目につかない下屋敷でおこなわれていたが、鳥見は鷹の餌となるスズメ捕りにかこつけて不審な下屋敷に押し入ったり、大名が主催する春・秋の園遊会にも(幕府が飼う御鷹の餌とするスズメを求めて)下屋敷に押し入ることがあり>

<屋敷に突然鳥見が侵入された大名家では、老練な家老がいくらかの金品を包んで渡し、早々に引き取ってもらった>というので臨時収入(賄賂)も少なからずあったのでしょう。

<この鳥見の下には、エサを撒いて(鷹の餌食となる)小鳥を呼び集める餌撒役人がいた。餌撒役人は農家への委託で、35人扶持(1525俵)と給与は少ない。餌撒役人の任務は初秋から冬にかけて、田圃に毎日二回、小鳥のエサを撒くことと決められていた>・・・ミサゴの左足は魚の胸鰭を持っていますね

<将軍はよく正月に鷹狩をする。不意に来ることもあるので、普段から餌を十分に撒き、不猟にならないように気を付けなければならない>

<さらに鶴や、鴨などの獲物となる野鳥とも馴れておく必要があった。この餌撒役人がエサを撒いた田畑に誰かが知らずに踏み込むと、餌撒役人からお上に訴えるぞと凄まれ>、知らずに踏み込んだ人は泣く泣く金を巻き上げられたようです。

<将軍の鷹をかさにきて、袖の下を受ける悪弊は、幕末まで続いていたが、1861年(文久元年)鷹匠が飯盛り女の弾く三味線の音が御鷹様を驚かしたとして大暴れ>したことがあったといいます。

そのとき<幕臣崩れの青木弥太郎が駆けつけ、御鷹様を焼き鳥にして食べ、鷹匠の悪事をあばきたてたことで、鷹匠制度が廃止された>といいます。文久元年といえば桜田門外の変の翌年・尊皇攘夷の動きが活発となりだした頃で、将軍も鷹狩どころではなかったのでしょう。

青木弥太郎は、200石の知行所を持つ旗本で、攘夷の軍資金集めとして豪商から巨額の金を脅しとり、はては強盗も働いたために慶応元年(1865年)に捕らえられ、明治になってから釈放された人物ですが、オオタカの焼き鳥とはどんな味だったのでしょう。・・・ミサゴの獲物は明日の記事で紹介します。



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江戸時代の幕府には世襲職業として鳥見(今の言葉ならバードウオッチャー?)という役職がありましたので、その鳥見のことを着地するオグロシギの姿と一緒に紹介しましょう。<・・・>が文献(大江戸役人役職読本)からの引用

<鳥見というのは将軍の鷹狩に、獲物の鳥がいるかどうかを、先回りして見回る役である。この鳥見役は、幕府隠密で武鑑(幕府の職員録)を見ると、定員22人で2人の組頭に支配されている>

<組頭は200俵高で在職手当5人扶持、そのほか5両の現金が支給される。平の鳥見役は、80俵高、在職手当5人扶持、他に現金が18両も出る>

扶持は、一人1日玄米5合を標準とし、1年分の扶持なら約5俵。従って鳥見在職手当(5人扶持)なら25俵となります。

江戸時代の1俵を3.5万円、1両を10万円に換算すれば、組頭は225俵×3.5万円=790万円+現金50万円=840万円とかなり高く、平鳥見役でも370万円+現金180万円=550万円となります。これは鷹匠組頭(250俵高=875万円)より下ですが、平の鷹匠(100俵高=350万円)よりも多かったのです。

<この鳥見職は世襲で、息子が145歳になったら見習いとして親父のあとをついて歩くが、この見習いにも10人扶持と金18両、他に「野扶持(又は伝馬金)」という給与が5人扶持も出る>

息子が見習いとなり10人扶持と金18両なら(10扶持×5俵=50俵×3.5万円+180万円=355万円)これは鷹匠とほぼ同じなので14~15歳からスタートすることを考慮すると好待遇だったようです。

<鳥見役の表向きは、江戸6か所にある鷹場を分担し、獲物となる鶴、雁、鴨の状況を調べることであったが、鳥見役には将軍の御鷹様に食べさせる分として、鷹1羽に対して1日に10羽のスズメを捕える仕事があった>

<実は、鳥見役の本務は郊外にあった外様大名の下屋敷の監視であり、大名屋敷に立ち入る口実としてこのスズメ捕りが使われた>ということで、鳥見の実体は幕府の隠密(スパイ)だったのです。

参考文献:参考文献:大江戸役人役職読本 新人物往来社編



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昨日の記事で取り上げたオグロシギが近所の公園に渡来してきました。今回、その翼帯をテーマに撮影してきましたので紹介しましょう。

シギチドリハンドブック(氏原巨雄・氏原道昭著)を見ると、オグロシギ(全長36~44cm)「飛翔時は白い翼帯と白い腰、黒い尾羽が目立つ」とあります。

ところが近所に渡来してきても、撮影ポイントから遠い場所で寝ているか、やはりかなり遠い干潟で採餌する姿を見るだけです。

ハンドブックにある「飛翔時は白い翼帯と白い腰、黒い尾羽が目立つ」を確認するには、オグロシギが近くに寄って来てくれるまで気長に待つしかありません。

オグロシギが近くに来てくれて、待ちに待った飛び立つチャンスが到来しても、そのときだけカメラのスイッチが入っていなかったり。

オグロシギに向かってカメラを構えていたのに、ちょっとだけファインダーから目を離した瞬間に突然飛び立って、遠くに行ってしまったり。

さらにカメラを構えていても、空中を高速飛行するオグロシギを瞬時にファインダーの中に入れてシャッターを切るのは至難の業です。

運よくファインダーの中に飛行するオグロシギを入れることができても、シャッタースピードの設定不良でピンボケ写真となったり。

露出の設定ミスで暗い写真となってしまったり。本に書いてあることを確認するには、かなりの忍耐力が必要でした。

参考文献 シギチドリハンドブック(氏原巨雄・氏原道昭著)



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大阪市内の干潟にも多くのシギの仲間が渡来してきます。・・・オオソリハシシギ

前がオオソリハシシギ、後ろはアカアシシギ。背中と翼の後縁部が白いのが特徴です。

オグロシギ2羽とセイタカシギ。NET検索してみると、オグロシギの飛行写真はかなり少ないようなので、紹介しましょう。

近所の干潟で撮ったオグロシギの飛行写真。・・・中央、尾羽の黒いシギがオグロシギ、周囲の白い尾羽はアオアシシギ、右上に1羽オオソリハシシギ

中央にオグロシギ、右上にオオソリハシシギが2羽写っています。その周囲にいるのはアオアシシギでしょう。

オグロシギの翼上面には、白の翼帯があります。

最後部の黒い尾羽がオグロシギ、中央やや下の横向きがオオソリハシシギ、白い大きな鳥はクロツラヘラサギ、その右下にもオオソリハシシギ

こちら小型のイソシギにも翼に白の翼帯があります。動きが俊敏なので、なかなかちゃんと撮らせてもらえません。

獲物の小魚を咥えて飛ぶアオアシシギの写真も珍しいのではないでしょうか。



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江戸時代・幕府役人の世襲職業となっていた鷹匠の給与をオオタカの写真と一緒に紹介しましょう。・・・松に止まるオオタカ

家康から4代将軍の家綱まで、オオタカ♀を使った鷹狩がしばしば催され、鷹方と鳥見役の2系統に分かれていました。・・・背中と翼が蒼い蒼鷹(アオタカ)が訛ってオオタカと呼ばれるようになったそうです。

鳥見役は、鷹匠が放鷹する際の獲物になる鶴・雁・鴨の保護や放鷹前に鷹場の検分の外、鷹匠が将軍の鷹の権威をきて、農家などへ乱暴するのを防ぐ目付の役目や、郊外にあった諸大名下屋敷の監視など隠密のような役割もしたようです。・・・オオタカの幼鳥は茶色

生類憐みの令で有名な5代将軍綱吉は、1682年に鷹方と鳥見役を削減、1693年には役職を全廃して鷹狩を禁止し、鷹部屋で飼育していたオオタカもすべて伊豆の新島で放ったといいます。・・・オオタカの幼鳥

その後、1716年に8代将軍となった吉宗は鷹狩を好み、鷹方と鳥見役が復活、鷹方の責任者となる鷹匠頭は、知行の外に役料20人扶持・定員2名、その下に鷹匠組頭・鷹匠・鷹匠同心・鷹部屋番人などがいました。

鷹匠頭となった間宮信繁の知行は1700石、戸田正吉は1500石、内山永清は1000石を受けているので、鷹匠頭は高級旗本だったのです。(ちなみに赤穂藩・家老大石内蔵助も1500石、旗本の84%は500石以下)

知行地からの税は46民、旗本の実収入は40%なので1000石なら400石、現在の価値に換算(1石=7万5千円)すると、1000石の鷹匠頭は400×7.5万円=3000万円程度となる高給取りでした。・・・やや小型のハイタカも鷹狩に使われたようです

役料の扶持(役職手当)は、20人扶持なので100俵、現在の価値に換算すれば(1俵=3.5万円)100俵×3.5万円=350万円が1000石の知行の外に追加支給されたようなので鷹匠頭は恵まれていました。・・・ハイタカ

1716年に設置された鷹匠組頭(4人)は、250俵高=現在の875万円、その配下にいる鷹匠は、100俵高(現在の350万円)、見習いを含め44人、その下に薄給の鷹部屋同心(301人扶持=305俵=123万円)が100人もいたといいます。鷹匠ならまだしも同心の生活は厳しかったようです。・・・オオタカの眼

参考文献:大江戸役人役職読本 新人物往来社編



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ちょっとした用事で、大山まで行ってきました。米子行きの日本交通バスから見た大阪市内。

大山が見えてきました。

この日訪問したのは、大山まきばみるくの里です。

みるくの里レストラン前からは、米子市街地の先にある弓ケ浜半島と美保湾がよく見えました。

この芝生広場には、ペットの入場は禁止されています。

こちらは近くにある桝水高原からの大山です。山の形がやや違って見えています。

ススキの穂が出ていて、秋が近いことを教えてくれていました。

宿泊したホテルへの入り口です。

ホテルロビー



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